ふなのりのうた(?)

思うに、最近、心身共に、ちょっと疲れぎみなのかも。ぐるぐるどっかーん(@教育テレビ?)と消耗する出来事があったわけではないけど、水槽に澱が少しずつ溜まっていくみたいな疲れ方。激しく落ち込んだり怒りに燃えたりするのとは違う、微妙にけだるい感じ。あるよね、そういうとき。バイオリズムの低下っていうのかな、こういうの。あんまり深刻に考えると良くない気もするが、そういう状態なんだってことを認識はしておこう、って感じ。

こういうときこそ、軽いジョグで、とりあえずその日の疲れをリセットしたいんだけど、ここ10日ばかり走れてない。大雨だとか残業だとか休日の予定が詰まってたりだとか・・・(あと、飲み会とか)。ま、こんなときもあるよね。

とはいえ、最近、目に見えて残業は減っている。四半期決算作業の月は60時間ぐらい残業してたのが、今月は20時間に達するかしないかといったところ。要因はいろいろだ。部が適正人員になったとか、私を含めて各人のスキルアップや担当分担がうまくいってるとか、そもそも不景気なので案件が少ないとか。

プライベートな時間が増えるのはもちろんいいことだ。日中は仕事をがんばる。夜は、家族との団らんや、自分の趣味やリラックスの時間に充てる。そういう人間的な生活を営むってのも大事だよなあ、と思う。もちろん、仕事にせよ何にせよ、キャパシティを超えるぐらいのパフォーマンスによって飛躍的に成長するという面があることはよくわかる。自分も何年か、そういう日々を過ごしていたと思う。

でも、それを持続的に続けることで蝕まれていくものもある。あたりまえだけど、どんな事柄にもプラスとマイナスの面があって、その中で何を選んでいくかは自分次第だ。多いにせよ少ないにせよ、自分の仕事量を自分で斟酌することはなかなかできないので、あるていど受け身でいいんじゃないかなーと、最近の私は思っている。「もっとやらせてください!!」と言うこともできるのかもしれないけど、そうするとやっぱり現在の当社の空気では、いろいろと面倒だったりもするのだ。それを押してまで、というモチベーションも、今はそれほどない。

それに、10年近く(!)この会社で働いていて思うのは、まあうちの会社に限らないでしょうが、風向きや波の強さは、時とともに、いろいろと変化していくということ。今、それなりの平穏に甘んじていて、言い換えれば停滞という側面もあるのは感じているけど、それもいつまで続くかわからない。会社という船は、ベタ凪が続いたと思ったら、あるときから急に傾いたり、まったく違う岸を目指したりする。乗組員はそれに対応するしかない。同じ船に乗り続けることを選んできたのは自分だが、それは別に根本的な平和を意味してるわけじゃない。船は世の中という大海に浮かんでいて、波風にさらされているし、船頭しだいでどこにどういうルートで行くかわからないのだ。

。。。と、書きながら思ったけど、シロートが比喩を用いた文章を書くって、あんまり良くないですね。何が良くないかって、大仰になりがちで、かっこよくない。ムダに壮大な世界を作り上げる前に、この辺で船と海のたとえはやめます。

ここ数年、会社がプチバブルを謳歌していたのもあって、「こんなお給料じゃ、やってられない!」→「待てよ、こうなると私、もらいすぎかも・・・?」という心情を経験していたが、最近、残業が減ったというのもあって、「こんなもんかも。」と思うようになった。というと、なんか覇気がないみたいですが。

基本的に保守的な我が社。新入社員のお給料は、先行投資。定年も近い管理職の中には、今は比較的のんびりと過ごしている人もおり、経理部員としては、その期のPLの数字だけを見て、「コスト高すぎやろ!」と思うこともある。自分について考察すると、「今の自分レベルでなくても、できる業務もいろいろある。ただ、有事(?)になれば、やっぱり私、さばけるな。」と思う。のんべんだらりとする日があっても、何か事が起こったときに、「やるな、俺。」と確認したりする。

それができるのは、技能的な経験値がそれなりに貯まってるというのもあるし、年齢に応じた社会人としての責任感やソツない対応力に加え、プロパーならではの愛社精神もあったりするから。私でさえも(自分を買いかぶってるとしても)そうなんだから、いわんや、管理職をや。会社って、そういうものに対して報酬を支払ってる部分もあるのかなーと、このごろは思うようになってきた。

外資に代表されるような進歩的な会社は、とにかく折々における業績と報酬がきっちり連動してて、年功の概念で報酬を支払うことは皆無!なんだろうけど、これもまた、どっちのやり方にも一長一短あるだろうとは思うし、そのうえでどういう会社を選ぶかは、その人次第ってとこでもあるし。最近、部で購読してる「経営財務」で銀行業の会計処理の特集してて、それにも書いてあった。「近頃は、『貸して育てる』という銀行の伝統的な機能にもかげりが出ている」というようなこと。そうよね、旧来の日本的銀行にもいいところはあったのだ。

うちの会社、世の趨勢にしたがって、最近はめっきり緊縮財政なのね。私に限らず、残業する人も少ないし、営業もノルマ自体が下がって(つまりそれほど営業にもお金をかけられないので)、その分、賞与の総枠自体もかなり減ってる。つまり、全体的に報酬ダウンしてる。会社の人と飲みに行っても、仕事に関して明るい話題が少ない。はっきり言って、腐ってる人もけっこういる。

でね、自民党に、石破って人いるでしょう。今は農林水産大臣か。基本的に軍事オタクらしいんだけどね。テレビにもけっこう頻繁に出てて、やけに冷静なトーンで、気持ち悪いくらいに噛んで含めるような口調で持論をぶつ人。その話し口が、政局にとんと興味のなさそうな若い女子にさえ、「キモい!」なんて言われて人気なかったりするんだけど、私、この人のこと、前からどことなく気になっててさ。好きっていうわけじゃなくて、なんか、その落ち着き払いっぷりは何?て興味があってね。衆議院解散とかなんとかの最近の動きを探る中で、この人のブログがあることを発見。

そしたら、けっこう面白いことが書いてあった。

ポストにあろうとなかろうと、そのときにある任を全うすべく日々精一杯努めるだけです。
 ポストに就かないときはそれこそ絶好の勉強の機会であり、むしろ喜ぶべきことではないでしょうか。
「何になるか」ではなく、「何をするか」が大事であり、そのための充電期間は十分に持たねばならないと思うのです。
 閣僚になってしまえば本当に勉強する暇など殆どないのであり、閣僚を一年務めるためには、最低それと同じくらいの準備期間は必要だ、というのが私の実感です。

これが書かれた時節(自民党都議選敗北直後)を考えれば、石破さんの政治家としてのいろいろな思惑を邪推したくもなるんだけど、引用した部分だけを素直に読めば、なるほど正論だし、世の中のいろんな事例に応用できる。

目の前に山があれば、上らざるを得ない。(あ、また下手な比喩が・・・)でも、とりたてて障害物のない平野に立っていていいよ、と言われると、不思議なもので、人間、逆に不安になったりする。そういうときに、どこを目指すか、そこへどうやって行くか、というのを自分で考えて歩ける人とそうでない人の差が出る。

こないだ、会社の飲み会でこんな話をしたりした。「へえーっ、確かにね。」なんて話になってさ。石破さん、よかったね。ちょっと自民党の好感度アップに寄与したかもよ?!

さて、私はどこを目指すか・・・? いろいろ考えたりしてる。そういう時期なんだろうな。考えることは無駄にはならない。と、私は思う。