鬼アプリから派生して〜子育てのいま 2

とまあ、長々しくIT擁護論を綴ってきたんだけど、私自身は、わが息子3歳なりたてに、まだスマホ(やPCの類)を扱わせてない。あ、そういえば、you tubeで子どもの好きなAKBの動画を見せたことあるけど(ええ、それは自分が見たかったから…)。子どもの“スキマ”時間をITとかゲームとかで埋めたくないなーっていう思いが、以前から、なんとなーく、あった。スマホは渡さなくても、スキマ時間にDVD見せたりはしてるし、確固たる信念があったわけではない。本当に「なんとなく」な思い。

私ですらこうなんだから、息子なんか、もはやITなしの人生などありえないだろうし、であれば、むやみに遠ざけるよりも、むしろ親の目が行き届くうちに、いいところも危険なところも教えたほうがいいと思う。これからの子どもには、読み書きそろばんと同じように、ITリテラシーが必要不可欠。

でも、だからこそ、今。ITに触れなくても済む「今」が大事なんじゃないか。この「今」は彼の人生の中で本当に短い時間だろうから。私の「なんとなく」って、そういうことなのかな、って、最近思ってる。

子どもが1歳ぐらいのころまでは、幼稚園(保育園)なんてどこでもいいし長い人生の中で大差ない、家族の愛情があって基本的な生活習慣を身につければそれで十分、と思ってたけど、子どもの成長を見るにつけ、子どもを取り巻く環境を感じるにつれ、そういうことだけじゃないかもな、って思うようになってる。幼児の時期ってすごく大事なんじゃないかな、と。

いわゆる幼児教育、早期教育の類の話ではなくて、むしろ逆。

たまたま目にした印象的な文章があった。こんな主旨。

昔の親たちは、現代のように子どもの教育に熱心ではなかったけれど、そんなに不安も抱かずに、そこそこに子育てしてた。やんちゃな子も、おとなしい子も、のんびりかまえてそれなりに育てていれば、そのうち立派な大人になるもの。そのぐらいの子育て観でじゅうぶんやっていけたし、実際、だいたいの人がそこそこちゃんとした大人になった。

なんでそんなに大らかでいられたのか? 

それは、昔は、農業や漁業等に携わる人が多く、子どもを「生き物」だというイメージで捉えていたからではないのか。小さなタケノコだって、雨風に打たれるうちに、いつのまにか大人よりもずっと高く長く成長する。毎日まいにち何センチ伸びたかと測ってもしょうがないし、肥料や水をやりすぎれば根腐れしてしまう。自然の成長にまかせるのが一番だと本能的に知っていたのだ。

では、今はどうか。今の親は、子どもをなんのイメージで捉えていると書いてあったのか。ペット? いえいえ、違うんですよ。

今の親は、買い物で手に入る「商品」に子どもを重ねているのではないのか。いろんなアイテムやオプションをつけてフル装備させようとしている。おしゃれなアイテムや、幼児のころからの読み書き・計算・英語能力といった利発さ、上手に泳いだり体操したりダンスしたりできること。それらの付加価値が何かないと安心できないし、多ければ多いほどいいと思っている

まあセンセーショナルに書いてある部分はあろうけど、なんとなく、頷けるところがあった。

親ならば、この小さな子に与えるべきものってなんだろう? と、無意識に考えるでもなく考えながら、わが子の環境を作っているものだと思う。

私はといえば、息子にはまだ習い事もさせていないし、やれ動物園だ〜トミカ博だ〜川遊びだ〜と、子ども向けの場所にあちこち連れていくこともあまりない。幼稚園はひらがなも教えないようなところを選んだし、3歳(年年少ってやつね)の今はまだ週1回午前中だけ。ペーパードライバーなので行動範囲も狭い。

まあ元来ずぼらゆえの至らなさなのだが、私の中には、「そんなにもたくさんの刺激は子どもに必要なのか? より効率的に、最適化された方法で与えられる、遊び/学びの機会や材料。それらは果たして本当にすばらしいことなのか?」という疑問が、そこはかとなく、あったのだと思う。以前から。

今どき、いい学校を出ていい会社に入ったら一生安泰…なんて思ってる親はまずいないと思うけど、ただ職を得て、そこそこに生きていくことすら難しい時代であるという切実な現代人の感覚が、育児に対しては、より「コンテンツ至上主義」とか「周囲から遅れること、機会損失への恐怖感」などを煽っている気がする。

幼児教育教材の勧誘マンガでは、必ず「○○ちゃんは上手にごめんなさいって言えるのに、うちの子ったら…」みたいな困り感を突いてくるし、幼稚園選びでは、やはり、コンテンツの豊かな印象があるところが人気なのだなあ、と実感した(読み書きや英語のようなお勉強方面だけでなく、食育とか体育、音楽的なものまで、本当に多岐にわたるコンテンツによってカリキュラムされているのだ。もちろんそのように充実したプログラムで“のびのび育てる”と謳われている)。

3歳から入れる私設の野球クラブやサッカークラブがある。道場のようなところでやる体育?格闘技?も人気。もちろん3歳や4歳で競技のようなことができるわけではない。そういうところでは往々にして「心を育てます」というのがひとつのウリになっている。仲間と協調したり、己を律し向上させたりする心…そういったところで、心技体を磨いてくれるらしい。うん、昔から、地域の野球クラブとかってあったよね。リトルリーグ的な。そういうところで、結果的に心が育つことは実際にあるよね、きっと。でも、「心を育てます」と正面切って言われると、途端にうさんくさく、押しつけがましく感じるのは私だけ? 

念のため。子育ての方針はもちろんのこと、家族構成や就労環境、経済状況、そして子どもの個性も各家庭で違うし、他人には見えない事情もあるから、個々の事例を否定するつもりはないです。(つづく)

『八重の桜』 第35話「襄のプロポーズ」

尚(しょう)と襄(じょう)が並び立って出演する今回。となれば気になるのはOPクレジット。結果は、

八重〜覚馬〜襄〜浩〜時栄〜容保(トップGトメ)〜〜〜(中略)〜〜〜尚(トメGトップ)〜槇村〜佐久(大トメ)

だったなし。尚さまをトメGへ。その手できたか!て感じですね。なんかこの大河はけっこう、大胆な移動がありますよね。尚さまはこれで終わりですが、他の人、慶喜さんあたりなんか、中G→トメG→中G みたいに右往左往(違)してましたもんね。機動的、とでもいえば、よかろーか。

で、八重の夫は三番手が定位置である、と。覚馬は二番手キープ。ここへきての佐久のトメG送り(定着するのか?)も含めて、やはりこれは、「八重と夫の物語<山本家の物語」である、という解釈でよろしいんでしょうか。個人的には、以前、twitterで、ある方とお話したんですけど、襄本格登場後は、八重〜襄〜〜〜〜〜〜〜覚馬(大トメ)の流れを推してたんですけどね。ええ、それは、ジョー八重をひっつけたいから、そしてあんつぁま大トメと見たいから。

ちなみに今回、時尾ちゃんは、旦那にひっぱられて中Gに移動してました。あの夫婦はアメリカかぶれしてないので、ちゃんと夫〜妻 という順番でクレジットされたんですよね(笑 違)

本編は今回も歴史パート(中央編)はほとんどなし。ちゃちゃっとプロポーズしてみたものの、眠れなくなってるジョー先生萌え〜。「夢中になると、どうもいけません…」(by 新島七五三太少年)っていう本質のままに、勢いこんだプロポーズだったんですね。てか、どんだけかわいいネグリジェ着て寝てんだwww 

そして翌朝の山本家の朝食wwwww ここはもう、びっくりする覚馬が貴重すぎてかわいすぎてガン見ですよ、ガン見(腐)。凍りつく一同をよそにマイペースの久栄ちゃんもかわゆい。ジョー先生は朝ごはんの片付けもお手伝い。はぁ〜我が家にも居候に来て〜。

時尾ちゃんとの再会はもっと先でやるのかと思ってましたが、ここでした。金屏風の前に並んでる斉藤…あらため藤田さんが(元)剣客に全然見えません。斉藤時代はこんなに丸い印象じゃなかったのに。とまれ、媒酌人に殿、キタ--------------!!!!!! うわ〜、こちらも、オーラが半減してる感。狭い部屋で佐川ふぜいと並んで座って、仰ぎみられずに言葉をかわしているのと、着物の質感が浩・官兵衛と変わらないのとが大きいんでしょうが、背負うものがなくなった、ということで、こうも違うのかな〜なんて考えてもみる。

「今でも戦争で亡くなった方の供養を一日も欠かさず」とは時尾ちゃん談で、それも真実でしょうが、一方では、明治8年?9年?ともなると、少なくともふたりの側室との間にお子をぽこぽこもうけられてもいたはずで、そのあたりもドラマで多少触れてほしかったですね。これは下世話な好奇心ってわけ(だけ)じゃなくて、当時の容保が、どこで、どのような生活をしていたかというのは、ぜひドラマでやってほしかった。これからやるのかもしれないけど、斗南藩でも容大を出さなかったしさ〜ブツブツ。浩についても、もうちょっと書き込みがあっていい気がします。日々の生活やら、心情やら。

新旧 斉藤一のサシ飲みは超アツかったですね!! …って、アタシ、『新選組!』見てなかったの(´;ω;`)今日ほどそれを後悔した日はなかったかもしれないわ…。こういう年輪があるから、大河は見続けなければならないわけよ!(力説w) いや〜話は盛り上がったでしょうね。kj「それで鳥羽伏見では源さんが・・・・」 ジョー「そうそう! 弾がね!!」 kj「…え?なんで知ってんの?」的な(違)。ジョーが耳に葉っぱ飾りつけてるのがもう超萌えで、誰だよあんなこと考えつくのは!!!!

さて、そのサシ飲みは何もファンサービス(だけ)ではありませんで、斉藤さんが京都時代のことを語るんですな。いくら丸くなった斉藤とはいえ、初対面の、しかも戦争を経験してるわけでもない相手にそこまでペラペラ喋っちゃうのが、襄の宣教師としての能力であり人間的な魅力であったということなんでしょう。あるいは、形は違えど、襄もまた、京都の地に学校をつくるという自分の使命に命を賭けているわけで、そのような共鳴もあったのかもしれません。ともかく斉藤は斉藤で過去と対峙するために京都に来たんですね、しかも伴侶をも連れてきたってことは、対峙も、伴侶への思いの強さも生半可ではないってわけ。めでたしめでたし。襄は襄で戦乱に身を置いた人の心情を聞いて、八重にも思いを巡らせたことでしょう。

「うちの人」っていう表現は、なんとなく、武家の奥方っぽくなくて、まあ実際、時尾ちゃんはもはや武家の奥方になったわけではないし、時代の移り変わりみたいなのを意識した表現だったのかな。八重ちゃんと時尾ちゃんの女子トークは新婚のなれそめから尚さま談義に及びます。八重さん、あの後、幾度か手紙を書いていたことが判明(ドラマ的に)。まあそうだよね、と思う反面、いったい何を書いたんだろーか、と思いもする。そして尚さま、死す。

尚さん筆の「会津戦記」が山本家に届くに至っては、正直なところ、これはちょっと物語をもてあそびすぎているというか、歴史に対する敬意を欠いているのではないかと思わざるをえませんでした。死を迎えるギリギリまで会津のことを考えて行動していた、というのは、尚さんを評価するための大いなる根拠になります、ものすごいインパクトがあり感動を与えます。それが完全な創作というのはどうなんでしょう。タイトルまでつけた文書。これは、ふつう、歴史に詳しくない視聴者(そういう視聴者が大半だと思われます)が見たら、圧倒的に「史実だ」と思ってしまうんじゃないでしょうか? 

これはドラマなのだから。八重の夫という大事な役柄の人だから。会津のために尽くした人だったのは事実なのだから。そういった様々な理由で、創作であってもOKではないかと思う人もいるかもしれません。でも、長年(?)大河ドラマを見てきてる私の感覚としてはアウト(註:個人の感想です)。ちょっと一線を越えてしまってる感がありました。八重と再会して会話と抱擁を交わして…とか、修理が最期に容保と面会して…とかは、子どもならともかく、分別ある大人なら「たぶん創作だな」とうすうす感じつつ感動するはずで、創作ってそれぐらいであってほしい。

その後TLで、この「会津戦記」は、山川健次郎(前髪クネ男ね)が編纂した「会津戊辰戦史」につながるのではないか、という卓見を見ました。これはいろんな人の証言等を編纂したものなので、その一部として、尚さんの書いたものが採用されていてもおかしくない…という解釈ですね。なるほど。それを念頭においたエピソードだったのかも。が、しかし! 私はその流れもちょっとイヤだ。

尚之助の研究が進んだことがどんなに有意義だとはいえ、やはり会津史第一級の史料として、「京都守護職始末」とか「ある明治人の記録」とかがあるわけですから、なんつーか、それらをないがしろにしないでほしいと思うんですよね。もしあの「会津戦記」がきっかけで実在の史料が編まれることになったりしたら、私は「また尚さんか」と思ってしまう。せっかく大好きだった尚さんをそんなふうに思わなきゃいけなくなったら、私は作り手を憾みに思うわ・・・。

覚馬が言う「尚之助は病気で死んだのではない。あの戦争で死んだんだ、時間をかけた戦死だ」の言葉は、ドラマの作り手が核としてもっている思いだと思います。その思いに賛同します。歴史に埋もれていった人々に光をあてるということ。戦争は、ただ戦闘のみならず、その後も、時間をかけて緩慢に殺傷していくものでもあること。

でも、その被害者って尚之助だけじゃないですよね。会津戦争ひとつをとっても、そういう殺され方をした人はたくさんたくさんいたわけですよね。もちろん八重が主人公のドラマなので八重の周囲を中心に描いていくわけだけども、ちょっと、あんまりにも尚之助ひとりに敗者の悲哀を集約させすぎているように思えます。しかもあまりにも崇高な人として描いているもんで、敗者の美学に走りすぎているような。そういうふうにしないことが、このドラマの美点だったはずなのに。

確かに、尚之助は会津のために戦った人で、最後まで会津の、時代の犠牲になったのだろうけども、そういう人は、ものすごくたくさんいたし、生き残った人にも、それぞれの苦労、忘れ去ることのできない痛みがあったはずです。ここへきて、なんだか、そのことがあまり感じられない描き方になっているのが残念。尚之助以外の会津人の明治の悲哀や苦闘にも、もっと踏み込んでほしかった。いえ、尺がないのはわかってますけど。

ドラマをどういうふうに見ようがそれぞれの自由ですが、元々さほど興味のない人たちにも歴史の何たるか…が感じられるのが大河ドラマの意義のひとつだと思うのに、なんか最後には無国籍無時代のラブ(悲恋)ストーリーみたいに見てる人が多い感じがして…(こういうふうに人の感想が気になってしまうのがネットとの付き合い方の難しいところでもある)。これが、「江」とかだったらね、ここまで残念にも思わないんですが(全体が残念すぎるので)、せっかくの、せっかくの八重の桜クオリティだったのに…!と、妙に悔やまれるのです。

まあ先に進みましょう。笑顔でピクニックと称して三郎戦死の場に連れていくジョー先生の無神経っぷりにはドン引きしましたが、そこが「八重の桜」が時々ぶっこんでくるハメコミ映像+ハリボテセットでちょっと苦笑。おお、三郎よ、なんと哀れな…! でも、「亡くなった人はもうどこにもいきません。ずっとあなたのそばにいて支えてくれる。あなたが幸せになるように。耳をすませばその言葉が聞こえる」という言葉には、思わずホロリときてしまいました。

登場後まだ短いのに、そういう言葉を胸にしみこませる力が、ジョーの演じる襄には確かにあるように感じています。その直後に手作りサンドイッチを差し出す手腕(と演出)には脱帽敬礼! 靴も磨くし、襦袢も洗うし、朝ごはんの後片付けも手伝う人だと描いてるから、嫌味がなくてね〜。「手を、あったけぇ土にあてた手を、洗わねぇのかし!」と気になってしまったけど、いちお、反対の手で食べる八重さんでした。

襄のピクニックは八重の手当以上の荒療治でしたが、こういうタイミングって人生にはあるような気がする。当事者でない人に、ふと言われた一言が、すっと胸にしみいるようなこと。三郎の「行ってまいりやす!」、マッチゲ父さんの「わしの誇りだ」、そして在りし日の尚さんの回想の数々に泣けました。尚さんは確かに生きてたな、て、このとき感じました。その命がか細く消えていってしまった悲しみも。そして最後に聞こえる決めゼリフ「あなたは新しい時を生きる人です」。実際の再会のときには、やや陳腐に聞こえたセリフが、このときすごくしっくりきました。きっと人はそうやって、前を向いて生きていこうとするものだし、それでいいんですよね。

八重さんは悲しみを怒りや口惜しさに転化させる人で、その怒りが本当に美しいんですが、怒りを哀しみに戻してあげた襄…あんた合格だよ。「尚之助を忘れなくていい」って言葉がうすっぺらい絵空事に聞こえなかったよ。なんかそれっぽいことを言いそうな雰囲気がしてたんで、「はいはい五代くん乙」とか思ってたのに。襄本人については、相変わらずほとんどバックボーンが描かれていないというのに、この説得力。ジョー、想像以上におそろしい子…! 

ドラマ的に尚が死んで10数分後にプロポーズ受諾…ではあったけど、あんまり早っ!て気がしませんでした。明治8年。これまでもう十分、思い悩んできたはずだよ。そして、襄はきっと、八重には(生存している中では)唯一無二の男だよ。そう思えてます。誠心の人であり、宣教師らしい無抵抗さとかも、ややもすれば鼻白んじゃいそうなもんなのに、なんともいえないかわいさがあってたまりません。過去の悲しみを胸に作る新しいホームだからって、やっぱり明るいものであってほしいものですもんね。youたち、もう結婚しちゃいなyo!ってなもんです。