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『隣のアボリジニ 小さな町に暮らす先住民』 上橋菜穂子

 

隣のアボリジニ 小さな町に暮らす先住民 (ちくま文庫)

隣のアボリジニ 小さな町に暮らす先住民 (ちくま文庫)

 

 

村上春樹のシドニー滞在&オリンピック観戦記『シドニー!』 を読んでいる途中で、「そういえば前から読みたいと思っていたんだった」とポチッたのが、これ。

『守り人シリーズ』の作者、上橋菜穂子が書いた本業(?)の文化人類学の著書である。といっても学術書ではなく、彼女が若いころにオーストラリアで行ったフィールドワークを一般読者向けにわかりやすくまとめた本(だと思う)。

オーストラリアとアボリジニの歴史については、村上の『シドニー!』でも相応の筆を割いて触れられている。オーストラリアの原住民にして少数民族、アボリジニがどのように翻弄されてきたか。

女子400mで金メダルを獲ったキャシー・フリーマンはアボリジニで、彼女の母方の祖母はオーストラリア政府によって「盗まれた世代」だったこと。彼女がオーストラリアのアボリジニ、両方の旗を持ってウイニングランをして、表彰台で涙を浮かべながら国歌を歌ったことが、白豪主義と決別し新世紀を迎えようとするオーストラリア国民にとってどんな意味があったか。村上春樹の『シドニー!』 でもことさら印象に残るエピソードである。

本書『隣のアボリジニ』で、著者はアボリジニの暮らしについて調査するのだが、その特徴は「大地の民として昔ながらの狩猟採集によって自然と共に生き、野生の知性で精神的に豊かな暮らしをする人々」たるアボリジニ(主に中央や北方の砂漠地方にいる)ではなく、地方の町や大都市で白人たちの「お隣さん」として暮らすアボリジニの姿を活写したことにある。

その地方では、19世紀半ばから白人の入植が始まった。槍とブーメランしか武器を持たないアボリジニが銃で武装した白人にかなうわけはなく、彼らの多くは農場や牧場で労働力として使われるようになる。広大で過酷な自然が広がるオーストラリアで農業や牧畜業を経営するために、給金なしで使えるアボリジニは都合のよい存在だった。もちろん労働環境は劣悪。他地方では虐殺もあり、白人が持ち込んだ病気に免疫がなかったりもあって、20世紀初頭にはアボリジニ人口はいったん激減するが、「滅びゆく哀れな人種を保護しよう」と作られた法律や、白人男性のレイプによって混血の子どもが多数誕生し、その人口は次第に増えていった。

レイプの残酷さはもちろんのこと、「保護法」も、アボリジニにとって決して有難い法律ではなかった。故郷の大地とのつながりを神聖視する、彼らは法律によって「原住民居留区」に強制的に移住させられたり、結婚や旅、飲酒など多くの禁止事項を課せられた。そして、役人はアボリジニの子どもたちを親の意思に関係なく取り上げ、公共施設へ収容して「文明化」させる権利を持った。先述のキャシー・フリーマンの祖母もこの政策によって「盗まれた」一人。

1960年代以降、白豪主義を捨て多民族・多文化主義へと移行する中で、そのような法律や「原住民」という区別は廃止されていったが、それが彼らを救ったかというとそうではなく、白人と同様の賃金を払えない農場・牧場経営者から解雇され、教育も財産もないままに社会に放り出されるアボリジニが続出し、彼らは市民となった恩恵で失業手当を受けとりながら、無為な時間を過ごすことになった。教育水準も所得も白人に比べ低く、アルコール中毒患者(アボリジニは基本的にアルコールを分解する能力が低いらしい)や、酔って暴力をふるったり罪を犯す者も多いという。アボリジニの言語や文化は失われ、けれど親戚づきあいや葬送の際などには、今でも非常に強いアボリジニの「縛り」が残る。

小学校でアボリジニの教師補助員をする聡明なローラ。子どものころ役人によって「連れ去られ」、遠い学校にやられて、解放されてからも部族には戻らなかったシッドおじさん。聡明なローラは、しかしシッドおじさんの死を部族の呪術師の術によるものだと信じている。星の下で生まれブッシュで育ち、“スピリット”(精霊)の話を身近に育つが、街でキリスト教徒として生きているローズマリおばさん。パートタイムの仕事と社会保障の支給で2人の娘を育てる元気なシングルマザー、マリアン。その娘でティーンエイジャーになってからは刺青や鼻ピアスをし、夜遊びにふけって退屈を紛らわしているサリーナ・・・。

著者はさまざまな「隣のアボリジニ」とフラットにかかわり、戸惑いや違和感や率直な疑問も書きながら、都市や地方のアボリジニの抱える問題を炙り出していく。「保護法」があった時代に激動の日々を送った人々も、現代の若者も。白人とアボリジニとを秩序あるやり方で「隔離」していたころは平和だったのだと語る白人。アボリジニの側も、隔離され差別されてはいても、気楽に暮らせて男たちが酒も飲まずに良く働いた昔を懐かしむ人は少なくない。白人と額面上「平等」になったことによって、失業・酒・ドラッグそして暴力などの問題を抱えるようになったのだ。

ひとつの問題の複雑さ、根深さ、矛盾を、冷静に平易に描き出す筆致は、彼女の小説作品を想起させる。彼女が小説で描くのはファンタジーの世界だが、それが多くに支持されるのは、そこに強い普遍性が感じられるからである。こういった専門研究が小説に生かされているのかもしれないし、小説を書ける才能が、専門研究でも優れた観察眼・分析力につながっているのかもしれない。両方かも。ともかく、彼女の小説を読んでから、この「現実世界」について書いた本を読むといろいろすごく納得がいき、双方にさらに説得力を感じた。問題を炙り出すだけでなく、現実に生きている(生きていた)人々を、それぞれ魅力的に生き生きと描くところも、この人らしさである。

 

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