子どもたちへ

今日つらつらとtwitterに投稿したことに一部加筆修正してブログにも残しておく。

●『平清盛』で源義朝の正妻、由良は、徹底して息子(もちろん頼朝よ)にエリート教育を施す。夫の愛妾の常磐親子に向かって「どうぞ、優しい子にお育てなさい。私は我が子を強い男に育てねばならぬゆえ」と言うシーンがある。

●じき2歳の自分の息子に対し「健康でのびのびと、思いやりのある子に」と願うのは当然。自分が親に放任されて育ったので、早期教育なんかにも全然興味ない。正直自分は勉強で苦労したことはないけど、イコールすばらしい人間になったかっつーと全然そうでもないわけで、学歴にもそれほど興味ない。

●もともと子どもができるずっと前から、「自分の子どもには生活力のある人間になってほしい」とは思っていた。「生活力=単に経済力」という意味ではない。日常の雑務が難なくこなせ、日々の「小確幸」を感じやすい人間。もちろん、包括的に見れば、これからの日本人というのは自分の親の世代よりも「いい目を見ない」人生であるのは震災前からすでに確実だと思っていたので、「どんなことやってでも生きてくぜ」みたいなサバイバル能力も必要だと思っていた。

●でも、最近はそれに加えて、息子には「強く賢い子」になってほしいと思うようになった。

原発やエネルギーのこと、税や社会保障のこと、環境問題、高齢化問題…息子が生きるのはそういう世界だ。無関心に流されていく人になってほしくない。もちろん活動家にしたいわけでもないが、物事を表からウラから多面的に見つめ、上から俯瞰し、隣に寄りそう想像力も備え、そのうえで自分なりの意思決定を積み重ねて生きる人になってほしい。

●そして自分の子だけじゃなく、これからを生きてゆく小さい子・若い子たちには、できればみんなに「強く賢く」なってほしい。本当に強く賢くそして情熱や体力のある人に、起業したり海外で研究したりするだけじゃなく、政治家や官僚にもなってほしい。おばちゃんもまだそこそこ若いんでなんかがんばります。

●強く賢い子どもに育てるためのひとつとして、やっぱり歴史を教えたいなと私は思う。てか、大人ももっと歴史を学ぶ必要があるんじゃないかと思ってる。もちろん現状の世界を見て考えるのも大事だけども。ということで宮崎駿botをリツイートしまふ

●『学生時代に本を読まないのは勝手だけど、そのつけは全部自分が払うんだから。知識や教養は力じゃないと思っているやつはずいぶん増えたけど、結局、無知なものは無知ですからね。どんなに気が良くて、どんなに一生懸命でも、ものを知らないというのは、自分がどこにいるか知らないことですから。』

●RTした宮崎駿の言葉は90年代前半のインタビューからなんですが、これには続きがあります。「特にいまのような、どこに自分たちが行くんだろうと、自分で考えないとわからない時代が来たときに、歴史的なことに対する無知というのはいずれしっぺ返しがくる」。震えがきますね。

そして、今、大飯で大規模なデモが行われていますよね。そんなツイートをいろいろ読んで感じたこと。

●RT @kibakoichi: 「今だからみんなで考えたいこと」 いしだ壱成氏が子供の頃、伊方原発のデモで経験したこと。明日の大飯で起こりうること。必読。

●(↑リツイート先のリンク、読みました)大飯のデモにもたくさんの子どもがいるという。子どもを連れて行くことに私は疑問を覚える。でも、いしだ壱成のブログを読んでると、子どものころ現場に行ったことで、彼は原発のことを、自分の人生とわかちがたく、「ひとごとでない当事者として」とらえ、考えるようになったんだなとも思う。

●でもさ、とあるイデオロギーを強く発露させる場、しかも暴力が発生する可能性のある場に、大人が、選択の自由の無い子どもを連れて行って、「ここでしか学べないことがある」って言うのはどうなのか、それは与えるべき機会なのだろうか、ともやっぱり思う。