『江』第43話 「淀、散る」

ひどいサブタイトルだな。

まず、この回から髭をたくわえた秀忠さんについて述べたい。「誰かに・・・誰かに似てる・・・」と喉の奥に小骨が引っかかったような心地を抱えて20分、「あっ、世界のナベアツだ!」とわかった瞬間のスッキリ感よ! 「そら、あんまりじゃないの」と向井さんをフォローし、「緒形直人が入ってる気がする」と言った夫の説にも頷けるところはありましたが。

結局、「滅ぼす側も痛みを伴ったのだ」と言いたいんだろうけど、どうにも共感できず。いくつかの平和工作、滅びの覚悟を聞かされた秀頼との会談も、父親への精一杯の反発も、北政所の言う「泰平のための戦」に至っては笑止千万(大竹さんの演技がうまいだけにずるい)。

「こんなに頑張ったんだ」という表現が、己を正当化するための拠り所、逃げ道のように感じられてしまうんだよね。次週予告で「あのとき、私の中の何かも死んだ」とかうそぶいてたけど、滅ぼされた者たちの苦痛と並べて語るには、この描き方では足りないと思った。

関ヶ原に遅参してもあんなに鷹揚だった家康が、いきなり叱りつけたり、最後の最後で息子に決断を委ねたのも違和感。大坂の陣が最後の戦であることを現代の私たちは知っているが、関ヶ原だって、そのときの徳川軍にとっては生きるか死ぬかの大いくさだったのだ。どうしても、歴史の結果ありきの脚本演出に見えてしまう。

平家にしろ豊家にしろ、滅びゆくほうに肩入れしてしまうのが日本人の性(さが)なんだけどねぇ。「最後までお仕えできて幸せでした」と怜悧な顔のままで申し述べ、撃たれてなお主君のために「火をかけよ〜!」と命じる武田真治大野治長とかさ、ここまで大概薄っぺらい描写だったのに、やっぱりちょっとぐっときちゃうもんね。

先週は涙、今週は笑顔という秀頼もよかったし、「琵琶の湖(うみ)が目に浮かぶようじゃ・・・」なんて、大したことないひと言に込められた淀の万感の思いには圧倒された。こういう、字面だけ見たら普通のこういうせりふに力を与えるのは、脚本の積み重ねか、役者の力かなんだけど、もちろん後者です。

古今、いろんな女優が淀をやってきたが、宮沢りえは“淀史”に残る淀だったと思う。優しさ、華やかさ、芯の強さ、強情さ、たおやかさ、はかなさ、愛情深さ、愚かさ・・・あらゆる面、一見、相容れないような面までもを表現しきって矛盾のない、深みのある淀像だった。完全に脚本を超えてたね。

まあ、脚本の時点で、明らかに江より淀に感情移入してるんだけどねえ。女としても母としても江より淀のほうがどう考えても魅力的なんだもん。いくら江戸にいるのが史実だからって、今回の絡まなさも異常だった。もちろん、大坂にワープしちゃったりするとまた非難ごうごうなんだろうけどさ、そこは主題なんだから、写経一本槍じゃなくて、なんとか工夫してほしいわけよ〜!

お初ちゃんの美オーラは今回も健在。崩れ落ちながらの家康への直訴、「どうかお答えを・・・!」の悲痛さは出色だった。