2013フィギュアワールド@ロンドン(加) what I can see myself

今大会は日本時間の午前9時〜お昼前に行われていて、特に土日は絶好の時差といえたのに、やはり地上波はゴールデンタイムに録画を放送。初日の男子SPこそ、日中はつとめてyahooもtwitterも見ず、情報をシャットアウトして放送時間に臨んだが、なんかばかばかしくなって、2日目からはむしろ積極的にリアルタイムでネットに情報を取りにいった。ライブストリーミングはいずこもサーバーが弱いのか繋がりにくかったので、結局はスポーツナビのテキスト速報や、現地またはライストで観戦してるファンの方々のtwitter実況に貼りついていたわけだけど、「文字だけでこんなに?!」ていうドキドキ感があった。ファンの方々は点数だけでなく、プログラムの各エレメントの実施状況まで網羅してくださるからねえ。ありがたいことである。

にしたって、テレビ局は世界選手権ぐらいライブで放送する努力をしてくれませんかね? 日本選手を中心に編集して勝手な物語を作って煽りVTRをつけて…ってホントありがた迷惑でスポーツをナメてると思うんですけどね〜、やっぱりライトなファンの方々の支持があるからいつまでも放送スタンスが維持されてるんでしょうか?

とはいえ、録画だろうがなんだろうが地上波で放送があるだけでも人気スポーツの証で、有難がらないといけないのかもしんない。実際、点数や順位がわかっていても、やはり実際に演技の映像を見ると心動かされるし。

今回、その最たるものはカロリーナ・コストナーのFSで、鼻血が止まらないまま演技を始めることになり、鼻をつまんでスピンを回っていたとTLで見たときは、なんて痛ましいと思ったものだが、実際に映像を見ると、そういう同情よりも感動のほうがはるかに凌駕して、なんと泣いてしまったのだった。血が流れてくるのが気になるというメンタル以前に、単純に気道がふさがれて息が苦しいという不利な状況にもかかわらず、彼女の大きくて優雅な演技、存在自体の美しさは少しも損なわれることがなかった。いつまでも見ていたいようなボレロ。演技後に、少しはにかんだような笑顔で、けれど堂々と観客に手を振り礼をとる姿もものすごく素敵だった。なんというガッツ、なんというエレガント。一流のフィギュアスケーターはアスリートでありアーティストでもある、というのが、すとんと腑に落ちる一幕だった。

キム・ヨナのFSもやはり一見の価値あり。リアルタイムで148点の内訳、ばかげたGOE加点の嵐や天井知らずのPCSを知らされた時から、「またこれか!」と憤懣やるかたない思いに支配されていたが、いざ演技を見ると、正直なところ度肝を抜かれてしまった。あの集中力、迫力はただごとじゃない。細い軸で、空間を切り裂くような鋭さの正確無比なジャンプ。大きな滑りに壮大な音楽が似合っていて…というか、フィギュアスケートではよく「音楽とぴったり合っている」褒め方をするけど、後半なんて、むしろキム・ヨナが音楽を操っているんじゃないかというぐらいの表現だった。芸術的というのとはまたちょっと違うんだけど、とにかく、「これはこうよ! こうだったらこうなのよ!」という世界観の確立がすごい。思わずのみこまれる。007よりも、そのときのフリー(ガーシュウィン)よりも、やはり世界選手権だけに出てきた2010-11シーズンの「ジゼル」と「なんとかコリア」よりも、今回のレミゼがずっと好き。ジャッジも、ロビー活動の成果でないというのなら、彼女の有無を言わさぬド迫力と、怒号のような喝采とに圧倒されて、思わず加点ボタンを連打しちまったんじゃないかと思われる。

浅田真央のFSはキムヨナに次ぐ2位で、134.07点は四大陸を3点ちょっと上回り、シーズンベスト。十分な高得点だし、それに値する演技だったと思う。今季の浅田真央は、ここ数年の努力が花開き始めていて、より美しく、より強い滑りで表現されるプログラムに毎回感動させられた。依然、エラーマークや回転不足はあっても、6種トリプルを入れたプログラムを滑り切っているのだ。今から来季が楽しみで仕方ない。とはいえ、今回FSのトリプルアクセルは回り切ったと認定されたものの両足着氷となりGOEで大きくマイナスされた。大技を組み込むことはプログラム全体に影響を与え、よくいえば緊張感だが、どこか慎重さや硬さも感じられたと思う。スピンでレベルをとりこぼしたりもしている。

伸びやかでしなやかなスケーティングでノーミスをやってのけたキムと比べて今回の浅田の順位が劣後することには納得せざるを得ない。ただ、14点も差があるのかといわれれば疑問だ。浅田のFSとグレイシー・ゴールドのFSととの差が9点。浅田とジジュン・リーなら7点。そしてキムと浅田が14点。えーっ。この、感覚と実際の点数との乖離とに、フィギュアファンはいつも苦しめられる。

それでも私はジャッジを信頼してフィギュアスケートを楽しみたいので、彼らが提示した結果をもとにつらつら考えるに、「細けぇことは気にしない」で観客をプログラムの世界に引きずり込む演技がもっともすばらしいとされているんだな、と思う。今回の女子FSの試合も、ライトなフィギュアファンほど、点差に納得するのではないか。回転不足やエッジエラーのような論点を除けば、実は一般観客寄りなのかもしんない。

もっとも大事なのはスケーティング技術と、正確で見栄えのいいジャンプ。そして、音楽との調和。それらが同時に達成されたとき、プログラムにはなにか圧倒的な力が宿り、観客は総立ちになる。今回のワールドでいえば、キム・ヨナデニス・テンだ。ノーミスのジジュン・リーにもスタオベが起きたが彼女はスケーティング技術でトップ選手にまだまだ劣る。逆に、コストナーや浅田は、確かなスケーティング技術や、観客に音楽を感じさせる表現力をもっているので、ノーミスを達成すれば飛躍的に点数を伸ばすことは考えられる。

キム・ヨナの高得点について物議をかもすとき、よく言われるのは「難易度」だ。

キム・ヨナの場合、伝家の宝刀というべき3Lz+3Tの連続ジャンプ(基礎点で10.1点ある)はあれど、その他に特筆すべきところはなく、むしろ後半など、トップ選手としては易しいジャンプ構成だ。もちろん、ルッツやフリップをeマークや回転不足なしに飛べるのはトップ選手にふさわしいが、ジジュン・リーやグレイシー・ゴールド等のほうが高難度に挑んでいたりする。もっとも、女子の場合、体が軽い分、若手がジャンプで高い得点を稼ぎ、成熟した女性の体つきになる中堅以上になるとスケーティングや表現力で魅せるという傾向はもともとある。

また、深いエッジワークと速いスピード、腕だけでなく状態を左右に大きく動かしても乱れないコントロール力といったキム・ヨナのスケーティング技術には定評があるが、フィギュアファンから見ると意外に振り付けは単調で、目新しさが少ない。いわゆる「つなぎが薄め」という印象(に反して「つなぎ」要素(TR)の得点は非常に高いのだが)。それはストレートラインステップ(StSq)すら同様で、私なんか、レミゼのStSqがどこからどこまでなのか、2回見てもわかんなかったほどだ(笑)。

こういったキム・ヨナの演技構成を「省エネ」と称して揶揄したくなるのは、「それにもかかわらず爆発的な点数が出る」からだ。「トップ選手としては易しい構成を、余裕でこなして高得点をたたき出すのは卑怯なんじゃないか」と。私も、ふと思う。「このプログラムは複数回の鑑賞に堪えうるんだろうか?」と。

ひとつのシーズンにはさまざまな競技会があるから、フィギュアスケートファンは、ひとりの選手のひとつのプログラムを何度も見るのが普通だ。何度も見れば、音楽も振り付けも覚えていくから、当然、初見の驚きはなくなっていくのだけれど、「何度だって見たい」プログラムもたくさん存在する。

その条件は、きっと、「その選手にとって実現可能ギリギリのところで組まれたプログラム」であること。失敗があることも大いに考えられる、けれど、もてる力すべてを出し尽くせばパーフェクトも望める、という“賭け”のような部分が、フィギュアスケートというスポーツをよりスリリングに、より感動的に見せる部分は大きい。ジャンプやスピンのような要素、ステップや“つなぎ”の濃さ、もちろん足元のエッジワークのようなスケーティング技術も、本人にとって、もっとも難しいからこそ、そこに、「表現力」などという抽象的な言葉を超越するような「強い思い」が宿るように見える。私たちはそんなプログラムに感動する。

つまりファンは、競技会を重ねていくひとつのシーズン、そしていくつも重なっていくシーズンに、選手たちの「物語」を見てるのだと思う。シーズン序盤、要素も表現もまだおぼつかない状態から始まってだんだんと完成されていくとか、好調の時も不調の時も見守るとかいう手順を踏むうちに、そのプログラムの内容や見どころを覚えてゆき、愛着を感じ、記憶を共有していく。高みに挑んで達成された瞬間の、弾けるような笑顔や抑えきれないガッツポーズを見ると、「これがスポーツだ」と感じる。そう、「もっともっとという高みを追求すること」はスポーツの本質なんだろうと思う。

エースと呼ばれて矢面に立ち続けている浅田真央高橋大輔のたたずまいには、あの若さにして、長年ひとつの道をストイックに追求してきた人ならではの清廉さがうかがわれるし、続く日本人選手たちにも、ほかの国の選手たちにも、「物語」と「一途さ」とを感じとることはたやすい。

キム・ヨナだけが、ちょっと違うところに立っているように見えるのだ。彼女はバンクーバーシーズン以来、グランプリシリーズのように観衆の前で競技会を重ねることをしない。ほかの選手たちのような物語を共有させてくれない。だから、少なくとも私の中では、ネガティブな物語が更新されずに残っている。2011年のモスクワワールドでも、ちょっとミスをしたあとの散漫な演技や、フィニッシュ直後の態度は、ほかのトップ選手たちに比べると明らかにナーバスで幼く見えた。

「PCSは競技会に出て積み重ねていくもの」という常道からまったく外れた戦い方をして、なお、ずば抜けたPCSを維持していることにも、彼女のプログラムにスポーツマンシップが宿っているのか否かということにも、疑問を感じないでもない。

ただし、本当のところは、私たち外野にはわからない。少女のころから十分なキャリアを積んで、慢性的な腰痛に悩まされていたという彼女が、シーズンを通じて体を酷使するのは、事実、得策でないのかもしれない。かつて栄光を極めたからこそ、衆目の前に立ち続けるプレッシャーは余人とは違うレベルにあって、実はナーバスな(と勝手に想像しているだけだが)彼女の精神力では堪えられないのかもしれない。「あなたの実力ならスカスカでしょ」とも思えるプログラムも、実際は余裕なんかではなく、世界選手権ただ一度に賭ける彼女の、ギリギリ精いっぱいなのかもしれない。

今回のFSの演技直後の彼女の表情は、非常に複雑なものに見えた。総立ちのリンクの中で、ひとり、心もとないような、自分の感情をどこにもっていったらいいかわからないような笑顔で客席に手を振る。あれは見ものだった。明らかにノーミスで、観客も爆発的に湧いているのに、その中心にいる選手が、戸惑っているように見えた。

あの態度を見ても、「真剣みが足りない」とか「本当にベストを尽くしたならば、もっとすがすがしいリアクションが出るはずだ」と言う人はいるんだろうなと思う。

でも私は、あれを見たときに、彼女は必死だったんじゃないかなと思った。もっとも追いつめられた心境でリンクに立ったのは彼女だったんじゃないかと思った。本当に悪質な八百長ならば、演技の前に本人に、「だいじょうぶ。点数は確保されているから安心してやっておいで」と囁かれるんじゃないかと思うのだ。そうやって、緊張せずにのびのびと演技をしたほうが、ミスの確率はぐんと減る。舞台裏でどんな取引がなされていても、リンク上で彼女が何度か転倒でもすれば、マイナスせざるを得ない点数があるのだから。

彼女が演技をする前から点数を確保したうえで、気楽にリンクに立っていたならば、想定通りのすばらしい演技直後、フラッシュを浴びる映画スターのように、「やっぱり私が一番でしょ?」と言わんばかりに、完全無欠のスマイルをして見せるんじゃないだろうか。あんな、信じられないといった顔はしないんじゃないだろうか。

競技会を積み重ねてきた選手たちは、良くてもダメでも、フィニッシュ直後に自分の演技に対する感情をあらわすことに慣れている。そういう回路が確立されている。キム・ヨナにはそれがなかった。いつ復帰を決めたのか知らないが、長らく離れている大きな舞台をめざしての練習には、ほかの選手とは違う暗中模索があっただろう。試合後に彼女は「(五輪で)栄冠は手にしているのだから気楽に滑った」と語ったが、気楽にできるはず、と言い聞かせるそばから、いや、できないんじゃないかと不安が押し寄せるような、そんな葛藤を繰り返して迷子になっていたからこそ、演技後、あんな、現実に対応できないようなリアクションだったんじゃないかと思える。

もちろん、ブランク明けのワールドという「暗中模索」を伴う戦い方を選んだのは彼女自身だ。けれど、彼女に対する批判は(これまで私自身もそうだったが)往々にして、「ほかの選手と違う物語」を、「ほかの選手と違うがゆえにハナから否定する」見地に立ったものが多くて、それはやっぱり狭量だな、と思った。

それぞれの選手に、それぞれの物語があるだけだ。しかもそれは、フジの煽りVTRほどでなくたって、私たち見る側が想像を加えて勝手に作る物語にすぎない。そのことを忘れずにいたい。

思い返せば、彼女のプログラムはやはり実力から期待されるものより「薄い」と思う。ほとんど初めて見たからあんなにすばらしく感じた部分はあると思う。けれど、もとより一度しか披露しないことを前提にしたプログラムだからあれでいいんだろう。正直なところ、何度でも見せてくれる道筋、見せながら完成していく道筋のほうが、楽しいし、好きだけど、好きじゃないからといって否定するのはなんか違う。

彼女が演技をしているとき、目を瞠ったのが正直な感覚だと思う。キム・ヨナはやっぱり破格の、とんでもなく個性的なスケーターだ。競技会に出てくると華やぐ。

もうひとつ、今大会で彼女に「オオッ」と思わされたのはエキシビションでのナンバー「All of me」。ジャンプを1回も飛ばない、スピンもほとんどしない、という構成なんだけど、男装で、ひとつひとつの所作がすごくかっこよくて、宝塚の男役みたい。スーッと滑ってピタッと止まる。バンクーバーのEXではあまりの滑らなさに唖然としたけど(これもまた私の中でネガティブな物語として記憶されているw)、今回は「これはヨナならではのプログラムだな」って唸らされた。コストナーの「シーッ」てやつといい、もちろん真央のポピンズといい、さすがはメダリストのEX、三者三様だけどどれも凝ってるな〜、とうれしかった。

やっぱりね、あんまり破格で、華やかで、迫力がありすぎて、審判まで思わず呑まれたんじゃないかと思うんだよね。ちょっと冷静さを失ったんじゃないかと思うんだよね、あの点数は。別に八百長とかじゃなくても、そこは問題だと思う。問題にされていくことを望む。だって148点…うーん、もう1回見直してみるか…? GOEもアレだけど、SSが高すぎる気もするんだよね…

試合後の会見で、「SPでフリップのエッジエラーとられたのにはイラッときた」とか「自分よりもっと練習している人がいることを思えば、自分には素質があるみたい」とか、自由奔放な発言をなさったという記事を見ると、また、反射的にイラッとさせられるんですが(笑)、まあどういうニュアンスで言ったのかはわかんないしね。

同じく試合後に浅田真央は「世界選手権までの練習や過程は最高のものだった」と語ったという。トップアスリートだから当然、頂点をめざしている部分もあって、彼女は今回、それを逃したのだ。それでもなお、最高だったといえる練習や過程って、いったいどれだけの力を尽くしてきたのか、想像もつかないんだけど想像するとちょっと泣ける。同時に、キム・ヨナの会見を思い出して、どこまでも「別の物語」を提示する人なんだなと思った。不器用なのはむしろ彼女のほうなんじゃないか。愛すべき人だとまではとても思えないんだけど、批判する気持ちもなくなっている。

つらつら書いていたら長くなってしまった。ほかにも見るべきところ、語りたい選手はたくさんいるんだけれど、いったんここで。