『殿様の通信簿』 磯田道史

殿様の通信簿 (新潮文庫)

殿様の通信簿 (新潮文庫)

出版時からけっこう話題になっていたと思うが、聞きしに勝る面白さ。ほぼ一気読みしてしまうとは予想外だった。

それだけ、周到に準備されている本。古文書の読み込みという学者の仕事、玄人技もさることながら、「読ませること」を考えてある。水戸光圀(黄門)、浅野内匠頭と誰でも知っている人物を冒頭に持ってきて彼らの意外な姿を描き出し、池田綱政というなじみのない殿さまについては、「子どもが70人以上!」という下世話なネタで読者の気を引く。3章にわたって語られる前田利常は加賀百万石の殿さまだが2代藩主で知名度は低いので、その前章に前田利家を置く。すばらしい親切設計なのだ。それまで読み進めていれば、終章の本田作左衛門の気骨と哀切はとりわけしみる。

江戸時代の殿さま、つまり藩主というのは、260年を通じると、ざっと3,000人もいるそうだ。その中の、「戦国末期から元禄期」までを生きた殿さまから、7人が選ばれている。それは、「変革から安定へ」という時代を生きたということ。このような過渡期には、世代間の意識の断絶や、行動の形式化・形骸化などが生まれる、と作者は「あとがき」に書く。歴史に通底する普遍性を炙りだそうとしたということだろう。

読みやすいし、知的娯楽を意識して書かれているけれど、雑学的ではなく、学究的な雰囲気のあるのが良かった。

蛇足。著者の本を読むのは2冊目。一冊目は堺雅人主演で映画化もされた「武士の家計簿」だった。あちらは新書、こちらは単行本という出版形態の違いもあるかもしれないが、文の違いが顕著である。今作「殿様の通信簿」は、文体といい、歴史の中の場面を見てきたような書きぶりといい、「怜悧」とか「心酔しきっており」のような主観の断言といい、司馬遼太郎を彷彿とさせた。それに眉をひそめたり、あるいは鬱陶しく感じる向きもあるかもしれないが、まあ司馬ほどの巨人ならばフォロワーが出てくるのはごく自然である。日本文学にも、村上春樹チルドレンとでもいえるような、春樹っぽい文体を書く人がいろいろ、いるそうだしね。