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『軍師官兵衛』 第17話 「見捨てられた城」

大河ドラマ

むむ〜上月城、志方城が最期を迎えたわけですが、「 (・∀・) イイネ!! 」てところと、「(´・ω・`) コレジャナイ 」てところをそれぞれ思い出してみると、後者の方がだいぶ多く、残念でした。

なんかさー、だいぶ前から思ってたんだけど、このあたりの人々って、「秀吉さまの軍が」「毛利の軍が」「官兵衛どのが」はたまた「上様に頼んで援軍を」って、どこもかしこも援軍頼み、援軍ありきで戦を考えてんのな。確かに戦国もこの時期までくれば、戦闘は大規模化する傾向にあってとにかく数が要るってのはリアルな話なんだろうよ。それならそれで、盟約やら援軍やらを合理的な戦略として描いてほしいんだよね、ことごとく、感情論とか、あるいは「太平の世・新しい世」教(もはや宗教)で語られるのが、ホント苦痛。や、人間だから感情はあるよ。でも、それがどんなときでもダダ洩れだとさー。我慢して我慢して、ふとしたときにこぼれ落ちてしまう感情だから、感動しちゃうんだと思うけど。

織田軍によって「見捨てられる」というのは、それはもう、上月側からしたら、そういう思いだろうよね。で、実際に上月城メンバーの顔や人となりを知っていて、共に戦ってきた秀吉たちが、「彼らを見捨てたくない」と思うのも、それは人として自然だと思うの。彼らを知りもしない信長があっさり切り捨てようとするのも、また然り。顔誰だって、知らない人より知ってる人のほうに情が湧くものだもんね。

だから「700の兵を助けるために5万の毛利と戦って兵を失うことに何の利がある」という信長の言い分はもっともだし、それに対しての秀吉の返答も良かった。「上月を見捨てることで失うのは兵ではなく、播磨での織田の信用です」これよ、これ! 人情派でもある秀吉は、純粋に尼子勝久や山中鹿介を助けたい気持ちもあるんだよ。けれど「信用のために」という建前論を持ち出して説得を試みる。このドラマでの秀吉はたいてい正しい。建前だって実際のところ、真実なんだしね。

対して、信長が「今大事なのは信用などではない。毛利を倒して新しい世をつくること!」だなんて言い出すと、これはもう、妙な話になってきます。毛利を倒すという大目標はいい。「新しい世」ってなんなんだ。「武士の世」「新しい世」「美しい国」そういう漠然とした言葉を掲げる為政者に、庶民は大いなる疑問を抱くわけですよ。あれ? 抱かない人も多いから、いつもだいたいああいう選挙結果になってるんだっけ? そうか…だから大河ドラマも…(ちょっと絶望)。

もとい、「上月にこだわったら負ける理由」をなんで具体的に言わんのか。織田だってまだまだお尻に火がついてる状態なんだよ。村重がまとめきれなかった本願寺との講和話が引き続き難航してるとか、いろいろあるでしょうよ。

それを言わずして、信長を単なる「非情の子」扱いにしてみたり(そういえば、序盤に信長disのみの役割で活躍(笑)していた土田午前はいつのまにかフェイドアウトしとったなwww)、かと思えば「上月を捨てたのは正しい」「策がないことは秀吉もわかっていた」と信長を擁護してみたり、なんもかんも、漠然としすぎてるの。

その漠然としすぎた前提に立ちまくって「共に戦ってきた仲間を見捨てるなんてっっ!!」 「あんな非情な信長さまが作る新しい世なんて…」といきり立ち、あるいは疑問を抱いてばかりの主人公・官兵衛の青くささに耐えられない(泣) 

で、もっといかんのが、「独断で上月城に忍び込み、援軍が来ない旨を知らせる『だけ』」という簡単なお仕事。アホかー! そんな簡単に忍び込めるなら、もっと早く行って、何とかせんかい! てか、おまえなんぞ行かんでいいからとりあえず兵糧をだな…(以下、小一時間説教)。ほんと小細工しかできない男だよ。しかも、こんなことしかできない男に、勝久や鹿介が感謝するなんぞ、クソ脚本のすることだな。“情の深い主人公様”信仰、滅びろ! バルス

「最善の策を講じ、嫌われることを辞さず…」軍師半兵衛さまの訓戒。後半がイラネ。嫌われるとかそういうレベルで仕事してる奴があるか、戦国だぞ! 平成だって任務遂行のためには好悪の感情を超えるもんだ。

それで改心した官兵衛さまは腹心の部下3人を呼んで密書を手渡し「敵の懐に忍び込んでこの密書で攪乱する。」。お願い、そういう軍略は、「『軍師』官兵衛」のキモのはずだから、具体的にやって! 命運がかかってるぐらいの大仕事なら!! どういう密書なのか、どういうふうに忍び込み、どういうふうに攪乱するのか。孫子を諳んじるもこみちに主従でホッコリするな!(しかしもこみちをからかう高橋一生はかっこよかった) コラ、孫子呉子を合唱して誤魔化すなーーー!(しかしこのシーンでの岡田くんのビジュアルは超かっこよかった)

一方で、最近、やたらとかっこいいのが吉川・小早川の両川兄弟です。彼らがこのドラマを戦国たらしめてくれてます。強そうだし、兄弟の紐帯がしっかりしてるのも頼もしい。特に鶴見辰吾、超渋い。謀殺した鹿介の首 in 首桶に向かっての「長かったのう。尼子再興、これで終いじゃ」の一言&合掌は、これぞ戦国ドラマですよ!! 尼子勝久主従の今生の別れもよかった、鹿介の最期も戦国してたわ〜(こういうのに弱いの。ホント。謀殺をちゃんと描いたのも良かったし)。

それに引き換え、左京進ww 、あ、笑っちまった。櫛橋左京進ときたら…「我らは播磨武士!! 最後まで戦うぞー!」「おー!」とか気勢を上げた次の瞬間に白装束で切腹ってwwww 戦闘全スルーwwww これギャグ扱いだろwwww なんかライティングが変だったしwwwww 最後のセリフが「官兵衛、おまえの勝ちだ」って何のジャンプ漫画wwwww ドンマイ、左京進wwwww(死んだけどw)。でも、大河において、切腹の瞬間に顔がアップになるのは主要人物の証…と思われる(大河の猛者=私による実感)ので、元気出して。ちなみに、金子さん、切腹の表情はイマイチでした。ちなみに、近年、図抜けて良かったなーと記憶に残っているのは、『龍馬伝』における大森南朋武市半平太さんの切腹の表情です。

今週の荒木村重。万見仙千代の「チクってやる宣言」にgkbr。仙千代@田中幸太朗くん、今回、ヤな役だな…てか、『風林火山』で半パン時代の高坂弾正(当然、信玄@亀ちゃんに寵愛されるww)を演じてた彼も、老けたな〜ってアップになったとき思った。今週は、村重と光秀が並んで酒を飲むという不穏なシーンもありましたね。光秀の能天気っぷりが印象的でしたが、どうなるのか…。織田家中をそれなりに描きながら、これほど光秀が埋没している戦国ドラマも珍しく、かえって興味が募ります。

生と死は時を選ばないもので、だしっ子ちゃん、お腹大きくなってましたね。少なくとも、向こう7-8か月前までは、性欲は衰えない程度の鬱っぷりだったってことでOKですね、ありがとうございます(何の礼?)。それにしても、「お腹の子の具合はどうだ」って、とんだ現代語だよね。他にも、官兵衛が半兵衛に行った「どう思われていますか」とか、お紺が息子に言う「ありがとう」とか、このドラマの現代語オンパレードなセリフにいちいちムッとしてる私です(笑)

そう…お紺さんは今回で身罷られました。お疲れ様でした。高岡早紀の無駄遣い気味だったけど、高岡さんのオーラのおかげで気高く賢いお紺さんの造形ができていたと思います。数少ない、イラッとさせない女性キャラでした…。でも、しつこいようだけど、イツキくんのママは側女ってことにしたほうが絶対ドラマの深みが出たと思います。てか、最期のセリフが「もう一度、蛍狩りがしたかった…」って、ひどすぎるだろ(笑) 蛍のエピソードはイツキが生まれた(=夫の側女通いがなくなった)ことで回収しとるハズなのに、何むりくりひっぱってんだ(笑)

お紺さんもそうでしたが、このドラマの奥方たちは、夫と並び立つ描き方をされている人が多いですね。

信長と、ほとんど表向きの話しかしない濃姫。彼女はしばしば公の場にも出て織田家重臣たちにも話しかけ、信長が安土を留守にするとなれば「私からも秀吉殿を褒めておきましょう」と言い、人事や政など、信長の方策をたびたび本人に尋ねます。その質問に、信長がまた、ご親切にいちいち答えてベラベラ喋るもんだから、「こんなに律儀な&お喋りな信長がいるかよwww」と噴いちゃうし、「はいはい説明セリフ乙」とばかり棒読みしてきたんだけど、最近、ちょっと、「ふむー」と思ったりもして。

1話か2話に「殿に一生ついていきます」的な宣言があったので、それが濃姫の「愛の示し方」であり「仕事の仕方」というスタンスなんでしょう。羽柴さんとこの、おねさんが、かかあ天下ってのは戦国物に共通の有名すぎる設定ですが、今作でも、小一郎秀長や蜂須賀小六も秀吉よりおねに従う、というような1コマがあったり、「説明せずとも夫の政治的判断を理解している」シーンもありました。あれは濃姫に比しておねの賢妻としての高レベルっぷりを表現していた…とも、いえるかもしれません。

戦国ドラマでは「政略結婚の道具にされ、のちに実家と引き裂かれ、夫や子供を失う女たち」という描写が定番で、今作でもそういう描写もあるんだけれども、一方で、戦国大河といえど「女たちも能動的に生きていた」とする潮流もあって、1997年『毛利元就』なんかでは、実家の外交官として嫁ぎ、いきいきと生きる女たちの姿が魅力的でしたよね。

今作では、それとはまた違って、内助の功や実家の親善大使というより、むしろ「夫と志も情報も共有する共同経営者」たる女性、という描き方をしているのかなという気がします。普通はそういう出しゃばり(笑)はヒロインの特権だったりするんですが、そうじゃなく、複数の主要女性キャラに共通してそのような役割をもたせているのが、作り手の意思であるのかな、と。濃姫然り、おね然り。お紺にいたっては、頼りない夫に代わって、彼女が小寺家の手綱をさばいている、という描写でしたよね。そのお紺が亡くなるのをきっかけに、小寺家は岐路に…という展開は、「女性の力」を描いて象徴的なのかなと思います。

こうなると、おねさんの生涯は広く知られているところだけれど、今すでにほとんど記録に残されていない段階にある濃姫の生き方をどう調理するのか気になるところ。

まあ、そういう「女性の描き方」をしているからといって、女性キャラが魅力的に描かれているかといえばそうでもないというのが、大きな問題点なんですけどね(爆)。そして、このような見地に立っても、主人公の妻たる光さんの立ち位置が非常に中途半端で、キャラが詰められていないのがよくわかって、中谷美紀に同情を禁じ得ないのであります。