『とと姉ちゃん』 第2週 「常子、妹のために走る」 ツイートと追記

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常子、鞠子が本役に代わってまだ一週間なのか!と驚くくらい私の中で馴染むのが早かった。

「丁寧な暮らし」がすばらしいのはわかるし私もかつてクーネルを愛読していましたが、同時に「丁寧な暮らしがナンボのもんじゃい」という気持ちもあるんですよね。なんかこう、宗教ちっくなものを感じるというか。いや、宗教は悪いもんじゃないんだけど、ああそうだ、「丁寧な暮らし=善」って考えに疑いの余地がない感じ、思考停止な感じがあったらイヤなんだ。

なのでととがいた初週が終わってから、美しい暮らしのフィルターが外れたような今の感じが逆に好き。同じように丁寧に暮らしてはいるんだよね。彼女たち。でも、生活らしい生活=所帯じみた感じがある。

「暮らしの手帖」だから「丁寧な暮らし教」みたいなドラマになったらちょっとなーと思っていたら、喪失や、持ち得ないものから端を発する創意工夫と、まっすぐな歩み(走り)が描かれるのには感動、そして今後への期待が高まる。これは、モデルの大橋さん本人の思想からきてる作劇なのかな?(OPクレジットに資料提供だったかな?大橋さんの名前もあるもんね)

玉置三兄弟、いいキャラだったと思うけどなー。そら、特に美子はつらかったわけだけども、美子の苦しみの源泉は「自分だけにととがいないこと」であり、常子の悩みの源泉は「とと姉ちゃんは、ととに、そして男の家長になんかなれない、私は無力」であって、それらとの対峙を具現化する一助が玉置三兄弟。

いじめは悪いとか、好きだったらいじめていいわけじゃないとか、TLでは割とそういう話になってて、それは正論なんだけど、なんかちょっとズレた議論のように思えた。それらの主張の元を辿ると「正しくない奴(が爽快にやっつけられない)をドラマで見るのは不快」になるような気がするからかな。かかを頼りない、(遺族援助を悪びれもせず受け続けて)図々しいという意見についても同じく。

ま、感じ方はいろいろなわけですが、私はそのように感じましたという話です。