『デート』 第9話
たびたび書いてますが、「面白いドラマは最終回の1回前=プレ最終回が最高に盛り上がる」という法則(?)がありましてね。今回の「デート」では、その法則、堂々発動! 笑えて、ドキドキさせて、しんみりして、ハッと驚かせ、さらに驚かせるにとどまらず、視聴者を混乱の渦に陥れてくれました。古沢良太脚本の面目躍如でしょう!!
依子と鷲尾、巧と佳織のカップルの“デート”が主眼のようであって、今回の見どころは“裏デート”! そう、依子と巧の電話デートである!
「こういうのを“奔放な男性遍歴”というのでしょうね。私もとんだ尻軽女になったものですヽ(´・`) ノ 」って依子のドヤ顔w 先週ラストまでとは打って変わって、「本当は恋がしたかった」本性が剥き出しであるw それに応える巧の「僕もとんだスケコマシだ」という言葉のチョイスに痺れる。21世紀の月9でヒロインの相手役が「スケコマシ」ってww
ほどなく、鷲尾の誕生日(の数字)に萌えている依子に冷や水を浴びせかける巧。「またデータにときめいちゃってるじゃないか!」うんぬん、うんぬんを経て「君は頑張っちゃいけない」「準備するな、何もするな、すぐに寝ろ!」 ここまで一気にたたみかけておいて、一気にトーンを落とした「・・・うん」の一言がすばらしかった! そこから間をおいてつながる「それから、もう電話しない方がいい。こんなふうに前の彼氏と連絡をとるのは、ルール違反だ」が視聴者を切なくさせる。しかし、電話を切って布団に入ったあとの「・・・ジャージで行く可能性があるな」でクスリと笑わせる。完ぺき! 最初から最後まで完ぺきな応酬!!
新しい相手との第1回のデート後の電話も笑わせる。「佳織は芸術家だと思ったけどヤンキー成分のほうが強かった。カラオケで延々とEXILEだよ?!」 カラオケのシーン面白かった。「喝采」と「夜明けのスキャット」を恍惚の表情で歌い上げる巧w EXILEのチューチュートレインダンスに巻き込まれるww 3代目、西野カナときて、ついに本丸EXILEを弄ってきたな・・・と思ったら、3代目と西野カナをイジってたのは「問題のあるレストラン」のほうだったw こーゆー着眼点に、両者の視聴者層の重なりを感じるねw
閑話休題。鷲尾と人力車の人に胃の中の未消化物をあびせかけたと言う依子に「君の勝ちだ。それは十分最悪だよ」w フェノルメチルアミンを分泌するために飲み食いしまくった依子。「やっちゃってるじゃないか・・・」 「その代わり服装はジャージで行きましたよ」 「そこはジャージじゃなくていいんだよ!」ハセヒロのテンポが最高! 編集もあるのかな? こういう応酬になると、やはり長谷川博己の歯切れの良い滑舌と緩急自在のリズム感が快感である!
「いいか、ここからが正念場だ」「Don't Think!!! Feel!! ばーい、ブルース・リー!」feelのエフ、めっちゃ上唇噛んで発音してたww 「あなたががんばらない人間になれたとき、恋ができるでしょう」預言者かw 「がんばらない人間になれるようにがんばります!」 「(うーん)」←この顔がいいw 「もう電話しないほうがいいですね」「さようなら!」余韻も何もあったもんじゃないガチャ切りw 完全に電話が日常になってるなww
サッカーの戦術に詳しくなりすぎてしまう依子w EXILEのDVDを買い込み、カラオケに臨む巧。「愛とは互いに見つめ合うことではなく、同じ方向を見つめることである・・・・ばーい、サン=テクジュペリ!!」 フェノルメチルアミンもだけど、サンテクジュペリも滑舌難しそうだなw 巧の「古今東西の名作・偉人の名言」シリーズは、当然、受け売りなんだけども、私は、これが出てくるときの巧が好き。巧はホントに読み込んでる・見込んで咀嚼しきってるから、人の言葉を、借り物ではなく、自分の内から出た言葉のように喋れるんだと思う。名言は彼の財産。
やがてデートに疲れ相手を避けるようになる2人。相談されて、鷲尾は依子父に相談する。新しいヘンテコなエクササイズを取り入れている依子w 依子父がこっそりケータイの履歴を見ると・・・鷲尾をはるかに凌駕する勢いで並ぶ巧との履歴!! これ、依子父は完全にルール違反なんだけど、依子たちのほうが先に、「ルール違反(by 巧)」を犯しているのでどっちもどっち、という、許容しやすい演出になってましたね。休日出勤の嘘を咎めない鷲尾の表情が優しい。今回の中島裕翔くんは、恋する男子の顔・包容力のある顔・切ない顔など、随時すばらしい表情をしてた。彼はこれからもドラマに呼ばれるだろうな。
演出といえば、今回も幽霊ママこと小夜子の使い方がバツグンだった! 鷲尾とのデートに臨む前の依子に不安とプレッシャーを吐露させ、式場に来ない巧を探すシーンではみんなを仕切ろうとするも当然ながら見事に無視されるというコメディを演じ、そしてラスト・・・。
自室に閉じこもる巧を依子が探し出すのは苦しい展開ではありましたね。巧の居場所なんてあそこ以外にあるわけないのに、他のみんなが思いつかないのはおかしい。でも階段落ちをやりたかったのはわかるしちゃんと面白くなってたんで結果オーライでw 「大丈夫、入れ替わってない」ありがとうございますww 喉仏→おっぱい→股間と順に確認する仕草も超よかったですwww ここ、依子の「何のことですか」のタイミングがちょっと早かったのが惜しい!
スケート場。依子と巧は新しい相手に不満があったわけではなく、新しい相手にふさわしくなるためハリキる自分に戸惑っていただけだ、と言う。規律正しい生活を忘れ、仕事でミスを連発し、服装や髪形のチェックにうつつをぬかす(といってもデート用の服は一着を複数持つところがさすがの)依子。ザイル軍団研究のためにお宝本を売りはらい、カラオケ代捻出のためにアルバイトニュースを開いていた巧(でも、漱石に柳田国男に井上靖・・・売らないでよかったね)。
その変貌に感激し、恋人を抱きしめる鷲尾と佳織。それを受けて、「フェノルメチルアミン・・・出てるかも」と微笑む依子。なんという展開!! これぞ「斜め上」である!!
生気を失ってゆく依子と巧に、「やっぱりね」と思えてしょうがない視聴者は多かったはず(私含む)。やっぱり、鷲尾と/佳織となんか、合わないんだと。でも違った。彼らは恋しすぎて疲れてたんだった。そう、確かに恋愛初期には、暴力的なほどのエネルギーがどこからか湧いてきて、人はそれに翻弄される。相手の好きな音楽を聴いて好きになろうとして見たり、次のデートのことを考えて仕事が手につかなかったり、そーゆーのって、まさに恋である。
(巧はATSUSHIのファルセットの素晴らしさを認め、憧れた。この、EXILEを弄ってdisるように見せかけて肯定するやり口は、やはり「問題のあるレストラン」の坂元裕二とそっくり。)
ハタから見たら「絶対ミスマッチでしょ」ってなカップルって、学生時代とか、よく、いたよね。彼らはあっという間に別れて周囲に「やっぱりね」と思われることもあるし、どういうわけか意外に長続きして、結婚しちゃうこともある。結婚してから離婚する場合もある。その、さまざまなパターンのすべてについて、外野の人間は正誤を判断する権利を持たない。他人の恋である。疲れようが、自分を見失おうが、彼らはそうしたいからそうするのだし、ダメだとなれば別れる。それが恋である。
今回の話って、冒頭に出てきた「ありのままの自分」という言葉がかなりキーワードになってると思うんだけど、そもそも古沢良太は、今作「デート」を書くにあたって、この言葉が念頭にあったのかなあ、と。
「ありのままの自分」でいることが素晴らしいとされる昨今だった。その前段階には「キャラが立つ」ことが自己の確立につながるような風潮があって、その風潮への反動、「キャラを演じる」ことに疲れた人々のよりどころになったのが「レリゴー」だったのだと思うけど、あまりにもレリゴーレリゴーとみんなが唱えるにしたがって、「ありのままの自分って何なのよ?」という疑問が生まれたのも事実。批判精神の旺盛な古沢がそこに目をつけるのは至極自然に思える。
数字やデータが大好きで偏狭なまでに規律正しい生活をしてきた依子、引きこもって小説やマンガの世界に生きてきた巧、それが彼らの「ありのまま」だと視聴者は理解し、その「ありのまま」を既に愛している。けれど、じゃあ彼らが、その「ありのまま」で居続けるのが唯一無二にすばらしいことか?と問われれば沈黙せざるを得ない。
依子や巧が身近な現実に存在すれば、「変人」として見るのが世間だ。彼らの「ありのまま」はあまりにも受け容れられ難い。やっぱり、できることなら働けたほうがいいし、こだわりはほどほどにして普通に暮らせればいいよね、というのが「現実的」な意見ってもんである。
なのに彼らがその「普通」を実現しようとすると「え、そんなの無理じゃない?」「似合わない」と思う。彼らの挌闘を「無謀、ムダ」とさえ思う。スケート場の告白で、彼らが自分で望んで変わろうとしていると知ってなお、「でもやっぱり・・・難しいんじゃない?」と思ってしまう。「実際、疲れてるし」「長続きしないよ」と。「がんばりたい」「変わりたい」と思う気持ちが、今の彼らの「ありのまま」なのに!
このドラマは当初から、「人は誰でも恋したいものだ」「恋をして理解し合った相手と結婚するものだ」という価値観の妥当性を問い続けてきて、私たちはすっかり、恋を否定する依子&巧の側に立っていたけれど、結局、徐々に「なんだかんだ言ってこの2人の関係は恋のようじゃないか」「ありのままの姿で対峙し合える彼らこそが望ましい関係じゃないか」という気持ちになってきてた。
それが、ここへきて、「ありのままって何なのよ? それはそんなにすばらしいことか?」とガツンと問われたんだと思う。安全なところから見てたつもりの自分(視聴者)の足元がガラガラ崩れていくこういう感じが、古沢脚本の真骨頂ですよね。
殻を破ろうとするとき、人はそれまでの「ありのまま」ではいられない。「ありのまま」はラクだけど、現状に安住する甘えでもある。生きていくうえで、人は何度も、己のアイデンティティを揺さぶられ、壊され、時に遠回りしながら作り直していくんだと思う。そのたびに強靭な自分ができていくんだし、主体性を失っていなければ、その揺らぎや再構築の過程すらも「ありのまま」の姿なのかもしれない。なんて思った。。。
しかも、そこで「だから頑張ることは素晴らしい、レッツがんばろう!」ってな方向に持っていくのではなく、そもそも「頑張らない人間になれるように頑張ってしまう」のが依子という人間なのだと、凝りだしたらEXILEにとどまらず三代目JSOULにまで手を広げてしまうのが巧という人間なのだと、描くのがいいよなあ。結局、依子も巧も「ありのままの自分」で初めての恋に臨んでいるじゃないか。
もちろん、最後に、依子の内なる声として、「これがほんとの恋だと思ってるの?」と小夜子が問うたとおり、まだ疑問は残されている。変化の過程を経た依子や巧が選ぶのは、鷲尾/佳織なのか?
いや、鷲尾/佳織 のほうだって、いま変化のただなかにいるのだから、彼らのほうから別れを告げる可能性・権利だってある。ジャージで現れたありのままの依子を責めず引かず、けれどその服装から髪型からことごとく変えてしまった鷲尾。やっぱりカラオケに行ってEXILEを歌いたい佳織。彼らにも主体があって、それは依子や巧の主体と同じように尊重されるべきものである。なんにしても、鷲尾と佳織を単なる「かわいそうな当て馬」で終わらせない才覚は、古沢良太には十分あるはず。
依子は30才までの結婚を望んでいたけれど、人と人とのかかわり合いや、自己の変革についてここまで見てきた以上、「結婚がゴールイン」だなんて価値観に意味のないことは明白。でも、わざわざ末尾に「依子の誕生日まであと○日」を掲げている以上、誕生日には何かスペシャルなことが起きるんだろうなあ。
そうそう、巧が高等遊民になったのは、父親を愚弄され、その愚弄に迎合してしまった自分に絶望したからだった。長年の謎が明かされたといっても、ここは特に驚きに値しませんでしたね。巧がそういう人間であることに、もはや違和感はない。父親を毛嫌いしていた巧が、父親の件をきっかけに引きこもりになったというのは、いかにもよくできた脚本ではあった。
その「よくできた」っぷりもさることながら、このドラマが愛されてるのは、容赦なく怜悧なようで実はあたたかい作風だよね。「引きこもってしまったきっかけ」も、引きこもっていた長い年月も、依子の偏狭や「ヘンテコ」も、そして、変わろうとして足掻いている「今現在」も、彼らに振り回される鷲尾や巧も、結局すべてを肯定している。
だから、来週、彼らがどう落ち着こうとも・・・いや、落ち着かずに終ろうとも、どこか納得できるんじゃないかな、と思えるのだ。楽しみですね。そして寂しいですね。それにしても、巧の告白に対して、あの依子が、「あなたは失敗していない。巧さんは心の優しい人」と、巧の心の機微を訴えたのは象徴的でしたね。