『とと姉ちゃん』 第2週 「常子、妹のために走る」 ツイートと追記
#とと姉ちゃん 「ザ・朝ドラの戦前の女学生」という感じでなくかなりナチュラルな芝居なのにちょっと驚いた。充希ちゃんだけでなく他の子の芝居もそうだし、脚本も。先週とはガラッと変わった印象。
#とと姉ちゃん 面白い(時にやや寒い)こと言う常子。超優等生の鞠子。笑顔を失った美子。それぞれ少しずつ、頑張りゆえに無邪気さを失ったようで、でもがんばってるのすごいよねとも思え、いや4,5年経てば特に子どもは変わりもするだろう…って程度にも感じられるし、胸がざわっとした月曜日。
#とと姉ちゃん 君子が遺族援助を受けながら検反の仕事してるの、史実かもしれないけど、すごく現実的な設定でこの作品らしい。いま昭和10年、これから世の中厳しくなったら…って不安も匂わせつつ。
#とと姉ちゃん これ以上増えない父親との思い出。「話せば減るもん」このセリフひとつで、この脚本家の持つ繊細な感性が浮き彫りになる。父を亡くした幼い子に寄り添う同じ高さの優しい目線、さながら竹蔵が子らの話を聞く時に屈み込んだような。
#とと姉ちゃん 週の初めで、消防訓練。いわゆる「男の力仕事」の提示。いよいよ今週から「父であることは、男であることと同義か?」が問われるんだと思う。おそらく、今後この作品の中で繰り返し。父性って何ですか?という問いかけが物語の主柱なのは朝ドラとしては多分異例のものだと思います。
RT 朝ドラは手を変え品を変え「女性が社会の中で生きていくこと」を描くものだから、ジェンダーの問題は避けられない。特に前作では応援するていをしながら、かなり杜撰に、罪深ぁく扱った部分だと思っているので、西田さんがどのように描いていくか楽しみ。
宇多田ヒカルも、半年間どんな場面が紡がれる日にも繰り返し聞かれることを前提に、抑制のきいた曲を作ったんじゃないかなと思う。でも先週のラストで主題歌が流れ出したら、うわー盛り上がる盛り上がる! ドラマの格を上げるクオリティの高さ… #とと姉ちゃん
スタパで充希ちゃんが主題歌どうですかと聞かれて、「正直、今日(初日)流れるまで半信半疑だった」と答えていたのが面白かった。あのスタパ、全部見たわけじゃないんだけど、ごちそうさんで出演したときと随分トークの印象が違ったな。充希ちゃん。 #とと姉ちゃん
諸々しんどいねどーしたもんじゃろのう…からの激しい鐘の音、火事の炎に立ち尽くす常子の表情(黒目!)、一転して静かな水面。という構成にぐーっと引きこまれた。あの炎に、いまだ少女な常子はどうやって対峙するのだろう、土曜日までに何らか、1つの答えが出る。楽しみすぎるやん #とと姉ちゃん
「とと問題」が一貫して、社会の問題であり、それが常子個人の問題になっているという描き方なのがいいと思う。家族は誰も常子にととを求めてない。それぞれに悲しみや問題を抱えつつ4人で助け合い支え合って暮らしてる。でも女世帯の弱さ・寄る辺なさは、社会では確実にある。#とと姉ちゃん
たとえ竹蔵に頼まれなくても、あの素敵な父がいなくなり、社会における女世帯の弱さを知った時、常子は燃え盛る炎(という茨の道)を正視し、自分で深く考え、行動する性質の人間として描かれてると思う。父の頼みは確かにエゴ入ってた。でも呪いとはちょっと違うような。 #とと姉ちゃん
竹蔵の頼みは確かにむごいけど、むごさ込みで、今際の際に己の大事なものや心配事に執着する人間の業を描きだしてたと思う。愛情や願いとエゴや執着は紙一重であり、1つの物事のそういった多面性を丸ごとぶつけあったり受け止めたりしながら人は生きてる。それが物語になるんだと思う #とと姉ちゃん
常子の「ととになる」抱負は、「家庭や社会において父/男とは」とか、「でも自分は女なんだ」に直面し考えることに繋がる。ととになる必要はなくても、ととになれなくても、それと正面から対峙して挫折し成長しながら生きていく。竹蔵は常子に相応しいテーマを与えたようにも思う #とと姉ちゃん
今週のクライマックスは町内運動会っぽかったよね。そんなザ・朝ドラな顔して、ヒロインの環境と内面とをしっかり描いて(性差の問題を含んだ)普遍的なテーマに昇華していけたらすごいぞ。ずっと朝ドラを書きたかったという西田さんの並々ならぬ思いを感じるなあ。#とと姉ちゃん
鞠子の賢さ、かかの包容力もとても大切な要素だけど、二人は受動的だ。それも生き方のひとつではあるけれど、受け続けるだけでは、後ろ盾もない女4人という最弱の小橋家は幸せになれないだろう。だから、ととは常子の発想力と行動力にととの代わりを託したのじゃないかな。 #とと姉ちゃん
→役割を受忍し、ことを荒立てず、賢くあしらいつづけてきて、今の日本の女の人の無理ゲーぶりや、庶民の生活のひっ迫があるんじゃないかと思うので、受けるだけではダメなんだよねとホント思う。 #とと姉ちゃん
まだ社会にも出てない常子の直面する女としての現実のイバラ度の高さなあ。常子は女子としてはリーダーシップもとれるしクラスでも人気者だし家でも頑張ってるけど、それはあくまで女学生として、なんだよね… #とと姉ちゃん
火事のシーン #カーネーション で糸子が喧嘩に負けて勘助に助けられるの思い出してちょっと泣けた。稼ぎもない、火事では役に立たない、妹も助けてやれない。ひとつずつは別のことなのに全部「自分のいたらなさ」「女という理不尽」にかかってくる。常子、がんばってるのにね… #とと姉ちゃん
「とと姉」は「とと(男)」と「姉(女)」のハイブリッドだから「ととそのもの」になる必要はないっていうの、もっと後にやるもんだと思った。展開早いな。 #とと姉ちゃん
しかし女性が男性代わりになろうとして突き当たる世間の壁と、空回りするヒロインのウザさ健気さを本役2日目できっちりお話にまとめてくる「#とと姉ちゃん 」いいよー。こういうの何ヶ月も見てなかったからねえ、9回転んで10回どうこうとか空疎なセリフばっかり聞かされててさー
ととの代わりをしてほしい…というのは、ととの呪いでもなんでもなく、常子なら自分で考えて行動することができるよという意味だと思う。下手に最初から「やわらかい心」を持とうなんて思わず、今の常子は「ととならどうする?」といっぱい悩んで考えていいんだと思うな。#とと姉ちゃん
これから先の人生「所詮女のくせに」と言う言葉を常子は幾度言われてしまうのだろうか。川面を見つめながら、その試練を思い不安に押しつぶされそうになりながらも、ととならどうするかと必死で考え常子らしい決断をするのではないかと凛とした眼差しを見て感じたよ。#とと姉ちゃん
時代考証や方言指導がいかにしっかりしていようが、あさが来たは異世界ファンタジーで少女漫画で、お姫様が男たちにかしずかれつつ冒険を楽しむ夢物語だったなあ。とと姉ちゃんは現実的。可愛い女の子が、男と同じ活躍をするなど、無理だし受け入れられないし誰も助けてくれない。さあ、どうする常子。
1週目の美しく丁寧な暮らしが消えてしまった…と残念がるツイを見るけど、あれはととと共に消えるの前提で描かれていた「美しすぎる日常」で、あの頃と同じ日課をこなしてても、どうしようもなく立ちのぼってくる今の所帯じみた感じが私は好きだし、それが生活だと思う。 #とと姉ちゃん
なんか、美しい調度品とか、気品ある暮らしとか、いろいろなタイプのイケメンとか、気恥ずかしくなるようなラブラブとか、綺麗なカタログみたいなものを求められる枠になるのかな。朝ドラ。「朝だから、汚いものやしんどいものは見たくない」の延長線上で。
素敵な生活が素敵なんじゃなく、生活にはごみの分別や生活費や誰が排水口の掃除してると思ってんだとか煩雑さがつきまとうもので、でもそれを含めた中で大事なものが築かれてたり、奇跡みたいな瞬間が訪れたりするのが生活の素晴らしさで、物語ってそういうのを描けるんじゃないかなと #とと姉ちゃん
個人的には、とと姉ちゃんが傑作でなくても全然いいやって気持ち。綺麗を優先した結果キモチワルくなる朝ドラでなければ。固有の物語を描こうとしてる朝ドラなら。その姿勢が一定の支持を集めて、あとに続いていくといいなという点では、良作だと有難いんだけど。
運動会が、美子に笑顔をとか、男性に負けずに一等賞をみたいなのだけじゃなくて、「米俵」という「形あるもの / 生活の糧」がまず第一、なネタになったのが面白いし、そうこなくっちゃねと思う。生活って、生活の糧を求めることから始まりますよね #とと姉ちゃん
@ofuku_chandayo 踏切板!すてきな表現ですね。ふわふわ浮いてるんじゃなくて、沈み込んで飛び上がる、思いきり走って蹴り上げる物語が見たいです。
2016-04-13 10:35:32 via Twitter Web Client to @ofuku_chandayo
#とと姉ちゃん それにしても、仕事があってそれなりに収入があって家族がそろって食事が出来て子らは学校に行けて…等々の普通で当たり前とされていた生活が難しくなりつつある現代日本において、この日常の大切さを訴えるドラマが出て来てるというのはなんか皮肉に思えたり切なかったり。 :-)
#とと姉ちゃん 真顔で富士山富士山言いながらまっすぐ前見て二人三脚w 「ちょ、いきなり富士ファミリー始まった? てか絵面w」と笑いながらちょっとじんときた。無力で悩んでて頭ぐるぐるで憤って、でもいったん全部おいて一歩ずつ無心で走った常子。と、ある意味常子以上に闘志を燃やした鞠子。
#とと姉ちゃん 元に戻そうとして3姉妹の名画(for とと限定)が生まれ、花見ができなかったから布で満開の桜を作り、ととの代わりにツネマリが走った。全部、喪失から始まるんだな。本物は取り返せない。結果はニセモノ。でも、ないものを何とかしようとする過程があるから結果が尊く思える
喪失や、手に入らないもの(男という世間的肩書とか体とか)を描き、それと向き合い考えて行動する過程を描く。そういうドラマなんだなあ、とと姉ちゃん。過程はすっ飛ばし気味で、楽しく美しいものを並べた前作と対照的。全然違う作風が直後に始まるって面白いなあ。そういうとこあるよね、朝ドラ。
君子も竹蔵と同じく子らを1人の人として尊重しているから、常子の「ととになりたい」を頭から否定しないで見守り、必要なら一緒に走る。学校には行かせる。「ととはとと。とと姉ちゃんは…」の言葉がけの絶妙なタイミング! でも君子も完ぺきな人間じゃない、まして生活が苦しければ。#とと姉ちゃん
自分で勝って米を手に入れつづけることと怪我したライバルの手当てをすることは常子として一貫した行動なんだけど、玉置長男的にはどうかな?というのがちょっと苦い。玉置兄弟は男社会の象徴っぽいとこあるからねー #とと姉ちゃん
RT 玉置兄弟はガキだから正面きって絡んでからかっていじめてたけど、何年かすれば多分、運動会に来てた父親のように、まじめに働いて妻子を養う当時の「まっとうな社会人男性」になると思う。世間の風・男社会の象徴だから。で、きっと、大人には大人の世間の風があるんだよね今後。#とと姉ちゃん
女だから無理だ、走るの嫌いだから無理だ…いろんな理由をつけて諦めそうになる小橋家を、常子はチャレンジ精神と前向きな力で、お米のためによっちゃんのために、一歩一歩着実に家族をひっぱっていった。常子は小橋家の立派な #とと姉ちゃん だ。
イージーに一位にならなかったのがよかった。無心に一歩一歩足を前に進める様子は、ととの毎日の暮らしを大切にすることそのもので、それはそのまま人生になる。誰かを負かすためにがんばるんじゃいし、一位じゃなかったらダメなわけでもない。その尊さは美子にも伝わったね。 #とと姉ちゃん
いじめ自体はどんな理由でもよくないのは大前提として、個人的には好きだからいじめてたんじゃなく、気に入らないからいじめてたのを覆す展開の方がいいな。常子と鞠子の頑張りで、兄弟の価値観を変えたってことで #とと姉ちゃん
玉置三兄弟というキャラクターを使って、世間の偏見や当たりの強さを描くと同時に、でも頑張り次第ではひっくり返せることもあるんですよ、というのを見せたかったんだと思う。
実は二人三脚で姉妹が玉置兄弟に勝つとは思ってなかった。身体的に無理だけど他のことで勝つ(力では勝てないが女性なりの知恵で)みたいな展開になるのかと。でも、富士山!富士山!で疾走するシーンを見て、小橋姉妹は真っ直ぐに走っていくんだなと思ったよ。 #とと姉ちゃん
ととはとと、とと姉ちゃんはとと姉ちゃん。凄く良い言葉だ。どちらの立場も意思も尊重しているし干渉はせずとも親が子供を見守るってああいう事を言うのだなあ。絶妙な距離感に唸る。君子さん良いかかだわヽ(;▽;)ノ #とと姉ちゃん
今日のとと姉ちゃんから。#とと姉ちゃん #とと絵 URL
常子と鞠子が無心になるためにつぶやきつづけた「富士山」は、こうありたいという理想、矜恃なんだろうな。それを心に持って、一歩一歩前に進むのがととが残した生き方であり、小橋家の理想郷なのだろう。 #とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん のTLに、膝を打つ感想や考察がいろいろあってとても面白い。Twitterがドラマ見る楽しみを増幅させてくれる作品がまた。
(・・・と思ってたら、前作のファンの方々から、とと姉ちゃんの脚本が浅いとか雑とかいうツイートもあり、人の感覚は本当に人それぞれです。)
(イケメンがいない、贔屓の俳優が・妖精がいない、ラブがない、画面の華やかさが・・・という理由でノレないのは私にとって理解の範疇なんだけど、そうか、この脚本が浅く見えるのか、と・・・。まぁ、ザ・朝ドラな顔してるからね。。。 SNS見てるとホント面白いですね。小さな宇宙。)
私としては、「素敵な男はん選り取りみどり・素敵なラブ満載」だった前作の直後、ととがとっとと退場して、ひとまずイケメンキャラ・萌えキャラ不在で、ストーリーとテーマ・作家性で進んでいく今作の現状は対照的でとても面白いと思ってます。TLを読むのも含めて、ギャップが面白い。
「とととかかの二人三脚」ではなくて「常子と鞠子の二人三脚」になったよね。「とと」そのものに成り代わるのではなく小橋三姉妹の長女としての「とと姉ちゃん」。だから姉妹力を合わせるのが正解なんだ(T_T) #とと姉ちゃん
RT ああ、そういうことなんだね! だから最初は、常子とかかとの二人三脚だったんだ。とととかかの二人三脚を模して。そこからの、とと亡き今は、常子と鞠子の二人三脚が、美子を元気づけるっていうことなんだ。ああー、よく考えられてるなあ。#とと姉ちゃん
とと、名画、桜、米一俵。喪ったものや本物、手に入らなかったものとその代用品の「代用品だからこその大切さ」は「戦後ものの手に入らない時代に素敵な暮らしを雑誌で発信する意味」にかかってくるのかなあ。そして代用品というと #ごちそうさん 思い出すねえ #とと姉ちゃん
RT そ、そういうことだ・・・! 戦争でみんなが何もかも失くした世の中、何もかもが得られない世の中に、「素敵な暮らし」を発信するんだ。ととを亡くして都と姉ちゃんとして生きてきた常子が。鞠子と美子も一緒に。うわー、ドキドキしてくる。#とと姉ちゃん
@mela_verde 玉置三兄弟へのタグのアレルギー反応に注目。同じくです! もちろんいじめや揶揄は良くないですけど、この数日の描写でそこまで憎む?!と。かかを頼りない、援助もらってるのに肩身狭そうにしてない等のツイも少なくなく、物語じゃなくて道徳を求めてるのか?と思ったり。
長女と次女の二人三脚は、ととと子どもたちという垂直関係と違って水平な協働関係なんだね。親と子という垂直な「とと」になるのではくて、次女と二人三脚で走れるような「とと姉ちゃん」になればいい、ということを描いているのだな。それを理屈じゃなくて映像と動きで描くのがドラマ。#とと姉ちゃん
福岡でも昼ととは放送されたので録画を見られたわけですが、日を追うごとに面白くなってきてうれしい。
常子がヒロインだけれども、鞠子も美子も、そして君子も、それぞれが生き生きと、そして切実に動いてて、失敗しても、滑っても、空回りしても意固地でも、お妾でも、4人みんなをゴーゴー!と応援したくなる、うまくいけばうれしいし、悲しい展開は一緒に泣く感じになってる。 #とと姉ちゃん
そして、俳優りーさんを「演技がんば!」と応援しようと思ってたのに、2週目にして鉄郎おじさんが可愛く思えてきた…。徹底的に役に立ちそうにないけど気はいい奴なんだ。#とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん 、昨日と今日分観たけど本当に楽しいな。アホ三兄弟の長男が陥落したけど、陥落する前はやっぱり恋心すら抱いてなかったんだね。で、恋に落ちたら意地悪しなくなるのがよかった。好きだから意地悪するなんて、された方はたまったもんじゃないし、長男も哀れだからなあ。
美子の「めかけってって何?」からのムカイリの「うーん?!」の返しが非常によかった。本当に上手になったよ…!ほんと、のだめの時に初めて観た時は一体どうしたもんかと思ったからね…。あと何度も言ってるんだけど、彼はスマートな役よりも、モッサい役の方が断然いいです。 #とと姉ちゃん
鉄郎おじさん、一応、貴重な成人男性の親戚なのに、まだ子どもである常子鞠子にまったく頼りにされてないからね。でも蛇蝎の如く嫌われてるわけでもなく”しょうがない叔父さん” 扱いの温度感なんよね。夜道に後ろからついてきてくれるとちょっと安心、ぐらいの役立たなさ。おかしい #とと姉ちゃん
手を合わせ、1日が無事に過ぎたと鉄郎に報告してから、忍び足で子どもたちの寝顔を見に行ってた君子。社長援助があったとはいえ、3人の娘を一人で育てる重圧はたまらなく大きいと思う。天然で、常子に頼るとこもあれど、不安に押し潰されそうな夜が幾つもあっただろう、これまで。#とと姉ちゃん
竹蔵が常子に呪いをかけたとか、玉置三兄弟は手ひどい報いを受けるべしとか、君子が平然と援助受けてきたのが図々しいとか君子の頼りなさのしわ寄せが娘たちにいってるとか、そして、そういう描写を見るのがしんどいとか不快とか、割とそういうツイを見る。これはTwitter特有の傾向なのかしら?
なんだろなー、よくできた親に、瑕疵の無い好ましい環境で育てられ、誰にも不当に傷つけられることなく過ごせれば、それは素晴らしいことかもしれないが。そうじゃないパターンへの許せなさがものすごいんだな…って感じたりする。Twitterだからかもしれんけど。
「人に迷惑をかけちゃいけない」っていうけど、竹蔵も言ってたけどさ、でも生きるって迷惑をかけたりかけられたりする面があると思うんだよね、どうしても。傷つけたり傷つけられたりしながら生きていく。ある程度それを許容し合うというか、それに堪え得る強さを人は持ってると思うんだよ基本
人に迷惑をかけないように。子どもに悪影響を与えない親であるように。決して誰かの心を傷つけることなく、不快に思われることなく生きられるように。そこを目指しすぎると閉そく感と排他性につながっていかないか?と
#とと姉ちゃん 地震で放送が飛んだ12話を見た。これがTLで見たハト姉ちゃんか、と(笑)。息子5才、鳩を捕まえる話が出た途端、「どうやってつかまえるんだろう。あみでエイッて?それか、さおのさきにエサをつけて、さかなつりみたいに…」と思案し始め、網→罠と頑張る常子たちをめっちゃ応援
#とと姉ちゃん 運動会で二人三脚とか、小さい妹が熱とか、鳩を捕獲とか、およそドラマチックでない小さなエピソードが続くんだけど、そういう「いかにも朝ドラ的」なエピにどんな意味合いを持たせ、それを積み重ねていくかをすごく考え工夫されてる脚本で、西田さんの朝ドラ愛が光るなあと
朝ドラのテンプレを大事にした上でどれだけ固有の物語を紡げるかにチャレンジしてるような。だからサラッと見ると「いかにも普通の朝ドラ」かもだけど、それぞれ意味を練られたエピソードの丁寧な積み重ねは徐々に効いてくるんじゃないかなと。単純に三姉妹のやりとり楽しいしね #とと姉ちゃん
常子、鞠子が本役に代わってまだ一週間なのか!と驚くくらい私の中で馴染むのが早かった。
「丁寧な暮らし」がすばらしいのはわかるし私もかつてクーネルを愛読していましたが、同時に「丁寧な暮らしがナンボのもんじゃい」という気持ちもあるんですよね。なんかこう、宗教ちっくなものを感じるというか。いや、宗教は悪いもんじゃないんだけど、ああそうだ、「丁寧な暮らし=善」って考えに疑いの余地がない感じ、思考停止な感じがあったらイヤなんだ。
なのでととがいた初週が終わってから、美しい暮らしのフィルターが外れたような今の感じが逆に好き。同じように丁寧に暮らしてはいるんだよね。彼女たち。でも、生活らしい生活=所帯じみた感じがある。
「暮らしの手帖」だから「丁寧な暮らし教」みたいなドラマになったらちょっとなーと思っていたら、喪失や、持ち得ないものから端を発する創意工夫と、まっすぐな歩み(走り)が描かれるのには感動、そして今後への期待が高まる。これは、モデルの大橋さん本人の思想からきてる作劇なのかな?(OPクレジットに資料提供だったかな?大橋さんの名前もあるもんね)
玉置三兄弟、いいキャラだったと思うけどなー。そら、特に美子はつらかったわけだけども、美子の苦しみの源泉は「自分だけにととがいないこと」であり、常子の悩みの源泉は「とと姉ちゃんは、ととに、そして男の家長になんかなれない、私は無力」であって、それらとの対峙を具現化する一助が玉置三兄弟。
いじめは悪いとか、好きだったらいじめていいわけじゃないとか、TLでは割とそういう話になってて、それは正論なんだけど、なんかちょっとズレた議論のように思えた。それらの主張の元を辿ると「正しくない奴(が爽快にやっつけられない)をドラマで見るのは不快」になるような気がするからかな。かかを頼りない、(遺族援助を悪びれもせず受け続けて)図々しいという意見についても同じく。
ま、感じ方はいろいろなわけですが、私はそのように感じましたという話です。