『とと姉ちゃん』 第22週 「常子、星野に夢を語る」
なんつーか、作為に次ぐ作為でタハハ…。演出が心配になる月曜日であったが、予告で見たお義父さんが早々に登場したのでがぜん明日が楽しみに! お尻に隠れる青葉ちゃんはともかく星野。如才ない対応もできるようになったはずなのに「お久しぶりです」にひとかけらの笑顔もなかったぞ #とと姉ちゃん
再婚して相手の子を可愛がっている康恵さん。大学・仕事を経て家庭に入っている鞠子。過去の縁や経験を否定せず大事にしながら、「今」を自己肯定して生きてる。常子と星野の「今」はどこにありどこに向かうのか。本当の思いを言葉にするシーンがいつもすばらしいドラマなので楽しみ。#とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん 原稿に着手する花山と、記事を読んだ赤羽。どちらも真正面からのどアップ。待ったなしの戦いが始まるんですね
星野、舅を前にめちゃめちゃ固い。奥さんの生前に何かわだかまりがあったのだろーか。だとしても、毎月滝子におたよりを送っていた竹蔵とはえらい違いな無精っぷりですね。 #とと姉ちゃん
康恵さんや鞠子、お舅さんが出てきたからどうも再婚の2文字がチラつくけど、再婚するかしないかの二者択一という以前に、互いのことをどう思っているのか、自分がこれからどういう暮らし、どういう人生を送りたいのか、そこから向き合わなきゃいけないんだろうね #とと姉ちゃん
でも、ドラマ見てるから気楽に「どういう人生を送りたいか向き合わなきゃ」とか言えるけど、実際、難しいことだよねえ。どうしても、社会の固定観念の中で考えちゃう。でも常子なら自分の頭で考えられるはず。星野なら自分の気持ちも真摯に観察できるはず。#とと姉ちゃん
常子のほうも自分を好もしく思っているのを感じとっているからこそ気持ちを押しとどめようとしたのであり、今日は逆に最後まで聞かずにハグしたのであり、そこはうん、結婚経験ある星野からいくよね!って納得なんだけど。けども! #とと姉ちゃん
周囲の再婚推しに反して、「もっと会いたい、話したい」から始めたのもそれでこそ星野だ!なんだけど、そうして話しているうちに、やっぱり同じ方向向いて歩けないよね……ってわかってくる残酷なシナリオじゃないでしょうねー(;-;) #とと姉ちゃん
@tomosakata お義父さんはあれだけなんですかね。だとしたら、あさ来たの宜ママに負けずとも劣らない薄さだー。今日の星野の告白は「よっしゃとりあえずOK!」でしたが寝ている子どもたちよりご近所さんの目を気にした方がよいのではと気をもみます。月が必要だったんでしょうが。
最初のプロポーズの時に星野が言った「僕の好きな常子さんは僕と結婚してくれない」に全て表されてると思うんだけど、この2人の関係は徹底的にアンビバレントに設定されてるんだよね。今回も、常子が大樹と青葉の母親になってしまったら、それは常子ではなくなってしまう。
なぜなら、常子の「子供」はあなたの暮らし出版の社員たちであり、常子にはすでに「家族」がいるから。これは常子本人がもう気づいていて、はっきりと美子に言ってる。つまり、今の常子と星野の関係というのは、結ばれてはいけない恋、疑似不倫のような背徳感を伴っていると思う。だからドキドキする。
大樹と青葉が欲しがっているのも「母親」であって、常子が社長業と「母親業」を両立することが難しい状況を考えると、やはり「結ばれてはいけない恋」なんだと思う。しかし、こういう二律背反に第三の道を見出してきたのもこのドラマだから、どうなるかわからない(笑)
前にもつぶやいた気がするけど、『とと姉ちゃん』というタイトルそのものが「とと(父)」と「姉ちゃん(娘)」という、普通に考えれば両立不可能な役割を併記したものであり、常子と星野の関係がああなるのも必然という気がしなくもない。アンビバレントな状況がドラマ全体を貫くテーマだと思うから。
そう、常子と星野は、結婚して試行錯誤しながらも互いに仕事と育児を両立して…といういわゆる普通の帰着にはならないと思うんだよね。でもわざわざ再登場させといて、またいわゆる普通に別れると、展開そのものが蛇足になるうえ、仕事の成功がその代償のように見えてしまう。#とと姉ちゃん
誰かに理解されず嫌われても、世間からどう見られても、大切なのは自分の暮らし。自分と、自分の大切な人が幸せかどうか。それを主眼に行動し暮らすことが幸せにつながる。みんながそんなふうに暮らせれば戦争も防げる。まさに暮らしの手帖の思想で、それを今こういう世の中でやる意味がわかるよなあ。
常子の人生の道すじは鎭子さんとはかなり違うオリジナルなものだけど、常子を通じて描かれているものは、戦後まもなく作られ高度経済成長期に商品試験をやった、暮らしの手帖の平和を希求し嘘を許さない思想にまさにつながると思われ、今まで思い入れなかったあの雑誌を尊敬するようになったよ
そんな雑誌を現実に作った鎭子さんや花森さんがすごい人だったのももちろん容易に想像できるところで、だから暮らしの手帖関連や鎭子さん・花森さん関連の書籍も、放送終わったらじっくり読んでみたいなーと思ってる。
何が上品で何が下品なのかの感覚も人それぞれやね。「肯定できる下品」とそうでないもの、とを峻別する感覚、というのかな。
こういう感覚には、育った家庭など現実の環境はもちろん、これまで見たり読んだりしてきた創作作品の影響も大きくありそうだなあ。
そうだ、若い頃の常子は自分を攻撃してくる人を相手にしてなかった。気にせず恨まず。家族が何より大事だから、他人からのいじめとか大した問題じゃなかった。米俵をゲットとか、クラスで一番になるとか、手書きで雑用をするとか、「自分の問題」として対処する姿がすごく参考になるなーと思ってた
アカバネ社長は、そんな常子が初めて正面切って戦う相手になるんだな。「あなたの暮らし」は常子にとって我が子同然の大事な存在で、雑誌のモットーは常子たちが墨守したいものだから、相手にしないで済む話じゃない。戦ってでも守らなきゃ。でも自社製品が子ども同然なのはアカバネも同じなのかもな
会社にはアカバネの社員が接触してきて思いきり不穏、星野家とはうまくいってるようでそこここに不穏の芽。不穏が渦巻いている。隣のスタジオで撮影してる(?)きりちゃんに教えてあげたいくらいだ #とと姉ちゃん
とと姉ちゃんの最大の特徴として、欲望を否定しないという事があると思う。「暮らしを大切にする」と言っても個人によってそのイメージは千差万別で、だから暮らし系の雑誌も山程あるし、暮らしの手帳にどんなイメージを持つかも人によって違う、そんな中でこのお話はいわゆる清貧の思想には寄ってない
とと姉ちゃん。特に今週は、常子と星野さんの抑えきれない生々しい恋情や、若手社員たちの会話で、この「欲望を否定しない」という姿勢を強調してきてる。だからアカバネ社長のビフテキもあれ自体は悪として描かれていない筈で、じゃあどんな意味を持つのか、どう着地させるのか、気になる。
RT 常子の場合、お金持ちの妄想をしてみるも空虚で、「いいの出てこなかった」と台詞でもハッキリ言ってたけれども。世界の情勢や勤勉な国民性もあれど、あのような「欲望」が多かれ少なかれ当時の人々にあったから、高度経済成長を為し得た、という最近の描写にもつながっている。#とと姉ちゃん
月給と比較してとても高いのに、買いたくなってしまう電化製品。その旺盛な消費欲があればこそ、粗悪品含め次々と製品が出された。生産者と消費者がタッグを組んで成長の時代を推し進めていく。そこで「暮らしの手帖」が果たした異色の役割。#とと姉ちゃん
人間の欲望を取り上げ肯定するっていうのは、最近の流れだなと思う。00年代の作品との大きな違いというか。
森下佳子の「小林一三」も我欲をキーワードにし、クドカン「ゆとりですがなにか」でも、まりぶはおっぱいおっぱい連呼してたのを始め、かなりいろいろと。欲望は業につながるもので、優れた作品はそれ諸共に描かれてる。そういった作品が増えてるのも、今を考えればわかる気がする
だから森下さんが2010年代に飛躍してるのもすごくわかるんだよね。それ以前から良い仕事されてたと思うんだけど、「JIN」には今振り返れば欲や業の要素がまだまだ薄く、比して、ごちそうさん・天皇の料理番・わたしを離さないでの凄まじさ
クドカンも、昔から死とか運命みたいなものを扱ってるけど、最近、ぐっとこっちに寄っていってるなーと思うんよね。
生きるとか生活していくとかいうことへの向き合い方が、00年代と10年代ではやっぱり全然違ってきてるというか、作家にとってはそうなんだろうなと思う。いっぽうで、リーハイでクサされたような日本人的ムラ的発想が強化されてる面もある。空気を読むことや自己責任や同調圧力や
坂口健太郎演じる星野40才に意外なほど違和感が薄いのが今さらながらなんかすごい。模倣犯のポスター?もすごくよかったし、ポテンシャルすごい役者さんだなぁ #とと姉ちゃん
坂口健太郎演じる星野40才に意外なほど違和感が薄いのが今さらながらなんかすごい。模倣犯のポスター?もすごくよかったし、ポテンシャルすごい役者さんだなぁ #とと姉ちゃん
古田新太がめっちゃうまくて常子・花山と並んだ絵面もばっちりで、キャスティングの妙に唸る!蟹も似合う! #とと姉ちゃん
「おばちゃまの嘘つき」って第1週にととが言われてたまんまですやん。星野の恋人にはなれても、とと姉おばちゃまなんだよねえ。んで、恋人っていっても常子は守ってもらう存在じゃなく、青鞜に感銘を受けて今や太陽になった女性だからさ…。星野、君なら気づくよね。観察力こい! #とと姉ちゃん
あのね、「僕もあなたも変わってしまったけれど、変わるのはいいことだから」とか言って別れるのはやめようね。いや結婚しなくてもいいの。それは無理だと思うから。でもこう、なんとか、変わってしまったなりの共存共栄を…君たちなら新しい道を考えられるでしょ?ね?ね? #とと姉ちゃん
「守りたい」と星野から言われた時の喜ぶでもないためらうでもない拒むでもない複雑な常子の表情と、「あなたたちを守る」と社員に宣言した時の毅然とした常子の表情の対比がすべてを物語っている気がするなあ。#とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん 商品試験からの展開でより明らかになってきたけど、ジャーナリズムの在り方を戦中戦後という歴史的な文脈も踏まえてきちんと見つめ直そうというねらいがある。底流に「NHKはこれでいいのか」という自己批判が込められている気もする。すべてNHK自身に返る話になっているからね。
#とと姉ちゃん 確かに演出にバラツキがあって不満もあるけれど野心的な朝ドラだな。オーソドックスな朝ドラオススメの人生選択ではなく、かといって単なる対極を描くのでもなく、その間の曖昧な領域に常子の人生があって、それは繰り返し変奏されてきた本物と贋物という二項対立を超えているんだよね
何度も同じことを書いて恐縮ですが、意図的な「アンチドラマ」っぷりが小津映画と似ている気がする。主人公が生硬だとか活き活きしてないとか不自然とか、そんな批判も似ている。何よりも不在者の呪縛が似ている。ととのことだけど。だから星野はいろいろな意味でととだと思うのな。#とと姉ちゃん
小津映画って当時は批判も多かったんだね……あるよね、そういうこと……
小津映画も当時のスタンダードから外れた作風だったということか
#とと姉ちゃん 政治的な意味で右とか左とかくくれないけれど、「あなたの暮らし出版」の物語はやはり社会派ドラマの側面があって、これをいまやるってことはとてもメッセージ性が強いと思う。AKの朝ドラはいわば社会派を連発しておるなあ。
RT うんうん。たけさんの論旨とは別視点かもしれないけど雑誌の話が始まるよりだいぶ前、6月の上旬にツイートしたのを思い出して、以下に自己RT
要は、「批判されてるから反省する」「できるだけ多数に喜ばれるものを」もあるでしょうが「批判されても反感もたれても、こういうものを作りたいんだ、今、世に出したいんだ」って姿勢も、創作作品では全然ありだと思うし、とと姉ちゃんってそういう話じゃないかと思い、私はそんなとと姉が好きです
今この社会で内面化されてる規範に疑問を持たせるような描写をすれば、戸惑いや批判が出るのは必定なんだよね、歴史を見たらいろんな活動や創作作品がいったんそういう反応をされて、あとから評価されてる
とと姉ちゃんがそんな名作になるかどうかは勿論わかんないけど(笑)、私は、昨今AK朝ドラが叩かれがちなのは、脚本演出に拙いところがあること以上に、一般に内面化されてる規範に対して疑問を呈する作品が続いているから、ってのがあると思ってる。逆にBKは規範に沿った物語で支持されてる。
AK、BKって区別するのもいいかげんナンセンスでしょ、って思いもするんだけど、やっぱり東京って腐っても東京というか、進んでるんだなーと思うとこある。てか、まれであんだけ(一部に)叩かれて、直後のAKが、今、こんなとと姉ちゃんだからね、そこに意思がないと思う方が不自然じゃないかと。
あまちゃんだって、クドカンはもちろんPとDの手腕がすごかったのは大きいけど、それでも当時のTLでは春子が毒親といわれたり、やりたいことがころころ変わるアキや、視野狭窄のユイちゃんがクサされたりもしてたんだよ。でも私はそういうところこそがいいなって思ってた
親がちゃんとしてなくても子どもは生まれ、自己肯定力が低くても、将来への確固たる意志がなくても、その場その場でふらふらしながら揉まれながら、周りに助けられたり助けたりしながら、やがて自己肯定していったのがアキ@あまちゃん
「どんな親でも」「どんな環境でも」「正しくなくても、迷って間違えて迷惑かけながらでも」ってのを、ここんとこのAKは描き続けてるんだよね。
すごく注目される枠で、保守的な、それこそ規範を内面化しまくった視聴者も多いのが分かってる枠で、あまちゃんほどの脚本演出統括力がないにしても、AKが繰り出してくる作風は、物語の作り手・提供サイドとして誠実だなーと思っているのです
んーとね。規範は、内面化されてるから規範なんだよね。その範囲内ではっちゃけたのが前作とかではないかと。楽しいよね。
とか言いながら、私、花アン2ヶ月でリタイアしたんですのw おかげで吉高さんやら鈴木さんやら嫌いにならずにすみまして。時間も(視聴時間+twitter時間)大切に使えまして。