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『ツレと貂々、うつの先生に会いに行く』 細川貂々、大野裕

ツレと貂々、うつの先生に会いに行く (文庫)

ツレと貂々、うつの先生に会いに行く (文庫)

貂々さんの本は何冊かもっている。うつについて書かれたものも、そうでないものも。
どちらもとても好き。うつについての本を「好き」っていうのも何か妙だけれど、貂々さん(夫婦)の書く「うつ」についての本を私は信頼している。

この本は、専門家の先生との対話を中心に書いてある。貂々さんの手によるものなので、もちろんマンガが中心。マンガだから読みやすいんじゃない、貂々さんが描くから読みやすいんだと思う。

貂々さん、夫のツレさん、そして大野先生の3人それぞれが書いてある「あとがき」が、優しく落ち着いた筆致ながら、胸にきた。

●貂々さん

私の夫 ツレは昔うつ病という病気になりました
妻の私もうつ病という病気と向きあわなくてはならなくなりました
ツレと私の間にはいつも病気がいました
私は病気の向こう側にいるツレと話 ツレも病気の向こう側にいる私と話します
それは私とツレだけでなく ツレと関わっている人すべての人が同じでした

間にある病気の存在が大きすぎてツレを見失う人もいれば
病気の存在をムシする人もいました

人と人との間に「病気」がある。うつに限らず、病気というものの本質を突いた表現だと思う。

●ツレさん

今、僕は四十代最後の年齢となってしまった。三十代の最後にうつ病になり、うつ病と共に四十代を過ごしてきた。(中略)治ってからもうつ病について考え、うつ病について語り、元うつ病患者ということが今は肩書のようにつきまとっている。それはちょっと、いつも背負うには重すぎる鎧のようで、正直いって時々ウンザリすることもあります。

(中略)まあ、でも、僕の四十代の経歴は「うつ病」をとったらほとんど何も残るものがないようなものです。厄介な病気だけど、病気によって培われた自分の人生だと思う。

病気と人生。淡々と書いてあるけど、あまりに深い文章。

●大野先生

うつ病という病気を治療しようとすると、私たちはどうしてもうつ病にばかり目を向けてしまいます。それはそれで大事なのですが、そのときにうつ病に苦しんでいる「人」を忘れないようにしなくてはなりません。その人が一人の人として何を苦しんでいるか。その人をどう手助けするか。その人が持っている心の力を生かすにはどのようにすれば良いか。


(中略)うつ病に対峙するためには、私たちがいま持っている手立てをすべて使う必要があります。それと同時に、うつ病の人が本来持っている力を引き出すことも必要です。抗うつ薬などの薬や認知行動療法などのカウンセリングは、まさにそのためにあるのです。

「人」を大事にすること。人と人の間に「病気」がある、という貂々さんの述懐は、こういう方向に向かっていくべきなんだよね。そして、うつ病であってもその人がもっている「力」に着目するのも大事なことだと思う。

アメリカ大統領リンカーンについて書かれた本の書評を思い出した(その本自体を読んだわけではない笑)。そのときの自分のログを引用します( http://d.hatena.ne.jp/emitemit/20131120#1384944617

(書評引用はじめ)『青年時代の恋愛や結婚、壮年期の政治家としての挫折、晩年期の大統領としての戦争遂行や奴隷解放などに伴う大きなストレスの中で、うつにとらわれながらも(うつだからこそ)、理性、詩、ジョーク、聖書などをよりどころにして困難を克服し、偉大さに近づいていった。』(書評引用終わり)


しかもこの本は、「うつ病は欠陥ではなく、むしろ「資産」である」というスタンスで書かれているらしい。著者は自身もうつ病であることを仄めかしながら、うつ病に苦しむ人々を治癒されるべき患者としてではなく、成長する能力と意思をもった主体として捉えるべきである」と訴えているという。