『天皇の料理番』 第4話 ・ 第5話
うまいなあ、と感心しながら見てる。特別、奇をてらってはないんだよね。むしろ、「あー、こうくるだろうなあ」という展開が多い。しかも、それをちゃんと先に匂わせてる。だけど「工夫がない」とか「視聴者をバカにしてる」とは思わないんだよね。親切設計に感じられるというのかな。多少なりとも心の準備をしているので、ハードな展開も受け容れられるのかもしんない。
そう、ハードな展開続きですよね。主人公、いい勤め先はクビになり、妻は流産し、愛想尽かしにあって、新しい職場でオーナーの妻と懇ろに・・・。そのほとんどすべてに自業自得臭がぷんぷん臭ってるんだけど、実際、起こっていることはハードですよ。俊子も兄やんも本当に気の毒だし。
でもその「自業自得なハードさ」に耐えられるのは、もちろんまずもって「天皇の料理番」という輝かしいゴールが示されているからだし、「あー これ そのうち、嘘はバレるわ、しかも最悪の方法で」とか、「この時代の結核は不治なのでは・・・」とか、「高岡早紀が出てきて色事がないわけない!」とか、あるていど前もって見えるからでもある。
セリフが巧いのもあると思う。
「うちは、美味けりゃいいから。でも儲かんないのはごめんだよ」
「無事な子の産まれる仲でもないようですし」
「ジュテ蔵」
「いい人さ。あんな優しい人はいないよ。人にも優しいけどてめえにも優しいんだよ」
「色気が襦袢を着てるような女だったねえ」
「おめえは、ヤクザけ」
「かたつむりも、殻がなければ、いくらかは早く歩けるでしょう」
いいセリフ、辛辣なセリフ、面白いセリフ、どれもキッパリしていて言葉選びに迷いがなく、的確。だから引き込まれる。
人物造形も絶妙だと思う。
篤蔵は未熟で考え無しでわがままで、おかげでひどい事態を次々と招くんだけど、その未熟さや愚かさは、実は視聴者にとっても「身に覚えのあること」だったりする。上の人につっかかったり、咄嗟に嘘をついてしまったり、親や恋人に甘えていたり。それで人を傷つけていることに気づいていなかったり。だけどそれだけの人間じゃない。本当は真心を知っているし、親兄弟も恋人も大事に思っている。
そんな、人間臭さの上に、「超一流になる」って属性がついてるのがいいんだなあ。そして、「超一流」が時々、ちゃんと顔をのぞくんだよね。その魅力と、残酷さ。
辰吉はかわいそうだった。すごくいい奴なんだよね。一度は目をつぶって、しかも篤蔵本人にちゃんと「俺は知ってるんだからな」って言ってやった。それでも、小さなことがいろいろ重なって、友情や仁義や人としてのプライドよりも、ネガティブな気持ちがふっと勝った瞬間に告げてしまった。
それを篤蔵が責めなかったのはせめてもの救いだったな。あれって、篤蔵は自分もすっきりした面があったのかな、って思う。華族会館と公使館の二重生活には疲れてただろうし、荒木は実際、ヤな奴だったしね。あのときの篤蔵にはああするしかなかったのかな、と思わせるところも、脚本、うまい。
それでいて篤蔵の背中を「三度目に」蹴りつけた宇佐美の気持ちはどうだったろうと考えると胸がギュッとなるよね。このドラマ、小林薫の存在感がすごい。主人公が足元にも及ばないような、とてつもなく大きな存在にちゃんとなっている。日曜8時で奥田瑛二が無駄遣いされてるのとは大違いである。
鈴木亮平も、数多い助演のひとりとはいえ、あんなに減量して役作りする甲斐があるってもんじゃなかろうか。華族会館をクビになって甘え癖が出ようとする篤蔵が読む兄の手紙。ずっと優等生で将来を嘱望されてきた兄が、のく蔵の弟を「羨ましい」と言わねばならぬ無念。失意で帰郷した兄を迎える父母の表情も見ものだった。
篤蔵・俊子の両親はどちらも常に良い味を出していて、愚息に厳しいけれど善良な父と、おとぼけだけど優しい母の、杉本哲太・美保純の夫妻。5話では「おめえは、ヤクザけ」のあと、ついに「縁切りだ」と宣言する夫を妻が「雪、降ってるし」となだめようとするのはナイス台詞。そのあと父は激昂するのだが「おめえはいつになったらまともになるんだ」の後に「いつになったら俺はおめえを信じられるんだ」と続けるのが、後者の重みを感じさせてすばらしい。親の愛情と願いとの悲痛。
俊子父を演じる日野陽仁という人は、わたし初めて認識したんですが、すごくうまい役者さんですね。憎たらしいほど吝嗇だけど手堅くまっとうな商売人であり父親であるという造形が見事に表現されてる。今wikiったら、この方、本作の方言指導も兼ねてるんですね。さすが。
6話の見せ場はなんといっても篤蔵・俊子2人の場面だったんだけど、脚本・演出・演技ともに圧巻だった。小細工をせずじっくり見せる演出で、2人の稚いけれどお互いを思いやり合う気持ちに始まり、途中でハタと俊子が方向を変える。
これ、最後に実母に「うちはかたつむりの殻ですから」と告げたように、主旨としては篤蔵を思って、「篤蔵を宇佐美のような立派な料理人にするため」の愛想尽かしなんだけれども、ただ綺麗に身を引くのではなく、途中で、流産したつらさ、置いて行かれた悲しみ、「本当はずっと大事にしてほしかった」、「あなたは身勝手で考え無しで・・・」・・・
そう、次々に本音が出て来るところがいいんだ。こうじゃなきゃ! 「東京になんか行かないで、松前屋を継いでください」それも俊子の本音。それが叶わないのは最初からわかっている。それでも口に出さずにいられなくて、やっぱり断られて、絶望する。そして「これであの人は自由になれた」と、せめてそれを救いにしようとする。この、何段階もの絶望!! 黒木華の表情もセリフ回しも最高でした。
篤蔵のほうはといえば、これがまた見事な何段階ものクズ男で、走り去る俊子に向かって散々な悪態をつくんですよね。「おめえみたいに辛気臭い女、こっちから願い下げだ!」 そう、実際、俊子のけなげさ大人しさは、裏を返せば「辛気臭さ」とも映るわけで、こんなときに正鵠を射た表現で罵倒する残酷さ。これがもう、佐藤健が鬼のような形相をしてるんですよね、俊子が気を利かせて持ってきてた傘も無茶苦茶に壊して。そのうえ、実家に戻って「100円じゃなく200円くれ」と無心をし、さらには東京に戻って食堂のおかみさんと「どやっちゃー!!」って、ホント、これでもかってぐらい畳みかけてくるよ森下脚本・・・
でも、ここまでやってくれるから気持ちいいんだと思います!! 覚悟があるよ。このドラマには。『JIN』も見てたけど(全部見たのはシリーズ1作目だけだけど)、こっちのほうがずっと面白いと思う。基本、受け身で巻き込まれタイプの主人公だった仁先生と違って、篤蔵は完全な「能動的主人公」。しかも実在の人物。それを、大胆に、覚悟をもって、堂々と描いてる。こういう人に大河を書かせないとダメです。もはや、時代考証云々とかいってる場合じゃない。日8最大の危機は、覚悟の無いドラマの放映率が高くなっていることだと改めて思う。
「JIN」~「ごち」~「料理番」と傑作をモノにし続けている森下女史。脂が乗り切っている。あ、夏のNHKのスペシャルドラマもひとつは森下作品だったっけね。NHKがわは2017か18の大河のオファーをしただろうと思うのだが・・・