六月博多座大歌舞伎昼の部「ヤマトタケル」を見て 2

初めて見た「ヤマトタケル」。正直なところ、激賞まではできない演目だと思った。もちろん素晴らしいところも多々あるのだけれど、ところどころで「ちょっとな」と思わされる。簡単にいえば、ところどころで古さが目につくのだ。「新しいものを取り入れず、古いものにしがみついたから滅びたのだ」という澤瀉屋の精神を彷彿させるセリフがあるのだが、その場面自体が自体が古くなってしまっているという矛盾。あちらこちらの冗漫な説明ぜりふ。かつては革新の代名詞だっただろうド派手な衣装や、宙乗りすら、もはや澤瀉屋の専売特許ではない。

それをわかり切った上での、今回の襲名披露公演なのだろう。新猿之助の「ヤマトタケルは古典になった」との言葉がそれを物語っている。見る側からすれば、古典になりきれているかといえば首をかしげざるを得ない。父と子の確執、恋人との別れ、滅ぼされる者の哀愁、英雄の悲劇的最期など、古典になるエッセンスは詰まっているのだから、特にいくらか古さを感じさせるセリフを編集すれば、より古典的な普遍性を備えて洗練される気がするのに・・・なんて、しろうと考えですかね。もっとも、昔から原作の梅原猛の大ファンである亀ちゃんとしては、少なくとも氏が健在のあいだは戯曲の改編はしたくないのかもしれない。

それにしても、優れた舞台とは役者の生きざままでをも感じさせるもので、生きざまを見せる舞台としての「ヤマトタケル」という演目の的確さは論を待たない。ところどころ古さが否めないとはいえ、また、他の家も宙乗りや早替りを積極的に取り入れるようになったとはいえ、やはり肉体を酷使することにかけて、澤瀉屋の芸は突出している。外連こそが澤瀉屋の味であり、その味が最大限に発揮された演目のひとつが「ヤマトタケル」である。

27年前、まったく新しい価値観を提示するために先代猿之助が世に送り出したスーパー歌舞伎。同業の御大に「喜熨斗大サーカス」と称されながらも、観客の圧倒的な支持を得てロングランを達成した。父と子の確執という主題のひとつは、先代と香川照之との現実の関係に重ねられることが多いが、先代と亀治郎の間にも疑似親子関係があり、且つ、確執があった。まさに、ヤマトタケルは、先代猿之助の、そして澤瀉屋の、光と影の代名詞そのものじゃないか。

襲名は、栄光や誇りだけでなく、先代の影までも一緒に背負うことなのだなと、今回初めて思った。本来、何にでも、影は必ず存在する。けれどその場その場では、光のほうをクローズアップすることによって、影を見せないことも可能だ。ことに襲名のような目出度い場面で、わざわざ影を見ようと目を凝らす人も少ない。

猿之助は抽斗の少ない役者ではない。本人も「襲名しても僕は僕」 「これからも前例のないことを自由にやる。それが澤瀉屋の精神」と語っている。別の演目、たとえば、襲名披露公演でいきなり金閣寺の雪姫(先代はやっていないが四代目は亀治郎時代に当該役でH20年、芸術選奨新人賞を受賞している)をやっても、その理屈は立ったと思う。それでも「ヤマトタケル」に挑んだことには、もちろん、他の演目とのバランスや一門の役者の配役、先代の意向などなど様々な事情もあっただろうが、やはり新しい猿之助本人の気概のようなものを感じずにいられない(松竹側は当初、襲名披露公演でのヤマトタケルに難色を示したというし)。ことに実際に舞台を見て、その思いを強くした。(つづく)