集団的自衛権についての閣議決定から派生して思う

7月18日の西日本新聞に載っていた論説。

集団的自衛権の解釈を変更し、行使を容認するという閣議決定がなされたのは、W杯開催中の出来事だった(もっとも日本はもう敗退していたが)。facebookTwitterという、もっともポピュラーなSNSを両方やってて、かなりよく見てる(自嘲w)私。この件に関しての意見はいろいろRT(Re Tweet、拡散)されてきてた。

とはいえ、個人が目にするものなんて限定的なのだけれど、ある程度、意識的に見ていても、いくつかの新聞記事ほど説得力のある、論理的な批判を、ネット上で見ることはなかった。

私が、この件で最初に違和感を覚えたのは、そして今ももっとも腑に落ちないのは、「なぜ、閣議決定で決めてしまえたのか?」ということ。憲法解釈については、長年、論議の対象になっているけれども、何はともあれ国の最高法規なのだから、変えるなら国民投票だよね、というのが前提として共通認識されていたはずだ。特に、こういった、戦争放棄にかかわる条項については。だから、安倍政権も、まずもって国民投票のシステムについてさだめた憲法の条項を変えようとしていた。

国民投票というシステム自体が正しいかどうかもまた議論すべきところだが、とにかく、厳重な手続きを経るべきものであることは明らかなはずだ。

それが、たかが内閣で話し合っただけで、ひょいと変更してしまうとは。

集団的自衛権行使についての是非以前に、上位の法を、下位の組織で勝手に変えてしまった今回の件が、ひとつの前例となって、今後、あらゆる問題、あらゆる法に適用されてしまうのではないかという恐れを感じる。秘密保護法のときも、「まだ世論は熟したわけではないのに」と思ったものだが、今回は明らかに、あのとき以上に、横暴なやり方だ。それでも、結局、誰も抑止できなかった。怖い。


私が感じた「歪み」について、この記事は、的確に文章化してくれた。そうだ、「批判勢力の衰退」ひいては「民主主義の危機」だ。

新聞は必ずしも公正なわけじゃない。それは当然のことだ。というか、我が家とて現状、特定の新聞を定期購読はしていません(爆)。

それでも、こういったときに、良識的で、教養に裏打ちされ、論旨のしっかりした文章が、これほど安価に、国民のほとんどが入手しやすい形で読めるのは、やはり新聞だと思う。

同時に、この程度の文章ですら「長い」「難しい」と感じる大人が増えているのもまた、事実なのかなあと思う。それこそが、私たちが迎えている危機の根底にあるのではないか、とも思う。

世論が熟していない状態ですら、重大な法案が通ったり、謎の閣議決定がなされる世の中だが、論理的な文章を読んだり、論理的な思考力を行使することを放棄しがちな、感情的で近視眼的な市民の世論を扇動することなんて、簡単なことなんじゃないか。ナチスヒトラーだって、ドイツの民衆に支持されて大きくなった。

以下、当該記事のすべてを引用。

長年に及ぶ国会論戦と国民的な合意形成によって定着していた憲法解釈が、あれよあれよという間に密室の与党協議で変更され、今月1日に閣議決定されてしまった。


集団的自衛権の行使容認へ至る一連の論議と決定のあり方を振り返って痛感させられるのは、「批判勢力の衰退」あるいは「批判精神の欠如」とでもいうべき議会制民主主義の深刻な問題である。


まず第一義的に役割を問われるのは野党、とりわけ第1党の民主党だろう。安倍晋三政権による解釈改憲には反対だが、集団的自衛権の行使そのものの是非は判断を棚上げしており、政府や与党を追及する迫力を決定的に欠いた。


これは「巨大与党」対「少数野党」という数の問題ではない。基本的な政治姿勢の問題である。憲法が絡む重大な国政のテーマで争点を鮮明にできなかった以上、野党第1党として「失格」の烙印を押されても仕方あるまい。


自民党の党内論議も驚くほど低調だった。閣議決定案を追認した総務会。「憲法改正が筋だ」とまさに筋論を述べたのが村上誠一郎元行革担当相らほんの数人だったことは、その象徴だろう。党内に多様な主義主張が混在して多事総論を繰り広げる・・・そんな国民政党としての「懐の深さ」を今の自民党に求めるのは、もはや懐古趣味なのだろうか。連立合意にない行使容認へかじを切った公明党も「平和の党」という看板が揺らいでしまった。


ある特定の方向へ政治が一気呵成に突き進もうとすれば「待った」をかけ、たとえ少数でも意義を申し立てる。民主主義のいわば基本動作が機能不全に陥っているように思えてならない。現実の政治的決定と国民の意識(世論)との乖離は、そんな「不具合」から生じるのではないか。


閣議決定後に共同通信社が実施した世論調査で行使容認に反対する有権者は54%と半数を占めた。「検討が十分に尽くされていない」と拙速を戒める声は82%に及んだ。

昨年12月に採決の強行を繰り返して成立させた特定秘密保護法と同様に、国民の懸念や不安はまたも置き去りにされたと言わざるを得ない。


健全な批判勢力とは何か。このことが、与野党の別なく日本の政治のあるべき姿として問い直されていると思う。

7/18西日本新聞 論説委員会 水江浩文