『八重の桜』 最終話「いつの日も花は咲く」

まあ大河ドラマって、神最終回より謎最終回の方が多いとは思うんですよね。一番多いのは、苦笑最終回かなw でも、それでいいと思えるんですよね、それまでの40数回を楽しめていれば。一年間見続けた視聴者は、主人公はじめ登場人物たちと長い年月、苦楽を共にした気分になっているんですから、多少ヌルい展開になってドラマ作品として画竜点睛を欠いたとしても、むしろ「これまで色々大変だったんだから、ドラマの中でぐらい、いいよ、最後ぐらい綺麗ごと(あるいはギャグw)でも」「大団円だと、読後感ならぬ視聴後感が良いしね」なんて、惜別の思いを胸に、頷けたりするもんなんです。

思えば昨年の清盛の最終回も、45分間超疾走しまくりで「え、え、えーっ?!」て感じで終わっていきましたが、放送終了後のTLは、「清盛(泣)」「時子(泣)」「盛国(泣)」「忠清(泣)」という涙ナミダと「禿(震撼)」という絶句、そして「西行www」「頼朝www」「子兎丸www」という苦笑い、そして「海の底〜〜〜!!!」という泣き笑いで満ち溢れていました。ほんっと、あのときの重盛の一世一代のドヤ顔の破壊力たるやね…! あ、もとい。まあ「清盛」も色々いびつな大河でしたし特に後半には色々不満がありましたが、去年の私はもっと最終回に対して敬虔な気持ちと、何が来ても生あたたかい微笑みで受け止められる愛着とをもっていた。と、一年経ってよくわかった12/15でした。

ほぼリアルタイムで追っかけ視聴してたんですけど、60分見終わったあと、眠くて眠くて。や、まだ21時だし。てか50回めの最終回だったのに、第30話まではあんなに夢中で見てたのにこの無感動! ちょっと自分にボー然でしたよね。個人的に一番盛り上がったのが最後の「紀行」だもん。八重婆さんのお写真どころか動画!動画が! それでちょっと目が覚めたようなもんですよ。

まあ、八重さんの一生を(年表的に)わかったうえで見ているからなんだろうけども、写真も動画も「只者でない婆さん」ってオーラがぷんぷん出てる気がして、「そうかーこの人が銃をもって会津戦を戦い、京都で新島襄と結婚して、長い未亡人生活でいろいろ破天荒なこともしつつ、二度も勲章をもらい、昭和7年まで生きてたんだ…」と思うと、ぐっと心つかまれましたね。どんな人だったのか、本当に知りたいと思いました。全50回見たあとで!!

今日見ながらずーっと思ってたのは、「八重さん、肌の調子が最高!」てことでした。最後だからSK?もがんばったのか。「今日の1話で怒涛の高速老化したりしてね(笑)」とチラッと脳裏をかすめんでもなかったんですが、なんのなんの。ほんと、八重さん、輝いてましたよね。肌が。

どんどん月日が流れる最終回だけれど、いつのまにか不老不死の薬を手に入れていたらしい八重さんの年齢が全然ピンとこなくてね。襄と結婚した明治8年=1875年=30歳、というのをひとつのマイルストーンとして、日清戦争=1894年=50歳手前、勲七等授与が52歳ぐらい、ということは会津への旅では50代半ばくらい? ドラマラストの日露戦争直前は60歳手前ぐらい…といちいち計算しながら見てました。最後だけは老けメイクらしきものがされていて口調もやや変わり、アラ還には流石に見えないまでも、なんだよやればできるやん、と思ったら、籠城戦の八重を見つめるアラ還八重さんの画面へのハメコミ方がすごく不自然で蝋人形みたいで怖くて ((( ;゜ Д ゜)))

年表をなぞるだけでも、襄さんと死別してからの八重さんの40余年って、本当に興味深いんですよね。当時の篤志看護婦はまさに前例のない存在で、それ以前に本当に死と隣り合わせの仕事だし、民間人女性で初めて勲章を受けるぐらいだから抜きんでた功績があったのは当然なんだけれど、一方で、茶の湯というある意味贅沢な趣味にまい進して、襄の遺産をずいぶん食いつぶし、同志社関係者からは相当嫌がられていたとか、養子を迎えても誰ともうまくいかないとか、でもやっぱり茶の湯でも相当大成してるし、昭和天皇から銀杯を賜ってるし、勢津子さまご成婚の写真にもちゃんと映って、葬儀は同志社で盛大に行われてるし、なんかホントわかんないのよ。わかんないけどなんかすごいのよ。大物すぎる。

たった1回でその大物っぷりを発揮するのはやっぱり無理で、だからドラマのスケジュールにも問題があったっていうか、それ以前に多分そういう大物っぷりを描ける能力も、描きたいという意欲もなかったんでしょうね。いち視聴者としては、八重さんの「わけわかんないけどすごい」とここそを、片鱗なりとも見たかったし、その人間像に迫ってほしかったなーと思うんですが。

たとえば、篤志看護婦の活動。作中では抜け殻のようになった八重をあんつぁまがどやしつけて右から左へと動かすという簡単なお仕事(笑)をしてたけど、襄の死後わずか3か月で赤十字の社員になるのはやっぱり少し不思議な現象に映る。確かに、悲しみから立ち上がるために動き始める時期かもしれない。けれど八重には同志社がある。このドラマを見ている限りでは、襄の遺志を継いでいくため、同志社関係の仕事にまい進するのが自然だ。確かに籠城戦での経験を知っている捨松あたりから強い誘いがあったのかもしれないけれど、東京へ研修に行くにしろ、まして戦時に広島の病院で看護活動をするにしろ、ひとり、京都(同志社)から遠く離れる生活。しかも高齢の母や姑が生きているのに、だ。

そこには、よく言われているように、同志社の関係者との不和、姑や養子との不和があったのかもしれないし、あるいは、襄との思い出の詰まりすぎた家や京都を離れたい気持ちがどこかにあったのかもしれない。前例のない看護活動に対して使命感があったのかもしれないし、八重の卓越した看護経験や肝っ玉の太さが買われて強く従軍を乞われ、断れなかったのかもしれない。

のちに勲章を受けたぐらいだから看護活動のリーダーだったのは間違いないが、どういう経緯でリーダーに選出されたのか。自分で手を挙げたのか、身分(武家の出身あるいは明治に入ってからの富裕っぷり)か年齢が一番上だったのか、やはり経験と肝っ玉で「この人しかいない」と誰かが(あるいは誰もが)認めたのか。

詳しい経緯はわかっていないかもしれない。だとしたら、創作してもらってでも、私はそういうのを見たかったなと思う。というか、創作すべきなのはそういったところでは? 八重の人間像や生きざまを立体的に立ちあげ、奥行きを与えるための創作。その場限りの簡単な感動やカタルシス、あるいは感傷のためではない創作。

視聴者が、八重というひとりの人間に感情移入して、その人生を追体験し、それによってその周囲の人物たちや彼らが生きた時代に思いを馳せる…そういうのが歴史ドラマだと思う。そのための創作であるべきだと思う。

また、民間人女性で初の勲章受賞者に選出された件。勲章受章などに政治的な意図がないわけはない。八重が会津出身であることは選出にどういう影響があったのか(あるいはなかったのか)。もうその時期には、会津出身であることは(少なくとも勲七等程度の授与では)ネックにはならなかったのか、あるいは、「会津出身だからこそ」選ばれた面があったのか(戊辰の勝者/敗者など関係なく挙国一致すべき、と煽るような意味で)。

まあ勲章の政治的意味などをやりだすと若干八重のドラマとしてはズレることになるかもしれないけれど、「授与について、会津の女として、あるいはキリスト教徒として、どう思ったのか?」という八重の気持ちまで完全スルーだったのには驚いた。単純に、勤皇精神から名誉に思ったのか。会津の汚名返上にひと役かったと嬉しかったのか。あるいはドラマでの八重は非戦論者だから、こういった勲章を受けることで「お国のための戦争の美化」に加担すると複雑だったのか…。喜ぶ場面はなかったので少なくとも大喜びしたわけじゃないってことなんだろうけど、すごい投げっぷりですよ。

時尾と二葉は勲章を単純に喜ぶという描写。50代には見えないにしても八重さんよりは立派に老けてるふたりが大はしゃぎして剣豪にとびかかるシーンはそれほどイタいとは思わなくて、ドラゴンアッシュの藤田さんも立派にかっこよく、こういう「大団円」感は大河の最終回っぽいと思う。

浩のラストシーンもそう。50代の男が40代の弟の頬を撫でるかー?!と思うが、そこは今生の別れが近いことだし、浩の兄貴キャラの表現でもあろうし、単純に香ばしいのが浩のキャラでもあるのでOKなのだw ただ、浩のラストシーンはもっと大勢の弟妹や会津出身者に囲まれていてほしかった気もするなあ。てか浩むさすぎ…。あれじゃ男やもめで女中さんの一人もいないみたいじゃないか(後妻さんいたんだよね?)

山川家や時尾夫妻、秋月さん、日向ユキらにとっての「明治」ももっと見たかったんだけどね。しかし、明治編での出番が少ない = キャラに変なブレがないということで、かえって心穏やかに見られるという…。つくづく、少ない出番で妙なこと言わされたりさせられたりな容保は気の毒だった。

ケーキさんもせっかくの登場なのに、すっかり、この妙なドラマの最終回仕様で残念。何が「わしは会津が羨ましかったのかも」だよ、そういう心情はあったにせよ、30年経ったからって胸中を勝にペラペラしゃべったりするケーキさんじゃないと思うわ(おこ)。あんなんなら自転車乗り回してカメラパシャパシャやって子沢山孫沢山の、愉快な余生のPVで良かったわよ。

ま、そこで「私という忠臣がいたじゃないですか」なんて絶対言わない勝は良し。なんかこのドラマ、勝のキャラは異様に掴んでたと思うわ。あと孝太郎さんの老けた容貌も良かったです。ものっすご胸板薄かったんだけど、あれ、なんか他の仕事の役づくりかなにか? あんな細いんか、もともと?

京都守護職始末」の始末。健次郎は年を追うごとに兄貴に似て頑迷キャラになっていくのがちょっと面白いんですが、あの巌とのシーン、なんなんだ。希子ちゃんの演技もつらたん。セリフ回しは帰国子女だからってことにしても、静かに話を聞いている、というんでなく、ふてくされてるみたいに見えるのがつらたんですよ。唇のつくりのせいか? 

もとい、守護職始末。明治35年の時点では、会津松平家への下賜金3万円と引き換えに出版見合わせを受け容れた、ってのやってほしかったな。健次郎が家政顧問についたときの会津松平家が下賜金で手を打っちゃうほどにものすごく窮乏していた、というエピは非常に興味深いものだと思う。まあ容保の側室たちも一切存在させなかったわけですからね。容大の名は出しても、それが養子なのか実子なのかドラマでは一言も言及してませんからね(おこ)。

八重さんに戻ると、茶道への傾倒の底にあるものも詳しく知りたいところだった(創作エピソード込みでも。先述と同じくそういうとここそ一貫性のある創作をしてほしい)。「新しいことは楽しい」って、新しいことがなぜ「茶道」だったのか?という、そこですよ! 「心が静まるし、お茶室では誰とでも対等」みたいなことを言ってたけど。

まあ、従軍から戻ったあと、姑も母も、若い久栄までも亡くなり、(離縁になった養子たちはもともといないことになってるし、同志社との関わりについての説明は綺麗に割愛されている)、ぽっつーんとしてるシーンがあったので、孤独感とのかかわりは辛うじて想像できなくもなかったけれど。女学生に傘を貸すエピソード(巷間伝わるエピですよね?)が、家でぽっつーんとしてるとこから繋がるのは良いシークエンスだったな、と。

でも八重さんは受洗した女性で襄とは洋風の生活を営んでいたといわれているわけで、それが和服に戻り茶道で大成するっていうのには、事情とか、強い意志、あるいは内的変化など、何があったのかな、と思うわけじゃないですか。作り手ならそういうところでドラマを作ろうとするんじゃないかと思うし、作ってほしかったと思います。

なんせ、襄の死後の40数年は余生というには長すぎます。半生です。その半生をたった1回でやっちまったのです。覚馬も襄もいないところでドラマを続けるのは難しいと判断したんでしょうか? そこで思い出すのが「カーネーション」ですよね。三姉妹以外の登場人物をガラッと変えて・・・そう、好評を博していた主演の尾野真千子までを交代させて、老年編を1か月にわたってやり続け、見事に完結させた。賛否両論あったけれど、批判をも覚悟して、92才まで生きた糸子(小篠綾子)の人生を最後まで意欲的に描いたカーネーションとの違いを思わずにいられません。確かに会津編をとても面白く見ていたから、じっくり描いてくれてうれしいと思った。けれど一年を終わってみて、主人公の八重に対する感慨が何も残っていないとなるとね…。

頼母との再会。八重さんがとにかく綺麗でした。髪型も、着物も、着付けも、帽子も、メイクも、本当に美しくて、作り手の美に対する
執念を感じました。別に感じたくなかったけどな。ここでは、会津編のころから危険的人物(笑)だった頼母が、どんな思想を吐いてくれるのかとドキドキしていましたが、意外にもそれがなかったので八重さんの美しさに集中することができました。はらはらとこぼれる涙も美しくて、内容はどうあれ、演者である綾瀬さんには「一年間本当におつかれさまでした」と、ねぎらいと感謝の気持ちが湧いてきましたね。

で、頼母さんは政治的・思想的な話がなかったのでそれでOKかといえば、そのかわりに彼が話していた超情緒的な内容も素直にはうなずけないところで、見終わったあとで考えるともなく考えていると眠気からもも徐々に醒め、むくむくと残念な思いがもたげてきたのでありますが、もうずいぶん長くなったので、いったんこのあたりで切ることにします。

今年は最終回の時期が早くて・・・来週の日曜8時は全日本フィギュアとかぶるからですかね? なんにせよ、早く終わってくれて全然かまわなかったんですが、年内あと半月ありますので、どこかで一年間全体の感想を書きたいなと、そこで頼母の最後の発言なんかにも触れられたらと思っております。蘇峰についても。ラストシーンについては…まあいっか、もう(笑)。

最終回の視聴率は16.6%ですか。16%台が出るのは7/14の第28話、籠城戦終盤以来ですね。9月後半以降はほぼ12〜3%で推移していたところ、ここまで持ち直したのは、昨日、THE MANZAIの放送があったため、ふだんイッテQを見てる層あたりも流入したんでしょうか? 「最終回ぐらいは」と思って見た人も多かったのかな。

もしも、京都編になって視聴をやめていた東北の人々が、最後だからということで久しぶりに見て、そして「いつの日も花は咲く」というメッセージに感動や希望を感じたのだとしたら、それはある意味、良い最終回だったのかもしれない。とにかく、会津に観光客が増えたのは事実で、福島の人はそれを大変喜んでいるというし、私だってもう少し近くに住んでいて子どもも大きければ、ぜひ会津に行ってみたいと思っているんだから…。などと思ったりもしつつ、けれど、復興を支援しますと掲げたドラマとしては、やはり物足りないというか不備だったのではないかとも、やはり思うんです。綾瀬さんや西島さんなどは撮影の合間を縫ってちょくちょく現地を訪れ、関連番組やイベントに出たりしていたと聞きます。そういう点では、すばらしい支援ドラマだったんでしょうが…。

というわけでとにかく感動の薄い感想になってしまいましたがそういう最終回だったのでした。役者さんもスタッフさんも視聴者のみなさんもみんなみんな一年間おつかれさまでした、こんな長い記事を読んでくださった方々にはありがとうございました〜。