『武士の時代』 五味文彦 (感想・下)

武士の時代―日本の歴史〈4〉 (岩波ジュニア新書)

武士の時代―日本の歴史〈4〉 (岩波ジュニア新書)

3.連綿とつながっていく歴史に屹立する巨人の存在を感じられる

そのように、歴史とは「個人の力で堰き止めることなどできない大きなうねり」なのだけれど、その中には時折、巨人のあらわれることがある。大河ドラマを一年間見るよりも、この本を読んだ方が、歴史の巨人の巨人っぷりが迫ってくるって、どーゆーことだ(笑)。

てか、あらためて、大河ドラマってなんなんだろう。最近は、有名な人物に「隣にいるような親近感を」という演出をほどこしたり、まったく無名な人物を掘り起こしたりして「視聴者の共感を誘う」のが大河ドラマの流行りのようだ。もちろん、それらが無意味だとはいわない、やり方によってはとても有意味だ、先述したように歴史は英雄のみのものではないのだから。英雄だって人間だから、人間臭い部分を描くのもいいだろう。でも、肝心の偉業(異形でもあろう)を描かずに、変に凡俗の位置まで引きずりおろすようなやり方にすごくストレスがたまる。すごいもののすごさを知るのって面白いし、元気が出てくるようなことなのに。やたら「共感」路線でやっていこうとするのって、やっぱり、元気がないってことなのかなあ、日本に。

閑話休題。この本であらためて「この人、すごいなあ」と感嘆したのは、源頼朝北条政子北条時頼足利尊氏足利義満。あたりまえの面々だ。けれど歴史に名を残す人物には、やはりそれだけの凄味があるのだ。

たとえば頼朝。この人はもちろん平氏に反旗を翻すわけですけど、やってることがすごいのね。呼応して立ち上がった義仲が先に入京し、都人からの評判を悪くして、汚名返上のためにも平家を西海に追って戦っているころ、頼朝は鎌倉にいながら後白河院と交渉して東国の支配権を認められている。それで公文所問注所などの行政機関を作るんだけど、そこを取り仕切らせるため、朝廷から有能な人材を招聘するのね。平家滅亡の前に、既にこーゆーことやってるんだよ。

翌年、壇ノ浦で平家が滅亡すると、大天狗の後白河が義経に官位をあげて、あまつさえ頼朝追討の宣旨まで出しちゃって源氏内紛の危機になるんだけど、そこで頼朝は舅の北条時政を京に派遣して、後白河や近臣の責任を追求し、今度は義経追討の宣旨を出させたのみならず、諸国に守護・地頭をおくことなどまで申請して認定させる。ひとつのピンチを、切り抜けるだけでなく、そこで余分な戦功までもぎとっちゃうのだ。やがて最後の目の上のたんこぶ、義経奥州藤原氏を片付け、まんをじして上洛。しかし大天狗の後白河がまだ生きていて、右大将の地位しか出さないとなると、そんなのイラネと辞退。さっさと帰って鎌倉の整備に集中する。やがて高齢の後白河が亡くなると無事に征夷大将軍に任命されるのだが、すると即座に、それまで自分のサインで出していた書類を、政所の職員のサインに切り替える。自分個人の権威ではなく、幕府という機関をオーソライズするためだ。

この、惚れ惚れするような手腕、なんなの。13歳のころ流罪になって、それから延々20年間も伊豆という辺境に閉じ込められていた人が、どうしてこんなに次々と、ピタッとハマる手を決め打ちできるわけ? 才能? 大河「平清盛」では、十年一日どころか二十年一日で、「どーせどーせ俺なんか」ってぐじぐじぐじぐじしてるだけだったのに。時政のブレーン力? や、彼だって大河では単なる気のいいらでぃっしゅぼーやの野菜配達人、て感じだったよ?

…ってまあ、「平清盛」は清盛のドラマなので頼朝周りが希薄になるのはしょうがないとしてもだね、だいたい、「京都が鬱陶しいなら鎌倉に幕府をひらけばいいじゃない」(「パンがないならお菓子を食べればいいじゃない」ふうに)って、後世の目で見たらあたりまえの話みたいんだけど、これこそ「コロンブスの卵」なんだよね。清盛の福原への遷都は、半年であっさり頓挫したわけだし。確かに東国武士たちに盟主と仰がれたがゆえの蜂起の成功とはいえ、鎌倉で京に匹敵する統治を行おうと本気で実行したのがすごい。

そんな頼朝も晩年にはすっかり神通力を失くしたかのようになるのが不思議なところなんだけど、そこで政子が出てくるとこがまたすごい。1199年に頼朝が謎深い死を遂げたあと、鎌倉では後継者争いで凄惨な抗争が繰り広げられるわけですよ。その過程で、政子のふたりの男児が2代、3代将軍に就くも、いずれも天寿を全うすることはなく、2代頼家は幽閉ののち死。3代実朝は頼家の遺児の手によって暗殺される。2人の娘もそれぞれ20歳、14歳という若さで病死し、政子は4人の子すべてを失ってしまうのだ。はっきり言って超不幸。

後継者争いにはもちろん有力御家人たちも噛んでいるわけで、彼らも多くが潰しあっている。まだまだできて間もない幕府が迷走している間、和歌の道も使って実力をつけているのが、そもそも悠久の時を国の最高権威として君臨してきた朝廷の主、上皇。だから鎌倉側にしては、すごいピンチだったのだ。後鳥羽が立ったのをきっかけに、幕府は瓦解してもおかしくなかったところ、承久の乱で勝利を収め、逆に権力基盤を強固にする。その立役者になったのが政子だ。頼朝の死後、血みどろの鎌倉で自らの子たちも次々に失いながら、彼女は20年以上にわたって政治力をふるい続けた。

まあ、平安末期の朝廷にも、美福門院はじめ、影に日向に政治にかかわった女性は多い。相続が男子に限られていた時代でもない。それにしても、頼朝という巨人の妻が、これまた巨人・政子だった、というのが歴史のすごさ。こののち、執権が実権を握る時代になることを思えば、もともと北条家に政治力のDNAがあったのか。なんにしても、鎌倉幕府の草創期はすごい。

その屋台骨が腐りかけたころ、またも有力御家人を次々と滅ぼし、「引付」を設置し、親王将軍を迎え、得宗の権威を高め、建長寺を開山させた五代執権時頼もすごいし、幕府を見限り後醍醐天皇について挙兵したかと思えば、数年のちには後醍醐からも離れて新しい幕府をつくった尊氏もすごい。ここの成立前後の血みどろも、鎌倉草創期と同じくすごい。

「朝廷の領域に接収し将軍の権威と権力を高め、同時に強大化してきた守護の勢力の削減にも努め」、南北朝の統一を果たした3代義満もやっぱりすごい。ここでは、義満が太政大臣にのぼったあと出家し、さらに安芸の厳島に詣でているところが興味深い。清盛を念頭においたやり方なのだ。

これは武家の首長である将軍としての地位を越え、格式においては院政を模した政治を目指してのものであって、まさに公武の統一政権の表現にほかならない。

大河「平清盛」のラストで、「清盛の志は頼朝に、そしてその死後、室町時代になってどーのこーの…って言ってたのは、単に中国との交易だけでなく、その辺も念頭においた表現だったのかしら。全然伝わらなかったけどw 

4.おまけ: ところどころで入る五味先生の述懐が面白い。

ジュニア向けの新書だからだろう、極力、偏った学説は排して、教科書のように淡々とした記述で進む本書なのだけれど、それが教科書よりもずっと面白く感じられるのは、ここまで書いてきたように各種の「つながり」や、つながりの中に突如あらわれる(ように見える)巨人たちについての書きぶりによるところが大きいのだが、時折、ふと挟まれる五味先生の主観にもクスリとさせられるところがある。

●(義仲について)…(中略)近江の勢多の合戦で討死することになった。すぐに上洛しなかった頼朝との違いを思わざるをえない。 ←しみじみと義仲をクサす五味先生www

●武士の屋敷の門前の場はそこを守る侍のテリトリーであり、通る人々はその獲物にほかならないようだ。 ←「ほかならない」って、そこまで言い切る?www

●この最初の計画の失敗は、天皇が鎌倉に送った使者の弁明で何とか事なきを得たが、後醍醐はそれに懲りなかった。 ←確かにそうなんだけど、「懲りなかった」って表現ww 後醍醐涙目www

や、おかしいだけじゃなく、中高生に向けたまえがきとあとがきも平易な文章ながら実に読みがいのあるもので、五味先生の歴史研究者としての誇りと意志を感じさせるものでした。このシリーズ、続く「戦国の世」は今谷明という、これまた私でも名前を知ってるぐらいの有名な研究者。そのうち読んでみようかな。