『浅草芸人〜エノケン、ロッパ、欽ちゃん、たけし、浅草演芸150年史』 中山涙

浅草芸人 ?エノケン、ロッパ、欽ちゃん、たけし、浅草演芸150年史? (マイナビ新書)

浅草芸人 ?エノケン、ロッパ、欽ちゃん、たけし、浅草演芸150年史? (マイナビ新書)

発売当初から気になっていた『浅草芸人』。やっと読めたよ!歴史、民俗学と大衆文化が好きな私のために書かれたかのような新書だった。

私は昭和53年生まれ、「お笑い」「芸人」とはメディアを通して触れるものである、というイメージしかない。ビートたけしのもっとも古い記憶は「ひょうきん族」だ。彼が「浅草出身」なのは知らないでもなかったけど深く考えたこともなかったから、浅草時代のたけしについて触れるプロローグは既に引きが強い。そこから、見世物小屋が乱立していた江戸時代の描写から入る「浅草演芸前史」と題した1章が始まる。がっぷり正統派なつくりで期待が高まる。

以降、基本的には時系列に沿って、小見出しごとに数ページの記述で展開されていくのだが、淡々としているようで、読んでいるとくらくらとめまいがしてくるような、日常が遠のいていくような感があった。

エノケンやロッパすら名前ぐらいしか聞いたことのない者にとって、芸人や劇団・グループ名にしろ、興行主や箱(舞台)の名にしろ、大半が馴染みのない固有名詞ばかりだ。けれど、膨大な数の固有名詞が飛び交う混沌に魅せられる。

彼らのうち、ある者は世に出、ある者は去りゆき、ある者は栄光の後に挫折を味わう。駆け引きや賭けを繰り返す興行主。建てられる箱、焼ける箱。華やかなだけではない世界。いやおうなく迫り、浅草ごと飲み込んでいく時局。

人間の住む世は、いつだってどこだって一寸先は闇。私たちは誰しも生生流転の一部なのだということを、集合離散・栄枯盛衰を繰り返す浅草の地の歴史が、芸人たちの寄る辺ない人生が、強烈に意識させるんである。

特に印象的な人物はふたり。まずはやはり、エノケンこと昭和の喜劇王、榎本健一。浅草の長い歴史に、幾度も幾度も顔を出す。雌伏のあとに飛翔し、苦悩の時期ののち、また舞台を賑わす。やがて力尽きひっそりと死んでいく姿を含めて、浅草の申し子のようだ。「愛息を亡くしたあとも必死で稽古をし舞台に立ったが、客席は彼の状況を知っているので同情が先に立ち、まったく笑ってもらえなかった」と言うエピソードはあまりにも悲しい。

もうひとりは、深見千三郎ビートたけしの師匠にあたることはもちろん、彼の名すら、知らなかった。あらためて、人の世ははかない。北海道の浜頓別で生まれ、芸者歌手として有名になった姉の「美ち奴」を頼って上京。戦中は軍需工場に重用され、機械の事故で四本の指を失ったのち、北海道で旅興業。東京大空襲のときには在京で、炎の海の中を逃げたがその中で両親を共に亡くした。戦後はロック座に入り、テレビにも映画にも決して色気を見せず、最後は芸人を引退した後、煙草の火の不始末で死んだ。

女剣劇で名をはせた浅香光代の前半生、先日のスペシャルドラマ『ロング・グッドバイ』で流れた歌と映像があまりに衝撃的だった笠置シヅ子あたりについては、いつか著者に、あらためて詳しく筆をとってもらいたいところ。ストリップ史でもいい。人の歴史を、時代背景も含めて、俯瞰して書ける作家だと思った。

そう、人と時代。第4章「戦争と喜劇人」、第5章「戦後の混乱から生まれたもの」は、やはり、読む者を際だって惹きつける。芸人たちの中にも、召集を受けて入隊し戦場で死んだ者、大陸を慰問興行して回った者、その移動途中に銃撃で死んだ者など、いろいろいる。ヒロポン中毒になった者もいる。そしてその戦争が終わった後に、天才少女歌手が現れて一世を風靡し、ストリップ劇場が生まれた。東京五輪の前になると、性風俗産業は厳しく取り締まられた。人は、時代の波を免れることなどできないのである。浅草という土地の歴史、そこで生きた人々の歴史に、時代が、その光も影をも投げかけているのが、すごく良かった。