『この国のはじまりについて』 司馬遼太郎対話選集1(感想下)
この国のはじまりについて―司馬遼太郎対話選集〈1〉 (文春文庫)
- 作者: 司馬遼太郎,関川夏央
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2006/04
- メディア: 文庫
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●渡来の人々が関東に渡ったのではないか?説。
●1.関東では「なんちゃって」と言えるが関西では「なあんちゃってえ」。関西の言葉はフィリピン語のように母音が長く、最後も母音。対して、関東は非常に歯切れがいい=子音の重なりをちゃんと発音できる。朝鮮半島の人たちが子音の発音がうまいのと関係があるのでは?
●2.西日本には、若衆宿や妻問いの風習など、南方的な母系社会のにおいが強い。関東には、厳格な父系社会のにおいがあり、北アジアから入ってきたのではないかと感じさせる。
●開拓が進み、平安末期から関東で濃厚な変化が起こり始める。武士の勃興。名誉のためには、たとえ討たれようと強い敵に対しても向かっていく、という倫理の誕生。日本人には欧米人のキリスト教にあたる倫理宗教はないが、この「名こそ惜しけれ」がモラルになっている。
●もうひとつ、坂東平野→頼朝→鎌倉幕府の成立の意味とは、リアリズムの誕生。京都のお公家さんが形式的に坂東に土地を持っているそれまでの時代に比して、鎌倉武士には、「これはおれの土地だ」あるいは「おれの土地にするために、鎌倉殿を推す」というリアリズムがある。これが、芸術や宗教にも大いに影響した。
●庶民を均質な数の子みたいにしてしまっている社会、神秘主義的な、民衆を神秘的権威のもとに隷属させていた時代から、数の子たちが一個ずつ鎧を着て飛び出していくのが鎌倉、坂東。
●江戸時代。江戸と大坂は持ちつ持たれつ。諸大名が領民から絞った米が現金になり、江戸に集まって盛大に使われる。しかし江戸には、お金と米と、葛飾の大根とどこそこの葱があるだけ。酒も着物も飴玉さえも上方から送ってもらう。これは、上方の商品経済を発達させるうえでものすごい力。
●大阪が商業都市だというけれど、江戸あってのこと。江戸へ物資を送るために栄えた。上方商人は江戸に店を持ち、また、元禄以降には、江戸から太平洋を通って八戸に行く便ができるので、上方商人はそれに乗せて行く。
●すでに大消費都市だった江戸と違って、その直前まで焼畑もやっていた八戸の地にいきなり商品経済を持ち込むとどうなるか。御家中に上方の古着を売りつけてお金を作る。そのお金で高利貸しをやる。すると農民は返済できないから山野を抵当に入れて流す。古着屋が、またたくまに大地主になる。すると藩も、そっちから税金をとるほうが簡単だということになり、上方商人=大地主=大金持ちと藩が癒着して、民衆をいよいよ奴隷化していく。
●普通、領主階級というのは外敵に対して臆病なので、防衛の難しい海岸ではなく、安全な山奥にいたい。それが、江戸時代に入ると、幕府の力が強大で(といっても中国やヨーロッパの強さとはと違って調整権力である)、もう乱はないと思えたから、全国どこでも、海岸で大きな商圏をもつために、海岸近くに城下町を作った。それらが船で結ばれたため、日本国すべてが商品経済の圏内になった。それは、明治維新の統一を非常にたやすくしたともいえる。