『のぼうの城』和田竜

のぼうの城

のぼうの城

秀吉の備中高松、水攻め。
北条討伐を宣下する、聚楽第の大広間。

場所も時代も大きく変えての、絵になる2シーンでつないだ冒頭を読んで、映像が目に浮かぶようだと思った。もっといえば、映画とかドラマとかを活字にしたみたいだな、と。続いて、のぼうの仲間の面々が次々に登場してくると、少年マンガみたいだな、と思った。大男、美少年、美丈夫、武闘派、そして姫。見た目も性格もてんでばらばらの、そんなパーティで敵と戦う少年マンガ

さらに読み進めて、

やがて長親は盃を手にとり、ぐいとあおった。
むせた。
(なんだ)
甲斐姫は、はなはだ落胆し、
「長親」
と、怒鳴りつけるや、この勇侠定かならぬ大男を広間から引きずり出して、ともに三の丸へと向かった。

こんな一節を読むと、司馬遼太郎みたいだなと思った。文章のリズムが。地の文で、ところどころ「筆者の取材では・・・」とか、「のちにこの男は・・・」なんて注釈が入るのも、「この小娘は」とか「その大男を」なんて代名詞を使うのも。

そんなこんなの、どちらかというと邪念に近いものを覚えながらではあったけど、ページはどんどんめくれていった。最後のあたりで、また「このエピローグ、漫画だな。小説はここまでしなくていいんだよ」とか思ったりもしたけど、おもしろかった。

時代小説、歴史小説といえば、興味のない人には十把ひとからげに思えるだろうけど、たとえば同じ戦国時代を舞台にした小説だって、1960年代に書かれたものと2010年に書かれたものでは、当然、全然違うものだ。

これが、現代の、時代小説、歴史小説なんだなと思った。過去の達人たちの技を継承しつつ、現代の読者の嗜好もよくとらえている。温故知新、て、こういうことをいうんだっけ? なんか、あまりに「傾向と対策」みたいなのが透けて見えて、それがいまいちスケールを小さくしている感もなきにしもあらずだけど。内容も、盛り上げに盛り上げといて、クライマックスがいまいちちっちゃい気もしたけど。何はともあれ、この人、歴史が好きなんだろうなとも思う。マンガっぽいわりに、時代考証もきちんとしてあるから。考証がしっかりした小説って基本的に好感触。読後感もいいし、次作も読んでみたいなと思った。

最近やっと図書館で借りて読む前から、映画化することは知っていて、まあちょっと読んだらいっぺんで「そりゃ映画化もするよな。ていうか、それを見越して書いてるぐらいの勢いだよな、この作者」と、おおいに頷いたんだけれども、既に決まっているキャストを見てのけぞった。映像化したときにイメージが違うってのはよくある話だけれども、ここまでって、めったにないよ。

誰一人として「うんうん」ってのがおらんし! ふーん市村さんは、大河で光秀やったあとに今度は秀吉なのか。それはちょっとおもしろいね。まあ、上地さんの三成は、気にならんでもないけど・・・。(『天地人』での小早川秀秋、似合ってた。)

えーい、こうなったら、妄想キャスティングだ!

これで、どーだ! ええまあね、趣味に走ってるのは認めけるどもさ。

いくらなんでも武蔵さん主役では映画は作れんとスポンサーがいうんなら、百歩譲って「大男」設定をやや縮小するとして、大泉洋だよ。あれぐらいの茫洋感がほしいよー。萬斎さんが相当うまい演技をするにしたって、かっこよすぎるもん!