新人さんに思う

前記事、「ほぼ日刊イトイ新聞」関連の話題からの続きです。

とはいえ、考えてみれば、今の会社でまる8年以上もやってこれたのは、やっぱり仕事が面白いからだとは思う。

もちろん、かったるい日や手を抜いちゃう日もないとはいえないけど、おおむね、主体的に、向上心をもって取り組んできたといえるし、
「どうせやるなら、一生懸命やって、やりがいを感じたり認められたりしたほうが面白いし、自分のためになるんだ。」
と、いつも思ってきた。

それは別に私が前向きだったりやる気にあふれた人間だからというわけじゃなくて、
(プラスの気持ちでやってプラスの結果を得るというサイクルを作ったほうが効率的だろう)
という、どっちかというと合理的な考えによるもののような気もする。
そうしたほうが、結果的に楽なんだ。っていうか。

もちろん、それとは別に、若者的な思いや、経理という仕事の地味さゆえに、「いつか認めさせてやる!」なんて、よく言えばハングリーな、悪く言えばマイナスの気持ちからくるモチベーションもあったけどね。

うちの部には、去年、新入社員の女性が配属された。私にとって、初めての直属の後輩だ。彼女はとても素直で真面目で、ときどきごはん食べに行ったりして、
「どーお? やってけそう? 嫌になってない?」
なんて聞くと、
「だいじょうぶです。」
と,はっきり答えてくれるのはうれしいんだけど、実際のところ、7つも年下の女の子が、私に真意をどこまで明かしてくれてるのかはわからない。

「仕事を面白いとか、もっとできるようになりたいとか、どんくらい思ってるのかな?」と思うことも、正直、時々ある。

たとえば、うちの部では2ヶ月に1ぺんくらい、監査法人を交えたオフィシャルな会議を主催する。
社長以下の役員や、関係各部署の役席さんなど、全部で20人くらいの出席者があるため、3週間くらい前には日程や場所を詰めて、通達文書を作って配布するのだが、それは、入社以来、彼女におまかせしている。
定例の会議なので、通達文書にももちろんひな型があり、難しくもなんともない代わりに、まあ、面白みもない小さな業務だ。

しかし、その文書を作成することで、次の仕事、次の視点というのが生まれるはず。

会議の前日、ほんとはわかってるんだけど、「明日の会議って、何時からだったっけ?」と聞いてみる。
「・・・・・・」把握してない。慌てて(慌てるところは好感がもてる)、自分が作った通達文を探している。

当日、会議に出席するのは上司だけだが、時間の直前に、会議室の机・椅子をその会議用のレイアウトに並べ、「○○会議」とドアに張り紙をして、おエラい面々がちゃんと時間どおりに席に着くかをチェックすることまで、主催たる我が部の全員で請け負っている。
2ヶ月に1度はやっているのだから、既に彼女も何度も携わっている。

通達文書を作ることで、日程はわかっているのだから、「○日は●時ごろから、机を並べ変えて張り紙して・・・」と、心積もりをしておいてほしいのである。

無事に会議が始まると、次は出席者にお茶を出すのだが、事前の準備を終えると、彼女はまた席で落ち着いてしまっている。気づいてるのかな、言われる前には、やりにくいのかな?と、ちょっと見守っている間に、上司から内線電話で「お茶よろしくねー」という指示があって、慌てて席を立っている。

うーん・・・。

確かに、すべてが雑用だ。
でも、だからこそ、私は、最初の1,2回はもちろん別だが、細かく指示したくない。
「机、並べてね。」「張り紙」「お茶」とか、いちいち言うなんて、むしろ相手を見くびっているというか、子ども扱いしてるみたいだし、言われてやるより、自主的にやったほうが、やるほうだって気持ちがいいはずだ。
だから、最初は、「会議のときはこういうふうなんだよ」て一緒にやって、2回め3回目からは、彼女が主体的に立ち働いてくれたらな、って思ってた。
そういう用事を通じて、彼女もまた、部署の一員であり、この会議の当事者なんだ、って思って欲しいのだ。

それに、

  • 「どういうタイミングで、会議が行われるのか?」
  • 「この部署は、どういう関係があって出席するのか?」
  • 「出席者の席順、座り位置に、どういう意味があるのか?」
  • 「お茶を出している間、出席者は、どういう話をしているのか?」
  • 「会議後の報告書(監査法人から提出されたり、上司が作ったりするのを、彼女がファイリングする)には、どういうことが書いてあるのか?」

一見、雑用であっても、見えてくるものはいろいろある。
面白がろうと思えれば、けっこう、面白いものなのだ。

私がこの部署に配属されたときは先輩は10歳以上年の離れた男性3人だったこともあり、あんまり細かいことまでくだくだ言われなかった。
もちろん、必要な指示はされたし、質問したら親切に答えてくれる人たちだったけど、私はどちらかといえば過干渉も嫌なタイプなので、「勝手に“門前の小僧”やらせてもらいます」みたいなやり方が結構、性に合っていた。
不慣れだったり無知だったり無神経だっただろうが、有能な先輩たちの仕事ぶりを見るのが好きだったし、新人なりにそこからいろいろ感じたり考えたりするのが面白かった。

というか、経理って、「最初の3年は面白くないよ。」と当時の部長に宣告されたとおり、新人時代は、かなり、そりゃもう相当に、ミクロなというか地味な仕事しかできないので、そういうところで面白がったり、当事者意識を持つしかなかったともいえる。

先日の会議では、彼女がけっこう受身だな。と思ったので、
あのね、会議があるとなったら、これこれこういう仕事が必ず付随してくるからね。
 机並べたりとか部署のみんなでやるけど、意外と日時を忘れてたりするし、 上司は出席者として会議についていろいろ準備もあるから、通達文を作った○○さんが、リーダーシップをとって、私たちにガンガン指示する勢いで、準備まで張り切ってね。
 お茶出しするときとか、割とナイーブな経営問題とか話してたりするから、野次馬根性で聞いても面白いもんだよ。」
と言ってみたけど、どうなんだろう・・・。

先輩的な発言って、「オマエは何様か!」て自分でつっこんじゃったりするし、「いちいちうるさいなー」て思われるのかなーとか思うし、業務についての具体的なノウハウを教えるのはともかく、「こういう気持ちでやってね。」的なことって、私の個人的な性格に合った仕事のやり方や、仕事に対する考えをおしつけるようで、ちょっとどうかな、と思ってきた。
何しろ私、もっと若い頃は、かなり前のめりで仕事してたってのもあるし、仕事に対する軽重の置き方、スタンスって人それぞれだから、私とおんなじスタンスを求めるようなことに身が引けてしまう。

彼女だって、今日のブログで私が勝手にこういう書き方してるけど、いろんなことを見て考えてるだろうし、大人の年齢で、個人の性格もあるし、私と似た道をたどらなきゃいけないってわけでは決してない。

私自身、3,4年目からは、当時の部署の環境的に完全な人不足だったので、やらなきゃしょうがない、的な勢いで加速度的に仕事が増えたという実状はあったけれど、それも含めても「強要された」という記憶は全くなくて、
「なんだかんだいって、やりたいからやった。」
と当時から、はっきり言えたし、「自分で決めたことだから。」こそ、続けられてきたように思うから。

私たち先輩が、主体的に、真剣に、自分の問題として仕事をしている姿を見て、
「仕事って、こういうふうにやるものなんだー。それが楽しいんだな」
って感じてほしいな。

と思ってきたけれど、どうなんだろう?
そういうふうに感じてくれる部分もあるのかな?
「背中で語る」なんてことは所詮まだまだできない先輩でしかないのかな?
自分の中では、おせっかいギリギリのところまで、けっこうイロイロ言ってきたように思ってたけど、もっと言葉にするほうが親切なのかな?

とか、この数ヶ月、いろいろ考えたりしてしまう。

同時に、
「ま、こうやって試行錯誤することが、私の『先輩』としての成長につながってもいくのよね。」
とか、都合よく思ったりする自分もいて、ま、あたしって、真面目だけど結局はお調子モンなのよね・・・。