長月の十一 / 麒麟あれこれ

●9月某日: 見事な秋晴れ。警固にランチにしに行く。バスを早めに降りて、ぷらぷら歩く。ピザ釜で焼くイタリアン。自家製レモネードも美味しかった。天神まで歩き、以前見てすてきだな~と思った腕時計を探す‥‥が、お店が見つからない! 名前も場所も思い出せない。手帳にも書いてない。私としたことが~。
夜ごはんは、アジ刺、牛すじとタケノコの煮物、ポテサラなど。今日のポテサラ、お店に出せるくらいうまかった(夫がつくった)。

●9月某日: 夫と息子、海釣り公園で豆アジを山ほど釣ってきた。半分は唐揚げ、半分は南蛮漬けにする‥‥と思う。夫が(笑)。連休最終日、実家へ顔を出す。母は若者(?)向けのドラマや映画、大河ドラマもほとんど見ないが、事件の前から伊勢谷友介を知っていたらしい。いせやんすごい。夜ごはんのあと、息子が「きりん見らんと?」と言ってくる。そうそう、休みの最後に大河ドラマを追っかけ視聴するのが私のルーティン。一昨日録画したやつを再生。

・先週から松永久秀が最高。息子の暴走を止められなかったのは道三と同じだね。てか、自分が与えた鉄砲という武器で撃たれるのも辞さない(撃たれるはずがないと信じてる)って愛が重いw この人、愛妻家で、伊呂波太夫をマジめに口説き、十兵衛ラブ。持ってる愛の量がすごい。

・食えない君主ぶりで浪人十兵衛を泳がせたつもりが梯子を外されて「えっ‥‥」な朝倉、お忍びでなく見張りにせっつかれながら町人の家に来るマイペースすぎる関白、そしてついに本音の一端をのぞかせた伊呂波大夫など、見所満載。義輝最期の演出よかった。今後十年義輝といや向井さんだね

・道三に「大きな国をつくれ」と言われ信長にその器を見て、殺されるのも辞さない愛を松永に示されて(違)「正念場だ」と言われた十兵衛だから、「覚慶は任に非ず」には何か大計があるのかなーと思いきや、結局ほんとに正直さしかない気もする。十兵衛の愛されキャラの定着すごいな‥‥

・メタ解釈からいっても池端俊策の脚本で尾野真千子が演じる役(しかも架空人物)がちょい役のわけないんだけど、「とことん戦ってどっちも滅びればいい」「私たちは武士じゃない、それだけのこと」の伊呂波太夫の表情すごかったですね。こりゃカギになるセリフだわという確信をもたせる。

・駒、東庵、菊丸、伊呂波太夫、覚慶(僧)、関白そして天皇まで、意識的に出してるんだよね。藤吉郎の下層民時代を描いたのも。武士以外も周縁ではなく、武力権力に翻弄されるばかりではない、個々の顔と強さを持っていたという描き方。網野善彦的な「百姓」観、中世観というか。

・伊呂波太夫がキーセンテンスをぶち上げるのと時を同じくして、松永が「幕府あっての我ら、人は将軍の威光で動く」と言い出すのがいい。従来のシステムはやはり強固で、だから後継争いも熾烈になる。でも「半分」なんだよね。半分は迷っている。

・戦国大河はお決まりのように「新しい世」といい「平和な世」をめざして戦うけど、#麒麟がくる の「大きな国」とは誰が武士の棟梁になるかなんて話ではないし、麒麟を連れてくるのは一番強い武士じゃなく「武士同士を戦わせてみんな滅ぼす」武士以外の者かもしれない。という大きな絵が見えた今回だった