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『デート』 最終回

古今東西、数々の名言を引用してきたこのドラマが最後に扱ったのは人類最初の恋物語「アダムとイブ」。「あー、そうくるか!」って驚きながら「これしかないな!」って思えて、ほんと、古沢さんは依子顔負けのドヤ顔しちゃってください! 

元旦の回の蛇・タローは非常に印象的な(笑)エピソードで、包帯グルグル姿になったタローについて、「白蛇=縁起の良い動物」という解釈をネットで見かけてナルホドと思ったのであるが、まさかもう1度、蛇が出てくるとは。しかも蛇=なんと白石加代子! 

東洋の白蛇とちがって、創世記の蛇といえばアダムとイブの失楽園、いわば転落の呼び水となる。白石加代子が魅惑的かつ禍々しい蛇にふさわしい女優なのは当然として、なんといっても彼女が林檎を差し出して恋のおそろしさを語り出すだなんてシークエンスを見せられたら、ドラマ好きとして思い出すのは当然「木皿泉ドラマ」なわけで、作り手がそれを念頭に置かないはずはなく、つまり、「今から始まる最終回は思いきりファンタジーですよ、そこからあなたなりの真実を受け取ってくださいね」と宣言されたも同然だと思った。ここで「白石加代子っぽい文脈を醸せる女優の誰か」ではなくて、白石本人を引っ張りだしてくるところに、作り手の大胆さをまず感じたなあ。

依子の30歳のバースデイを忘れるだなんて、鷲尾ヤッチマッタナーと思ったら鷲尾に限ってそんなはずなくて(アニバーサリーを楽しみにしない女性なんているはずがないじゃないですか!なキャラクターだもんね)、主要メンバーを巻き込んだサプライズパーティだった。始めはそれぞれの「恋が奇跡を起こした」もようが語られ、依子は「恋をしてフェノルメチルアミンが分泌されたことにより物事を肯定的にとらえられるようになって」云々と、その現象におおいに納得する。

けれど、やがて依子と巧以外のメンバーから語られるのは、恋の苦しみ。どうしてみんな好き好んでわざわざ苦しいことをするのか、万事、理論的に解釈したい依子には理解できない。

・・・てか、このシーン、シロート目には正確にはわからないけど相当な長回しだったのは間違いなくて、役者さんたちホントにおつかれさまでした。「リーハイ」の佳境では主演(の堺か、プラス、ヒロインのガッキー)の独壇場だったけど、今回は、主要メンバー全員を巻き込んだ長回しというさらに苛酷なクライマックスに挑戦したというわけね。古沢さん。

話しても話しても巧の話題になり、サッカーやボーリングの面白さには目覚めても、鷲尾自身の話はひとつも出てこない依子。これだけでもかわいそうなのに、めげずにプロポーズする鷲尾は、ステレオタイプな月9的には完全無欠の王子さま。なのに、プロポーズされた=目標達成できる=父親を安心させられることには震えるほど喜べても、鷲尾自身に少しも向き合わない依子の姿があまりにもひどくて・・・。依子の売り言葉を買いまくる巧を心配そうに見つめる佳織もかわいそうすぎて・・・

もちろん、依子と巧にくっついてほしいってのが素直な気持ちなので、先週のスケートリンクでの展開は(理解しようとつとめることはできても)感情的にはモヤモヤしてたまらなかったけど、こうして見てると鷲尾と佳織のかわいそうさ加減ハンパなし!! 「依子さんにも奇跡が起きるべきだ」だなんて、月9の王子さまとしてはこれ以上ロマンチックなセリフないってのに、依子の薬指があんなに腫れあがってるだなんてwww 

恋の残酷さをこうまできっちり描くのは、残酷というより、もはや誠実だった。「誰かの願いがかなうころ あの子が泣いてるよ(by 宇多田ヒカル)」なのだ、恋ってやつは。

鷲尾のアドバイスを真に受けて、3冊にわたって書き綴られた「谷口巧ノート」を手に泣き笑うシーンは圧巻だったよ、鷲尾くん。リーハイ最終回で古御門にコテンパンにしてやられた岡田将生と同じくらいに印象的だった。でも、ああも完膚なきまでにやられるの見ると、スカッとするの超えて、憐憫の情といっては上から目線だけど、不思議と心を寄せちゃうとこあるんだよね、ウェットな日本人としては。あそこで視聴者の多くが「鷲尾くんに幸あれ!」と思ったはずなのだよ。

「谷口巧ノート」は、「依子の巧への思いの強さ深さ」「依子の融通利かないキャラクター」「それをまったく理解できていなかった鷲尾」そのすべてを象徴したアイテム。心の底から脚本に感心したわ。

考えてみれば、「恋をしたいに決まってる」と決めつけたり、依子渾身の結婚契約書をいともたやすくビリビリに引き裂いたり、依子のありのままの姿を服から髪からメガネから変身させたり、依子が鷲尾自身を見ていなかったのと同様、鷲尾も依子という人間と向き合っていたとは言い難かった。それを「鷲尾の落ち度」「巧より劣後する」とするのではなく、「鷲尾は鷲尾なりにがんばっていた」「そして苦しんでいた」と描いたのが優しさだよねえ。最終回の鷲尾はコケにされる姿を描かれたのではなく、彼の悲哀を描かれたのだ。佳織のほうは最初から最後まで、サバけてるからこそ可愛くて切ない存在だった。

お互いに、相手のことを理解しきっているからこそ、「自分とくっつくなんてかわいそうすぎる」「自分では相手の心を傷つけてしまう」「どうか幸せにしてやってください」と泣きわめきながら土下座する巧と依子。主演ふたりがこんなにもドン引きさせる月9の最終回があろうかw 恋とはとことん残酷であり、とことんみっともない。と、脚本はとことん描ききろうとする。

・・・・かーらーの、林檎!! ここでまた出てきた!! 「わかるやつだけわかればいい(by あまちゃん)」な数々の小ネタの延長線上にありながら、それらとは毅然と一線を画した“アダムとイブ”の比喩! どう見ても禁断の果実!! いや、仮にそれが思い浮かばなかったとしても、どう見てもエロい! エロすぎる!! 

かねて友人に「ドラマではこの2人が肉体関係を結ぶところまで描いてほしい」と語っていた私だが(サイテー)、まさかこんなにエロいものが見られるとは思えず、固唾をのんで画面に食いつくしかなかったですよ。考えたなあ! そして、この演技、大変そうだなあ!!

あそこまで果汁滴らせながら貪りあったら、もはや抱擁だとか舌を絡めるだとかまったく必要なくて、引き寄せられるようなキスは唇の先端が触れ合うだけのものだった。けれど引き合う磁石のように、互いにそうするしかなくて、唇が離れる様子のついに描かれない、甘美で純度の高い、そしてやはりなぜだかエロスを感じるくちづけだった。

このドラマ始まって以来じゃない?ってぐらい、縁側で静かに語り合う2人が、なんだか違うステージに突入したような艶めかしさで。「いつもうるさい人間が静かに異性と話してる姿ってどこかセクシーに見えるんだよな」と、「平清盛」で松ケンの清盛と加藤あいの明子が夜更けに静かに話してる場面を思い出していたら、依子と巧の背後に映りこむ林檎の芯! その、いかにも「貪り尽くした」という生々しい形状! まさに“事後”の隠喩で悶絶した(サイテー)。

やがて2人はあらためてデートに出かける。髪に花を飾ることもなく美しくキメてきたようで、奇天烈なカエルをつけている依子。相変わらずフーテンの格好の巧。始まる漫才のような会話。けれど依子は「桜を見ましょう」という巧の提案を素直に受け容れ、巧は「桜を見ると言ったら文字通り見るだけ」な依子を自然に受け容れている。

「恋とは苦しいものだ」と力説したクライマックスだったけれど、映画「卒業」のように、「2人の苦難はここから始まる」ラストにしなかったのも優しかったな。その苦しさは、きちんとドラマのこれまでで描いたのだ、というラストだったと思う。都会の片隅にあだ花のように咲いた、やけに鮮やかな桜を無言で見つめる2人には穏やかな空気が漂っていて、「愛とは、お互いに向き合うことではなく、共に同じ方向を見つめることである」という、巧が先週引いたサンテグジュペリの名言を示唆していた。これからも苦難はきっとある。でも2人はこれからもきっと同じ方向を見つめていく。

鷲尾と佳織が明らかにお互いをタイプだと言いながらも気づかずに飲み歩いている姿も、きっとこの2人も、これから遠回りしてもいずれ引き合っていくのかな、と想像させるステキな幕引きだった。

チビ依子とチビ巧の電車での邂逅はむしろ蛇足じゃないかという印象をもったが、今回冒頭の小夜子の講演と合わせて考えても、ロマンチックな運命論というよりは、逆説的な現状肯定論なのかもしれない。「この世のすべては数式で表せるもので、それを覆すには、数の謎を解かなければならない」。依子がその謎を解けずに社会人になったのはもちろん、神に挑戦し得た人間は誰もいない。であれば、私たちは現状を甘んじて受容するしかないわけで、けれどその現状をすべて必然であると肯定できれば、運命という美しい現象にも昇華できるのだ。

依子と巧は自らの意図で禁断の実を貪った。2人とも、遠い過去の邂逅を覚えていない。依子と巧のように、残酷で、苦しくて、みっともない恋に堕ちてゆく恋人たちすべての原点に、実はあんな素敵な「運命の出会い」があったのだと信じるのも悪くないのかもしれない。

数式や科学を無機質なものではなく感情的に(幽霊の小夜子の扱いの見事さ!)。「心がない」と言われる人の悲しみに寄り添って。ニートやオタクをキモいんじゃなく繊細で優しく。「恋というあありのままの心」は高らかにうたい上げるようなすばらしいことじゃなく、そうするしかないという剥き出しの苦しみとして。けれどそのすべてを愛おしく描いた、天邪鬼で見事なヒューマンドラマだった。みんなおつかれー!