じつと手をみる。(啄木だっけ?)

今週号の「anan」買いました。
日笠雅水の手相見特集にバッチリ釣られました。
これは、糸井重里主宰のHP「ほぼ日刊イトイ新聞」とのコラボレーション。
「ほぼ日」でのマーコさん(日笠さんね。)の特集ページでも、
無料でたくさんの手相診断ができるっていうのに・・・。

『無料でたくさんの面白いコンテンツを提供して読者をトリコにし、その魅力が満載の有料のグッズ(ほぼ日手帳が代表的ですね)やイベント、コラボで収益を挙げる』

というのが、スポンサー収入のない『ほぼ日』のビジネススキームだそうで、なぜスポンサーを自ら拒むかというと、コンテンツ作りに制約を受けないためだそうだ。

その姿勢を知ってからというもの、また、「ほぼ日」にはこれからも末永く、楽しい読みものを提供してもらいたいので、
ふだん、ネット通販に懐疑的な(というかケチくさい)私だが、積極的に「ほぼ日」出版の本やTシャツを買ったりもした。
好きなものに小遣いを費やす、というのは、もちろん些少な額だからだが、非常に筋が通ってる気がするな、と、いたく感心したし、自腹を切ることで、より「ほぼ日」に参加してる感じがあるのもまた楽しい。


と、能書きが長いんですけど、それでさっそく、マーコさんの診断を実践。
食い入るように、自分の手を見ましたよ。

●私の人づきあいのクセ −−−→『マイペース』

「孤独を愛し、何事にもクール」

自分の世界を邪魔されるのを嫌うため、人との接し方は至ってクール。
何事にも流されない自分を持ち、
常に一歩引いたところから全体の状況を把握する、というのがスタンス。

そのため、人に土足でプライベートを干渉されたり、
集団行動を強要されるのは大の苦手。
落ち着いて信頼できる人だという評判も。

今のあなたは、自分らしくいられる場所があり、
対人関係にもストレスを感じず、いい状態。
でも、その場所にこだわるあまり、
誰とも深い関係が築けなくなる心配もあるので気をつけて。


●自分の才能や適職がわかる!お仕事編
−−−→『頼れる現場の司令塔』

物事をシンプルに判断することができ、
課題をスピーディに進行するのが得意。

好き嫌いがはっきりしていて、回答を曖昧にすることはないが、断り方はとてもスマート。
現場の司令塔として活躍していく人。

指示を出すだけでなく、自身も精力的に働くため、
周囲からの信頼が厚く、アドバイザー的存在としても頼られる。

テンポの良い会話が得意。
イデアマンでプレゼン力にも富む。
ただ、中にはその堂々とした素振りを自信過剰と捉える人も・・・。
親しみやすい雰囲気作りをすることも大切。

公私共に時間の使い方が上手で、
無理めの用件ももやろうと思えばできてしまうため、
キャパ以上の仕事を引き受けてしまう面が。
心身に負担をかけかねないので、安請け合いは、ほどほどに。


おおお。思い当たるところがあるぞ。
「はっはっは、まーね。まあねぃ!」とオードリー・春日ばりに胸を張るにしろ、
「ひひーん。やっぱ、やっぱし、そうですかー?!」と顔を覆うにしろ。
なかなか痛快です。どっちの意味でも。

占いって、どんなふうにも解釈できるように示されてるもんなんだよ。

なんて、よく言われるし、基本的には、それに賛成。

しかし、

「手相には、人となりというものが表れるし、それはどんどん変わっていく。
「この線って薄いけどありなの?」と自分で迷っても、自分の思ったとおりに解釈していい。
 自分で「ここには線がある」「ない」と決めるのが大事。」

という、マーコさんの流儀は、「ほぼ日」で読んだ時点でかなり納得するところがあったし、そういう納得って、悪くすれば洗脳にもなりかねないんだけど、マーコさんの場合、さすが「ほぼ日」で取り上げるだけあって、どこまでもポジティブで自由自在なスタンスなので、

「こうやって、鏡をじっと見るみたいに自分の手を見て、自分で解釈して、頷ける、と思う部分だけ頷く。それは占いじゃなくて、勝手な自己認識の部分があっても、自分と向き合ってみようってことだけが大事。」

と、素直に思えるのだ。

確かに私は、マイペース。それが乱されると超いらつくし、弱さを露呈する。
物事を分析したり俯瞰したりしたがるタイプ。

自分が納得してることに対しては、割と身を粉にする・・・
というか、そうやって一生懸命になることで満足感を得たい。
だから、「無理かもだけど、それをできる自分になりたい!」とか思う。

外面は悪くないし、誰と飲みに行っても身の置き所がないようなこともないけど、
境界線を越えるまでは「外面」を保つし、
「ここまでは言う。ここからは言わない」みたいな線がはっきりあるので、
自分で自分を評価すると、「クローズな人」となるし、
周囲も決して、いい意味で「あけっぴろげな人」とは見てないだろう。。。

すごく「オープンな」人、人の懐にするりと入ったり、素直に人のこと受け止めたり、いたずらに自分の主義主張に固執したりしない、外部入力に制限をつけたりしない人のことは、とても尊敬するしうらやましくも思う。
(そして、私の夫が、けっこう、このタイプだと思う。)

でもね、なんだかんだいって、それが私という人だと思ってるし、
それは年月とともに変わっていく部分もあるとも思うし、
何より現状、「そういう人だよな。」って納得してる部分が大きい。
大まかに言えば、そういう、今の自分のことを認めてる。好きだと思える。
困ったところも含めて、(もちろんそれを変えていくことを拒んではいない)
今の自分で、おおむね、やっていけてると思う。

それは、基本的には、とってもいい状態だと思える。

しかし昔から気になるのは、私の手のひらの生命線が、左右両方とも、

途中で「ぶつっ」と大幅に切れて、ずれて続いてることだ・・・。
続いてる以上、早死にの相と判断されるわけではないと思うんだけど、
これは一般的に、「切れたところで、生き方とか環境が大きく変わる」
ことを意味するんだという。

人生80年くらいと見越すと、その切断部分は、まだ先のことなんだよね・・・。
しかも、そう遠くない時期っぽくて。
「ななな、何か起こります?! 切断時期って、ものすごくつらいの?!」
という不安は否めません・・・。