『八重の桜』 第23話「会津を救え」

幼稚園ぐらいのお子様と一緒に見てるご家庭では(あるのか?)、泣いて怖がって大変だったんじゃないでしょうか。松重豊遠藤憲一も「顔が怖い」ことをアドバンテージの一つとしてステップアップしてきた役者でしょうが、顔面凶器こと(ご自身のブログのタイトルです!)小沢仁志さんと並んだらどこのイケメンだ?つー話です。

そのコワモテはあくまでキッパリとコワモテのキャラとして使い倒されました。思い出すままにザッと書き留めておくと、

●貢物を供するための大杯で酒を飲み、 ●桜を見て「今ごろ満開か。なんもかんも遅れた地よ」の暴言を吐き、 ●伊達、上杉の殿さま自らがもってきた(史実?)嘆願書をその場で破り捨て、「こげなもん書くひまに賊徒の首もってこい!」 ●「謹慎しようが恭順しようがぶっ潰す!」 ●福島で遊興、踊る芸者衆から気に入ったのを米俵担ぎにして「もらったぞ」 ●その部屋でそのまま布団も引かずに・・・と思われる事後、縁側から庭に放尿(放物線ばっちり可視)

ちょww 下郎すぎワロタwwww 生真面目大河とか小難しいとか言われてるけど、やるときゃやるぜ!的な、ステレオタイプな時代劇の悪漢にさらにバイアスかけるぜ!的な、暴虐の限りを尽くしております。世良修蔵さん、草葉の下で泣いてなきゃいいけど・・・。

や、世良さんが強硬策だったこと、密書に「奥羽はみんな敵」とあったのも史実らしいんですが(それらも、やむにやまれぬ事情があったようですが)、個人の性質として暴漢だったという説は特にないもよう。創作なんですよね。つまり、

  • 世良、サイテーサイアク。
  • 仙台藩士(←決して会津藩士ではない)が世良を斬ったのは、短慮ではあるが、むべなるかな。
  • 会津藩は、奥羽の仲間で団結すべくがんばっていた
  • 世良はどうせ嘆願を受け容れなかった
  • 西郷に直接陳情しようとした広沢も敢えなく捕えられた
  • 総督府に賊徒でないと陳情しにいった近藤勇は捕えられ斬られた)
  • 世良が斬られたことを大義名分に、敵が攻めてきた
  • 持ってる火器が敵と違いすぎて負けるしかない

という流れで、サラッと見てると、権八父さんじゃないけど、「そもそもそもそも会津には何の何の非もねえんだ」って感じなんですよね。大事なことだから2回言いますよ、の演技がうまいマッチゲ氏。や、確かに、そもそもそもそも会津には何の何の非もないのかもしれませんが、なんかこう、従来的・昭和的・情緒的・会津全面被害者的ムードで見てもらってもOKでーーーす、て感じのつくりになってますよね。無難というか。見やすくというか。この辺、当初からの意図なのか、筆をとっている人が疲れたのか、視聴率対策的なもんなのか、今後が非常に気になるところです。

たかがドラマにかぶりついて見てる奇矯な視聴者としては、なにげに色々盛り込んで書いてるな、とも思うんですけどね。

  • あんなに奥羽諸藩と画策しながら「恭順してます」って言っても、そら通用しないんじゃ?
  • 32藩の同盟、って、地図で見たら超迫力あったけど、ゲベール銃に火縄銃・・・弱ェェェ古ェェェ
  • 「角場がこんなに賑やかなのは久しぶり(にっこり)」って、八重さん、ほら貝しか吹いたことない人、「うわーこれが新型ipadか〜」みたいな喜び方してる人たちに銃を持たせて危なくないのか? いかにも戦力外・・・
  • むしろ暗殺を誘発するために、新政府は世良のような暴虐人間を送り込んだのではないのか
  • 白河口の戦いがあっちゅー間(・・・たぶん、まだ完全に終わってはないんだよね?)

奥羽諸藩との談合で、「事態収束のため、鳥羽・伏見の首謀者の首を三つばかり差し出せ」と言われて拒む会津藩士。これはもちろん、かつて長州討伐の際の条件を念頭においたものであり、条件をのんだ長州と、のめない(のまない)会津という対比なんだろう。「首謀者って誰だったんだろう?」とも思わされる。官兵衛や大蔵は確かに戦いたがっていたけど、あれは首謀というのとは違う気がする。ズズザザーーーと飛びすさるように後ずさって切腹の覚悟を見せる池内博之の動き、よかったですね。

ちょっとどうかと思うのは、世良が斬られたとの報を受けた容保が、「これで戦は避けられない」と例によって今にも頓死しそうな顔で言うんですけど、このあたり、最近どうも役者の熱演、雰囲気頼みっていうか・・・。「朝廷には恭順、でも攻められたら抗戦」という決断の所以が作中でイマイチ明らかにされていないんで、「結局、深く考えてなかったってことでFA?」みたく見えるんですよね。てか、殿まで総髪にしなくていいやん!!!! みんな総髪にすると男ぶりが2割くらいダウンよ!!!!

西郷頼母の扱いにも苦慮が見えて、全国的には無名な人物だけど西田敏行を配した時点で視聴者は「大物」として見るし、実際、初回での容保への訓戒や、「とにかく故郷を守るため」にひたすら消極論をぶつ姿を見ると、現代の視聴者としては「頼母が正しい」、「殿が頼母の諫言を受け容れてたらこんなことには」という感覚になるんだけど、その誘導はどうなのかなとも思うんです。

やっぱり当時は「民を守る」って感覚はあんまりなくて「殿を守って家臣みんなで死ぬ」ことこそが武士道だったんだろうなー(それが正しいとはもちろん思いませんがそういう時代だったということ、薩長だって特に自国の民のことを考えていたわけではなさそうだし、薩摩は年貢が高いんで有名でしたよね)とか、頼母って実は人望なかったんじゃ?とかとも、思うんですけどね。

頼母は指揮官としては無能だった、とか、会津人には評価されていない、とかも聞きます。八重と桜の木の下で語らう初期の姿などを見るにつけ、そういう「通説」に異を唱え、「故郷のために尽くしたけど理解されないまま散った人間たちを代表する存在」という意図で描くのかなーと思っていたんですが。開戦してから大砲の射程距離が短いことを知ったり、ちょっと負けたら「突撃して死ぬー!」とか言ってこともあろうにkjに止められたりする姿なんか見ると、あー無能描写?とも思ったりして、うーん・・・なんか、西田敏行(しかも福島出身)という存在感が大きすぎて、頼母を解釈しづらいんですよね。来週も頼母のシーンは大きそうなんで、注目しますが。

あとは、広沢、ひとりごと言い過ぎ。すげー説明セリフだったぞww

そしてあんつぁま(笑) 故郷の一大事のときに、何ひとつできないっていう焦燥、絶望・・・なんだけど、少なくとも薩摩に捕まる経緯がほとんど10-0ぐらいであんつぁまの自業自得なんで、どうも同情しづらいっていうww まあ、好意的に考えれば・・・オウンゴール的な捕縛だったからこそ、今のあんつぁまパートは薄笑いで見つられるわけで、やむにやまれぬ捕縛だったら、目や足のこともあって、本当に見るに堪えなかったですよね。で、会津パートとあんつぁまパートが両方ともに悲劇のズンドコだったらかなりつらいだろうから、ここはわざと雑め(ツッコミどころ多め)に作っている・・・・のか・・・・?

いいなーと思った部分ももちろんいろいろあって、先週からの流れがありつつも幽鬼みたいになってる人がいないとこ。マッチゲ父さんはできれば戦を避けたいと思っているし、八重は「体が動けば心も動き出す」と義姉を連れ出し、義姉がそれに応じるきっかけに神保雪(寡婦になったので髪を切ってましたね)の凛とした姿を出す。もちろん大事な人を失った(かもしれない)悲しみが消えたわけではないけれど、そこにとどまっていない。去年だったら十年ぐらい引きずるとこだ(笑)。てか、戦争は始まったばかりで、ここでズンドコ(しつこいな私も)まで落ち込ませるわけにはいかないってことか(泣)

近藤勇を失って会津に帯同してきている土方と斉藤あらため山口。近藤の最期は新政府への釈明を拒まれてのものだった。近藤を送り出す場面では、これまで殺伐とした戦闘集団だった新選組に違う色合い。近藤の墓を建てよと金子を贈られ、容保を「いい人だ」と評する土方。有難く思う反面、言外に、“いい人だった”近藤と重ね合わせて「いい人だからこそ事態を打破できない」と感じているとも解釈できるような・・・。

「刀の時代は終わったな」の一言。刀の時代とは、つまり、武士の時代、「主に一心に仕える」忠義の時代でもある。それが終わったと悟りながら、その終わりをまだ受け容れていない会津藩士たちととりあえず共に戦おうとする土方、という構図が面白いと思う。冷静な観察者でありながら、榎本と合流して函館まで戦い続けるの理由が、会津戦争のどこかで生まれるのか、あるいは近藤を失った時点で死に場所を求めて時代に殉じる覚悟でいるのか。今週、早くも時尾と出会った斉藤あらため山口さんはもちろんだけど、土方も気になる存在。てか、kjのセリフまわしが意外に浮いてなくて驚いている最近である。

ガトリング砲とともに河井継之助が出てきた。演じるのは、「風林火山」で水川あさみの父親を演じてた人。当時2ちゃんで「おばさんおじさん」とか呼ばれてて、ナルホドと思った記憶がある(笑)。もういっぺんぐらいは、出番ありそうですね。

そして、一週のお休みを挟んで慶喜が再登場!(と歓喜する自分がいると、数か月前は想像だにしなかったwww) 今度こそ、とりあえずのフィナーレでしょうか。謹慎中の割に髪も乱れず無精ひげもないし・・・ちぇ。出発の朝だから、て理屈よね。身支度整える前の場面にしてほしかったわ(腐)。

「幕府を潰した汚名」を着ていることを自覚しながらも、表舞台から去るにあたって「さしたる感慨もないものだな」とは、このドラマの慶喜にふさわしい名台詞。都で始まり都で終わった将軍職。幕末の風雲の中心はすべて都にあり、そこですでに、すべてが決してしまっているのは、会津も同じなのかもしれない。

「そなたが仕えてきたのは徳川幕府だ。わしではない。わしに家臣がいたろうか」。や、アンタがそーゆー性格だからロクな家臣もいなかったんと違うの?おかげで会津中将がどんだけの心労を・・・と多くの視聴者からのツッコミを誘う“釣りセリフ”だったけど(笑)、「空虚さ」というこの人の本質があらわれたセリフだと思ったなあ。

こういう場面で会津=主人公サイドに言及するのは、ややもすれば非常にあざとく、作り物めいて感じるんだけども、抑制がきいていてよかったと思う。徳川宗家や江戸の町が守られたかわりに、君臣一体たる美しい会津に課される運命を、慶喜も、勝も、わかっている。その運命に自分たちが加担していることも自覚しているかのように、「いや、よい」と慶喜は打ち切り、勝も黙っている。新政府側からも旧幕府側からもスケープゴートにされた会津、という部分のクローズアップと同時に、慶喜(ですら)もまた歴史のうねりに巻き込まれた一人であったことも感じさせる、含蓄のある場面だったと思う。

英雄めいた人物(裏返すと戦犯めいた人物)をつくらないことは、このドラマをわかりやすいカタルシスから遠ざけているんだけど、そこがいいんである。歴史を見る目の誠実さ。これから戦況が厳しくなって、馴染んだ登場人物や子どもやら女やらが犠牲になれば、当然、そこに感情移入しながら見るのが人間だけど、歴史観としては今後も安易でないものをお願いしたいなあ。