『八重の桜』 第49話「再び戦を学ばず」

「良き連続ドラマは最終回の1回手前が最高に盛り上がる」という法則(?)がありまして、そこへいくと大河なんて1年間もの長きにわたるドラマの総決算なんだから、万感胸に迫って感謝感激が雨あられと降り注ぎ、テレビの前から立ち上がれないぐらい、盛り上がりに盛り上がってくれてかまわないんですが、まあここ数か月を見ていると、とてもそうはならないよな、って予想はついてました。だからそんなに失望してないんです、うん。

ま、そーゆーのも、今年に限らずなんですけどね。なんとかかんとか、一年間でとっちらかったものを寄せ集めて風呂敷をたたもうと苦心する姿を見せられることも珍しくない話です。まあ一年間って長いですからね〜。でも、一年間、首尾一貫したドラマを作ることをあきらめてほしくないな〜。

先に出版されているノベライズ?ドラマストーリー?を既読の方々が「ラスト2回はひどい」「それまでの物語を全否定」「卒倒するレベル」と異口同音に憤っておられるので、相当の覚悟をして臨みましたよね。というか、「何を見せられたとしても、こんなもので真剣に怒るのは非生産的…人生のムダ…」てな悟りの境地、お地蔵さんのような顔で臨んだというか。

覚馬と容保。ドラマ前半を牽引した二人を同じ回で身罷らせたのはもちろん作り手の作為でしょう。実際に覚馬の死のほぼ一年後に容保は没しているので、無理な作劇ではありません。ふたりはそれぞれに、会津戦争について総括し、将来を案じながら人生を終えます。見ていると、「この物語の主演は、やっぱり覚馬と容保だったのね」という感じがありました。八重の人生はあと40年も続くんですけど、残り1回じゃ、完全にエピローグですもんね。

で、まあ別にそれでもいいんですけど(投げやり)、問題は総括の中身ですよね。ふたりは一様に、会津戦争を「過ち」「悔いるべきもの」と捉え、覚馬は「つぐないは道半ばだ」と、容保は「会津を死地へ追いやった」と、みずからを加害者の立場におきます。

うむ。

むむむ…。

それでいいのか…? それがまとめ、なの、か……?

どーも、もにょりますよね。なんかとっても安易でお手軽な総括だな、という感が拭えない。やっぱり過程を描いていないからだと思う。そういった結論に至るまでの心の動きが全然わかんないから、「ファッ!?」てなっちゃう。で、その総括をもとに、ドラマ世界で起きていることや、その後の主人公の動きを見ると、なんかどう捉えたらいいのやら〜?って、わけわかめです(死語です)。

京都守護職始末の執筆を始めた浩。ドラマでは通説よりもだいぶ早く書き始めたことになるようです。ま、その辺はね。なんたって「会津戦記」までぶち上げた製作陣ですからね。・・・ってことで案の定出てき(やがっ)た「会津戦記」なんですけど、思ったほど強く史実の史料とリンクさせなかったのでホッとしました。ファンの方々には、そのシーンで尚さんの回想が出てこなかったことを嘆いていらっしゃる向きもあるようでしたが、性懲りもなく「会津戦記執筆中の尚之助」を再び映したりしなかったのは、作り手のせめてもの良心…っていうか羞恥心ではないかと私なんかは思いましたね。私だって八重と尚さんがくっつくまではキャッキャ言ってた口だし、「女がいるぞー!」にはゾクッとしたってのに、それからがアレだったから、なんか尚さんへの印象がすっかり…。終わりよければすべて良し、とはよく言ったもんで、その逆もまた然り、なんですよね。

で、執筆に絡んで健次郎が覚馬を訪ねてくるんですが、ここで「立派になって〜。青びょうたんと呼ばれてたのが嘘みたい」と感嘆する佐久ママに「それもう忘れてください…」と健次郎が恥じると、「前髪クネ男とも呼ばれていたなww」「ごめんクネ男、青びょうたんのほうすっかり忘れてたwww」等、TLが一気に沸き立っていましたww 本日、ある意味、ここが一番盛り上がったかもしれませんwww

しかし、今回の健次郎は、ドラマの無理くりのまとめのためにやたら都合よく動かされてる印象で、気の毒でした。「薩摩や長州にも義はあった」とか、いきなり滔々と語りだす覚馬にも「や、そーゆーのいらないから」と言いたくなりますが、それで「繰りごとは聞きたくない!」「覚馬先生は会津魂を忘れてしまったのか!」とか激昂するクネ次郎もどーなん、って思いつつ、見てた。なんか、いかにも「とってつけた」って感じの問答なんだよなー。

時は明治25年ぐらい。消えない恨みや憎しみ、後悔もあろうけど、幾星霜を経てもいて、そら薩長閥に比べれば日影の身に甘んじた人生でも、ふたりはこの25年間を一生懸命生きて、会津人としては大いに活躍し、また、飛びぬけて優秀な人たちなんだから、時局を見る目だって確かなものを持っているはずで…。八重の言う通り、健次郎は長州人の助けで学問の道を歩んだわけでもあり…。なんか、そういう、「それぞれの四半世紀」が、セリフの背後に見えないんだよね。だから、字面ではいいこと言ってるようでも、全然ぐっとこない…どころか、妙にしらける。

容保のほうも容保のほうで、2度目ともなると耐性がついて、つい冷静に見てしまいましたが、「気安く何度もご宸翰見せてんじゃねーよw頼むww」って感じですよ。ドラマの中で「容保の意思を知った山川兄弟が京都守護職始末を…」という流れにするのは、「会津戦記」からの流れにするより100倍マシですが(←私もしつこい)、ご宸翰を便利グッズにするなww これはさあ、容保のご側室あたりが山川兄弟に「何かいっつも首から筒みたいなの、かけてはるんですけど、何が入っているのか、私たちもわからしまへんのどす」ぐらいに言って(なぜか似非京都弁)、ふたりが「そ、それはもしや…」って感じで悟るとかで良かったんじゃないですかね。ドラマでご側室の影がすっかり隠れてるのも不満だったんでちょうどいいし。

覚馬にしろ容保にしろ、後悔の念はあったと思うんです。あまりにも多くの死や、その後の人々の塗炭の苦しみについて、生き残った者が、特に上に立っていた者は、いつまでも胸にあったと思う。それは、当時の価値観がどうとか、国際情勢がとかいうのを超えて、人間ですから、死を悼む気持ち、悲しむ気持ち、自らの責を問う気持ちは、やはりあったと思いますよ。もうあんな悲劇を繰り返してはならないと、戦争を経験した人たちが強く強く願うところなのも当然です。

でも、「あれは過ちだったかも」ととれるような総括を、人前ですることって、ありえない気がする。会津の誇りや意地、主君への忠義に殉じていった仲間たちが浮かばれないもん。仲間たちなんだから。当事者だったんだよ。なんか、スゲー他人事みたいな総括に聞こえた。どー見ても未来人。

覚馬は母と妹が生き残ってくれたから「会津の男でいられた」と言ったけど、その言葉にも奥行きを感じないの。「つぐないの道」って言われても、まず家族を…うらさん見捨ててたし…。再会したあともさらに捨ておいてたし…。尚之助のことだって…。罪悪感からか何か知らんけど、むしろ会津を避けてる感ありありだったやん。

容保だって、多くの家臣を死地に追いやったことを、確かに一生悔いてたと思うよ。だからひっそりと後半生を過ごしたんだと思うし、ドラマでも、林権兵衛、修理…家臣が死ぬごとに、本当に心から苦しむ姿があった。でも、だからこそ、その後悔や、「ご宸翰がある=逆賊ではない」という思いを、そうやすやすと人に漏らしたりしなかったと思う。死ぬまでひとりで抱えてたと思うよ。筒の中身がご宸翰だと妻子も知らなかった…って逸話は、そういうことでしょ? そういう、圧倒的な孤独に包まれた殿として描写されてきてたし、それだけ孤独だったからこそ、孝明天皇にあんなにフォーリンラブになったわけでしょ? あれは、「孤独な星に生まれついた二人にしかわからない愛の世界」だったわけじゃないですか(あれ、違う?ww)

「また戦が始まる…知恵や知識で戦を避けられないなら何のための学問か…」はい、未来人認定。あのね、当時の情勢ふまえて、とても聡明であったことが確実な登場人物にそこまで言わせるんならね、「戦を避けずに列強の脅威を跳ね除ける方法」まで考えて、示してくれませんかね。じゃないとちょっとおバカな人に見えるんで。だいたい、覚馬が「管見」を著したのも、10年、20年先を見越して…つまり列強の脅威ってもんを危ぶみ富国強兵の必要性を痛感していたからではないのか?

落ち込むあんつぁまを励まそうと、八重が「あんつぁまの学問が襄の学校づくりに役立った」とか「襄が考え抜くことを教えてくれた」とかイロイロ言いますが、ごめん1回も欠かさず見てきたけど、その中身が頭に浮かばないww 主人公が「考え抜くことを教えてもらった」人だとは、たぶん視聴者の誰も思ってないww そうだったの?!てびっくりしたわwww

「再び戦を学ばず」。いい言葉だけどね。

会津戦争を当事者たちが美化しなかったことで、いわゆる「観光史観」に一石を投じたつもりなんでしょうか? 平和を祈っておけば間違いないよね、という安直な結論づけでしょうか? それとも「何が何でも平和をテーマに!」ていう左っぽいイデオロギーの持ち主なんでしょうか? 

そりゃ、戦争を美化すんのはどーかと思います。でも、覚馬や容保のような立場の人が、会津戦争を否定するっていうのは、作り手が、歴史を…歴史上を一生懸命に生きて死んでいった人々を、否定するのと同じように感じますね。総括なんて必要だったんでしょうか? 視聴者は、そんなにバカじゃありません。わざわざ登場人物の口から言わせなくても、ありのまま、当時の価値観で、当時を一生懸命に生きた人々を描けば、自然と「こんな悲劇はどこかで避けられなかったのか」という思いがこみ上げたり、「そんな歴史の上に、今、私たちの生活があるんだな」としみじみしたり、すると思うんですが。そんな過程が、何より足りなかったんだよ。

で、日清戦争が始まると、「できることをやらないと」と篤志看護婦として立ち上がる八重さんです。うむ、それはそれなりに受け容れるのね。再び戦を学ばず、ながらも…。そこは、「戦はイヤでございます〜〜〜」な大河と一線を画す意図もあったんでしょうが…あそこまでハッキリ総括しといて、どうも前後のつながりが弱いような…。八重さん、考え抜いたんですか?て言いたくなっちゃう。

開戦に沸き立つ蘇峰たち言論人の中で、ひとり白けてる蘆花たん、という図は面白かったです。未来人的視点で言えば、厭戦的気分の蘆花たんが「正」なんでしょうが、蘆花たんって、このドラマのクズメンだしw 「キリスト教より新島教です(キリッ」なんて言ってた愛弟子・蘇峰たんは行軍の先頭を行かんばかりの勢いww 「国家を支える人材、良心的な青年を」という襄先生や覚馬らの切なる願いはいったい…という、歴史の残酷さが描き出されてましたね(そーゆー意図での作劇なの? なんかもう、ほんとワケワカメー)

…そんなに失望してない、とか言いながら、結局さんざっぱら文句書きましたが(苦笑)、覚馬の臨終と病床の容保、両方に感動を覚えたのも事実です(ほんとうです)。覚馬に寄り添い泣きじゃくる久栄、という図で、ふたりの“親子感”の薄さにびっくらこきましたけどね(また文句)。会津編が長かったとはいえ明治編だって20話近くあったのに、いったい何が描かれてきたのであろーかと小一時間…。

や、でも、やはり一年間見てきたわけなので(前半は面白かったしね)、ドラマでは描かれていない部分で、あんな思いやこんな思いがあったはず、そうに違いない!と脳内補完することができて…って、それってどーなん、とも思うんですがw とにかく、先週亡くなった襄先生もそうですが、役者さんたちは皆、情熱と情感をもって演じてくれたので、「人の一生が終わる」というのが、こう、ぐっと、胸に迫ってくるところがありますね。西島さんも綾野さんも、明治編ではめためたにされて…や、覚馬は会津編の途中から結構もうめためたで、とても演じにくかったと思いますが、ステキでした。もっともっとステキなのが見たかったけど。ありがとうございました。

そう、襄先生。大河名物のゴースト出演でしたw 「今回は最終回間際、どんな(けったいな)ゴーストが」ってのも大河の(ゲスな)楽しみ方のひとつとしてとらえているわたくしです。背後から手を置くだけ、しかも顔は映さない(それでも死者のぬくもりを感じる」って、今回は、実にスマートな幽霊さんでしたね。部屋でひとり、「みんないなくなってゆく…」と八重が泣くのは、鶴ヶ城開城→男たち連行、ののち、ひとり城内で泣いていた姿とのシンクロですよね。あのとき、八重には「空」しか感じられなかった。無限のような空とちっぽけな自分、という、一周まわって「前に進むしかない」ような、孤独感。今は、多くの死者が、近くで支えてくれているようなあたたかさを感じる…。

長く生きるとは多くの人を見送ることでもある。その悲しみの中で生きることへのひとつの答えとして、ここは感動的なシーンだったと思います。さて、来週はどんな総括をしてくれるのか…。ってケーキさんキターーーーーー!