『八重の桜』 第39話「わたしたちの子ども」

なんだろね、歴史に対する敬意、歴史を生きた人々への敬意がゼロになってしまっててね。近年解明された尚之助の不遇な晩年を取り上げたのは意義ある試みだと思ってたんだけど、それを「会津戦記」にしちゃったあたりから、もうダメだったんだよね。これぞ天地人クオリティ。内藤P色が全開です

↑放送後にツイートしたものです。なんかもう今週の感想はこれだけでいいかなって感じなんだけども(と言いつつここから長いっす)。

●○●父を会津戦争で「女の鉄砲撃ちに撃たれて」亡くした薩摩藩士の娘(たぶん架空の人物)が登場。八重を激しく憎み、退学しようとするが、彼女は労咳に冒されていて、故郷へ帰る体力もない。彼女の憎しみにたじろぎ、動揺しつつも、伝染覚悟で家に引き取って献身的に介護する新島夫妻。やがて彼女の心もほどけて…●○●

1月から「八重の桜」の世界観にどっぷり浸ってきた視聴者の多くをげんなりさせるこんなプロット、誰が考えて誰がOK出したんだー! 会津時代と京都時代とを繋ぐエピソードとして創作したんだろうけど、こんな描き方で過去を清算するだなんてありえないからぁ!

「おまんさぁが父上を撃ったのか!」と激昂する娘に向かって、八重さんはその場で、熊本バンドやらみねやらおっかさまやらいる中で、土下座したんですよ? 大和田か! 流行りか。流行ってるからか!?

まあ、思わぬ展開で過去が明らかにされて狼狽し、咄嗟に謝るしかなかった、という描写だったのかもしんない。そののち、いつまでも臍を曲げてハンストしてる娘に「こんなことやったって意味ねぇ! 生きなきゃいけないんだ! 私が憎いなら早く良くなって報復したらいい!」とキレる描写は八重さんらしいっちゃ、らしかった。

でも土下座って、見た目すげーインパクトある所作だからさ(時節柄にもww)。土下座しちゃったら、「そんなに悔いているのか!」て愕然としちゃうやん。だけどそれがどうしてなのか全然わからない。キリスト教の教義を学んだからなのか、学問をして近代人になったからなのか、目の前の青白い娘を見ていると謝らずにいられなかったのか、まあ全部なんだろうけど、見てて、相当遠い目になっちゃう。

会津は逆賊ではないのに」と泣いて殿さまに訴えていたあの娘はどこに行ったのか。確かに会津には開戦まで追い込まれてしまう政治的拙劣さはあった、けれど何も自分から他藩の領地に攻め込んで嬉々として弱い敵を屠ったわけではない、むしろどっちかっつーと逆だし。あの薩摩おごじょの父親は会津人を殺さなかったのか? 会津でも多くの人が死んだ、2000発の砲弾を撃ち込まれて、兵士どころか女子供までが死んでいくのを八重は見たはずだ。それを今、どのように総括しているのか。「もうあんなことは二度とあってはならない」という正しくも綺麗に整理された境地に、いつどのように達したのか。「薩摩は憎いけど、あなたのことは全然憎くない。薩摩人だってあなたみたいな普通の子どもがほとんどなんだ」って唐突に説明されてもポカーンですよ。

いや、そうかもしれんけど、じゃあこれから薩摩人長州人で身内に戦死者がいる人たちに出会ってスナイパー時代を糾弾されたらいちいち謝るのか? 会津人の恨み憎しみ、明治になってから“緩慢に戦死していった”前夫のような無数の無名の人々の無念を知っているのに、それでも謝るのか? キリスト教的な贖罪ですか? 隣人愛? 右の頬を打たれたから左の頬を差し出したってこと?近代人のたしなみですか? 同志たる夫を立てて、新しいときを生きるため? の割には、薩摩っ娘に対して「悔しかったら報復しろ」とか言っちゃって、全然キリスト教徒っぽくないのよね。つめあまー。

わからん・・・わからんし、最近の八重さん見てるとわかりたいという気持ちになれないのがいちばんつらいのよね。綾瀬さんの女優としての姿形が輝いているのは今だと思うんですが。ロッテンマイヤー先生みたいな洋服だけど、いかにも生地も仕立てがよさそうで、化粧もきれいでお肌の状態も良くて、眼福。

つか、薩摩っ子・長州っ子が入学してくることは予想できたはずだし、対応にしろ過去との対峙にしろあまりに後手すぎる気がするのよね、そもそも。経営者夫婦として危機管理能力が問われるぞ。学校ひらく時点でそのリスクは想定しておけよ、と。

史実の八重さんは薩長出身の学生を露骨に冷遇したといわれており、そっちを採用した方がぜったい面白かった…といったら不謹慎ですが、そっちのがぜーーーったい説得力あったと思います。や、冷遇したまんまで終わるのは、大河の主人公としてよろしくないでしょうが、少なくともしばらくは葛藤を見せてほしかった。聖書を学び始めたころの「敵を愛せだなんて理解できん」という気持ちがどう変化していったのかは、もっとじっくりと、互いの苦しみや迷いが伝わる形で描くのが、視聴者に、そして歴史に対する敬意ってもんじゃないでしょうか? 襄先生も活躍のしどころだったと思うし。

そう、襄先生も手がなさすぎ。口も出さなさすぎ。優しく見守るだけでは血で血を洗った過去は浄化されない。戊辰戦争なんも関係ないアメリカ人たち(や、彼らも南北戦争という内戦を経験したという意味では同士なんだけど)に泣いて演説してたやん、内戦で傷ついた母国が癒され、前進することを。今、まさに、癒され前進することが必要な人(生徒&妻)が目の前にいるのに、何を手をこまねいているのだこの伝道師は! 納得いかねーことだらけだけど、洋服の着こなしがいちいちかっこええからそこは眼福!

あんつぁまもあんつぁまで、「京都はもう大丈夫だけど同志社には俺が必要」とかって、何をどう支援してきているのかさっぱりわかんね! マッキーにもどうしてそんなに煙たがれるのか(煙たがられるほど仕事上の方針が違うってことだろうに)さっぱりわかんね! 無職になって経済的に立ち行くのかどうか、そんなんじゃびくともしないぐらいの資産がもうあるのか、貧乏を辞さず辞職したのかもわかんね! わかんねーことだらけだけど、マッキーに辞職を進められてショックを受ける妻をよそに笑う姿、「これからはお前たちとゆっくり過ごせるぞ」と笑う姿が文句なしにかっこええ! 眼福!! 

「旦那様は京都の恩人なのに」とか「町衆から不満が上がっているぞ」とか「鵺はたいしたおなごたい」とか、あからさまなセリフで説明されると、これまで継続して見てない視聴者は「へぇーそうなんだ」って納得しやすいんだろうけど、わたくしのような継続視聴者は「え、いつどこで何時何分、地球が何回まわったとき?!」て小学生みたいに追求したくなりますよね(ならない?)。

そういう意味では、「熊本での軍配は見事じゃった」と大山に褒められる浩も同様なんだけど、こちらは、説明無双でスルー、て扱いがデフォルトになっているので、もはや「そこが美味しい」てな境地に達しておりますね(笑)。そして全力で苦味走るイケメン浩萌え〜。あの髭形態も似合う〜。眼福〜。

あの軍人シーンは、山縣の正面切っての嫌味といい、大山に反発する浩といい、腑に落ちるもんがありました。そうだよそんぐらいギスギスしてたはずだよ。浩が陸軍に出仕するまでのいきさつをさあ、微に入り細を穿ちとまでは言わないが、最悪、谷干城を省略しようとも、心情面は丁寧に書いてほしかったところだけどさ。にしても、このシーンは、のちの義兄弟と思って見ると香ばしさが数段アップして良いですね^^ そして、大山が「さすがは知恵山川。会津藩元家老、山川大蔵」って言った瞬間、私の中での浩萌えのグレードが上がったよね。家老・・・元・家老が軍服になって陸軍に…! なんかこの設定萌え〜! ま、戦のさなかのどさくさで指名された家老だったけども。

おっかさまとみねの受洗は納得。おっかさまは、かつて戦わざるを得ない性質をもっていた娘を心から愛し、また彼女が背負う十字架をいたわしく思っているし、同志社の生徒たちに対しても「昔の八重のような子たち」とかわいがる気持ちを持っている。今、過去に苦しむ娘や若者たちを見て「自分に何かできることは」と考えたとき、受洗して娘のそばで、若者たちの世話をすること…という答えが出るのは、このお母さんらしく、あたたかく大きく、地に足がついていると思った。でも、八重が30代前半ってことは、いまあんつぁまが40代後半、とするとおっかさまは少なくともオーバー65にはなってるよね? 今から舎監ってスゲー大変そうな仕事なんだけど、史実だからすごいよな。あんつぁまが無職になったからおっかさまが外に働きに出て…てわけじゃないよね? みねはおっかさまとは対照的に、恋に恋するお嬢さんといった感じの、地に足のつかない、ふわふわした理由での受洗だと思うけど、これまたこの年頃の娘っことしては自然だと思った。しかし伊勢時雄、父(横井小楠)については名前すら出てこないのかしら?

薩摩っ娘の小松リツは大後寿々花ちゃんでした。お名前といい、雰囲気といい、「篤姫」の近(小松帯刀の妻)を演じたともさかりえちゃんの姪っ子かなんかかな、という雰囲気だった。顔立ち的には徳富猪一郎の姉ちゃんあたりのほうが断然薩摩っ娘っぽいんですけど、まあそこはそれ、モニカが西郷さんだったドラマだしねw 

あと、熊本バンド以上に女学校の女生徒たちがくそ生意気。まあ学問をしに来たのに…って主張はわからんでもないけど、前週、八重と襄とで「女学校も男子並みの教育を」「だいじょうぶ、そのつもりです」とイチャイチャやってたのに、蓋をあけたらマナーの授業ばっかりってどういうこと。アリス先生の独断という描写だったっぽいけど、八重はそこに文句言わんのか? てかアリスに一言もない襄もひでぇ(だから来週解任騒ぎ…またか…)。布団を干すの干さないのの応酬から長刀でアチョー!のくだりがくだらなすぎて全俺が泣いた。文化の違うアリスにいきなり竹刀をもたせて仕掛けるって卑怯すぐるwww アリスに同情するしかないwww

ということで、残りの10話は眼福ドラマとして見ていくのが気楽なんでしょうな、と思いつつ来週も怒ってると思います(笑)。だったら見なきゃいいのに、それができないのが大河オタのサガであるよ(詠嘆)。