六月博多座大歌舞伎昼の部「ヤマトタケル」を見て 4

「泣ける」という言葉で役者の演技を称賛するとき、「人情に訴える芝居をする」意味であることが多いように思う。言い換えれば、「人情に訴える芝居のできる役者が良い役者」であるかのような共通認識があるような。確かにそれは正しい。そういうすばらしい役者をたくさん知ってる。歌舞伎の世界でも、たとえば十八世勘三郎の俊寛などは、テレビでわずか5分ほどのハイライトを見ただけで涙腺がゆるんだ。

そういった部分で亀ちゃんが優れているかといえば、残念ながらそうは思わない。先に書いたように、映像や現代劇も含めて、亀ちゃんの演技で泣いたことはない。それに対して「頭で演技をしているから」とか「技巧に頼りすぎている」という批判は常にある。本人が今後どのように処していくのかはわからない。年齢や経験と共に深化していくかもしれないけれど、そうでもないかもなという気もして、それはそれで…と思っている自分がいる。

役者の魅力は「人情で泣かせる」以外のところにもある。特に生で見る歌舞伎という舞台においては。海老蔵助六が見せる華やかさ、十二世団十郎の大きさ・おおどかさ、菊五郎の「知らざあ言って」のきっぷの良さ。

亀ちゃんはというと、なんといっても気魄である。華奢に見えて実は強靭で、子どものころから踊りの名手として知られた確かな技術を持っている。そしてその体に宿る類稀なる気魄は、舞台上で何のためらいもなく体をほとんど極限まで酷使させ、あげく、もはや体の中に収まりきれないといったふうに劇場じゅうにドバドバと溢れてくる・・・感じがする。

言葉では説明しがたいが、実際に舞台を見るとたちどころに、ダイレクトに理解できるものだ。役者たるもの、ことに木戸銭もバカ高い歌舞伎の花形役者たるもの、誰もが気魄をもって舞台に立っているはずだが、テレビ等での露出も増えたからとはいえ、ここ6,7年の亀ちゃん人気、集客力には目を瞠るものがある。その気魄あふれる舞台の虜になったファンがいかに多いかという証左だろう。

といっても、亀ちゃんの気魄はいわゆる体育会系的な、明るくまっすぐな(たとえば某修造氏のような・・・ってわたし修造も好きですが)なものではない。同世代の梨園の御曹司たちとは異なるところに生まれ、異なる道を切り拓いて歩んできたわけだが、それがまさに澤瀉屋のDNAということになるのだろう。新しいことをやる。予定調和、付和雷同、寄らば大樹などもってのほか。我が道をゆく、前例がなければ作る。自分にはできる。批判したい奴にはさせとけばいい。反骨精神、なにくそ根性、そして強烈な自負心が彼を突き動かしている。

屈折しつつ、なお不屈の気魄。それが亀ちゃん史上もっとも烈しく美しく、圧倒的に表出したのが、この猿之助襲名公演なのだろうと思う。澤瀉屋の精神を貫くために澤瀉屋(先代の猿之助劇団)から去ったという驚くべき矛盾を経て、澤瀉屋の棟梁として戻ってきた。義経千本桜の四の切、舞踊黒塚、いずれも澤瀉屋の家の芸だ。そしてヤマトタケル。先代のためにつくられた演目を、先代と比べられることを承知で、選んで、勤めている。

まるで無尽蔵が求められる体力や、異端と軽んじられることを厭わぬ胆力、観客を熱狂させる華。猿之助に必要なそれらの資質を備えていること、けれど先代のコピーではない、亀ちゃんの猿之助が見られたヤマトタケルだったと思う。「父のような役者に」と言える御曹司とは異なる、けれどすがすがしく頼もしい襲名が、ヤマトタケルの上演をもってなされた。