さくら、さくら

今日は、福岡市動植物園の周辺の桜の群生地(?)で、夫とお昼を食べた。

桜って、少し寒いころがいちばん見ごろなんだよね。お花見も、ビールより熱燗のほうがおいしいかな・・・ってころ。そうか「花冷え」という美しい日本語があるじゃないか。

今年は、3月20日、土曜日の午前中に「桜の季節だ!」と気づいた。篠栗を流れる飯盛川のほとりに続く桜並木が満開だった。夫の実家に泊まった翌朝、福岡に帰る車の助手席で見とれてた。この帰路だけで、まあ100本くらいは満開の桜を見た気がする。

桜って、ほんとに、ある日突然咲くように思える。毎年びっくりする。ここにもあそこにも、こんなに桜の木があったんだ!てことに。1年のうち、350日くらいは咲いてないんだもんね、忘れちゃってるよ。別に花見の名所のようなところじゃなくても、通勤路とか、ごちゃごちゃした住宅街とかでも、至るところに桜の木はある。小学校なんて鉄板だ。ここ2,3ヶ月通っている中央市民プールは西公園の裏手にあって、都市高を降りてすぐのいつもの殺風景な中に先週、ピンクの塊を見つけて、そっかーと思った。

さて、2002年の3月28日(木)http://members.at.infoseek.co.jp/emit9024/memo_a.htmに書いた日記を引用します。9年前だ。わたし22歳。若い! てか、わたしには、WEB日記のストックが、そろそろ10年分もあるんだな・・・。レンタル先のサーバー以外にまったくバックアップとってないのも考えものか。

あちこちで桜が咲いていますね。
桜といえば

  • aiko『桜の時』
  • 福山政治『桜坂』
  • 渡辺美里『桜の花の咲く頃に』

などが思い浮かびます。
和歌で花、といえばそれは即ち桜をさす、とも言うように
古今東西、このジャパーンでは春といえば桜。
桜といえば花見。花見といえば酒

あれ? 逸れましたが

桜を見ると何となく思い出すのが、吉本ばななの『N・P』という小説の一節です。
この小説は小さな世界の中でインモラルな物語が続いていって、死の空気が漂い、なんとなく暗いので、吉本ばなな作品の中でもあまり人気が無いらしい。
実際、私も初めて読んだ中学生の頃は、なんじゃこりゃ。と思ったものです。
今では、1年に2、3回は読み返す好きな作品です。ちょっと怖いけど。

で、少女の頃に、この作品がわからないなりに、とても印象に残っているのが桜のシーン。

というか、ただ登場人物が桜についてちょっと喋ってるだけなんだけどね、「乙彦」という、外国で生まれ育った青年が、主人公に言う。少し長いが引用します

「初めて日本に来たときの春は雨ばっかりで、
ちっともいいところだと思えず憂鬱だった。
でも1回だけ、雨の日タクシーの中から、
桜を見て感激したんだ。
空は曇っていて、窓にはこんなふうに向こうが見えないくらい
水滴がいっぱいついてた。
その向こうに線路脇のフェンスの緑の金網があって、
さらにその向こうにやっと、
桜の桃色があった。いちめんに。
ぼやけた2重のフィルターを通して初めて気づいた。
春、そこいらじゅうに狂ったように
桜が咲き乱れている日本という国の神秘に」

蒸し暑い夏場の夜、外では激しい雨が降る。不健康に酔っ払った旅行帰りの青年が、突然主人公の女性の部屋に押しかけてきて、げえげえ吐いたあと、そんなことを言うんです。
 
それを読んでからもう10年以上
春が来るたびに 桜を見るたびに
「狂ったように・・・
 そこいらじゅうに・・・
 いちめんに・・・
 神秘・・・」
そういう言葉がぐるぐると頭の中に浮かびます。
花見はあんまり好きじゃありません。
酒好きの私らしくないようですが、なんとなくあの雰囲気が嫌い。