『藤壺』 瀬戸内寂聴

藤壺 (講談社文庫)

藤壺 (講談社文庫)

再読。
源氏物語には、幻の帖(巻)と呼ばれるものがいくつか存在する。そのひとつが、『輝く日の宮』という名のみ伝わる一帖で、ここには、光源氏と継母にあたる藤壺女御が関係してしまう場面が描かれているはずであるという。

つまり、この禁断の場面は、今に伝わる「源氏物語」原文にはない。当然、数々の研究者や愛読者たちの大きな関心が集まるところとなる。本書は、もう何十年も現代語訳や関連本の仕事に携わってきた当代の「源氏」通、瀬戸内寂聴が、その幻の場面を創作したものである。

源氏の正室たる葵の上の父、左大臣が娘夫婦の不仲を懊悩する場面。源氏の夜歩き、夜遊びの場面。そして、ついに藤壺との密会がかなう手はずとなり、狂喜と罪の意識とに惑乱する場面から、その夜までを描き、この一帖は閉じられる。場面としても文量としても小さなものだ。しかし、このボリュームといい、流麗で情感あふれる文章といい、「源氏物語」を研究し尽くしてきた寂聴さんの絶妙の加減なのだろう。

それにしても、当時、高貴な女性のもとに男が忍んでいくときに、その女性の侍女の手引きが必須であることはこの時代の常識であり、藤壺の時には王命婦という侍女が、また、のちに柏木が女三の宮を夜這いするときには小侍従という侍女が手引きをしたことは原作にもあることだと思うが、この本の中ではというと、藤壺に密会する前に、光源氏が自分より10歳も年上の王命婦を籠絡する場面までが事細かに描写されているのである。

王命婦はようやく果ててしまったようでした。真珠も瑪瑙も、唐渡りの絹や錦も、手に入れがたい香木も、どれ一つ欲しがらぬ女を屈服させるのは、この方法しかなかったのでした。事実、体で結ばれてしまえば、どの女もみなどのような要求にも応じてくれるということを源氏の君は覚えました。

ここまで書いてしまうのが、寂聴さんの寂聴さんたるゆえんだと感じ入るしかない。げすな感想かもしれないが、この物語の中でもっともどきりとしたのは、私にはこのくだりだった。

そして、(ただ藤壺との密会を手引きさせるためだけの!)幾度もの逢瀬の末に、ようやく段取りをつけることを王命婦が承諾すると、その反応はこうだ。

「王命婦、もう一度お礼をしようか」
源氏の君が手に力をこめ、王命婦の体を引き寄せると、王命婦は両腕で源氏の君の胸を突き、身を引き離しました。
「もう結構でございます」
源氏の君は声をあげて笑い、若々しい足取りで出口のほうへ歩いて行きました。

この不遜、この傲岸さ! 若く美しくおそれを知らず、てらいなく己の欲するものを求める源氏の描写として、なんて正鵠を得たものだろう。寂聴おそるべし、であります。

巻末には、現代文とそっくり同じ内容を古文で書き表した文章まで付してあります。短編小説というにもあまりに短いけれど、なんとも凄みを感じる一冊だ。