2/15付 小中学校の学習指導要領の改定案。年間授業時間の一覧表など
2/15付で、小中学校の学習指導要領の改定案が #新聞 に掲載。年間授業時間の一覧表が載っていた。息子が今春入学なので興味津々で目も。現行授業数との比較もわかりやすい。改定案では、小学校6年間で現行より合計で140時間増える計算。その内訳は、ななんと、すべて外国語である。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月16日
・6年間で合計140時間の授業数増。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月16日
・140時間の科目別内訳は、すべて外国語。
・140時間の年別内訳は、3年生以降で毎年35時間ずつ増加(1,2年は授業数に変化なし。)#新聞
年別・科目別の授業数を見てると面白い。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月16日
小1時は、年間授業数850時間のうち306時間が国語。ゆうに35%超だ。算数は136時間で約15%。
これがだんだん逆転していって、小6になると国語は全1015時間のうち175時間=約17%。算数も国語とまったく同じ175時間。#新聞
低学年で国語の授業数が圧倒的に多いというのは、国語はすべての学力の土台という理論なんだろうな。国語の授業数は6年間で計1461時間、これは断トツトップ(全5785時間中の25%)。次いで算数が計1011時間。社会+理科+生活が977時間。ちなみに外国語関係は210時間。#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月16日
社会+理科が1,2年生時の生活だと大雑把に理解してるけど、3年生から分かれる社会と理科は、どちらが授業数が多いと思います? 答えは、社会が3-6年の全4年間で計365時間、理科が405時間で、理科が40時間多いのです。外国語以外の科目は現行と改定案で時間数に変化ゼロです #新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月16日
ここからは各科目について。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月16日
国語…論理的な思考力を育成するため、学校図書館などで本や新聞を活用し、情報を整理するよう指導。日本語の言語文化に関する指導も充実させ、3,4年では易しい文語調の短歌や俳句、5,6年では親しみやすい古文や漢文の音読などを通じて響きやリズムに親しむ #新聞
算数…社会生活の様々な場面でデータを収集・分析して課題を解決することが求められていることから、統計教育の内容を充実。中1で学習する代表値(平均値、中央値など)を小6で学ぶ。5年の、分数と整数の乗除は6年に変更。プログラミング体験として正多角形の作図について例示。#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月16日
社会…防災教育や国土教育を改善。4年で自衛隊など国の機関や都道府県による災害対応を学ぶ。グローバル化に伴う社会構造の変化を理解するため、人工知能AIの急速な進化などに触れる。一方、地域の文化財や年中行事の記述も増加。新聞や放送など情報を扱う産業が生活に及ぼす影響についても。#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月16日
理科…見通しを持って観察・実験し、結果を考察して科学的に探究させる。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月16日
自然災害に関連して、4年では雨水の行方と地面の様子を新たに学習。5年で流れる水の働きと土地の変化、6年で土地のつくりと変化について学ぶ。6年では生物と環境の内容を充実させ、プログラミング体験による学習も盛り込む
そして、ある意味もっとも興味があるともいえる道徳は…
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月16日
物事を多面的に考え自己の生き方について考える学習を通して、判断力や態度を育てる。いじめ問題への対応など発達段階を踏まえて体系的な内容に改善。
指導の観点として「公正、公平、社会正義」「国際理解、国際親善」などを追加。#新聞
中学では、国語は新たにメールの書き方を学ぶ・数学は統計関係の充実・社会は歴史分野の時間増加・理科は全学年で自然災害学ぶ・英語は基本的に授業を英語で…。道徳は「向上心、個性の伸長」「思いやり、感謝」「生命の尊さ」などを観点に、いじめや情報モラル、生命倫理などを学ぶ #新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月16日
こうして見てると、「情報収集・分析」「論理的思考力」「自然災害について」など、増やされている内容はなるほどなと思うものが多い。特に自然災害については、自分が小中学生の頃(15-30年前)はあまり習った記憶もないけど、必要だろうと思う。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月16日
外国語以外は授業数に変化がないのだから、各科目、新たに充実させる内容があれば、逆に何かを学ばないなり比重を減らすなりしないと成り立たないと思うんだけど、そのあたりどうなんだろう?
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月16日
『おんな城主直虎』 第9話 「桶狭間に死す」
1ー4話が、子ども時代。5ー8話が、成長した3人@井伊谷編。脚本はもしかしたら4話刻みで考えているのかもしれませんね。9話からは井伊動乱編、にでもなるだろうか?
千賀さんが悲しみを押し殺して遺族を慰め結果的に家中の女たちの結束に貢献している傍ら、男たちの瓦解の何と早いことよ。しかし説得力100%。井伊ェ…… #おんな城主直虎
そういえば、先の展開を全然知らずに見る大河っていつ以来だろう。いつの間にか、大河の題材になるような史実には通じてたから…。先の分からない大河ドラマ(まあ、めっちゃ大まかなことはわかるけど)。わくわくするな。子どもの頃は毎年そうだったのよね。#おんな城主直虎
小野玄蕃、桶狭間に死す。そうでないと、グレート・ギャツビーが開幕しない。#おんな城主直虎
アバンタイトルで桶狭間! 玄蕃ちゃん、これで終わりかー(T T) まあ、ギャツビーあるし仕方ないよね…
今回は思いきり「陽」というか「幼」な役でしたね。井上芳雄の映像次作(できれば時代モノ。近代可)に期待。
義元の最期は、泥だまりの中で踏みつけにされる金の日の丸扇。いろんな意味で潔くて、「有り」な演出だったと思う。
ここで昇太義元に、『武田信玄』の勘九郎(当時)ばりの憤怒の死に際演技をさせても、それは違うもんねえ。
ただひとつ、“義元の死を知らされ大今川を動かす下知を迫られて怯える氏真”という場に、寿桂尼さまは居てほしかったな。あの不在は意図的な演出だったのか、浅丘さん側の事情だったりしたのか、ちょっと気になっている。先週は貫地谷しほり@風林火山について書いたけど、「風林火山」では義元の首と対峙する藤村志保の寿桂尼がすばらしかったのですよ。「悔しいか、義元・・・」ていう、あれね!
さておき、「俺の首を持って突破しろ」な直盛!!
エエエエエエーーーーー
当主 > その他家臣
じゃなくて、
当主(中高年)< その他家臣(若者)
ですか、戦国武士の命の重さが?!
別に、(最終回ラストの信繁のように)深手を負ってるわけでもないやん!
・・・・っていう決断を直盛にさせたのは、わざとなんだろうなあ。
農民に身をやつしてでも、隠れたり這ったりしてでも生き延びようとするのではなく、「井伊の当主」という価値を、「自分の命を絶って」、次世代の者を生かすために使うのが直盛という人だったと。
ここ、非常に矛盾を感じさせるシーンでもあったよね。「優しくて頼りないようだけど、井伊のために命を投げ出す覚悟の人だった」というのが、千賀による夫・直盛像。
実際は、井伊のためというより、娘でも、家の後継者ですらない、たった1人の若者を生かすために命を投げ出した。うん、まあ。やりかねんなー。というのがありますね。これまでの彼を見ていると。小野和泉を斬らなかった(むしろ守った)直盛である。2人で逃げ切れない状況で、俺が当主だから俺が生き残ると言えない奴。
直盛にとって「井伊谷の人間」こそが「井伊」だったのかもしれない。それは、竜宮小僧の系譜なのかもしれない。優しすぎる竜宮小僧の最期。親の代ではそれが限界だったという描写でもあるのでしょうな。
「いつか…」の続きは、ただの!「辻が花の着物を着せてやりたい」だったのが直盛という人物そのものなんだろう。幾度となく見事な花を活けていた彼の美的感覚がおとわに受け継がれているかどうかは、還俗後にわかるのですかね。
そんな直盛(首)の帰還。
弟・玄蕃の死や、義妹との会話も合わせて、予想以上に涙もろいな、但馬!
口も態度も悪い頭脳キャラって、往々にして鉄面皮なものだが、但馬くんの場合、感情を抑えきることができなくて、ダダ洩れしちゃうのね。
このあたり、策士ぶってはいるものの肝の据わりようが足りなかった父・政直とそっくり・・・というか、むしろ父の劣化版になってる感がある。
今を時めく高橋一生を涙目にさせる、という意味でも良いキャラ設定だと思いますw
対照的に、直盛の帰還で顔を固まらせたままなのが直親なんだよね。
一言で簡単に表現できない表情だったなーと思う。近しい人が突然、首で戻ってくるのは、直親には初めての経験じゃなかった。むしろ既視感。
直盛の首を見て、直親が己の父・直満の死を知らされた時のことを思い出さなかったはずはないよね。あのときのショック。あの瞬間から、彼の人生のほとんどすべてが変わってしまったこと。“今の直親”を形作っているものの根幹があの場面にあるんだよね。
そして、おとわに「父のようにはなりたくない」と打ち明けていた。それは、「横死しない」という意味なのか、「井伊を危機に陥れない」という意味か、それとも・・・。両方かな?と私は思ってるけど。「お家に実利をもたらす」ことを、己のアイデンティティにしようとしてるんじゃないのかな? だから、おとわに求婚を拒まれても自分は「井伊の跡継ぎ、直親」としての道をゆくと決めたし、跡目からいったん外されても受け容れた。
奥山に言われて但馬への疑念を覚えつつも、「今はそんなこと考えてる場合じゃない」と呟いてたね。「隠し里は井伊の最後の砦」というのに感じ入っていたこともあった。直親は直親なりに、井伊を守ることを真剣に考えてる。それが簡単なことではないのを知ってる。井伊を離れていた9年間があるから。
「血縁を亡くさないものは誰もいなかった」井伊の主な面々。誰もが悲嘆の中にあり、平常心を失っている状態で、めんどくささ全開になるでんでんの説得力な・・・!
その昂りの受け皿になるのはもちろん、小野で。何をやっても、というか何もやらなくても、小野が小野であるだけで疑われるわけですよ、もはや。
そこにきて、自身も大好きな弟を失ってるし、平常心でない但馬さんの、当人比何割か増しの「そんなん言うなら受けて立ちますが?」がなああああああ!
但馬さんホントにへたくそーーーーー!
これ、同じように逆恨みされた政直が斬られそうになったときは、直盛が身を挺して助けたんだよね。その直盛はもういない。それで但馬は、次郎のもとに身を寄せようとする。次郎どうする? そのとき亀は?! ・・・って、めちゃめちゃ楽しみな引きだな!!
桶狭間における今川の敗戦が井伊の当主を失わせ、そこから派生して直親は跡目からいったん外され但馬への疑念を持ち、但馬は奥山と事をかまえてしまい、おとわは父を亡くしただけでなく、しのの懐妊によって墨染めの己が身の孤絶を思い知る。三者それぞれクライシス。#おんな城主直虎
首が帰還したときの落ち着きぶりは、「殿の生まれ変わり」を聞いたときの反応との対比でもあったんだなーと最後に納得。気を張って、心を込めて奥方の役割を果たす千賀を見て、「娘として」手紙をもらい、あなたがいてくれるから有難いと言われ、せめて寄り添っていようと心したそばから、おとわは、自分が決して母に与えられない喜びがあることを知るのだね・・・。
最後の財前直見の泣き顔には涙腺が緩んだ。演技と思えないような演技。女優だ!
別の見応えがあったのは、南渓と佐名の対峙。花總まり様のすばらしい着こなしとセリフ回し!!
岡崎城で奮闘している元康、「じゃがそれは」 どちら側として、何のための戦いなのか?と言外の南渓の問いに、「答えはいまだ出ておりませぬ」皆まで言わない、頭の良い人たちの会話!
兄を毛嫌いしていた佐名さまが、やけに今川の情報をホイホイ明かすなーと思ったら、「もしものときは瀬名たちを匿って」と言うので納得。しかもそれだけじゃなくて、「私も瀬名も、ずいぶんお助けしてきたと思いますが」って、あの無邪気な文通にはそういう意味合いもあったのか、という・・・!
いや、おそらく瀬名ちゃんはそこまで考えてなかったと思うのよ。無邪気におとわ姉さまを慕ってた様子があふれてたもん。でも佐名さまは「これはいつか売れる恩になる」と思ってたに違いない。史実で瀬名ちゃんたちに何が待っているのか、私たちは知っている。そのとき、佐名さまも何らかの関わりを持つんじゃないだろうかと、今回私は思ったね。作り手は、花總まり様という類稀なる女優の力をちゃーんと使うつもりじゃなかろーかという期待が・・・!
積み重ねられる家康の描写も面白い。
盤上で様々なシミュレーションをしている家康は最適な判断ができる。でも、基本はぼんやりで「周囲が判断や行動を迫る」 のがポイントなんだろうなあと。瀬名なり、今回の家臣なり、将来は、…(いちお自粛)がその役割を担うのかな。迫られて逃げ出した今川氏真との対比でもあった。#おんな城主直虎
そして、「戻れてしまったのう!」のセリフは、運の良さも強調してるんだろうな。
睦月の一
●1月某日: 某日っていうか元日です。ここ福岡の初日の出予想は7:23分だったのに、すばらしい晴天だったのに、うっかり布団でごろごろしてて見忘れてやんの・・・・。
サク、起きるとさっそくゆうべの「0655・2355年越しスペシャル」の録画を見る。まぁホント面白い番組ですよね。楽しくてかわいいだけじゃなく何となく知的な気分にもなるし。
義実家にならって、朝昼兼用のごはんを10時ごろ食べることにして、準備。小さめのお重におせちを詰める。中身は、ローストビーフ、イカ焼き、黒豆、昆布巻き(買った)、穴子巻き(いただきもの)、田作り、紅白なます、卵焼き。それに、夫が作ったがめ煮と、お雑煮。がめ煮はともかく、初挑戦の雑煮の美味さに唸った。今さらながら、料理センスある夫だ。ちなみに博多のお雑煮なので丸餅を煮るやつね。カツオ菜、椎茸、鶏、里芋でした。お屠蘇の流れで、冷酒を1瓶あける。300mlくらいだったかな。美味しかった。
夫と分担したら、正月料理も無理せずそれっぽいものを用意できるんだなーと収穫になった。蟹も海老も伊達巻きにも、あまりこだわりがないのでパスしたら、見た目も色合いも豪華さに欠けたけど(笑)、自分たちが食べたいものを飽きない程度の分量だけ用意して美味しくいただくって楽しいなと思ったことだった。ローストビーフもなかなか良かったので、来年、義実家に持って行こうかねという話に(あちらでは作らないので)。
サク、さっそく年賀状を取りに行って、仕分け。幼稚園の友だちのうちなどから来たのをうれしそうに見てる。12時過ぎ、初詣へ。徒歩10分くらいのところに、大きくもなく小さくもなく由緒正しく手入れの行き届いたほどよい神社があるのだ。駐車場空いてるねーって言いながら正面に回ったら、わ、わ、めっちゃ並んでる! お天気がよく寒気も和らいでいて、初詣日和だもんね。参拝まで30分くらいかかったかな。ふだん行列に並ぶことなんてまずないので、貴重な経験。サクも落ち着いて機嫌よく待ってた。お神酒をいただき、おみくじは私とサクが大吉(小躍りして喜ぶサク)。夫は小吉だったけど、内容はいいことばかりが書いてあった。
帰宅して、家じゅうの窓ふき。うち、角部屋ということもあり、広さの割には窓がすごくたくさんあるのよね。年内にやれよ、って言わないでw
サクが自作した平仮名カードで神経衰弱。50音に加え、アルファベットとか「?」「!」みたいな記号もあって、全部で120枚くらいの大合戦である。盛り上がった…。そして大人げなく圧勝した私。夜ごはんは、おせちと、お刺身と、海老とほうれん草としめじのパスタ! サクの要望により、またスマスマの5人旅を見る。サクは4回目、私は5回目ですよw
『床下の小人たち』 メアリー・ノートン
- 作者: メアリーノートン,ダイアナ・スタンレー,Mary Norton,林容吉
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2000/09/18
- メディア: 文庫
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ジブリの「借りぐらしのアリエッティ」は未見だし、この原作も未読だと思っていたけど、呼んでいると何だか知っていたような、懐かしい感じがした。もしかしたら子どもの頃に読んでいたのか? それともこういった名作にはどこか共通した匂いがあるのかな。
子どもの頃に読んでいたら、床下の小人たちの暮らしのディテールにどんなに胸を弾ませたか、容易に想像できる。椅子は糸巻き。壁を飾る絵画は郵便切手。マッチ箱で作ったタンス。(人間の)台所の湯沸かし器の管に空けた穴から出て来るお湯…。
こういうディテールに惹きこまれるのよね。床上の人間の家も、床下の小人たちの家も、まったく細かく描きこまれていて、精巧な間取り図やインテリア、生活のためのインフラをあらかじめ精巧に構築したうえで書かれているのだなあと感心する。大人になった読者の心もつかまれます。
とはいえ、大人の私は悲しいことに、まるきり子どもの感覚では読めない。大人の目で読んでちょっとびっくりするのは、
このお話には、立派な大人が1人も出てこない!
子どものために書かれた物語だっら、子どもが安心できたり、「こんなふうになりたいなあ」と憧れたりできる大人がいそうなもんなのに。
出てくるのは、小言が多く、人を見る目もちょっと斜めなお母さん。穏やかだけれどあまり威厳はなく、年齢を重ねて「借り」仕事にもちょっと衰えが見えるお父さん。お母さんいわく、かつて同じ屋根の下で暮らした小人たちは、みんないばり屋だったり低俗だったり。人間の大人、ソフィおばさんは酒浸り。アリエッティたちのラスボスになる料理人のドライヴァおばさんは、神経質で意地悪で、いいとこなんかひとつもないくらいの描かれ方だ。
そんな中でも、アリエッティは、おしゃまで、知恵もあって、面白い女の子に育ってる。工夫して作られた床下の家は居心地が良さそうだし、ちょっとした楽しみもある。両親は欠点もあるけど悪い人じゃないし、一生懸命に暮らしを立てていて、一人娘のアリエッティを愛してる。世界は完ぺきじゃなくてもいいんだよね。
それでも、それでも!
お父さんのポッドが “人間に姿を見られてしまってさあどうしよう”、となったとき 、アリエッティが吐き出した淋しさが痛々しくて胸に刺さった。
私はずっと引っ越したかった。
今の床下の家は、湿っぽくて暗い。
家族3人きりの暮らしは淋しい。
「私は閉じ込められている」と子どもに言われたら、親はすごくつらいだろう。
だけど、アリエッティが言う「私は閉じ込められている」は希望につながるのだ。
ここは暗いから外に出てみたい。
他の人や動物に会ってみたい。
親がどんなに「世界は広い、世界は危険」と言い聞かせても、アリエッティはおそれない。
狭くて暗くても、工夫や愛情や知恵のある暮らしが、子どものの冒険心を育てた。
床上に行くことを初めて許されて、胸がいっぱいで眠れないアリエッティ、
床上に出ると、父親から離れてどんどん行ってしまうアリエッティ、
太陽の光や、風や、花を見て感じるアリエッティ、
人間の男の子とどんどん話しちゃうアリエッティに、ドキドキするけど、それ以上にワクワクする。
アリエッティと男の子との結託により、床下の暮らしは激変。「こんなぜいたくな、内緒の暮らしがいつまでも続くわけないな・・・」と、楽しい中にも不安の芽を感じながら読み進めていくと、案の定、ドライヴァおばさんの登場である。
小人たちの存在を知ったおばさんは、アリエッティたちをすっかり駆逐しようとする。一家はついに移住を迫られ、両親は打ちひしがれる。そんな、物語最大の危機にすら、アリエッティは「ついに移住できる!」と喜びに打ち震えて泣いているんである。この、頼もしさ!
床下を出た一家の消息は、想像で語られる。屋根もなく物資も乏しく危険な動物たちも多い、どんなに「ひんきゅう(貧窮)」した暮らしかと思えば、実は「すばらしい暮らし」だったはずだ、という。
そこで語られるディテールがまた、いい。アナグマの巣はいろんな部屋があってすてきな住まいで、野原ではイチゴや小鳥の卵、川では小魚なんかがとれて食糧も豊富で、先に移住していた人たちがたくさんいて子どもの遊び相手も事欠かず、あれだけ移住を嫌がっていたお母さんも、なんだかんだいって張り切って、生活力を発揮しただろうと。
物語の序盤で、男の子が語る「小人は、おこりっぽくてうぬぼれ屋、でも内心は怖がりで、こわがってるうちに、親から子、子から孫とだんだん小さくなって、身を隠して済むようになった」という説は、なんだか示唆的だ。恐れや憎しみが人を小さくさせる。排他的になり、閉鎖的にさせる(その果てに、争いや「英雄的な戦死」があったりする。男の子は長じて戦死したのだと、プロローグのうちに説明されているのだ!)。
だけど、小人の少女アリエッティは、好奇心と勇敢さで、「大きな男の子」と仲良くなる。帰ってこなかった「ルーピーおばさん」の話で外の世界の危険を示しながらも、「怖がっていたお父さんとお母さんも、みんな元気に楽しく暮らしたんだよ」という顛末は、まさに子どもたちが読むのにぴったりで、幸せなだけじゃなく、冒険したくなるような、わくわくする余韻を残す。
師走の十九 / 年末
●12月某日: 朝、義父より電話。先に帰省していた甥っ子からノロの波が来てるとのこと。例年、義実家で年越ししてるんだけど、今年は協議の結果、帰省をとりやめることにした。まあ、義実家自体には毎月帰省してるんでね…。家族だけで年越しって結婚してから初めてやね、と夫に言うと、「おれ、両親と別々の年越しって生まれて初めて」と言う!! そんな私も結婚するまで実家の両親と別々の年越しはしたことなかったから、私たちは超保守的な夫婦ですねw
さて、いつもは義実家の(主に義父が腕をふるう)おせちに頼りきりだったが、こうなると多少なりとも正月らしい料理を用意せないかんよね、ということで買い物に行く。年末のスーパーってこんなに正月シフトになるんだー、とあらためて驚く。そして何でも高いのね・・・あたりまえだけど・・・。まあ、言っても家族3人だし、おせちも2,3度食べたら飽きるので、少量の盛り合わせっぽいもので十分じゃない?なんて夫が言うけど、やっぱり作った方が美味しいよねー。
家に上がる前に家族3人でなわとび大会。幼稚園でやってるとおり、2本を結んで大縄跳びに。久しぶりに跳んだ。子どもは当然として、自分が意外に跳べて感動するアラフォー夫婦であるw
さて、 『ねじまき鳥クロニクル』全3部 を読み終わった! ポツポツと少しずつ読んで1か月くらいかかったかな。面白かった。消化するには時間かかりそうだけど、ノモンハンや満州の描写が圧倒的だったなー。
午後、チビ鉄雑誌『鉄おも!』年末年始特大号のふろく、「鉄道かるた」をサクがさくさくと切り取って準備し、カルタ大会始まる。私vs夫(読み手サク)、夫vsサク(読み手私)、サクvs私(読み手夫)という総当たり戦。ちょぴっとだけ手を抜いたらサクが2勝して大いばり、「おれが、『おう』だ」と言っている。15:30からランニング8.2km。すばらしい冬の晴天。
夜ごはんは、我が家で初めてのたこパ=たこ焼きパーティ。先ごろ、ホットプレートを新調しましてね。ひっくり返したり、ソースを塗ったりと甲斐甲斐しいサク。要領も良い。すごく役に立つ子やぁ~(モグモグ)。キャベツとキュウリのサラダ、年末年始用に作った豚と根菜のポットローストも少し。
●12月某日: 大みそかだけど早起きして放送大学の講義視聴。毎日新聞を求める散歩は隣町のスーパーまで、時間がないのでだいぶ走った。2日分の洗濯、ローストビーフや田作りを作る。年越しそばはお昼にいただいた。午後、刺身を買い、いつもより少しいいワインも買う。
民放で田中将大と前田健太とのストラックアウト陣取り対決を見てから、紅白を追っかける。相葉くんの勇姿で始まった瞬間、うるっとしながらも、こ、これ想像以上に緊張するわ! 途中でサクを寝かせてから、紅白なます作ったり、黒豆茹でたりしながら紅白。もちろん、ちびちび飲みつつ。黒豆ふいちゃった、てへ。なんかいろいろ寒かったけど(夫「ゴジラと紅白はなんか関係あるんか?」)、オーラスの相葉くんの涙に胸がいっぱいですよー!! そのあとの紅組大逆転にあんぐりして、サッとふとんに入る。年明けとともに夫に「あけましておめでとうございます」と言われて笑った。律儀w
師走の十八
●12月某日: 関東から親友が帰省してきたので、うちでランチなど。1歳10か月の男女の双子ちゃんも一緒。着くなり元気にサクのおもちゃをいろいろ探索して回る。友だちからおみやげいろいろもらった中に、サクのブームを知ってPPAPのクッキーなるものが入っていた。チョコペンでクッキーに描けるってやつw ランチは福慶の中華まんいろいろを中心に、あとスープとかかぼちゃサラダとか。子どもたちにはソーセージまんや金時いもあんまんや、ふわふわの白まんとう。サクは午後から近所の友だちの家に遊びに行く。福慶の小籠包セットをおみやげに持たせた。
親友とは中学時代にアイラブSMAPやら夢がモリモリやらを見て「昨日のあれ、見た?」と話したり、BEST FRIENDをリアルタイムでカラオケしたりしてた仲間。スマスマ最終回の録画を見ながら「損失だよねえ」と言い合う。
夕方、さあ帰ろうかとなったときの、双子ちゃんのママ抱っこを巡る「仁義なき戦い」がサイッコー! ママが一人で毎回これに対応するのほんと大変だけど、時々見るこっちからするとかわいくて健気でたまらん。サクは友だちと公園でも遊んで元気に帰宅。夜ごはんは餃子や野菜スープなど簡単に。夫は納会で食べて帰って来た。サクが「5人旅をお父さんに見せたい」と言い、また最終回を再生。彼が寝てからは、森くん脱退とかの部分も見る。
●12月某日: 今日から夫が正月休み。サクが朝、「おおそうじ、いつするの?」と尋ねる。口ごもるわれわれ夫婦w 今日やっと、年賀状を仕上げて、出した。まだこんな段階よ…。
昼は近くのラーメン屋に。久しぶりで美味しい。銀行に行って、甥っ子たちのお年玉のために新券を調達したり。夫は夜、大学時代の同窓会に行ったんだけど、行く前に夜ごはんを作っていくんだから大したもんです。私は病気でも病的な料理ベタでもないんですが、彼の好意を有難く受け取りますです。ということで、鶏手羽としめじと玉ねぎの甘辛煮など。そしてサクの要望により、まさかの3日連続で「SMAP5人旅」再生。
『おんな城主直虎』 第8話 「赤ちゃんはまだか」
(今回の放送前↓)
でも、TLで流れる #おんな城主直虎 の感想を見てると、高橋一生が今きてるのも相まってるんだろうけど、直親クズの声がすごいんだよな。私は、森下さんの芸風からして、トライアングルはきっちりトライアングルとして書く、特に鶴と亀は拮抗した存在として書くと思うし、今もそう見えてるんだけど
亀は父を突然失い、それまでの身分も生活もすべて失って追われ、10代の9年間を日陰者として、出口の見えない暮らしをしてた。そのことへの理解というか惻隠の情?を含んだツイートをあまり見かけない。これは脚本の今のところの意図なのか見せ方に問題があるのか、はかりかねる #おんな城主直虎
(今回の放送後↓)
しのにはっきりと恨み言をいわれ、あまつさえ刃物まで向けられた次郎。「竜宮小僧をやる」って、誰かに感謝されるけど骨を折るとか、我欲を抑えるとか諦めるだけではなくて、憎まれたり、心身に傷を負わされるかもしれないことなんだね。#おんな城主直虎
「みな私が次郎様ならいいと思ってる」。つらいやね。役割を果たせてないと思いつめるしのには、次郎が「役割」そのものに見えてたというか。でも次郎本人にも彼女の周囲にも生臭い感情がある。「還俗して子を産む」や「私の娘を襲わないで」を聞いて、そのことに思い至ったかなと。#おんな城主直虎
「なぜ共に悲しんでやらぬのだ」時代考証的にそぐわない言葉のようだけどすごく良かった。これが #おんな城主直虎 の作風だと思う。夫婦や親子の情、友情や敵愾心、恨みや悲しみも、人の思いや願いは時代を超えて普遍的な面も多い。そんな人々が、戦国という激しい時代に生きている。というドラマ。
おとわに怒られ、しのと話して、一年の猶予という折衷案に至った直親。「黴びた饅頭どんと来い」の時といい、はっきり核心をつかれれば理解・対応できるんだよね。人の心をちゃんと持ってるというか。でも、この情愛ある先延ばし案が戦国乱世では命取りになるかもしれないよね…。#おんな城主直虎
さすが、貫地谷しほりは芸達者だなあ、と。ウェットで思い込みが強くてめんどくさい女を、どこかかわいらしくユーモラスに演じてた。大河ももう4作めですか。個人的感覚として、「龍馬伝」と「八重の桜」では、(クレジット順など)番手の割に個性を発揮する機会が少ない役だったと思う。今回は逆になりそうで、楽しみ。そして「風林火山」のミツは、内野さん演じる勘助の原初の女として鮮烈な印象を残す役。春からBSで「風林火山」再放送やるんですっけ? 見られる方はぜひ!
4回続いた幼年時代、その後も幼なじみなど人間関係を描きこんできたわけですが、さらに思いきり針をドメスティックなほうに振りきって、ここから、桶狭間に始まる時代の奔流へと向かうのですね。なんだかとても腑に落ちる。
時代の嵐は容赦なく井伊谷を襲うのだろうけど、これからも、このドラマにとって時代はあくまで「舞台装置」なんじゃないかなと思う。激しい時代の中で、人間の激しい煩悩や、感情のぶつかり合いが描かれ、時に、その混濁を超える美しさやすばらしさが描かれる。激しい時代だからこそ人間の核みたいなものが剥き出しになる。そういうドラマなのかなと。
しのの、次郎に対する気持ちを、単なる嫉妬心ではなく「みな、私が次郎さまだったらいいと思っている」と表現させたのは、さっすがうまい脚本だなあと思った。これ言われたら、100パーしのちゃんの被害妄想だよ、とは言えないよね誰も。
そしてさらに「森下節だなあ」と思うのは、その「しのの可哀想さ」を逆手にとって、「じゃあ自害しろ、われが大手を振ってそなたの場所におさまる」と次郎本人に言わせるところだなあ。するとしのは、「私はこの場所から何としても降りない。どんな手を使ってでもしがみついてみせる!」と悲劇のヒロインを演じるよりもっと強い意思にたどりつく。次郎という他者への恨みつらみより、「己がどう生きたいか」ってことに気づくんだ。
さらに! 直親のこともついでに(違)一喝した次郎は、その足で両親のもとへ。ブチギレながら相手をバックアップするという新しい手法w 「授からないのは既にあなたが呪っているからではないのか」と言われた次郎が「両親に報告する」と激昂したとき、「おーおー、そんな、100パー勝っちゃう手にでるんかい」と思ったけど、こういう形での報告になるんだねえ、とホロリであった。
毎晩のどじょう攻めとオイオイ泣きの場面もあり、これ直親もけっこうつらいよね、という見せ方だったと思うのだ。塞ぎがちだったり情緒不安定な人間とマンツーマンで毎日向き合うのはしんどいことなのだ。直親はしのを徹底的に邪険にしていたわけではない。どじょうを毎日でも食べて、泣きつかれれば抱きしめてやっていた。千賀がすすめ、奥山が娘を叱ったように、側女を持とうとするのは直親の立場的に非道ではなくむしろ普通のことだ。
「なぜ共に悩んでやらぬのか、しの殿はどうしてこんなに一人なのだ」次郎には夫婦の現実のしんどさはわからない。でも、次郎に言われたからこそ、直親には(きっとしのにも)響いたんじゃないかな。次郎は、夫婦の喜びとも悲しみとも生涯縁がない者なのだ。次郎の直親への言葉には、非難とか叱咤というより、何かもっと切羽詰まった響きがあった。自分が得られない「めおと」という関係が、当人たちのやりようによって壊れかけているのを見てしまった悲しみ。
直親にあそこでため息をつかせるのもめっちゃ森下さんらしいし、「しのもしのだよなあ・・・」と思わせる描写で、本当に全員が人間として高低差ない同じ位置にいるというかね。誰かひとりを下げたり上げたりしないんだよね。
政次も政次で、ひでーこと言ってたよな。還俗して俺と一緒になるかとか、麝香を自分で使えばとか、本来、そういうこと一番いけない立場なんだし、そんなの無理に決まってるって一番わかってるんだよ。今川の目付なんだから。でも、おとわには言っちゃう。脊髄反射っぽく言っちゃう。ダメな男だなー。
おとわが、亀のために健気に尽くす姿が癪に障るんだよね。それは「俺のためにはこの100分の1も働いてなんかくれないくせにくせにくせに」っていうちっちぇー気持ちもあるんだろうし、井伊の役に立ちたい、誰かの竜宮小僧でありたいと、衒いなく素直に動けるおとわが眩しすぎて苛つく部分もあるのかなと思う。政次は「まっすぐ」な生き方からは遠くにきてるもんね・・・。そういう生き方になっちゃう人間もいるんよね・・・。
千賀さんが、賢いんだけどどーにもこーにも保守的というか、「世の中とは / 武家の女子なら / 井伊の立場なら」と、あらゆることに対して「しょうがない」「そういうものです」なスタンスっていう設定だよね。そして瀬名姫んちをどんだけかわいく愛おしく描くんよー!!!
師走の十七 / サンタさんがやってきた ・ 社会のしくみをある程度わかってる6歳児
●12月某日: 朝ごはんをたらふく食べてチェックアウト。どこにも寄り道せずまっすぐ帰路につくといっても否やのないサク。「サンタさん、きてくれたかなー」プレゼントが気になり始めたらしい。ちなみにサンタが来るのは24日ではなく25日の夜だと思い込んでいるらしいサク。ま、別にいっかと看過している。
去年は玄関先にあったので、家に入るや「あれ?」と首をひねるサク。あちこち見ても見つけられず、だんだん不安げになって「おかしいなあ」と言いながらベランダまで出ていく姿がなんか可哀想になってヒントを教えてあげた。窓際のイスの上・・・目線がそこまで上がってなかったようで、見つけると「あったー!」とうれしそう。中身は、おてごろなラジコンカーと、ラQという、ブロックよりもうちょっと小さくて高度なブロックみたいなセット。
サクは「手紙を書く」方式を知らないし、特にこれが欲しいというものもなかったらしく、とにかくサンタさんが来てくれたことがうれしいらしい。さっそくラQを開け、すぐにコツを掴んで立体を作り始めた。とても静かに集中している。私は年賀状の印刷など。今年もギリギリだなー。夜ごはんはチャーハンと味噌汁。
●12月某日: ラQづくり絶好調のサク。朝ごはんのあと集中して飛行機づくり。冷たい雨の中、電車と地下鉄を乗り継いで別府の福慶へ。
蒋さんの笑顔に迎えてもらい、その場で白菜肉包と醤肉包とあんまん、そして私はピリ辛麻婆春雨まんも食べてあたたまる。蒋さんが他のお客さんの応対に行くと、サクが「あのこと、いった? アフリカンサファリ」と耳打ちする。「え?言ってないよ」「いったら?」彼の中でとにかく強い思い出になってるらしい。
ちょうどクリスマスどうしてた?という話になったので、アフリカンサファリに行ったんだよ~と水を向けると、蒋さんが「へぇー大分にそんなところがあるんだね、うちも行ってみたい」と言ってくれたのでジャングルバスのことなど詳しく話すと、サク
「ライオンのエサをトンビがさらっていった」
「我が家から差し出した肉を巡ってライオン同士がケンカした」
と、あの旅のハイライトを興奮気味に語った。
帰宅後は「ばーちゃんに アフリカンサファリのことをおしえなきゃ」と手紙を書きだす。文章の他、それぞれの動物にあげたエサやエサはあげてないけど見た動物の絵、そしてもちろん「ライオンのエサをトンビがさらっていった」事件などが書かれ、最後に「くわしくは、○○○(←我が家の部屋番号)へ」とある。うちに来たら詳しく話してやるってことだ。ウケる。「詳しくはwebで」の感覚なんだろうなあ、デジタルネイティブだなあ。
夜ごはんは、ひじきときゅうりなどのドライカレー風のもの、かぼちゃサラダ、味噌汁。夫は飲み会。
【今日のサクとの会話】
私 「サクちゃん足が強くなったね。まあお母さんの方が強いけどね。お母さん10キロ走れるけんな」
サク「じゃあ おかあさん、かごしまからとうきょうまで あるける?」
私 「そりゃ無理やろ。でも昔の人は、みんな東京まで歩いて行ってたんだよ。西郷隆盛は鹿児島から、坂本龍馬は高知から」(←サクが西郷や龍馬を知ってるわけではないが・・・)
サク「えーーーっ!」
私 「たぶん2週間くらいかかったと思うけどね」
サク「ごはん いっぱいもっていかな いかんやないかよ!」
私 「ごはんはね、その場その場で買ったり、お店で食べたりするんだよ」
サク「ねるとこは どーすんだ?」
私 「たまには外に寝ることもあるけど、基本は旅館みたいなとこかな」
サク「えーーーっ! じゃあおかねいっぱいもっとうひとやないと、いけんな!」
身体の話が経済の話に帰結…この社会のしくみを理解しかけているな…
2/12 読売新聞 「トランプ大統領登場の背景 アメリカポピュリズムの歴史」
2/10 読売。パリ政治学院名誉教授、メランドリ氏による「トランプ大統領登場の背景 未来を約束できぬ米国」以下、メモ。#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月12日
トランプ現象を理解するには「忘れられた人」という考え方を知っておくといい。社会学者サムナーの概念。黙って仕事に励む中間層は、労働の果実を税金として官僚機構に収奪される。だがその血税は勤労意欲のない下層に分配されてしまう。中間層は忘れ去られている。→ #新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月12日
→中間層の怒りの矛先は従来は下層に向けられた。それが近年は、「約束」(=懸命に働けば生活は必ず良くなり、明日は今日よりもよくなる)を守らない支配層に向けられるようになった。#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月12日
大衆迎合の歴史。資本主義は富を作り出し、比較的公正に分配する制度で、民主主義に不可欠。だが資本主義が暴走し、貧富格差が甚大になれば民主主義は脅かされる。そうした事態の解決策は米国では時としてポピュリズム(大衆迎合主義)だった。権力の乱用を正す、進歩主義的運動でもあった。→ #新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月12日
最初のポピュリスト大統領は民主党のジャクソン(在任1829-37)。銀行を敵視し、特権階層に歯向かい、大衆の支持を得た。第二次大戦に勝利した民主党のトルーマンは1948年の大統領選で「ウォール街の殺し屋」「特権階層の手先」など当時としては激烈な物言いで支配層を非難した。#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月12日
ポピュリズムは伝統的に左派運動だったが、50年代に右派の戦術に変わり、ナショナリズムの色合いが増す。共和党のレーガンはその流れにある。米国は70年代、ベトナム戦争に敗れ、石油市場を支配できなくなった。軍事的にはソ連が、経済的には日本が脅威。→ #新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月12日
→レーガンは白人中間層の不安に配慮しつつ「米国を再び偉大に」と訴え大衆を鼓舞。市場原理を信頼し、減税と規制緩和を実施。国際的指導力を回復した。トランプが従来のポピュリズムと異なるのは、極端な外国嫌いにある。共和党が党是とする自由貿易に対しても保護主義の「壁」を築こうとする。#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月12日
米国は第二次大戦後、米ドルを基軸通貨として通商ルールを作り、北大西洋条約や日米安保など一連の条約を通じて、領土拡張を伴わない帝国になった。パックス・アメリカーナ。しかし同時多発テロで幕を開けた21世紀、アフガニスタン、イラクの2つの戦争に失敗。対テロ戦争で拷問の横行が発覚。#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月12日
トランプは米国を「貧しい国」と言う。歴史的使命には無頓着。トランプ発言の背景には、自らの未来に信を置けなくなった白人中間層の嘆きがある。戦後の国際秩序の支えは「信頼できる米国」だったが、壁の中に身をおくトランプの米国は支えにはならないだろう。#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月12日
『ごちそうさん』 第16週 「汁の棲み家」
#ごちそうさん 本放送のときも、柿の葉寿司の極意を教えてもらうため和枝に会いに行くというめ以子に感動したの覚えてる。それを希子に伝えるとき「この人」呼ばわりする悠太郎の相変わらずな果報者の無自覚っぷりに「おいこら」と思ったのもな!!
#ごちそうさん 予想通りの憎まれ口を叩きながらも、ほっぺのびのびなんてスキンシップ(?)する和枝ちゃんは、め以子が自分を頼ってきてくれたことを悪くは思ってないんだろうな。め以子の「思ってることが顔にダダ洩れ」っていう変わらない迂闊さも心のどこかでは笑えたんじゃないかな
#ごちそうさん 希子が行ってもケンもホロロ、「アナウンサーちゅうんはずいぶん居丈高だすなあ」と返す刀でバッサリ。そして「ちい姉ちゃん追い出してくれまっか」ととどめ。昔の敵が再登場したら最強の味方みたいになってるはずなのに、和枝ちゃんは和枝ちゃんのままや・・・!
険しい表情で姉を疎外する希子に「ええじゃないですか」と笑えるめ以子だから、今の西門家があるんだよなあ。黙々と面取り作業するめ以子に、ぬか床ナレが「ちょっとつらいよね」とか寄り添ってくれず黙ってるから、視聴者のこっちがめちゃめちゃ寄り添いたくなる(泣) #ごちそうさん
#ごちそうさん 15分で何度泣かせるんよ、ていう号泣回。顔を覆い声も殺してるめ以子の泣き方が、若い娘のそれじゃなくてすごくおばちゃんぽくて、そういうのにも泣ける。静の「なんや、もう頭下げるほうが申し訳ないみたいやけど」で笑い、和枝の「うちはよその人間やさかい」の静かな諦感に泣ける
希子のやり方が、姉ちゃん連隊が指摘する通り、ほんと完全な騙しうちなんだよね。ギリギリセーフじゃなくてアウトだよね、てレベルの。それがまた、#ごちそうさん らしさなんだよな。欲しいもののためには人は断然エゴエゴしくなる。そんで悠太郎の「よくも続いてきたと思います」のおまいう感な!
希子ちゃんの頼みに源ちゃんや倉田さんたちみんなが頭を下げるなかふ久が『見えへん力でみんな倒されたん?』と聞いたそうな。お静さんは『ま、そんなようなもんやな』と笑って答えた。ノベライズ本。これも素敵じゃ #ごちそうさん
うちはもうよその人間と言いながらも西門の祝い御膳にケチをつけ、病身の父へのせめてもの孝行も立て板に水とばかりにミセスキャベジのネタ明かしで。平然とイケズを連発して、め以子の息子に手を取られ颯爽と去ってく和枝ちゃんに大向こうから声を張りたい。「よっ、大明神!」的な。#ごちそうさん
「技術を救うのは技術しかないんやないか」なんてセリフがあったのだな。忘れていた。その前の「どう転ぶかわからんからこそ、開発や技術の裏には良心が貼りついていてほしい」良心が“貼りつく”という表現といい、なかなか誰にでも書けるセリフじゃないなあと思う #ごちそうさん