『とと姉ちゃん』 第10週 「常子、プロポーズされる」(下)ツイートと追記: とと姉ちゃんとは何ぞや問題
なんか、見えてきた気がする。プロポーズを断るのは家族のための自己犠牲(と背中合わせの家族支配)ではなく、常子の生き方なんだ、というのが。早乙女が自分の力で生きようとするように、山口智子が子を持たない生き方を選んだように、常子は今この場所で家族と生きることを選ぶんだ。#とと姉ちゃん
家族と共に在ることが、これまで常子の支えであり元気の源だった。そそっかしくて空回りしがちな #とと姉ちゃん のありのままを受け容れ愛してくれる家族の中で、経済的権威的な家長として君臨するのではなく支え合うこと、そして竹蔵のようにどんな人も尊重できる生き方を目指すことが常子の生き方
その中に星野が入ることも可能だったんだと思う。東京でなら。或いはあと何年かあとで(世の中も平和で)妹たちの将来の目途が立っていたなら。星野がもう少し世知に長けたタイプなら。ifはいろいろだけど、人生、とあるタイミングで選ばなきゃいけない時・選んでしまう時もある #とと姉ちゃん
先週から星野の「春の目覚め」を描いてたのは、互いの好意の段階の違い、ギャップを際立たせてたんだよね。星野は明らかに性愛的な欲求もあって、それが「結婚して下さい」につながってる。常子はまだ「ととみたい」と思ってる。ここから何年か付き合って…なら発展したかもだけど。#とと姉ちゃん
今週の常子が、怒っていても考え込んでいても発熱でもとても綺麗で、結婚してちっともおかしくない年齢になったんだなーと感じる。本当に、あと少しあとなら常子も星野を男として見たかも? あるいは常子は性愛のようなものには惹かれず生きるタイプの人間かも? わからないけど→ #とと姉ちゃん
→結婚より妹や母を選ぶって、とても自己犠牲的なイメージだけど、15,6歳で何の目覚めもないまま決められた相手と結婚するのも、当時普通だったから疑問を持たれなかっただけで、ある意味立派な自己犠牲。当時の女性はそうやって受け身な生き方をするのが当たり前だった中、→ #とと姉ちゃん
→常子は「自分の生き方を主体的に選ぶ」んだね。早乙女さんもその一人で。選ぶとは即ち「選ばなかった未来もある」こと。その痛みも引き受けながら常子は選んで生きていく。その選択の是非を問うのは、生涯独身や子を持たない人生を選ぶ人を他人が評価するように、無意味で傲慢なこと。#とと姉ちゃん
やはり作物として実るのは常子なんだな。星野とお喋りする甘いお汁粉デイズが水や肥料になり、本当に大事なことがわかって。「家族のための仕事やお金、自分が欲しいものはない」空っぽだった常子が家族はホームベースなんだと気づいて、ここから自分の好きな物を蓄えていけるかな…→ #とと姉ちゃん
→…と思いきや、ここから戦況が悪化していくんだよね(泣)。プロポーズは断るけれど(だよね?泣)それをきっかけに常子は精神的に羽化し、妹たちも成長の時期を迎えて、これから家族支え合って、国が個人に「うその言葉」を言わせ自己犠牲を強いる時代に対峙していくんだな…#とと姉ちゃん
「僕は淋しくない…と言い聞かせたけどダメでした」嘘の言葉を星野は否定し、自分の本当の言葉に辿りついて、伝えた。結婚してほしいと。で「共に植物に囲まれて暮らしましょう」と星野は言うけど、今の常子の本当の言葉はやっぱり「小橋家の家族に囲まれて暮らしたい」じゃないのかな #とと姉ちゃん
「ずっと家族一緒♪」じゃなくて、「鞠子・美子を嫁に出す」なんだよね。そのあと自分一人になる(親を送って…)ことが前提になってるような、厳しい誓いだと思う。10才では出した後のことまで考えてなかったにしても…それをずっと掲げて朝な夕なに見てきたんだよね、常子は。#とと姉ちゃん
家長として権威的に妹を抑圧するのはあらためなきゃいけない。でも、「実家の家族ではなく新しいパートナーと家庭を作るのが自立であり幸福である」という考え方、そして「そういう幸せを求めて生きるのが最適解」とする見方も、現代の常識・規範に捉われた先入観なんだよね。#とと姉ちゃん
常子の夢は、お金が心配というのも無きにしもあらずだろうけど、星野と別天地で家庭を築いたとしても「まるで借金取りに追われるように」妹たちのことを気にかける暮らしからは逃れられない、という暗喩なのでは #とと姉ちゃん
狙ってたのか偶然なのか分からないけど、青と赤の対比に見えました。結婚したら、ととになれないからね。#とと姉ちゃん 見ていて思うのは、常子は父親替わりのととになるのに一生懸命で、人間的な竹蔵ととにはなれていないように思うな。 URL
早乙女さん、躾の厳しい両親への反発から職業婦人になるも女ひとり生きていくのは易しいことじゃないと実感してるって、職業婦人を駆け落ち結婚に替えたらまんまかかだなあ、本当今週は全部載せ的に気合入っている #とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん と言うか今週ほんとにおもしろい。とと健在の頃からの「家族の為」「周りのみんなの為」という積み重ねがあって、金銭的にも余裕が出てきた今主人公が「私の為」の主体的な選択を迫られている。どの選択がいいも悪いもなくて、腹括って決心するしかないんだよね。
帰ってからまた見たけど今週のとと姉ちゃんはかなりグッとくる。ととの遺言を心の支えに頑張ってきた常子も、父を覚えてない美子の気持ちも、板挟みになる鞠子も、じっと見守っていたのについ手を上げてしまった君子も、そして精一杯の素晴らしいプロポーズをした星野君も、皆愛おしい #とと姉ちゃん
結婚して子どもを産むという、普通の女性なら当然思い描く(と思われている)未来を常子がこれまで思い描いたことがなかったとして、それはかわいそうなの?星野と結婚してほしいと思うけど、でも常子にとっての幸せってなんなんだろうなって考えてるとなんか泣けてくんのなんででしょ #とと姉ちゃん
「妹たちを嫁に出すまで走り続けるんでしょ」 早乙女さんは、常子に走っていてほしいんだなあ。雑用受けるのも、家族のために働くのも、早乙女さんに常子の気持ちはまったく理解できないけど、目的のためにひたむきに走り続ける姿に「同志」のような思いを抱いてるんだろね。#とと姉ちゃん
でも、一視聴者としては「立ち止まっていいんだよ」って思う。今まで走り続けてきたんだもん。人生、立ち止まることも必要だし大事だよ。だけどポスターの常子は走ってる。また走り出すんだろうな。いつでも止まっていいよ。走っちゃ止まり、走っちゃ転んで、また走る。常子の人生だね #とと姉ちゃん
あら? 九転び十起きって言葉を思い出した今である。
周防さんとの不倫にピリオドを打ったあとの糸子のモノローグ「うちは明日からまた進みます」も思い出しました。
星野は「じっくり考えてくれてありがとう」と言った。走り続ける常子が、自分のプロポーズによって立ち止まったことをわかってるんだね。そしてそのことに対して感謝を。ええ奴(泣)。やっぱり結婚しちゃいなよーってなる(泣) 星野を失いたくない(私がw)#とと姉ちゃん
「私たち、似てるんですね。いい夫婦になれるかもしれませんね」ってセリフにドキッとした。そうか星野の「植物を好きすぎる設定」は常子の「家族を大事にしまくる設定」と等対称だったんだね。結婚しないことによって2人はどこまでも対等でいられる…ともいえるんだなあ→ #とと姉ちゃん
→植物に囲まれて暮らしたい星野。家族に囲まれて暮らしたい常子。プロポーズを受けるって、常子が最も大事なものを最も望むやり方で大事にするのを諦めることで。当時も、現代ですら、それ(女性側が諦める)が普通って意識があるけど、互いに一番大事なものをとった結果ともいえるね…#とと姉ちゃん
「いい夫婦になれるかもしれませんね」は、常子なりに精一杯の気持ちを伝えたかったんだろうし、星野にとっては救われる気もするし残酷でもあったろうし。常子自身悲しみながら、同時に相手を傷つけてもいるという描写だと思った。#とと姉ちゃん における気持ちのぶつかり合いはいつもそう。
水色の手編みマフラー。って、いかにもお父さん(男性)へのプレゼントっぽいよね。#とと姉ちゃん
「とても真剣に考えてくれてありがとう」とほんとに「自分で考える」ことは褒める作品だよね #とと姉ちゃん
ととでもお姉ちゃんでもない「とと姉ちゃん」はととでもお姉ちゃんでもあるんだよね。「なんとなく決まった」とと姉ちゃんを命名したよっちゃんがとと姉ちゃんとしてのアイデンティティを確立してあげる展開に泣いた。なんか一周した感じかな。 #とと姉ちゃん
まだまだ子供だと思っていたよっちゃんの思わぬ成長と、そのよっちゃんからの感謝のマフラーをもらって、常子はとと姉ちゃんとしての居場所とやりがいをはじめて実感したのだよね。保護者としての充足感とまだやりたいという気持ち。「今は結婚できない」としか言えないよね…。 #とと姉ちゃん
常子は誰かの役に立ちたい、誰かを支えたい人だから、星野を支える為に一緒に行く選択肢だって本当はあるはずなんだよなぁ。でも、やはり家族を選んでしまう。自分は常子の一番にはなれないと悟った星野の「送っていきます」という言葉の強さ。常子のすべてを家族に返そうとしてるんだね。切ない。
美子には君子さんにも常子にも話をされる時はちゃんと居直って正面向かって聞く描写が重ねられていて、絶賛反抗期&わがまま末娘だしととのこと憶えてない発言もあったけど、でもあのととにこの娘感はばっちりある。だからマフラー渡しだしても違和感なく見れる。 #とと姉ちゃん
美子の末妹らしい反抗と常子の気負いが重なってお決まりの波風がたったところに、星野の素敵すぎるプロポーズ。今日の回は「どう生きるか」の選択を迫られた常子の悶々を表すように極端にナレ少なくだんまりと描写を重ねてく丁寧な回だった。歯磨き後頭部ドアップとかいいよね。 #とと姉ちゃん
すばらしかった。泣いています。物語と、高畑充希の女優力と、坂口健太郎の立派さを堪能しました。今週の充希ちゃんの演技ほんとうにすばらしかった、とりわけ今日は、私の中でベストオブ充希ちゃんになったかも。 #とと姉ちゃん
母と祖母の和解のため奔走したり、卒業して就職したり。いろんな節目があったけど、今こそ常子が羽化のときを迎えたんだよね。星野の力を借りて、本当の気持ち・本当の言葉にたどり着いた。両方は選べないことも知った。最後の深く長い礼に、感謝の深さと星野への思いの深さを感じた。#とと姉ちゃん
つらい別れのあと帰宅すると普段通りの賑やかな家。TLで「ささやかな日常がテーマ」(なのに云々…)という意見を散見していつも違和感があり、公式を確認したところ「ささやかな日常を守るために現実と戦い、様々な人と出会いながら人生を駆け抜けていく姿を描く」と書いてあった→ #とと姉ちゃん
→今は、姉妹+母の他愛ないおしゃべりや、賑やかで猥雑な森田屋が常子のささやかな日々の暮らし。このささやかな日常を守るため、一番大事なそれを守るため、星野との結婚は選べなかったのだよね。妹たちのためではなく、自分の大事なもののため。#とと姉ちゃん
「暮らしの手帖」のように日々の細やかな美しさを紡いでほしいのに…という意見が出るのはわかるけど、雑誌をよく知らずドラマを虚心坦懐に見てると、ドラマのテーマは何となくわかって。ささやかな日常は大事、ではなく、ささやかな日常を守っていくのは大変!だけど大事、なのでは #とと姉ちゃん
ささやかな日常に邁進したくても人生そう美しくはいかないんだよね。お金が要るし子供は成長する、人間怒ったり調子に乗ったり恋したりするし、世の中には先入観やシステムがあり戦争まで。その中で日常を守るには不格好に足掻いたり空回ったり間違えることもある、その奮闘を描いてる #とと姉ちゃん
それにしても、高畑充希の演技力は織り込み済みだったけど、坂口健太郎がこんなにすばらしい俳優さんだというのは驚きだなあ。お別れがさみしい。さみしいよ。そりゃ間髪入れずミッチー投入せざるを得んって話だ #とと姉ちゃん
「大阪の人は言葉が荒いから怖い」って、いかにも星野らしいけど、でも星野なら、荒く聞こえる言葉の奥の、その人の思いや本質がちゃんと見えるはず。とも思う。星野ぉぉ、お別れが淋しいよぉぉ #とと姉ちゃん
一番大事なのは家族。一緒にいて、妹たちの成長を見守りたい。「でも、星野さんとのお別れはつらい」。それも常子の本当の気持ちだよね。そちらも言葉にできて良かった。そしてそれを聞くのが君子でよかった。#とと姉ちゃん
「家族が大事。でも別れはつらい」その言葉と静かで深い表情から、どれほど考えて決断したかわかるんだよね。君子はそういう母親ではあるんだよね。今必要なのはもっとよく考えてとか何年かあとに大阪に行けばとかの言葉じゃなく、胸に抱いて泣かせることなんだって感じたんだろう #とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん とととの別れのときも、星野さんとの別れのときも、どんなにつらく悲しいときにも常子はきちんと靴を揃える。自分には何もできないような気がしたときに、どんなに些細なことでも「今、できること」があることが、それだけで心を少しだけ保ってくれたりするよね。
#とと姉ちゃん 気づいてなかっただけで、星野さんはきっと最初から常子のこと好きだったんだね。一旦はかっこ良く去ったのに、結局不器用に常子さんと列車から叫ぶ星野さんが愛しすぎて泣ける。
何かを選ぶのは何かを諦めることだと言われるのは嫌いだけど生きることにはどうしてもそういう面があって、自分もそうやって生きてきたんだと改めて感じて勝手に涙が出てくる。それは諦めじゃなくて納得と覚悟だったんだよねと常子の凛とした見送りの表情に慰めてもらったような。 #とと姉ちゃん
結果がわかってるなら言わないのが優しさという考えもあるかもしれないが、常子を悩ませても気持ちを伝えた星野の正直さが、常子を自分自身の気持ちに向き合わせてくれた。相手にも自分にも誠実に正面から向き合うのはしんどいけど一番の方法なんじゃないかと明るい気持ちになる。 #とと姉ちゃん
断腸の思いで選択せねばならない場面が人生には幾つもある。そしてそれは自分が考えに考えた末に出した答えでも、何かの節目には「選ばなかった方」の人生に思いをはせることだってあると思う。それでも答えを出した時点で自分に嘘をついていなかったならばその道は明るく照らされる筈 #とと姉ちゃん
あの別れの凜とした表情は「僕は寂しくない」と思おうとして出来なかった星野の裏返しで「私は私の決断に後悔していない」と星野に見せたかったんだよね。じゃないと送り出せないもんね。 #とと姉ちゃん
そして愛する人のため何もかも捨て、その経緯から清と常子の縁談に激怒して再び家を出た君子が「何もかも捨てて愛する人を選ぶこととは別の幸せ」を選んだ娘を抱きしめるの、優しい話だなと思いました。 #とと姉ちゃん の正解のない世界の幸福論はとても優しい。
星野に黙って頭を下げた常子も、それを見て常子さーーーんと叫ぶしかなかった星野も、「こうすれば聞こえないでしょ」と黙ってその胸で泣かせる君子も、至極泣ける。言葉にしたら真実にはならないような思いを、涙色の花束にして贈り合う様子が丁寧に描かれた週だった。 #とと姉ちゃん
とと姉ちゃん第60回。「僕が好きな常子さんなら、僕と結婚してくれない」という星野が言う矛盾は、(あのポスターで表現されているように)どこまで行っても捕まえ切れない常子という存在をよく表すセリフだし、今回のエピソードだったと思う。もし常子と結婚できたとしても、それは常子ではないのだ
今回のエピソードに限らず、どこまで行っても本物になれない、幸せにたどり着けない、人にわかって貰えない、問題が解決しないというのは、ドラマ全体に横たわるモチーフで、星野が常子に追いつけないように、常子はきっと「とと」に追いつくことはできない。でも、それでも追いかけ続けるんだろうな。
「どこまでも追いつけないもの」で連想するのはやはり「死」で、人間は自らの死を決して実感することはできない。「実感できる」というのは生きているということだから。でも、自分が必ず死ぬことは知っているという矛盾。オープニング含め死のメタファーも散見されるドラマだと思う。
しかし今日の回はストーリーもそうだけど印象的な画が多くて書ききれないほど。最初の頃に戻った感じ(笑) 個人的に良かったのは、仏壇の前で常子と君子が話すシーン。君子は後ろを向いていて顔は全く見えないが、その代わり横の襖に影が映っているという。表情ではなく影が演技をしていた。
早くも記憶が曖昧だけど(笑)、常子を抱きしめた時も君子の顔は映されていないのではなかったかな。さっきは「何物にも追いつけない」と書いたけど、時にはこうして人からわかって貰えたり抱きしめて貰えたり(捕まえてもらったり)する瞬間というのが、人生にはあるんだよね。
「どこまでも追いつけないもの」の代表、「死」の反対側にはやっぱり「夢」があって、叶わないから夢なんだけど、夢が実現することもある(でも実現した瞬間にそれは夢でなくなる)。夢を追うドラマは多いけど、『とと姉ちゃん』の場合は夢とは違った形で「追いつけないもの」を描きたいのかも。
なるほど、制作発表の時に「ヒロインが夢を追わないドラマです」って言ってたのはこういうことだったのか。なんか納得した(笑)
今日の回とても良かったので昼もとと姉ちゃん観てしまった。まあ、なんだかんだ言っても今日は高畑さんの演技に尽きる。ほとんど全てのシーンで常子の表情の微妙なニュアンスが見せ所だんもんね。結局は言語化できない何かを表現するのが映像作品だろうし。今日は映像クオリティが特に高かったと思う。
今日の回にしても、撮ってる時期は多分バラバラなんだけど、それを見る者に意識させない常子の演技の繋がりがあるんだよね。しかも自然だし。普段オーバーアクト気味にやってるのはこういう「勝負回」の為ってものあるのかも。あと、「本当の常子」に近いのは今日の常子ということと。
ととになる道からの解放はもちろんだけど、常子はこれで、女性として生きるべき道からも解放されたんだろうな。結婚し、子供を産み育てるというのも呪いと言えば呪いな訳で。 #とと姉ちゃん
高畑充希が何かの作品に出る時「焼き氷の唄よかったよね」「問題のあるレストランでの水着の長台詞よかったよね」というツイをよく見るんだけど、今週の、とわいけ今日の演技も、これからそんなふうに語り続けられるだろうなー #とと姉ちゃん
反省会タグは自分が好きじゃない作品であっても使いたくないし見たくないので、ワードミュートかけております。公式はこの機能が無いのでメインで使いたくないんだよね
アンチであるがゆえに、反射的な底の浅い感想を呟いてしまうものもあるけど、逆にこの作品のどこが嫌いなのか駄目なのか、好意的に観てる人よりも深く分析しすぎてて、あなた作品理解しすぎやでって感想の本末転倒っぷりは嫌いじゃない
「好き」を起点にしてるから読みこめる、ってのもあるけど、その逆もあるよね。裏を返せば、好きだから目が曇る(見えなくなる)こともあるし、嫌いだから目が曇るってこともある。たまに反省会見てると「そう見えるから嫌い」なのではなく「嫌いだからそう見える」んだろうなあ、という感想は多いかな
ま、何を見るか・見ないかも、見たものから何を受け取るも受け取らないのも、何のために見るのかも自由だもんね。自分は、何らかを得られるものを見たいと思うけど。得るって別に教訓とか道徳とかじゃなく、自分にとって意味があると思えるもの。萌えでもいいし批判意識でもいいし
別のことでフォローしてた人があさ来たで初めて朝ドラを見て半年間キャッキャ楽しくツイートされてたけど、とと姉ちゃんは全然ダメで今はRT含めて毎日何十件もネガツイの嵐されてるのを見ると、他人ごとながら朝ドラ沼に踏み入れたのはその方にとって良かったのか悪かったのか…?って気分にはなる
ま、そーゆーのが沼の深み、沼の楽しさかな。んで、好きでも嫌いでも見てぶつぶつ呟くのが朝ドラ沼。
ファンでも、批判でも、「沼」がささやかな日常の楽しみというか、日常にとってかけがえのないものになるんでしょうね。
#とと姉ちゃん反省会 という、「ささやかでかけがえのない日常」の場所なのですよね。感想の方向性は違えど朝ドラ沼の同志なのです
@tamic53 批判という方向性であってもものすごい熱量なので、順調に沼にハマっておられるのだな、おそらく次作もごらんになるだろうな、おそらく何年か経てば鍛えられた朝ドラ沼の住人になられるのだろうな、と。同志よ!と勝手に思いながら拝見しています^^
『夜中の薔薇』 向田邦子 - moonshine URL 戦時中は女学生。向田さんは、常子より少し年下で、トットちゃんより少し年上だったのですね。美子くらいの年代かな。 #とと姉ちゃん #トットてれび
星野からのプロポーズと別れは、とても悲しいんだけどまっとうした感じがすごくある。第1週、第6週、そしてこの10週と、叙情的で、ある意味わかりやすい結末でもある。これらの週の終わりに、ふだん賛否両論のタグTLが賛に傾くのは、美しい撮影風景や役者のすばらしい演技もあるが、やはり筋もあるのだと思う。「好きだけど別れるしかない」というのは普遍的なシナリオとして私たちの内面にあるってこと。理解しやすいのだ。
常子はとと姉ちゃんであることを自分で選んだ。星野の「本当の言葉」に刺激され深く内省して、自分の本当の気持ち・本当の言葉にたどりついたというのがポイントなんだと思う。「自分で考える」ことがとても大事とされている物語なんだけど、そこにはいつも(相手が意識的・無意識的にかかわらず)誰かの助けがある。そして自分で考えたことはとても尊重される物語。
今回も常子の選択に留保はなかったのだけれど、とと姉ちゃんとは何ぞやという問題には相変わらず結論が出ていないと感じる。それがアイデンティティであることは間違いないけれど、ポジティブな人生観なのか、はたまた逃れようのない「業」なのか。呪いでないことは今週で確実になりました。呪いと業とは似ているようで違うと思うのよね。
考えてみれば、簡単に結論が出ないのは当たり前。とと姉ちゃんとは何ぞや、とと姉ちゃんであることを選ぶ常子の人生とは何ぞやという問題は、常子がこれからもずっと、人生をかけて追い求めていく問題なんだと思う。誰の人生もそうなんだと思う。