『終わらない夏』 小澤征良

おわらない夏 (集英社文庫)

おわらない夏 (集英社文庫)

単行本が出たときも数年後に文庫化されたときも、本屋で平積みになっていた記憶がある。手にとってパラパラめくり、「世界のオザワの娘が回顧する、恵まれた少女時代ってわけか・・・」と、軽くひがんで(笑)そのまま置いたのだった。ところが今回、図書館で借りてみたところ、出だしこそ同じく「んまあ、なんて純粋培養されたお嬢ちゃん」という視点で読んでいたものの、気づけば、そこここで滂沱の涙を。

一家は、父がボストン交響楽団の指揮者をつとめた30年間、タングルウッドという小さな町で夏を過ごしていた。小さなプールや暖炉のついたログハウス。お茶目で愛情深く偉大な父、美しい母、かわいい弟。愛すべき、周囲の人々。赤トラと呼ばれる愛車。時々顔を見せる動物たち。一家で大騒ぎしながら撮影するホームムービー。夜に見に行く映画。町で行われる(もちろん父が指揮する)コンサート。

こんなものを読んでいると、胸がいっぱいになる。まるで幸福な映画か、おとぎ話の主人公のように素敵な少女時代を過ごしたこの人は幸せだと思うし、そういう少女時代を与えることができた小澤征爾は、親としてもすごいんだなと思う。うらやましいなとも思う。
だけど、人生はそう簡単じゃない。作中ではちらとしか触れられていないが、彼女は小児ぜんそくをもっていたらしいし、帰国子女、そのうえ超有名人の娘として特殊な目で見られることとの葛藤もあっただろう。

何より、こんなにも美しい思い出をもち、みずみずしい感受性を存分に伸ばし、周りの人を愛し愛されるのを当然のこととして育ったら、かえってつらいことも多いんじゃないかなと想像したりもしてしまう。この本のタイトル「終わらない夏」には、夏は終わるものだという事実が前提にある。時間が過ぎゆくことによって取り戻せないもの、別れが人生には多くあって、愛する人が多ければ多いほど、豊かな感性をもっていればもっているほど、そんなとき、つらい思いもするのではないかと思うのだ。

それでも、こういう人たちは、何もかもを愛の強さで乗り越えていくんだろうなとも思う。そして、こんなにも輝かしくなくても、自分の中にもある幸せな子ども時代や、与えられてきた愛情を思い出しもする。2002年、小澤征爾ボストン交響楽団を去る、つまり、一家が夏のタングルウッドを去るにあたって書かれたこの本。読者である私は、それからの日々についても思いを馳せずにいられない。老境を迎えつつある小澤が闘病やリハビリを余儀なくされていること、それを、優しく力強く支えているだろう家族。止まらない時間。すべてがまぶしく、切ない。