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鬼アプリから派生して〜子育てのいま 4

もちろん、これらは「今」の私の感覚であって、子どもが育っていくにつれ、親の私の考え方も変わっていくところはあると思うんだけど。今んとこ、小学校の現状についての知識が少ないしね。習い事も、子どもが「やりたい」と言い出せば考えるだろうと思う。

ただとりあえず今現在、土台、ずぼらな自分には、子どもとのスケジュールに追われるような生活は無理。着替えやトイレだってサクサクひとりでできるわけじゃない子を急かしたり叱ったりしてバタバタ出て行って、現場では、他の子に迷惑かけてないか、子どもも母親も極端に浮いてないか、お月謝を回収できるようなリターンを得ているか…などと気を回し、疲れて帰ってきて家事をする、とか、ヤだ。宿題をさせるとかさ…。上手にできても、苦手でも、どっちでも、ぞわぞわすると思う。そういうことやってたら、子ども自身を見失うとも思う。

うちの子を通わせてる幼稚園のプレクラスでは、「2歳や3歳にはみんなと同じにしなさい、と言わない」 「個人差がとても大きい時期」 「年少クラスでも、春夏は、ひとつの活動から次の活動に移るには3-40分見込んでます。切り替えにかかる時間はそれぞれだから」と言ってた。その理由まではまだ詳しく聞いたことがないけど、子どもを甘やかしてるわけじゃなくて、小さいうちに、かんしゃくを起こしたり、大泣きしたりしながら、それを大人に受け止められ肯定されながら、少しずつ、思いを言葉にして、感情をコントロールできるようになっていくのが大事ってことなんじゃないだろうかと思ってる。

近所の同年代でゆるく遊んでほしい、あわよくば私にも友だちができればと思って地域の育児サークルに参加しているが、そこでも、体験を強制しないように気をつけてる。遠足、プール遊び。ややもすれば、親は、「せっかくだから」と、「ほらほら、見て/やって/感じてごらん。もったいないよ。早く、みんな上手にやってるよ」と促したくなってしまう。でも、子どもにしてみれば、パーッと体が動くときもあれば、まずじっくり観察したいときもあるし、怖いとか不安だなとかいう気持ちだって、ほんとは大事な体験だろう。

ママ友情報が気になったり、周囲の子に遅れるんじゃないかとか、自分が子どものころに比べて身体能力が低いんじゃないかとか、ついついそういうことが気になって、良かれと思ってたくさんの刺激や機会を与えてしまいそうになる。記憶力。質問に対して正しい解答をすること。何か特技があって、高いパフォーマンスができること。読み書き計算、英語。今、目に見える、わかりやすい成果を、子どもに対しても求めたくなる。ちょっとわからないことは、すぐさま検索して、とりあえずの答えを求めるみたいに。もっと大切なことを見失ってしまう気がするのに。

子どもって、すごく小さなことでも、自分がほんとに興味をもったりやりたいと思ったことは本当に楽しそうにやるし、集中したり、アイデアを出したりする。出来上がったものが大人から見るとつまんないものでも、へたくそでも、本人はしごく満足げ。そういう時間をたくさん過ごしてほしいなと思う。川の水が、自分の歩く速度より速い日もあれば、遅い日もあること。影の長さや向きが、朝昼夕方で違うこと。半径5mの世界、小さな子の狭い視界にだって、どれだけ面白く、不思議なことがあるか知れない。

退屈して「ママ〜」とじゃれついてきてつきまとうときもあれば、友だち同士で盛り上がって「ママ、あっち行ってて!」と追い払うときもある。「ぼくも やりたい」と家事に首つっこみたがったり、親が大河ドラマを見てるとブロックでスペンサー銃を作ったり、世界陸上を見て「棒が落ちたら失敗、落ちなかったら成功だよ。/ 赤い旗があがったら失敗、白い旗は成功だよ」と教えると1試技ずつ真剣にチェックしたり、3段跳びの跳躍に合わせて、「いち、に、さん!」と叫んだり…

あれ? 一部、洗脳が混じってるような気もするが、そうやって、いろんなふうに、気ままに身の回りの世界を楽しんでる姿を見るのがいちばん安心する。遊びながら学んでると思うし。私も私で楽しめるし・・・(ってこういうところがダメ親か苦笑)。こういうふうでいいんじゃないかな、て気がするんだけどね。気がするだけで、自信があるわけではないけど。次から次へとお金と時間をかけて遊ばせたり習わせたりとお膳立てしてるけど、肝心の子どもは受け身だったり疲れてたりで、スキマ時間にスマホのゲームをすることが癒し…みたいにはなりたくないな、って思ってる。極端な例だけどね。(つづく 次で終)