『江戸はネットワーク』 田中優子

江戸はネットワーク (平凡社ライブラリー)

江戸はネットワーク (平凡社ライブラリー)

はてなハイクに投稿した感想)
:無論ごく限定された世界だったんだろうけど、江戸という大都市はすんごい高度な、高度すぎてばかばかしいところまで行き着く文化をもってたんだなあと。舌まで出した唇の向かい合った絵が着物の紋になってるとか。
飲み会専用の“号”を持つ人とか(大蛇丸底深、来見坊樽持・・・)。吉原の太夫となじみになるための手順とかさ。

さまざまなテーマの論文?エッセイを収録。やはり、この人の文化論は面白い。

文学の形式である俳諧、蔦屋重三郎などによって栄えた文化人たちのサロン、それに浄瑠璃の謡や三味線といった音楽にまで、日本の文化のキーワードとして「座」や「連」、ひらかれた連なりがあるという筆者の論。

私もTwitterとかはてなハイクとかやっているし、ネット上にはほかにも様々な場があるが、これらはまさに現代の「座」「サロン」だな、と思った。2ちゃんねるなんてその最たるものかもしれない。そういうのって卑賤で恥ずかしいものだと思っている人もいるだろうし、もちろん万人が参加するべきだ!なんて私も思っちゃいないが、じっさい瞠目しちゃうところも多々あるのだ。そこで発される書き込みは、一見、散発的なようで、連なっている。奢りやおもねり、思い込みは、良識によって淘汰される(逆にそういうものの吹き溜まりになるネットワークもあるが)。個々の書き込みによって触発される次の発想があり、結果、著名なブログを凌駕するほどおもしろい“神展開!”が生まれることも多い。

芭蕉を天才的な俳人としてのみならず、俳諧という「座」での優秀な“さばき手”として評価しているのも私には新しく感じられたし、それとは逆のベクトルをもつ俳人として与謝蕪村を取り上げているのも面白かった。蕪村って「菜の花や」の句しか知らないもんな。そういえば「奥の細道」だってちゃんと読んだことはない。読まなきゃ。研究者でも文筆家でもないし、何ひとつ必要はないけど、読んでみたい。俳句っていいな。しかし、文楽とか俳句とかに興味もっちゃって、苔が生えてきそうだな、私・・・(今のところ盆栽には興味はない。)

以下、自分のための抜き書き。

「座」「社」「連」による個人に閉じられていない創造の方法と、またその結果、作品そのものが「集」あるいは「連」としての性格をもつことは、俳諧ばかりでなく、和歌、狂歌、物語、小説、絵画、演劇、音楽におよび、日本文化を特徴づける大きな要因だった。

私たちが理解しやすいように表現すると、つまり複数の人間によって「ノリ」が生じると、個々が一人で何かをおこなう場合の数倍の力を発揮する、ということになるのである。
(中略)
サロンの形成のプロセスをみてゆくと、必ずしも、人々がしょっちゅう集まってパーティを開いているわけではない。ましてや、サロンを構成していると思われる全員が集まる、という機会はまったくないといっていい。にもかかわらず、そこには確かに連が形成されており、互いに影響を受け合い、連なりのなかで才能を発見し、発見され、それを磨き、文化が形となっていく。

私は「全体」とは何か、そして全体を構成する「ひとつのおと」や「一つの言葉」とは何か、という疑問を抱き続けている。一言で言うと、日本文化の諸現象における全体とは、完結しない全体なのである。はじまりもない全体、まとまりのない全体、外に流れ出し、外と交わってしまう全体なのである。その全体を作っている要素もまた、どこからどこまでが一つの要素なのかを、簡単に特定する事はできない。

(「曽根崎心中」のくだり)
『立ちまよふ浮名をよそに。もらさじとつつむ心の内本町焦がるる胸の平(火)野屋に春を重ねし雛男一つ成る口桃(百)の酒。柳の髪も徳徳(解く解く)と呼ばれて粋の名取川今は手代と埋木の』

この例では一語が複数の意味を持つだけでなく、言葉が、関連する言葉(縁語)を次々と生み出すような形でつながっていく。「立つ」は「浮名が立つ」ことでもあり、「立ちまよふ」二人の様子でもある。「つつむ心の内」は「内」をもって「内本町」という地名に重なっていく。「春」という言葉は「雛」を生み出し、「雛」は「桃」につながり、「桃」は「百」と一体になって「酒」を呼び出し、それらの作るひな祭りのイメージは春の「柳」と重なって、「柳」は「髪」を呼び出す。「髪」は「解く」を生み出すが、「解く」は同時に「徳」でもあり、主人公の「徳兵衛」をも意味する。徳兵衛は遊郭では粋で有名だ、と語りながら、「名」を取っている様子は「名取川」という陸前の実在の川の名となり、そこは埋木を出すことで知られているので、手代として埋もれている、という意味と、名取川の縁語の「埋木」を重ねるのである。

このような言葉の続き方は、「一つの言葉」とは何だろう、という疑問を生じさせてしまう。一つの言葉は次の言葉の構成要素でもあり、他に向かって開いている。しかもこれらを、浄瑠璃の享受者たちは眼でいっぺんに見るわけではない。時間の推移に従って徐々に聞き取るのである。文字で書くとかっこに入れて別の文字を書き足さなくてはならないが、耳で聞くときには瞬間的に頭のなかで行われる。これが、日本の音楽が負っている「唄」や「語り」の言葉の性質なのである。

俳句は西欧文学の影響を受けた近代のものだが、それ以前は、俳諧といえばふつうは連句のことだった。ひとりでは作らない。かといって依存できるような集団性はもたない。おのれの言葉は、他者の言葉との緊張した距離によって鍛えられる。他者の言葉と決して同じではならない。すなわち同一化は許されない。しかし、他者の言葉と無関係でもならない。すなわちディスコミュニケーションでは意味がない。芭蕉とはこのような連句の名リーダー、すなわち名さばき手のひとりであった。芭蕉は満三十六歳のときに、点業(教師)をやめて隠者となり、間もなく止むことのない旅に出る。隠遁という言葉のイメージと、この放浪者の激しい気合とはなにか結びつかないのだが、精神においては同じである。

・秋水一斗もりつくす夜ぞ

私の眼から見える芭蕉と蕪村の違いは、大小の違いではなかった。芭蕉とは、氷を踏むような、鋭く緊張した精神である。「俗」に対して「超俗」であろうとする姿勢が結果する、挑戦的な放浪者の精神だ。絶え間なく外へ向かうドロップ・アウトの持続なのだ。それに比して、蕪村はそのベクトルを逆にもっているのかもしれない。エネルギーが小さくなるわけではない。世界が小さくなるわけでもない。そのまま内へ向かう。内に向かうたびの果てには狂気が想定されている。「死」が想定されている。

・蟻王宮朱門を開く牡丹哉

・愚に耐へよと窓を暗うす雪の竹

月天心貧しき町を通りけり