『昭和天皇(上)(下)』 保坂正康

昭和天皇〈上〉 (中公文庫)

昭和天皇〈上〉 (中公文庫)

昭和天皇〈下〉 (中公文庫)

昭和天皇〈下〉 (中公文庫)

天皇の学校」を読み終わったあと、すぐに本棚から取り出して再読。
生い立ちから崩御に至るまで、昭和天皇の一生について丁寧に追った書。この87年間は、ほんと超重量級。へたな小説読んだり映画見たりしたあととは比にならないくらい、ずどーんとくる。まぁノンフィクションの力ってのはそういうものなんだろうけど、それにしてもこの一生はすごい。

著者の昭和史研究の大家である保坂正康について、小林よしのりなんかは「蛸壺史観」といって批判しているらしい。確かに、本書においても、事実のみを書き連ねているようでありながら、明らかに天皇に同情的な視点がみられる。ま、だからこそ、私はこの本が好きなんだけどね。同じ昭和天皇の生涯について書いたものでも、ハーバート・ビックスなどの著書は非常に批判的だと聞くし、そっちに共感する人だっているだろう。

昭和天皇を語るうえでは戦争というものを外すことは当然できなくて、だから安直な感想というのはとても述べにくい。戦争責任問題についてなど、自分も、親すら戦争に遭っていない世代があれこれ言っていいの?なんて思ってしまうし・・・。

でも、こういう本を読むにつけ、昭和天皇ご自身も、やはり運命に翻弄された人だと感じる。
「現人神」なんて言われた戦前戦中ですら、立憲君主たる天皇の実質の権限は、古今のアメリカ大統領よりもずっと限定的なものだった(と、いくばくかの歴史を学んだ私は断言したい)。天皇の力で開戦を回避することは不可能だったと思えてならない。
軍部が政治を掌握し暴走してしまった時期、天皇のもとへもマイナス情報が知らされないことが多々あったのもおそらく事実だろう。側近の証言はもとより、戦前・戦中を通じて、天皇が公に発表した和歌などを見ても、国民の犠牲を心底厭い、戦線の不拡大を望んでいたことは明らかだと思う。終戦時の聖断や、終戦直後の占領下で、すぐに全国への行幸を始めたことも、その意のあらわれではないか?

極東裁判の被告にならなかったこと、退位をしなかったこと、それらには、当時日本を占領していたアメリカ側の事情を始め、政治的要因がもちろんあるだろう。それでも、戦災にあった人々のほとんどが天皇行幸に対して石を投げるどころか、手をふってこたえたのは事実。天皇の断罪でも退位でもなく、国民の象徴でい続けることを選んだのは、結局日本人だと思う。世論が反対ならば、GHQの政策だって当然変わったはずだ。

そして、その世論が形成されたのは、天皇がいわゆる「人間宣言」をして突然地上に降りてきた、というのではなく、当時の国民が、「天皇はいつの時代にあっても、国民のために祈り続ける人だ」とでもいうようなことを、自然に感じていたからじゃないのかなあ。どんな性格の天皇でも受け容れられたっていうわけじゃなく、昭和天皇が、ああいう人だったからだってのも大きいんじゃないかって思う。

確かに、天皇というのは日本独自の文化(文化じゃないか?)で、そもそも戦前から、外国でいう王朝の絶対君主なんかとは違うし、特に戦後は政治から切り離された存在であることが明確に法で規定されたという面もある。それでも、暴君や、暗愚を諾々と戴き続けるほど、国民はばかじゃないと思う。うーん、これは、私がそう思いたいってだけなのかもしれないけど・・・。天皇を通じて、日本を肯定したいってだけなのかなあ。