『言葉を育てる − 米原万里 対談集』(感想 1)
- 作者: 米原万里
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2008/09/10
- メディア: 文庫
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●「単純化という落とし穴」「分かりにくさが引き出す読み手の能動的力」
米原: 分かりやすさには単純化という落とし穴もある。複雑なことを複雑なまま、しかもわかるように書くには、その分野の知識だけでなく広い周辺知識が必要になるしね。それに、分かりにくさが読み手の能動的力を引き出すこともある。
ロシア語通訳として活躍した米原さん。政治、経済、科学、文化・・・あらゆる分野の学会や会議、シンポジウム等で仕事をするため、その都度、その分野の猛勉強をしてから臨んでいた。エッセイ集が売れて文筆業の依頼が多くなると、勉強のための時間が取れなくなったため、通訳は「もうできない」と感じたという。
私たちは、ややもすれば、「分かりやすさ」だけを重視する。そのなれの果てが、小泉元首相が繰り広げた劇場型政治だったり、ワンフレーズポリティクスだったり、総選挙の前にTwitterで数多くリツイートされていた「候補者がいろいろなバラエティー番組中でちょっとずつ演説する時間をもうけたらいいのに」なんて意見だったりするんだろう。上記の米原さんの言葉は、何かを知ること、本当に理解しようとするときに、「複雑でも理解したい」という熱意や能動性が必須であることを示している。「単純化という落とし穴」「分かりにくさが引き出す読み手の能動的な力」。ほんとに、いい言葉。
●羅列型の日本、論理型のヨーロッパ
米原: 私、通訳していてわかるんだけど、日本の学者はロジックが破たんしているのが多いんです。基本的には羅列型が多いんです。それでヨーロッパの学者は非常に論理的なんです。論理とは何かというと、記憶力のための道具なんですよ。物事を整理して、記憶しやすいようにするための道具。ところが、紙が発達した国は紙に書くから、書く場合には羅列で構わないんですよ。耳から聞く時には論理的じゃないと入らないんです。覚えきれないんです。
糸井: おもしろいなあ。
米原: だから、日本人とか漢字圏の紙が豊かな文化圏の人たちの脳というのは、視力モードなんですよ。ところが、ヨーロッパ圏の人々は聴力モードなんです。耳から入ってくるものにより敏感に反応して、より覚える脳になっているんです。製紙業が始まったのは中国ですよね。それで日本も非常に紙が豊かな国で、試験もほとんどペーパーテストですよね。それで、考えをまとめたりするときにすぐ書く。ところが、ヨーロッパでは、紙はものすごく高価だったんです。ほとんどの人は紙を使えないわけです。授業で生徒が紙を使うなんてぜいたくだった。そうすると、紙を使えない人はどうするか。なるべくたくさん覚えなくちゃいけないわけです。覚えるためには論理が必要なんです。論理とか物語とか、そういったものがないと、大容量の知識を詰め込むことはできないんですよ。だから、論理が発達するんですね。
確かに、北京五輪の開会式で「中国の歴史」みたいなのが上演されているとき、「製紙の歴史」を大々的に、誇らしげにフィーチャーしてる部分があったと記憶している。羅列型の日本は稚拙、論理の発達したヨーロッパはエラいと単に断じるのではなく、なぜそうなったのかといえば「紙があるかないか」と歴史的経緯を加味して語ることで、ひとつの事象や分析も、見え方ががらりと変わる。奥行きが出てくる。こういう見方をしていると、次には、「なぜ紙があるかないかにそんなに差があったのか?」という疑問が生まれてくる。すると、木を育てるための地形の差、気候の差なども俎上に上がってくるだろう…。
また、今の日本の子どもたちが数学等では世界各国の後塵を廃しているという調査結果や、一方で、日本人はブログやらメールやらtwitterやらが大好きで、かつてないほど文字を読んだり書いたりしている、という分析も思い浮かぶ。これらも、論理型ではなく羅列型、という性質が表出した一例かも。
ちなみにこれは2002年に行われた対談である。「糸井」が入っていることでわかるとおり、「ほぼ日刊イトイ新聞」での連載のために設けられた席。この対談集に入っている様々な対談の中でも、一、二を争う面白さだと思う。糸井重里の「対談能力」はやっぱりすごい。