『とと姉ちゃん』 第25週 「常子、大きな家を建てる」
今日から #とと姉ちゃん でたまき役をやってる蒔田彩珠ちゃん、お名前は確か「あじゅ」と読むんだよね。重版出来が記憶に新しいけど、ゴーイングマイホームのもえちゃんが本当に大好きだった。
#とと姉ちゃん 君子に完璧なうそをつく常子の目や顔にほんのわずかなブレというか震えがあって、高畑充希の顔演技力にあらためて感服しました。君子だってウソかもしれないと思っているけれど、でも信じたいんだよね。自分の母親のときのことを思い出した。
RT 高畑充希のすばらしい演技が毎朝見られるのもあと2週間だぁ。堪能せねばー
なつかしい思い出と共に家族を慈しむ君子と、そんな君子を見つめる常子の姿からは、夫を亡くしたあと君子にとっての支えは娘たちで、娘たちもまた君子を支えにしてきたのだとよくわかる。その中でも、長女であり今も伴侶を持たない常子と君子の紐帯は特別なのかもしれないと。#とと姉ちゃん
暗い戦時中でも子供が生まれる喜びに包まれる家があるように、高度経済成長真っ只中の明るい世にも悲しい別れはある。「明日があるさ」なんて嘘だと思える時もあり、嘘でも心の拠り所にしたいと思う時も。喜びも悲しみもそれぞれの暮らし。優しくて切ない。花山のお見舞いがうれしい! #とと姉ちゃん
鞠子の「早いわね」の言い方に、外で働く家族がいつもより早く帰宅したとき主婦のちょっと困る感じがよく表れてた。それぞれが家事を手伝っていても鞠子の負担は甚大だろうから(君子の看病もある)勇気をもってお手伝いさん雇ってる描写入れたらいいのにな、昼間だけでも #とと姉ちゃん
とと姉ちゃん→べっぴんさん#芳根京子#高畑充希#べっぴんさん#とと姉ちゃん#朝ドラ URL
RT とと姉のインスタでもよく上がってたけど、おどけた表情でのショットめっちゃ好き。芳根さんも超かわゆい #とと姉ちゃん
常子は会社を興し雑誌を作ったが星野と別れ、鞠子は大学に進んだが家庭に入り、君子自身も駆け落ちまでして結婚した伴侶と若くして死別した。ままならないことも多い中で、自分で選べたこと、巡り合った小さな幸せを大事にして積み重ねていくのが人生の喜びだね… #とと姉ちゃん
ままならないことも多い中で小さな幸せを積み重ねて…というと「置かれた場所で咲きなさい」的なんだけど、とと姉ちゃんの人々にはあれよりもっと主体的なものを感じてそこが好き。君子さんも相当いろいろやらかしてきたからなあ。でも美点もたっぷりある。
私も花山さん同様、常子が書いた「小さなしあわせ」読みたいな。常子が好きだから常子がどんな文章書くのか読みたい。#とと姉ちゃん
戦争を知らない世代が闊歩する時代。平和を希求して雑誌を作ってきた花山や常子にとってある意味願いが叶ったともいえるけど、ものが極度に不足する中を生き抜いてきた世代にとっては、ものがあふれかえる世の中に対する戸惑いって大きかっただろうなとあらためて思う #とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん 見つめる人・常子は今日も健在。あなたの暮らしで自己実現したいと目を輝かせるたまきを見つめ、花山劇場に翻弄されながらもベストを尽くそうとする受験者たちを見つめる。豊かになった日本、そこで育った若者たちを見つめる常子は物語の最後に何を思い何を語るのか
私のTL含め、#とと姉ちゃん 好きな人は、単純な勧善懲悪や二項対立“じゃない”ところ、物語を貫くフラットな眼差しを気に入っているという声が多いのだけど、このドラマが二項対立とか男尊女卑に見えてそういう観点で批判している人もいて、面白いなあと思う。
まあ、私のTLでは自分含めあさ来たの抑圧感ちょっと勘弁って人が多かったので、ドラマを見て作り手の思想をどう解釈するかって、見る人それぞれの価値観とか感じ方が表れるんだよね。
常子の自己完結力の強さは朝ドラヒロインとしての愛され力の不足につながってたと思うけどそこが好きでした。ふだんは無口でじっと考えて、口をひらけば文章みたいに立て板に水と喋りまくるアンバランスさも。高畑充希の豊かな演技あっての常子だったよなあ #とと姉ちゃん
が! 常子を無表情とか目が死んでるとか中の人の演技力を云々いう感想もある。高畑充希の絶品な演技を見るのがとと姉ちゃんの大きな魅力の一つで、常子ロスになりそうな私には驚きなんだけど、人の見方はそれぞれねーってのと同時に、愛され力ある朝ドラヒロインへの需要をひしひしと感じたりもする。
思い出してみれば、私が好きな朝ドラヒロインって常子に糸子、純さん、まれさん、あかり、古くは美月(オードリー)・・・。あかりはともかく愛され力低い人がズラリでした
とと姉ちゃん第70回。宿舎の造りが良くないという話をした後で見る青柳商店や滝子の部屋の建具、机などの品質の良さそうな描写。セットや大道具、小道具のクオリティの高さが滝子のセリフに説得力を持たせていた。甲東出版とともに「妥協」を迫られる時局だけど、「妥協しない」とはどういうことか…
…という全体的な流れも出てきそう。「妥協」や「ごまかし」と「工夫」「ささやかな喜び」は明確に違うってことなんだろうな。
『とと姉ちゃん』でよく言及される「本物/偽物」モチーフだけど、本物と偽物の二項対立を見せたいというより、その中間にある「第三の答え」を探すということがテーマという気がする。いわゆる「止揚(アウフヘーベン)」?
つまり常子は「とと」の偽物・代役としてあるのではなく、「とと姉ちゃん」という全く新しい役割としてあるのだということ。これから立ち現れるであろう生活上の工夫も、本当はそうしたいことの代用としてではなく、「新しい生活様式」としてあるということ。
ただ、元々常子がそのまま「とと」の座に収まるのはやっぱり不自然だから「なんとなく」「とと姉ちゃん」になったわけで、このドラマはそういう曖昧さを否定していないんだよね。寧ろダブルスタンダード、2重性、玉虫色の裁定みたいに普通ならネガティヴに捉えられかねないものをポジティブに見てる。
先のことを考えれば、常子はおそらく家族なんだか会社なんだかわかんない組織の中で2つどころじゃない「役」を担うことになる。それは今の森田屋が1家族なんだか2家族なんだかわかんないことや、常子が会社でタイピストなんだか雑用係なんだかわかんないのと似てるかも知れない。
だいたい、「分かる」ってなんだよ、ってことなのかも知れない。物事ってそんな簡単に「分かる」のかよっていう。「分かること」「分けられること」「分類すること」が過度に重視されることへのアンチテーゼなのかも。考えすぎか(笑)
家族の夜の団らんに入ってないわけじゃないんだけどちょっと離れたところから聞いて黙って考えてる姿が常子らしいね #とと姉ちゃん
仕事と家庭の両立を美子でなく寿美子さんでやるのは、常子が家族の #とと姉ちゃん であるだけでなく(というかその役割は実質的に終わっていて?)、会社の社長として長年仕事をし、社会を見て、自分にできることをと考えるようになったってことなんだろうな