2/15付 小中学校の学習指導要領の改定案。年間授業時間の一覧表など

『おんな城主直虎』 第9話 「桶狭間に死す」

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1ー4話が、子ども時代。5ー8話が、成長した3人@井伊谷編。脚本はもしかしたら4話刻みで考えているのかもしれませんね。9話からは井伊動乱編、にでもなるだろうか?

 






アバンタイトル桶狭間!  玄蕃ちゃん、これで終わりかー(T T) まあ、ギャツビーあるし仕方ないよね…
今回は思いきり「陽」というか「幼」な役でしたね。井上芳雄の映像次作(できれば時代モノ。近代可)に期待。

義元の最期は、泥だまりの中で踏みつけにされる金の日の丸扇。いろんな意味で潔くて、「有り」な演出だったと思う。
ここで昇太義元に、『武田信玄』の勘九郎(当時)ばりの憤怒の死に際演技をさせても、それは違うもんねえ。

ただひとつ、“義元の死を知らされ大今川を動かす下知を迫られて怯える氏真”という場に、寿桂尼さまは居てほしかったな。あの不在は意図的な演出だったのか、浅丘さん側の事情だったりしたのか、ちょっと気になっている。先週は貫地谷しほり風林火山について書いたけど、「風林火山」では義元の首と対峙する藤村志保寿桂尼がすばらしかったのですよ。「悔しいか、義元・・・」ていう、あれね!

さておき、「俺の首を持って突破しろ」な直盛!!
エエエエエエーーーーー

当主 > その他家臣

じゃなくて、

当主(中高年)< その他家臣(若者)

ですか、戦国武士の命の重さが?!
別に、(最終回ラストの信繁のように)深手を負ってるわけでもないやん!

・・・・っていう決断を直盛にさせたのは、わざとなんだろうなあ。
農民に身をやつしてでも、隠れたり這ったりしてでも生き延びようとするのではなく、「井伊の当主」という価値を、「自分の命を絶って」、次世代の者を生かすために使うのが直盛という人だったと。

ここ、非常に矛盾を感じさせるシーンでもあったよね。「優しくて頼りないようだけど、井伊のために命を投げ出す覚悟の人だった」というのが、千賀による夫・直盛像。

実際は、井伊のためというより、娘でも、家の後継者ですらない、たった1人の若者を生かすために命を投げ出した。うん、まあ。やりかねんなー。というのがありますね。これまでの彼を見ていると。小野和泉を斬らなかった(むしろ守った)直盛である。2人で逃げ切れない状況で、俺が当主だから俺が生き残ると言えない奴。

直盛にとって「井伊谷の人間」こそが「井伊」だったのかもしれない。それは、竜宮小僧の系譜なのかもしれない。優しすぎる竜宮小僧の最期。親の代ではそれが限界だったという描写でもあるのでしょうな。
「いつか…」の続きは、ただの!「辻が花の着物を着せてやりたい」だったのが直盛という人物そのものなんだろう。幾度となく見事な花を活けていた彼の美的感覚がおとわに受け継がれているかどうかは、還俗後にわかるのですかね。

そんな直盛(首)の帰還。
弟・玄蕃の死や、義妹との会話も合わせて、予想以上に涙もろいな、但馬!
口も態度も悪い頭脳キャラって、往々にして鉄面皮なものだが、但馬くんの場合、感情を抑えきることができなくて、ダダ洩れしちゃうのね。
このあたり、策士ぶってはいるものの肝の据わりようが足りなかった父・政直とそっくり・・・というか、むしろ父の劣化版になってる感がある。

今を時めく高橋一生を涙目にさせる、という意味でも良いキャラ設定だと思いますw

対照的に、直盛の帰還で顔を固まらせたままなのが直親なんだよね。
一言で簡単に表現できない表情だったなーと思う。近しい人が突然、首で戻ってくるのは、直親には初めての経験じゃなかった。むしろ既視感。

直盛の首を見て、直親が己の父・直満の死を知らされた時のことを思い出さなかったはずはないよね。あのときのショック。あの瞬間から、彼の人生のほとんどすべてが変わってしまったこと。“今の直親”を形作っているものの根幹があの場面にあるんだよね。

そして、おとわに「父のようにはなりたくない」と打ち明けていた。それは、「横死しない」という意味なのか、「井伊を危機に陥れない」という意味か、それとも・・・。両方かな?と私は思ってるけど。「お家に実利をもたらす」ことを、己のアイデンティティにしようとしてるんじゃないのかな? だから、おとわに求婚を拒まれても自分は「井伊の跡継ぎ、直親」としての道をゆくと決めたし、跡目からいったん外されても受け容れた。

奥山に言われて但馬への疑念を覚えつつも、「今はそんなこと考えてる場合じゃない」と呟いてたね。「隠し里は井伊の最後の砦」というのに感じ入っていたこともあった。直親は直親なりに、井伊を守ることを真剣に考えてる。それが簡単なことではないのを知ってる。井伊を離れていた9年間があるから。

「血縁を亡くさないものは誰もいなかった」井伊の主な面々。誰もが悲嘆の中にあり、平常心を失っている状態で、めんどくささ全開になるでんでんの説得力な・・・!

その昂りの受け皿になるのはもちろん、小野で。何をやっても、というか何もやらなくても、小野が小野であるだけで疑われるわけですよ、もはや。
そこにきて、自身も大好きな弟を失ってるし、平常心でない但馬さんの、当人比何割か増しの「そんなん言うなら受けて立ちますが?」がなああああああ!
但馬さんホントにへたくそーーーーー!

これ、同じように逆恨みされた政直が斬られそうになったときは、直盛が身を挺して助けたんだよね。その直盛はもういない。それで但馬は、次郎のもとに身を寄せようとする。次郎どうする? そのとき亀は?! ・・・って、めちゃめちゃ楽しみな引きだな!!



首が帰還したときの落ち着きぶりは、「殿の生まれ変わり」を聞いたときの反応との対比でもあったんだなーと最後に納得。気を張って、心を込めて奥方の役割を果たす千賀を見て、「娘として」手紙をもらい、あなたがいてくれるから有難いと言われ、せめて寄り添っていようと心したそばから、おとわは、自分が決して母に与えられない喜びがあることを知るのだね・・・。

最後の財前直見の泣き顔には涙腺が緩んだ。演技と思えないような演技。女優だ!

別の見応えがあったのは、南渓と佐名の対峙。花總まり様のすばらしい着こなしとセリフ回し!!
岡崎城で奮闘している元康、「じゃがそれは」 どちら側として、何のための戦いなのか?と言外の南渓の問いに、「答えはいまだ出ておりませぬ」皆まで言わない、頭の良い人たちの会話! 

兄を毛嫌いしていた佐名さまが、やけに今川の情報をホイホイ明かすなーと思ったら、「もしものときは瀬名たちを匿って」と言うので納得。しかもそれだけじゃなくて、「私も瀬名も、ずいぶんお助けしてきたと思いますが」って、あの無邪気な文通にはそういう意味合いもあったのか、という・・・! 

いや、おそらく瀬名ちゃんはそこまで考えてなかったと思うのよ。無邪気におとわ姉さまを慕ってた様子があふれてたもん。でも佐名さまは「これはいつか売れる恩になる」と思ってたに違いない。史実で瀬名ちゃんたちに何が待っているのか、私たちは知っている。そのとき、佐名さまも何らかの関わりを持つんじゃないだろうかと、今回私は思ったね。作り手は、花總まり様という類稀なる女優の力をちゃーんと使うつもりじゃなかろーかという期待が・・・!

積み重ねられる家康の描写も面白い。



そして、「戻れてしまったのう!」のセリフは、運の良さも強調してるんだろうな。

 

睦月の一

●1月某日: 某日っていうか元日です。ここ福岡の初日の出予想は7:23分だったのに、すばらしい晴天だったのに、うっかり布団でごろごろしてて見忘れてやんの・・・・。

サク、起きるとさっそくゆうべの「0655・2355年越しスペシャル」の録画を見る。まぁホント面白い番組ですよね。楽しくてかわいいだけじゃなく何となく知的な気分にもなるし。

義実家にならって、朝昼兼用のごはんを10時ごろ食べることにして、準備。小さめのお重におせちを詰める。中身は、ローストビーフ、イカ焼き、黒豆、昆布巻き(買った)、穴子巻き(いただきもの)、田作り、紅白なます、卵焼き。それに、夫が作ったがめ煮と、お雑煮。がめ煮はともかく、初挑戦の雑煮の美味さに唸った。今さらながら、料理センスある夫だ。ちなみに博多のお雑煮なので丸餅を煮るやつね。カツオ菜、椎茸、鶏、里芋でした。お屠蘇の流れで、冷酒を1瓶あける。300mlくらいだったかな。美味しかった。

夫と分担したら、正月料理も無理せずそれっぽいものを用意できるんだなーと収穫になった。蟹も海老も伊達巻きにも、あまりこだわりがないのでパスしたら、見た目も色合いも豪華さに欠けたけど(笑)、自分たちが食べたいものを飽きない程度の分量だけ用意して美味しくいただくって楽しいなと思ったことだった。ローストビーフもなかなか良かったので、来年、義実家に持って行こうかねという話に(あちらでは作らないので)。

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サク、さっそく年賀状を取りに行って、仕分け。幼稚園の友だちのうちなどから来たのをうれしそうに見てる。12時過ぎ、初詣へ。徒歩10分くらいのところに、大きくもなく小さくもなく由緒正しく手入れの行き届いたほどよい神社があるのだ。駐車場空いてるねーって言いながら正面に回ったら、わ、わ、めっちゃ並んでる! お天気がよく寒気も和らいでいて、初詣日和だもんね。参拝まで30分くらいかかったかな。ふだん行列に並ぶことなんてまずないので、貴重な経験。サクも落ち着いて機嫌よく待ってた。お神酒をいただき、おみくじは私とサクが大吉(小躍りして喜ぶサク)。夫は小吉だったけど、内容はいいことばかりが書いてあった。

帰宅して、家じゅうの窓ふき。うち、角部屋ということもあり、広さの割には窓がすごくたくさんあるのよね。年内にやれよ、って言わないでw 

サクが自作した平仮名カードで神経衰弱。50音に加え、アルファベットとか「?」「!」みたいな記号もあって、全部で120枚くらいの大合戦である。盛り上がった…。そして大人げなく圧勝した私。夜ごはんは、おせちと、お刺身と、海老とほうれん草としめじのパスタ! サクの要望により、またスマスマの5人旅を見る。サクは4回目、私は5回目ですよw

 

『床下の小人たち』 メアリー・ノートン

 

床下の小人たち―小人の冒険シリーズ〈1〉 (岩波少年文庫)

床下の小人たち―小人の冒険シリーズ〈1〉 (岩波少年文庫)

  • 作者: メアリーノートン,ダイアナ・スタンレー,Mary Norton,林容吉
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2000/09/18
  • メディア: 文庫
  • 購入: 18人 クリック: 323回
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ジブリの「借りぐらしのアリエッティ」は未見だし、この原作も未読だと思っていたけど、呼んでいると何だか知っていたような、懐かしい感じがした。もしかしたら子どもの頃に読んでいたのか? それともこういった名作にはどこか共通した匂いがあるのかな。

子どもの頃に読んでいたら、床下の小人たちの暮らしのディテールにどんなに胸を弾ませたか、容易に想像できる。椅子は糸巻き。壁を飾る絵画は郵便切手。マッチ箱で作ったタンス。(人間の)台所の湯沸かし器の管に空けた穴から出て来るお湯…。

こういうディテールに惹きこまれるのよね。床上の人間の家も、床下の小人たちの家も、まったく細かく描きこまれていて、精巧な間取り図やインテリア、生活のためのインフラをあらかじめ精巧に構築したうえで書かれているのだなあと感心する。大人になった読者の心もつかまれます。

とはいえ、大人の私は悲しいことに、まるきり子どもの感覚では読めない。大人の目で読んでちょっとびっくりするのは、

このお話には、立派な大人が1人も出てこない! 

子どものために書かれた物語だっら、子どもが安心できたり、「こんなふうになりたいなあ」と憧れたりできる大人がいそうなもんなのに。

出てくるのは、小言が多く、人を見る目もちょっと斜めなお母さん。穏やかだけれどあまり威厳はなく、年齢を重ねて「借り」仕事にもちょっと衰えが見えるお父さん。お母さんいわく、かつて同じ屋根の下で暮らした小人たちは、みんないばり屋だったり低俗だったり。人間の大人、ソフィおばさんは酒浸り。アリエッティたちのラスボスになる料理人のドライヴァおばさんは、神経質で意地悪で、いいとこなんかひとつもないくらいの描かれ方だ。

そんな中でも、アリエッティは、おしゃまで、知恵もあって、面白い女の子に育ってる。工夫して作られた床下の家は居心地が良さそうだし、ちょっとした楽しみもある。両親は欠点もあるけど悪い人じゃないし、一生懸命に暮らしを立てていて、一人娘のアリエッティを愛してる。世界は完ぺきじゃなくてもいいんだよね。

それでも、それでも!
お父さんのポッドが  “人間に姿を見られてしまってさあどうしよう”、となったとき 、アリエッティが吐き出した淋しさが痛々しくて胸に刺さった。

私はずっと引っ越したかった。
今の床下の家は、湿っぽくて暗い。
家族3人きりの暮らしは淋しい。

「私は閉じ込められている」と子どもに言われたら、親はすごくつらいだろう。
だけど、アリエッティが言う「私は閉じ込められている」は希望につながるのだ。

ここは暗いから外に出てみたい。
他の人や動物に会ってみたい。

親がどんなに「世界は広い、世界は危険」と言い聞かせても、アリエッティはおそれない。
狭くて暗くても、工夫や愛情や知恵のある暮らしが、子どものの冒険心を育てた。

床上に行くことを初めて許されて、胸がいっぱいで眠れないアリエッティ、
床上に出ると、父親から離れてどんどん行ってしまうアリエッティ、
太陽の光や、風や、花を見て感じるアリエッティ、
人間の男の子とどんどん話しちゃうアリエッティに、ドキドキするけど、それ以上にワクワクする。

アリエッティと男の子との結託により、床下の暮らしは激変。「こんなぜいたくな、内緒の暮らしがいつまでも続くわけないな・・・」と、楽しい中にも不安の芽を感じながら読み進めていくと、案の定、ドライヴァおばさんの登場である。

小人たちの存在を知ったおばさんは、アリエッティたちをすっかり駆逐しようとする。一家はついに移住を迫られ、両親は打ちひしがれる。そんな、物語最大の危機にすら、アリエッティは「ついに移住できる!」と喜びに打ち震えて泣いているんである。この、頼もしさ!

床下を出た一家の消息は、想像で語られる。屋根もなく物資も乏しく危険な動物たちも多い、どんなに「ひんきゅう(貧窮)」した暮らしかと思えば、実は「すばらしい暮らし」だったはずだ、という。

そこで語られるディテールがまた、いい。アナグマの巣はいろんな部屋があってすてきな住まいで、野原ではイチゴや小鳥の卵、川では小魚なんかがとれて食糧も豊富で、先に移住していた人たちがたくさんいて子どもの遊び相手も事欠かず、あれだけ移住を嫌がっていたお母さんも、なんだかんだいって張り切って、生活力を発揮しただろうと。

物語の序盤で、男の子が語る「小人は、おこりっぽくてうぬぼれ屋、でも内心は怖がりで、こわがってるうちに、親から子、子から孫とだんだん小さくなって、身を隠して済むようになった」という説は、なんだか示唆的だ。恐れや憎しみが人を小さくさせる。排他的になり、閉鎖的にさせる(その果てに、争いや「英雄的な戦死」があったりする。男の子は長じて戦死したのだと、プロローグのうちに説明されているのだ!)。

だけど、小人の少女アリエッティは、好奇心と勇敢さで、「大きな男の子」と仲良くなる。帰ってこなかった「ルーピーおばさん」の話で外の世界の危険を示しながらも、「怖がっていたお父さんとお母さんも、みんな元気に楽しく暮らしたんだよ」という顛末は、まさに子どもたちが読むのにぴったりで、幸せなだけじゃなく、冒険したくなるような、わくわくする余韻を残す。

 

 

師走の十九 / 年末

●12月某日: 朝、義父より電話。先に帰省していた甥っ子からノロの波が来てるとのこと。例年、義実家で年越ししてるんだけど、今年は協議の結果、帰省をとりやめることにした。まあ、義実家自体には毎月帰省してるんでね…。家族だけで年越しって結婚してから初めてやね、と夫に言うと、「おれ、両親と別々の年越しって生まれて初めて」と言う!! そんな私も結婚するまで実家の両親と別々の年越しはしたことなかったから、私たちは超保守的な夫婦ですねw 

さて、いつもは義実家の(主に義父が腕をふるう)おせちに頼りきりだったが、こうなると多少なりとも正月らしい料理を用意せないかんよね、ということで買い物に行く。年末のスーパーってこんなに正月シフトになるんだー、とあらためて驚く。そして何でも高いのね・・・あたりまえだけど・・・。まあ、言っても家族3人だし、おせちも2,3度食べたら飽きるので、少量の盛り合わせっぽいもので十分じゃない?なんて夫が言うけど、やっぱり作った方が美味しいよねー。

家に上がる前に家族3人でなわとび大会。幼稚園でやってるとおり、2本を結んで大縄跳びに。久しぶりに跳んだ。子どもは当然として、自分が意外に跳べて感動するアラフォー夫婦であるw

さて、 『ねじまき鳥クロニクル』全3部 を読み終わった! ポツポツと少しずつ読んで1か月くらいかかったかな。面白かった。消化するには時間かかりそうだけど、ノモンハン満州の描写が圧倒的だったなー。

午後、チビ鉄雑誌『鉄おも!』年末年始特大号のふろく、「鉄道かるた」をサクがさくさくと切り取って準備し、カルタ大会始まる。私vs夫(読み手サク)、夫vsサク(読み手私)、サクvs私(読み手夫)という総当たり戦。ちょぴっとだけ手を抜いたらサクが2勝して大いばり、「おれが、『おう』だ」と言っている。15:30からランニング8.2km。すばらしい冬の晴天。

夜ごはんは、我が家で初めてのたこパ=たこ焼きパーティ。先ごろ、ホットプレートを新調しましてね。ひっくり返したり、ソースを塗ったりと甲斐甲斐しいサク。要領も良い。すごく役に立つ子やぁ~(モグモグ)。キャベツとキュウリのサラダ、年末年始用に作った豚と根菜のポットローストも少し。

 

●12月某日: 大みそかだけど早起きして放送大学の講義視聴。毎日新聞を求める散歩は隣町のスーパーまで、時間がないのでだいぶ走った。2日分の洗濯、ローストビーフや田作りを作る。年越しそばはお昼にいただいた。午後、刺身を買い、いつもより少しいいワインも買う。

民放で田中将大前田健太とのストラックアウト陣取り対決を見てから、紅白を追っかける。相葉くんの勇姿で始まった瞬間、うるっとしながらも、こ、これ想像以上に緊張するわ! 途中でサクを寝かせてから、紅白なます作ったり、黒豆茹でたりしながら紅白。もちろん、ちびちび飲みつつ。黒豆ふいちゃった、てへ。なんかいろいろ寒かったけど(夫「ゴジラと紅白はなんか関係あるんか?」)、オーラスの相葉くんの涙に胸がいっぱいですよー!! そのあとの紅組大逆転にあんぐりして、サッとふとんに入る。年明けとともに夫に「あけましておめでとうございます」と言われて笑った。律儀w

 

師走の十八

●12月某日: 関東から親友が帰省してきたので、うちでランチなど。1歳10か月の男女の双子ちゃんも一緒。着くなり元気にサクのおもちゃをいろいろ探索して回る。友だちからおみやげいろいろもらった中に、サクのブームを知ってPPAPのクッキーなるものが入っていた。チョコペンでクッキーに描けるってやつw ランチは福慶の中華まんいろいろを中心に、あとスープとかかぼちゃサラダとか。子どもたちにはソーセージまんや金時いもあんまんや、ふわふわの白まんとう。サクは午後から近所の友だちの家に遊びに行く。福慶の小籠包セットをおみやげに持たせた。

親友とは中学時代にアイラブSMAPやら夢がモリモリやらを見て「昨日のあれ、見た?」と話したり、BEST FRIENDをリアルタイムでカラオケしたりしてた仲間。スマスマ最終回の録画を見ながら「損失だよねえ」と言い合う。

夕方、さあ帰ろうかとなったときの、双子ちゃんのママ抱っこを巡る「仁義なき戦い」がサイッコー! ママが一人で毎回これに対応するのほんと大変だけど、時々見るこっちからするとかわいくて健気でたまらん。サクは友だちと公園でも遊んで元気に帰宅。夜ごはんは餃子や野菜スープなど簡単に。夫は納会で食べて帰って来た。サクが「5人旅をお父さんに見せたい」と言い、また最終回を再生。彼が寝てからは、森くん脱退とかの部分も見る。

 

●12月某日: 今日から夫が正月休み。サクが朝、「おおそうじ、いつするの?」と尋ねる。口ごもるわれわれ夫婦w 今日やっと、年賀状を仕上げて、出した。まだこんな段階よ…。

昼は近くのラーメン屋に。久しぶりで美味しい。銀行に行って、甥っ子たちのお年玉のために新券を調達したり。夫は夜、大学時代の同窓会に行ったんだけど、行く前に夜ごはんを作っていくんだから大したもんです。私は病気でも病的な料理ベタでもないんですが、彼の好意を有難く受け取りますです。ということで、鶏手羽としめじと玉ねぎの甘辛煮など。そしてサクの要望により、まさかの3日連続で「SMAP5人旅」再生。

 

『おんな城主直虎』 第8話 「赤ちゃんはまだか」

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(今回の放送前↓) 


(今回の放送後↓)





さすが、貫地谷しほりは芸達者だなあ、と。ウェットで思い込みが強くてめんどくさい女を、どこかかわいらしくユーモラスに演じてた。大河ももう4作めですか。個人的感覚として、「龍馬伝」と「八重の桜」では、(クレジット順など)番手の割に個性を発揮する機会が少ない役だったと思う。今回は逆になりそうで、楽しみ。そして「風林火山」のミツは、内野さん演じる勘助の原初の女として鮮烈な印象を残す役。春からBSで「風林火山」再放送やるんですっけ? 見られる方はぜひ!

4回続いた幼年時代、その後も幼なじみなど人間関係を描きこんできたわけですが、さらに思いきり針をドメスティックなほうに振りきって、ここから、桶狭間に始まる時代の奔流へと向かうのですね。なんだかとても腑に落ちる。

時代の嵐は容赦なく井伊谷を襲うのだろうけど、これからも、このドラマにとって時代はあくまで「舞台装置」なんじゃないかなと思う。激しい時代の中で、人間の激しい煩悩や、感情のぶつかり合いが描かれ、時に、その混濁を超える美しさやすばらしさが描かれる。激しい時代だからこそ人間の核みたいなものが剥き出しになる。そういうドラマなのかなと。

しのの、次郎に対する気持ちを、単なる嫉妬心ではなく「みな、私が次郎さまだったらいいと思っている」と表現させたのは、さっすがうまい脚本だなあと思った。これ言われたら、100パーしのちゃんの被害妄想だよ、とは言えないよね誰も。

そしてさらに「森下節だなあ」と思うのは、その「しのの可哀想さ」を逆手にとって、「じゃあ自害しろ、われが大手を振ってそなたの場所におさまる」と次郎本人に言わせるところだなあ。するとしのは、「私はこの場所から何としても降りない。どんな手を使ってでもしがみついてみせる!」と悲劇のヒロインを演じるよりもっと強い意思にたどりつく。次郎という他者への恨みつらみより、「己がどう生きたいか」ってことに気づくんだ。

さらに! 直親のこともついでに(違)一喝した次郎は、その足で両親のもとへ。ブチギレながら相手をバックアップするという新しい手法w 「授からないのは既にあなたが呪っているからではないのか」と言われた次郎が「両親に報告する」と激昂したとき、「おーおー、そんな、100パー勝っちゃう手にでるんかい」と思ったけど、こういう形での報告になるんだねえ、とホロリであった。

毎晩のどじょう攻めとオイオイ泣きの場面もあり、これ直親もけっこうつらいよね、という見せ方だったと思うのだ。塞ぎがちだったり情緒不安定な人間とマンツーマンで毎日向き合うのはしんどいことなのだ。直親はしのを徹底的に邪険にしていたわけではない。どじょうを毎日でも食べて、泣きつかれれば抱きしめてやっていた。千賀がすすめ、奥山が娘を叱ったように、側女を持とうとするのは直親の立場的に非道ではなくむしろ普通のことだ。

「なぜ共に悩んでやらぬのか、しの殿はどうしてこんなに一人なのだ」次郎には夫婦の現実のしんどさはわからない。でも、次郎に言われたからこそ、直親には(きっとしのにも)響いたんじゃないかな。次郎は、夫婦の喜びとも悲しみとも生涯縁がない者なのだ。次郎の直親への言葉には、非難とか叱咤というより、何かもっと切羽詰まった響きがあった。自分が得られない「めおと」という関係が、当人たちのやりようによって壊れかけているのを見てしまった悲しみ。

直親にあそこでため息をつかせるのもめっちゃ森下さんらしいし、「しのもしのだよなあ・・・」と思わせる描写で、本当に全員が人間として高低差ない同じ位置にいるというかね。誰かひとりを下げたり上げたりしないんだよね。

政次も政次で、ひでーこと言ってたよな。還俗して俺と一緒になるかとか、麝香を自分で使えばとか、本来、そういうこと一番いけない立場なんだし、そんなの無理に決まってるって一番わかってるんだよ。今川の目付なんだから。でも、おとわには言っちゃう。脊髄反射っぽく言っちゃう。ダメな男だなー。

おとわが、亀のために健気に尽くす姿が癪に障るんだよね。それは「俺のためにはこの100分の1も働いてなんかくれないくせにくせにくせに」っていうちっちぇー気持ちもあるんだろうし、井伊の役に立ちたい、誰かの竜宮小僧でありたいと、衒いなく素直に動けるおとわが眩しすぎて苛つく部分もあるのかなと思う。政次は「まっすぐ」な生き方からは遠くにきてるもんね・・・。そういう生き方になっちゃう人間もいるんよね・・・。

千賀さんが、賢いんだけどどーにもこーにも保守的というか、「世の中とは / 武家の女子なら / 井伊の立場なら」と、あらゆることに対して「しょうがない」「そういうものです」なスタンスっていう設定だよね。そして瀬名姫んちをどんだけかわいく愛おしく描くんよー!!!

 

 

師走の十七 / サンタさんがやってきた ・ 社会のしくみをある程度わかってる6歳児

●12月某日: 朝ごはんをたらふく食べてチェックアウト。どこにも寄り道せずまっすぐ帰路につくといっても否やのないサク。「サンタさん、きてくれたかなー」プレゼントが気になり始めたらしい。ちなみにサンタが来るのは24日ではなく25日の夜だと思い込んでいるらしいサク。ま、別にいっかと看過している。

去年は玄関先にあったので、家に入るや「あれ?」と首をひねるサク。あちこち見ても見つけられず、だんだん不安げになって「おかしいなあ」と言いながらベランダまで出ていく姿がなんか可哀想になってヒントを教えてあげた。窓際のイスの上・・・目線がそこまで上がってなかったようで、見つけると「あったー!」とうれしそう。中身は、おてごろなラジコンカーと、ラQという、ブロックよりもうちょっと小さくて高度なブロックみたいなセット。

サクは「手紙を書く」方式を知らないし、特にこれが欲しいというものもなかったらしく、とにかくサンタさんが来てくれたことがうれしいらしい。さっそくラQを開け、すぐにコツを掴んで立体を作り始めた。とても静かに集中している。私は年賀状の印刷など。今年もギリギリだなー。夜ごはんはチャーハンと味噌汁。

 

●12月某日: ラQづくり絶好調のサク。朝ごはんのあと集中して飛行機づくり。冷たい雨の中、電車と地下鉄を乗り継いで別府の福慶へ。

蒋さんの笑顔に迎えてもらい、その場で白菜肉包と醤肉包とあんまん、そして私はピリ辛麻婆春雨まんも食べてあたたまる。蒋さんが他のお客さんの応対に行くと、サクが「あのこと、いった? アフリカンサファリ」と耳打ちする。「え?言ってないよ」「いったら?」彼の中でとにかく強い思い出になってるらしい。

ちょうどクリスマスどうしてた?という話になったので、アフリカンサファリに行ったんだよ~と水を向けると、蒋さんが「へぇー大分にそんなところがあるんだね、うちも行ってみたい」と言ってくれたのでジャングルバスのことなど詳しく話すと、サク

「ライオンのエサをトンビがさらっていった」
「我が家から差し出した肉を巡ってライオン同士がケンカした」

と、あの旅のハイライトを興奮気味に語った。

帰宅後は「ばーちゃんに アフリカンサファリのことをおしえなきゃ」と手紙を書きだす。文章の他、それぞれの動物にあげたエサやエサはあげてないけど見た動物の絵、そしてもちろん「ライオンのエサをトンビがさらっていった」事件などが書かれ、最後に「くわしくは、○○○(←我が家の部屋番号)へ」とある。うちに来たら詳しく話してやるってことだ。ウケる。「詳しくはwebで」の感覚なんだろうなあ、デジタルネイティブだなあ。

夜ごはんは、ひじきときゅうりなどのドライカレー風のもの、かぼちゃサラダ、味噌汁。夫は飲み会。

【今日のサクとの会話】

私 「サクちゃん足が強くなったね。まあお母さんの方が強いけどね。お母さん10キロ走れるけんな」

サク「じゃあ おかあさん、かごしまからとうきょうまで あるける?」

私 「そりゃ無理やろ。でも昔の人は、みんな東京まで歩いて行ってたんだよ。西郷隆盛は鹿児島から、坂本龍馬は高知から」(←サクが西郷や龍馬を知ってるわけではないが・・・)

サク「えーーーっ!」

私 「たぶん2週間くらいかかったと思うけどね」

サク「ごはん いっぱいもっていかな いかんやないかよ!」

私 「ごはんはね、その場その場で買ったり、お店で食べたりするんだよ」

サク「ねるとこは どーすんだ?」

私 「たまには外に寝ることもあるけど、基本は旅館みたいなとこかな」

サク「えーーーっ! じゃあおかねいっぱいもっとうひとやないと、いけんな!」

身体の話が経済の話に帰結…この社会のしくみを理解しかけているな…

 

2/12 読売新聞 「トランプ大統領登場の背景 アメリカポピュリズムの歴史」

『ごちそうさん』 第16週 「汁の棲み家」

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