『平清盛』 第29話「滋子の婚礼」

久々に軽い口当たりで、なんか、ちょっとホッとしたかも。こういうのが3回も続けば、渋面つくって「大河ドラマたるもの云々」と言いだすオタクな私ですらこうなんだから、いかに、ここんとこずーっとハード&シリアスだったかっつーことだな。長丁場の大河ドラマ、こういう回は必要だ! だからといって見逃しちゃだめだよ、いろいろ詰まってるから! それが今年のいいところ。

まず、清盛が、長年にわたる平氏の悲願である公卿に…公卿に、なったのはいいが、同時に、オッサンになった! 

いがらっぽい大声、家の中ではどたどたとした歩き方、妻の真摯なお願いにも耳を貸さない。ああ、従来のイメージである「うるさ型の頑固親父・清盛入道」になりそうな気配がぁぁぁ。パパ忠盛は、最後まであんなにスマートだったじゃないか。あんただって、こないだまで、忠盛さんを彷彿とさせる所作やセリフ回しの数々を見せていたじゃないかぁぁぁ(泣)。

と思って、あーそうか、と思い至った。三位にのぼり、公卿に列せられた清盛は、正四位で生涯を終えた父を超えたのだ。もう王家の犬なんかじゃない。今が日の出の勢い。父よりもエラソーなオッサン、という表現もむべなるかな。でも、この回を通して見てると、清盛らしい愛嬌やかっこよさも随所に見られるのでちょっと安心。

で、それにともなって、「平氏」→「平家」にパワーアップしたんですってよ〜奥さま。なるほど、な説明ですな。「王家」、「藤原摂関家」、そして「平家」ってわけね。それはいいんだけど、それに伴ってお貴族サマ風の衣装をつけるようになった平氏、いえ平家の面々ったら、モロに、豪華な衣装に“着られてる”。これなら質実剛健の武士の格好のほうが絶対かっこよかったよー! と思うんだが、この感想を引きだすがための、作り手の衣装のチョイス、着付けの仕方なんだよね、きっと。

みなみな大国の国守になって、しかも、小僧の宗盛や、それよりさらにちびっこの知盛までが知行国を得ていることも、喜ばしいというよりは危ういという感がある。つまり、冒頭数分で、「平氏の栄華=衰亡の端緒」ってのを示した。

あ、でも、時子ちゃんが鮮やかな十二単を着るようになって、目に楽しいですね。彼女も、二条帝に出仕したり、ラストのゴッシーの御所にも殿上したりと、ずいぶんな出世ですな。

ドラマ前半の屋台骨となった家貞の死去。一の谷まで生きているとばかり思ってたから(from 平家物語)、なんか最近やけにフラグ立ってるなーと思いつつ気にしないでいたんだけど、まんまフラグだったのね! 別の資料では、この時期に亡くなってたとされてるらしいね。年齢を考えると、確かにそちらのほうが自然だ。

先に彼岸にいった人たちの志を引き継いでいかねばなりませんぞ、と自らも死の床で言う重代の筆頭家人に、「もとよりその覚悟」と清盛は力強く請け負う。彼の挙げた中には出なかった名も含めて、舞子、白河院、待賢門院たま子、家盛、忠盛、家成、鳥羽院悪左府頼長、由良御前、信西、そして義朝…。本当に多くの人が去ったのだな、と、しばしこちらも、ドラマ前半の怒涛に思いを馳せる。そんな中、しっかり生きてる(のよね?また出るんでしょ?)聖子ちゃんの祇園女御=乙前。さすがです。真のもののけ

そしてもうひとり。美福門院さんも退場。思えば、双六盤を挟んで後白河翔太さんに凄んで見せたのが、最後の女丈夫ぶりだったんですね〜。最後まで、二条帝派=反ゴッシー派であることをアピールした得子さんでした。雨に打たれる一面の菊の花を映していたのが今作らしい細やかさ。

つーか、この得子さんに付き従う「御影」たる横山めぐみが、今回、ピンクレ(=ピンクレジット。OPの役者クレジットで、画面に単独で表示されること。ふたり以上が同時に出るのを「連名」と言います。念のため)だったんですけど! これまでは連名だったよね? ちょっと〜、今週も窪田くん@重盛は連名なのよ!? うーん、塚地デブ頼さんや堀部忠通さんの例を見ても、この大河の役者クレジットって、退場間近の人に優しいのかしら?

閑話休題。さて、ここからは、ゴッシーと滋子ちゃんの小さな恋物語なんですが。

出会い以前のゴッシー、なんかやさぐれてます。無気力です。ご寵愛のデブ頼さんも斬首されてしまったしね…。今様コンサートをひらいても、前関白も現関白も、全然ノッてくれません。てか、このゴッシーさんという人は、根っからの乱世型というか、世の中が音を立てて変革していくようなときにこそ爛々と輝くのであって、平時においてはすっかり萎れてしまうんですかね。うんうん、いるよね、そういう人。

んで、コンサートが終わった夜更け(?)。御所の廊下を「遊びをせんとや」を歌いながら歩く滋子は、明らかに、“朧月夜の君”のイメージだよね。月夜(月を映してるわけじゃないけど、明らかに月夜だった)に歌う、気丈で情熱的な美女。脚本家はひそかに、とことんこだわってますな。てか、それぞれそういう“なぞらえ方”をするほうが、書きやすいのかもしれんね。しかし、「平家物語」に「源氏物語」をかぶせてくるところが面白いよね。

そこからふたりが結ばれるまでの一連の会話は、あんまり好みじゃなかった。だって、えらそうにゴッシーに説教する滋子ちゃんがさ〜、小娘が知ったかぶりしてるみたいにしか見えないんだもん。侍女仲間に皮肉言われたときも上手な皮肉で返してたんだから、ここもひとつ、しゃれた言い方でもしたらよかったのに、ド直球。しかも熱血。そして、この時点では、あんまり美貌に見えないの。メイクが。

ま、私の滋子像とイメージがかなり違うからってのもあるんだと思うけど…。滋子って、すごく美人なうえ、一度会ったら、誰もがもう一度会いたいと思うほどの華やかさや清潔感、親しみやすさ、思いやり、盛り上げ上手にすばらしい感性、才気など、もろもろを兼ね備えた女性、と「平家物語」にはあるんだもん(ですよね?)。このドラマでも、「美貌」「聡明」とセリフで説明されてはいたけど、「ゴーイングマイウェイ」っていう属性は、私の滋子像にはなかったのよ…。

あ、滋子を「聡明」と評した上西門院統子さまだけど、ネットを見てても、彼女を慕って、彼女が出てくるたびにウフウフしてるのが私だけじゃないってことがよくわかる。ね〜。素敵ですよね〜。こないだまで、源氏の棟梁の妻(や、その息子)を重用してたことなんかまるでなかったような顔して、今度は平氏の棟梁の義妹に入れこんでる、そのこだわりのなさが、やんごとなきお生まれの方、あのたま子ちゃんの娘って感じがしますよね〜。その割に、滋子ちゃんにこの世の世知辛さを説いてたけど。いずれにせよ、演じてる愛原実花さんはとっても素敵です。

閑話休題(再)。コトが済んだあとになってから相手の女の名を尋ねる、って、この時代の、しかも権力者らしくて、すごくいいんですが、滋子の素性を知った後の、「政の道具になるだけぞ」というゴッシー! おまえ、いまだかつて、そんな人間的な優しさを見せたことあったかーーー!? この一言に、ゴッシーがいかに滋子に本気になったかが表れてました。

んで、清盛以上に中2病を長患いしてるゴッシー(このころ35歳くらいだぞ、この人)ですが、恐ろしき素早さで滋子ちゃんを孕ませます。それを知った清盛タン&六波羅の面々のリアクションはなかなか面白かったです。清盛がオッサン丸出しでのぅ。烏帽子が真ん中からポッキリと折れて、ショボンとしててのぅ。いつものようにこの世の艱難辛苦をすべてひとりで背負ったかのように深刻な顔をしてる重盛。天然の基盛。郊外のヤンキー臭がすごい(役作りを褒めてます)時忠。時子もよかったです。

この件について、清盛が、政治的駆け引きに関する企てが外れたことを悔しがりこそすれ、滋子の(おそらく)純潔を、愛憎半ばするゴッシーが奪ったことについて特に斟酌していなさそうなのも面白かったですね。それが当時の価値観ってもんかな、という感じもするし、自分の娘たちについての方針を叫ぶところからも、清盛が、一門の人間=一門のための駒でしかない、という目で見る人間になりつつあることも感じられた。

まあ、それは、のちに、縮毛矯正のために右往左往する女たちや、深く傷つく滋子ちゃんを見て、心やさしい棟梁に戻りつつ、同時に現実的才覚を発揮する姿に収れんされていくわけですが(前回も書き忘れたけど、和久井映見のおばあちゃん演技がすごくいい!)。

この縮毛矯正に挫折したシーンあたりから、滋子ちゃん、めっちゃきれいに見えてきます。目を閉じて、顎を引いたのを、斜め上から映すのが良い! そんなこんなな一連のシーンで、徳子ちゃん&盛子ちゃんが初お目見えでした。ほかの娘たちはどれくらい出るのかしら?

ま、そんなこんなで、清盛のオッサンの日宋貿易推しも相まって、めでたく滋子ちゃんは婚礼と相成ります。実際には、滋子ちゃんのこの時点での身分では、婚礼とかできかったと思うんですが、いいです。すんげーきれいだったし。しかも、先導する徳子ちゃんと盛子ちゃんがフラワーガールをつとめていたのがかわええ〜。考証的にはおかしいんだろうけど、素敵な想像だと思います。

んで、できちゃった新婦・滋子ちゃんの手を引く新郎・ゴッシーの顔の、なんとうれしそうなことよ〜。今回のゴッシーは、痛快ウキウキ婚礼準備といい、ブルー入りすぎのハンストといい、二度にわたる今様コンサートといい、ムダに(?)大活躍でした。しまいにゃ、ゴッシーと清盛の「遊びをせんとや」ユニゾンですよ。ハハハ・・・(棒笑い)。いや、「あのころの、何と良い時代だったことよ」と思うときが来るんですよね、きっと。

そして、あたたまった視聴者の心に一気に冷水を浴びせる予告よ! ぎゃー! 時期的にも肝試しにはうってつけだもんな! 来週は、小さなお子さんと一緒に見てはいけません! あ、あと、来週は9時スタートよ、地上波! オリンピックだから!

最後に、前回のラスト、あれだけ衝撃を与えた(私だけ?w)常磐御前とのその後に、ひとっつも触れられないのが、「やるなあ」と思いました。

現代に生きる私たちは、あれをスキャンダラスな目で見たし、実際、清盛自身にとっても、とても大きかったと思うんだが、あくまで表向きには、「勝った者が敗軍の将の女を側女にした」という当時では珍しくもない出来事。清盛が常磐をわがものにしたところで、平家的にはなんら影響はない。時子も(内心はどうあれ)少なくとも表向きはいつも通りでしたよね。

時子は一門の評定にもいつも出席しているし、御所にも上がるようになった。昼日中に夫と濡れ縁の近くで双六をしながら、政治向きのことを話したりもする。正室たる彼女は「昼の女」であり「表の女」であり、皆が認める「棟梁の妻」。清盛との仲にも、夫婦という個人的なつながりだけでなく、たくさんの子を通した絆や、一門を率いる棟梁と妻、という社会的な関係がある。対して、常磐はおそらく平家一門の認識として「夜の女」であり「影の女」であり、「棟梁が慰むための側女」。だから今回のこういうお話には出てこないってこと。とても道理だ。さて、次はいつ出てくるんだろう?