『八重の桜』 第47回「残された時間」
オダギリジョーいい!いいなあ!!と再確認の回。「隠し事は困ります」で八重さんに真実を打ち明けられてからの「かわいそうに…。驚いたでしょう、一人でそんな話を聞いて」の微笑みも良かったが、「死が私に追いついてしまう!!」等、激昂からの「種を蒔かなければ」の横顔…! あれはキリストを意識したカットだったのだろうか。
演技ってセリフ回しや仕草や…いろいろな総合体だと思うんだけど、なんといってもオダギリさんの表情というか、存在自体がすばらしい。オダギリさんはドラマで主役を張ると視聴率的にふるわないことが多くて叩かれがちだけど、こういうシーンを見ると「映画俳優ってすごいな」と震える。今パッと思いつく限りでは、加瀬亮とか、宮崎あおいとかもそのタイプかなあ。たたずまいが文学的。存在感に説得力があるんだよね。稀有なことです。
生気のない貌に微笑みを浮かべての「いってきます」のあとで流れた予告、「グッバイ、また会いましょう」で思わずウルッときてしまったよ…。
と、頭の半分で感動しつつ、もう半分では「だのに何でこんな脚本なんだよ!」と憤ってたわけなんですが(笑)。
役者にこれだけの演技をさせながら、脚本なんだかPだかわかりませんが、この作劇はやっぱりあんまりだと思うでありますよ。
東京での募金集会、「国家を作るのは人材です。○学部、○学部、そしてサイエンスも…でも学校にはお金がかかります」。どーしてこんなヘボ演説なの?! いくら体調悪いからって、アメリカでの演説の1%以下の出来っておかしいやろ。「国民之友」への寄稿、その中身をドラマで取り上げてちょーだいよ。実物がちゃんと残ってるんでしょ? 「日本の将来を憂えている」って蘇峰くんに一言でまとめさせるとは何たる手抜きだwww
周囲の人間たちに「すごいすごい」と言葉でアゲアゲさせるんじゃなくて、視聴者に自然と「新島襄の偉大さ」を思わせるのがドラマだと思うんだけど、それがないんだよね…。今作に限らず大河では割とよくあることではあるが、オダギリさんのこの演技を見せられると、新島またはオダギリさんに恨みでもあんのか!?てぐらいの扱いだと思うよ。同志社関係者もオダギリさんファンももっと怒っていいよ。
極めつけは八重の「大学なんて他の人でも作れる」発言。ポカーン。や、「夫の命>>>大学」って優先順位を示したいんだってのはわかるよ。当然の気持ちだと思うよ。だけど、「それを言っちゃぁおしまいよ」的な気分にさせられたのは私だけ? ここに至って襄の存在意義・全否定やん Σ(゚д゚lll) なぜ、そんな言い回しをわざわざ選んだ?
「夫の仕事を心底尊敬し、理解しているけれども、非常事態で出た妻の本音」って感じのニュアンスに聞こえなかったもん。たぶんこれまでの積み重ねがないから。そのあとに続くジョーの「種を蒔かなければ。一粒の麦を」とかいう詩的な表現(史料に残っているのかな?)も浮いて聞こえたし、それを受けた八重が「これは襄の戦いなのね」と、おそらく作り手が“精いっぱいの彼女らしさ”を込めたセリフを言ってもピンとこなかった。ひとつひとつのセリフのチョイスに説得力が感じられない。互いのセリフが響き合っている感じもしない。どーしてこんなに素人くさいシナリオになっちゃったの?
「襄の戦い」で納得する八重の思考回路もよくわからない。意気揚々と射的をする姿にも「それでいいのか?」と思えた。確かに史実の八重さんは、やりそうではある。でも、このドラマの八重さんは薩摩っ子に土下座をした。そういう人が、たとえ遊びとはいえ、命を奪った道具である銃を無邪気に手に取るもんだろうか? 時間が解決したの? 八重さんたらビジュアルも演技も全然年をとらないもんだから、長い時間が経ったこともイマイチ体感できないんだよ。
問答無用で「戦い」を支持するメンタリティ…。「義姉の不義を許すことなく断罪した」メンタリティ…。「今も躊躇なく銃が大好き」メンタリティ…。わがんね゛。「人間はおいそれと変わらないもの」「過去の昇華」「幕末期の八重と明治の八重との融合」とかじゃないんだよね…。ひたすらわかんないの、八重ちゃんが…。ねえ、「ジョーのライフは私のライフ」ってなんだったの?
尺が足りないのなんの言うても襄と一緒になってから10話以上(民放1クール分)あって、夫婦のシーンもそれなりにあったのに、この物足りなさは本当に残念なところです。
謎なシーンはいろいろ挿入されてるんだよね。アバンの、「大隈を外相に迎える伊藤」とか要る?! や、この先、条約改正をやるにしても…てか、むしろ、条約改正、今のこのドラマに要るか? 「憲法発布」に「早く大学作らなきゃ」って意味付けしかされてないドラマだよ? 言論の世を望み、地方議会の草創期に活躍したあんつぁま、100年先の世を見据えて「管見」を書いたあんつぁまは、憲法や国会や不平等条約の改正についてどう思っているのかね? あんつぁまはどうしてこんなに空気なのかね? 京都史関係者も西島さんファンももっと怒っていいよ。
山路愛山はこれから何か役割があるの? なぜこの期に及んで横井小楠の名前を出した?(しかも伊勢時雄には触れず)。マッキー再登場も要る? 俳優(事務所)に対する配慮なの? 「ちょっと軽いシーンも入れとこう」的な? うん、まあ、楽しかったよ。全方位的にぐだぐだクダ巻いてる勝先生にも「明治の勝ってあんな感じだったんだろうな〜〜ww」って感じはあった、すごく。でも、そういう「遊び」のシーンを楽しめるほど本編が充実してないから、もやもやするんだよね。
今週でこれだったんだから、来週も襄先生の熱演で瞬間的に沸騰はするはずなのよ。問題は最後の2回ね…。なんか、ここまできたら、怖いもん見たさっていうか、完全に、毒食わば皿までの心境よね…。