『昔話は残酷か』 野村ヒロシ (まとめ2)
●心理学の視点から
人間の一生には、ある段階から次の段階へと飛躍的に変化、発展する時期がある。たとえば就学、たとえば性的成熟、たとえば就職や結婚。そのような境目に立つとき、人は危険にさらされた心理状態になる。慣れ親しんできた環境や考え方を捨てて新しいところへと入っていくのは、強い緊張やストレスを呼び起こすことでもあるのだ。けれどそれに耐えて乗り越えたとき、人は成熟し、いっそう力強く、新たな人生の段階に踏み出すことができる。
そのような「古い自分の死」と「新たな自分の目覚め」とが象徴的に描かれるのも昔話の特徴である。たとえば「いばら姫」がその典型。
人間が発達の境目に立つとき襲われる危機感は、古い段階にとどまりたい気持ちと、新しい段階へ出ていこうとする心の葛藤といえる。たとえば人は、親に保護され、依存する子ども時代から、いつしかやがて自立しなければならない。あたたかく安全な家庭からの旅立ちには怖さや不安も伴う。
自立がまっとうされるためには、変化を促す強い力が働かなければならない。古い環境にしがみつこうとするものを無理やり引き離し、つなぎとめている綱を断ち切って、次の段階へと押し上げ、追い立てる力が。昔話に出て来る継母や魔女や人さらいの残酷な行為はそれらに値する。「変化を推し進める力の象徴」として、意地悪でむごい継母や魔女が必要なのである。
ドイツの心理学者ビルツのレポート。
感じやすく活発な女児(第1次反抗期中)は「赤ずきん」の狼を非常に怖がって夜中に目を覚ますようになった。困った両親が狼の絵を切り抜いて燃やしてみせるとぐっすり眠るようになったが、昼には狼のことをよく尋ねていた。両親は「悪い狼は焼かれてしまった、だからもういないし、いるとしたら遠いロシアぐらいのものだろう」と答えていた。
何週間か経って、父親が女児を連れて近くの森へ散歩に行こうと誘い、母親は「森のうさちゃんのところに行きましょうね」と言ったが、大喜びで出かけた女児は、近所のおばあさんに会ったとき「いまからもりへいくの。ロシアのおおかみのとこよ!」と言った。
無邪気でかわいいウサギではなく、怖い狼が子どもの心を惹きつけている。狼を夜な夜な怖がっていた子は、怖がりながら同時に、やがて父親と一緒に狼と対決する心を育てていた。おそろしいものには、心をゆるがす魅力があり、「それに打ち勝ちたい」という気持ちを育てる力がある。
忘れてはならないのは、昔話は必ず幸福な結末をもっており、子どもが自分を一体化させていく話の主人公には、けしてむごい運命は力を及ぼさないことです。それにひきかえ、悪の象徴である人物は徹底的にやっつけられます。これは、昔話のもつ「悪は必ずほろぼされる」という」不動の信念の表明とみていいのです。そして、そのことは、子どもの心の安定に、どんなに大きな意味をもつことでしょうか?
大人が心配しなくてはならないのは、昔話の残酷さなどではありません。それよりも、親身になって子どもに昔話を聞かせる人のいないことこそ問題です。昔話は、その残酷さという苦味をも含めて、またとない子どもの心の糧なのですから。