『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット~人工知能から考える「人と言葉」』 川添愛

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大学の研究室の先輩にあたる人が最近上梓した本。

私は学部生、川添さんは修士から博士課程に進まれていて、個人的におしゃべりとかはしたことないけど、いくつかの演習(ゼミ的な授業のことを九大文学部ではこういっていた)に出席され発言される姿を見て、修士/博士課程に残る人は、ほんっとうに優秀なんだなぁぁぁ…とぼんやり思っていた記憶がある。その後、川添さんは博士号を取られ、津田塾大学や国立情報学研究所で研究・教鞭をとられている(らしい)。SUGEEEEEEEE!!!!!!!!

そんなツテで、久しぶりに言語学の本を読んだ。私が言語学研究室に籍をおいていたころから20年近くが経ち、その間にもスマホとかsiriとかAIとかどんどん技術は進んでるけど、これを読んで出てきたのは、やっぱり「言葉が理解できる・話せるって、人間の能力SUGEEEEEEE!!!!!!」という、大学時代とまったく同じ感想であった。

●音素を正しく区別して理解できる。

「やかん」の「ん」と「あんみつ」の「ん」という、実は発音が違う音でも、同じ「ん」だとわかる。そういう、その言語の「音素」を私たちは正しく身につけている。(逆に、rとlとの違いを日本語では区別しない。同じく、kとgの違いを韓国語では区別しない。)

●赤いのも水玉のも、取っ手があるものもないものも、プラスチックのも陶器のも、ふちが欠けていても、同じく「cup」という言葉で表せる。

●機械は、「江戸幕府をひらいたのは誰?」とか、「エベレストの高さは何メートル?」という質問には正確に答えられても、
「フクロウのフク子さんは居間で新聞を手に取り、台所を通り、階段を上って、仕事部屋に行きました。新聞は今、どこにあるでしょう?」という質問に答えるのは難しい。

●画像・映像で表現し難い概念も、言葉では簡単に理解できる。
たとえば、「愛」や「権利」や「価値」を機械が理解して、画像で表せるだろうか? 表そうとしたら、必ず、それ以外の余計な要素が入ってくるはずだ。
「無」を画像で表すとき、私たちは黒か白か灰色一色に塗りつぶしたものを示すしかないだろうが、そこには「色」や「平面」といった「無」とは矛盾した要素が入っている。

たとえば、
「生き物はすべて呼吸する」
「生き物の98%は呼吸する」
「たいていの生き物は呼吸する」
これらの違いを、私たちはこれほど簡潔な言葉で瞬時に理解できるが、この違いを画像で表すのは困難だろう。

●同じ「AはBだ」という文型であっても意味はさまざま
たとえば「ライオンは動物だ」は、「すべてのAは例外なくBだ」という意味。
「ライオンは危険だ」は、「AはたいていBだ(しかし例外もある)」。
「ライオンは行方不明だ」なら、「特定のAはBだ」
「ライオンは百獣の王だ」なら、「種類としてのAはBだ」
これらの違いを機械が瞬時に理解できるだろうか?

・・・以上はほんの一部であって、「言葉を理解し、会話できる」という行為の中には、まったくさまざまな要素が隠れている。

そのことを説明するために、動物たちが「言葉がわかるロボット」を作ろうとしている…という物語仕立てにしたのが大変な工夫で、本当にチャーミングな人だなと思わされる。

製作中のロボットが、

「大雨警報が出ているから、川の近くへ行って、遊んではいけません」

という注意を聞いて、わざわざ川のそばまで行ってボーッとたたずんでいる・・・というように、笑えるシーンがたくさん。

そう、「川の近くへ行って、遊んではいけません」という文章は、「川の近くへ行ってはいけない。かつ、そこで遊んではいけない」という意味なのであるが、ロボットは「川の近くへ行きなさい。かつ、遊んではいけない」と理解したのである。考えてみれば、言葉づらを単純に追えばそうなるだろう。

言うまでもなく、「言葉がわかるロボット」の開発は日夜続いている。本書の中では、機械学習の革命的な手法「深層学習=ディープ・ラーニング」や、「単語の意味をベクトルで表す方法」も(もちろん、さわりだけだが)紹介されている。人間の叡智ってすごい! それらの開発に川添さんもかかわっているのだと思うと胸が熱くなるようである。しかし、川添さんは本書のラスト近くで書いている。

1.人間は、自分が接する言葉だけを手がかりにして言語を習得するわけではない
2.人間は、言葉についてのメタな認識を持っている
3.人間は、他人の知識や思考や感情を推測する能力を持っている

この3点を機械で再現できない限り、「言葉を理解できる機械」は作れないでしょう。「言葉がわかるロボット」への道のりでは、まだまだ「課題の達成と、それに伴う次の課題の発見」が繰り返されるでしょう。

 課題の達成と、それに伴う次の課題の発見の繰り返し・・・。だから、本書で “楽をするために” 言葉のわかるロボットを作ろうとして、試行錯誤を繰り返して疲労困憊するのは「イタチ」なのだ!! このイタチたちが本当に怠け者で、お調子者で、愛すべきキャラクターで描かれている。

川添さんは言語という自分の研究分野について、「日々、怪物を相手にしている」とあとがきに書く。言語に限らず、そんな勇敢な人々が、新しい世界を切り開いているんだろうなと思う。

 

働きたくないイタチと言葉がわかるロボット  人工知能から考える「人と言葉」

働きたくないイタチと言葉がわかるロボット 人工知能から考える「人と言葉」

 

 

長月の十六 / お隣町の議会を傍聴して思う

長月の十五 / 鍵なし子ラプソディ - moonshine

の続き。那珂川町役場へ。私は那珂川町民ではないんだけど、 町議の伊藤智子さん が議会で一般質問をするのを聞きたくて。

那珂川営業所から役場まではコミュニティバスか…乗り換えるの面倒だな…2キロもないくらいか…歩けばいっか。
と思って家を出たら、バスが遅れて遅刻しそうになったので、結局、2キロ弱の道のりを走る(笑)。こんなことばっかりやっている…。てか、営業所じゃなくて現人橋で降りた方が近いうえに速いのね…。
ということで(長い前置き)人生初めての議会傍聴です。

那珂川町議会にやってきましたー!
議場のそばで手続きをする。名前と住所を書くくらいで、スルッと通してくれます。
このあたり、とてもオープンで、のどかな雰囲気。
福岡市とかだともうちょっとものものしいのかしら?
ちょうど、伊藤さんの質問が始まったところでした(走ってよかった…!)。

議会って、ぶっつけで質問をぶつけてガチで議論するものじゃないんだね。
事前に質問内容を提出するのはもちろん、
質問に対する回答、その回答を受けてのさらなる質問・・・と、
ほほほぼ台本のようなものが準備されているのだなあ、と。

確かに、そうじゃなきゃ、
「その件は、調べてみないとわからないので…」みたいな逃げも打てるし、
時間がかかってしょうがないもんね。
国会も基本的にも同じなんだろうけど、
あちらはヤジやらでぐちゃぐちゃになることが多いし、
「記憶にございません」でぶっちぎる人もいるしで(それもどうなのよ)、
整然と、粛々と進む議会の様子は妙に新鮮でした。

あと、町長さんを始め、議場に座る町の職員幹部の方々が
おそろいの緑のユニフォーム(?)みたいなの着てて、さわやかでした^^

今回、伊藤さんの質問のテーマは
「非正規公務員の処遇について」。

非正規雇用の公務員は女性が多く、保育士、社会福祉士、臨床心理士、ソーシャルワーカーなど専門職も含み、いずれも、昨今の社会状況を鑑みるに、神経を尖らせる仕事だし、正規の職員と労働時間や職務内容に差がなかったりするが、基本的に昇進はなく、
産休期間中は無給であったり、任用期間が限られていたりする現実がある。

引継ぎの態勢が十分でなかったり、任用を更新できるか否かの通知がギリギリだったりして、安心して働けるかという面でも、生活の糧を得るという意味でも不安が大きい。

国が提示する「女性活躍」や、「同一労働同一賃金」に照らして、どうなのか?
今後、現状の条件で優秀な人材を確保し、町の行政サービスを維持できるのか?
・・・・など。

那珂川町における具体的な数字を町の行政の側に質問しつつ、国の平均の数字と比べたり、法律を参照したり、現場の声を伝えたりしながら、伊藤さんの質問は続きました。
とてもわかりやすい言葉でまとめてあって、内容も頷けることばかりでした。


選挙には毎回行ってますが、【そのあと】を見たことはなかったので、本当に行ってよかったと思ったし、いろいろ考えさせられました。

質問に対して、行政の側は、ざっくりいうと
「それは仕方がないことです」
「それはちゃんとやってます」
という現状肯定・現状維持の回答がメインだったこと。
やっぱり、問題提起しても、そう簡単に事態は打開されないんだろうな~。

たとえば、非正規職員の任用期間に限度があるのは、
「町で働きたいという人にあまねく機会を提供するため」
という回答だったけど、
専門職の長期的な人材育成や、働く人の生活の安定やモチベーションの観点については、どう考えているのか。

非正規職員の多くは女性であり、昔は夫が大黒柱、妻は補助的な稼ぎかもしれないけど、今後もずーっとこのままでいくのかどうか? ほかの自治体の様子見?
もちろん、「予算」の問題とかち合うのはわかるんだけど、「だからしょうがないよね」でいいことなのかどうか。

自分が選んだ議員の質問や働きかけによって、行政が変わることがあるのか、知りたいと思いました。


また、議員の質問一覧表を見ると、
保育所や、子育て支援、そして女性が多い非正規雇用についての質問をしているのは、
すべて女性議員でした。

那珂川町の女性町議は、現在17名中4人だそうです。
もし、女性議員がいなければ、
子どもや女性の問題を提起してくれる議員はいるのでしょうか?
(那珂川町に限らず)全体の1割、2割程度の女性議員の数で、
子どもや女性の問題を提起するには十分なのでしょうか?

男性議員の質問も聞きましたが・・・初めての傍聴なので、今回だけで一般化はできませんし、男性・女性じゃなくて個人の差なのでしょうけれど、
「現場の切実な声を届ける」
という観点から質問をされている伊藤さんに比べると、
「それ、わざわざ議会で聞くことかな?」って話もあったように思われ…。

もしかしたら、「仕事しなきゃいけないから」的な、、形式的でやっつけな質問をする人もいるのかもしれない。「ちょっと、準備がテキトーなのでは?」
って話もあったような…(主観です)。
台本ありきの議会だけに、シャンシャンで終わってしまう可能性もあるんじゃないかと。


私たちは、選挙権を行使するのは大前提だけど、選挙の前にも、そして選挙の後にも、
よく見て、考えないといけないんですね。
なんかさ、裁判員制度とか重たいものより先に、
「1年に1回、町の議会に傍聴するための有休チケット」
みたいなものがあったらいいんじゃないかしら。

そんなもので市民に監視されたら困る!っていう議員さんは、まさか、いませんよね?(笑)
今度は福岡市にも傍聴に行ってみようかな~。

午前中の議会が終わり、皆さんがお昼ごはんにハケていく中で、
席に残って一心に何かを読んで(書いて?)いる様子の伊藤さんを後ろから見て、ぐっときましたよ~。

【ママじゃな】で取材した伊藤さんのポートレート記事はこちらです。↑ インタビュアーわたくし!

夜ごはんは、ハンバーグ、ポットロースト&野菜の野菜部分、レタス、きゅうり。少し本を読んで早めに寝る。

 

私の上司です♪

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昨日(12/9付)の西日本新聞、百人一首(競技かるた)の某大会に連続60回出場という輝かしい記録を打ち立ててインタビュー掲載されてるの、私の会社員時代の上司です。

モロに文学部脳な私に、経理のイロハというべき簿記の左右(借方・貸方)から教え込み(市来さんもですね♡)、監査法人とのやりとり、決算短信や有価証券報告書といった上場会社のIR資料、果ては連結財務諸表や連結キャッシュ・フロー計算書の作成まで担当させてくれて、

「あら? もしかして私、算数できる人?」

と錯覚させてくれたすばらしい人😊

もちろんご本人ものすごく優秀、かつハードワーカーで、経理部長になるために生まれてきたような人ですが、本人は「仕事 < かるた に決まってるでしょ」と言うに違いない(笑)。優秀な人は仕事も趣味も両方できるんだな、と知りました。

そして百人一首という(『ちはやふる』が流行るまでは)地味でオタ・・・いえ、ユニークな趣味が示すように、

彼は地方企業(今では一部上場ですが)にありがちなマッチョイズムやホモソーシャルな群れとは無縁で、いつでもジェンダーニュートラルであり自己評価に徹する人でした。今思えばそれがストレス耐性の強さにもつながっていたのかも。

当時の私は20代らしくそこそこ(かなり?)やさぐれたりこじらせたり酔いちくれたりもしていましたが、彼がいつでもフラットな頑固さを持ち続けている姿にいつしか影響されていたと思います。

そう、彼は仕事とカルタができるだけでなく、うちの夫と同じくらいの頻度で料理をする人でもありまして。彼のワークライフバランスを見ていたから、私はうちのタローのような人を夫に選んだのかもしれない。一番下のお子さんたち(双子ちゃん)が同じ幼稚園だったこともあり(というか、うちの園を選んだのも彼の刷り込みが大きかったと思う…)、奥さんとも仲良くさせてもらってて、今では「夫の料理対決」という名の食事会もしています😆😆

 

長月の十五 / 鍵なし子ラプソディ

●9月某日: 『SONGS』で奥田民生のライブ見たら、「さすらい」と「イージューライダー」があらためて名曲すぎる。スタンダードにちょっと捻りや遊びを入れたメロディーにアレンジ、どこをとってもすばらしい歌詞、そして奥田民生の堂々たる歌唱力。ああ、民生にもなりたい。「奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせガール」だっけ? 妻夫木くんと水原希子ちゃんのカップリングを予告で見るとサイコーかわいいって思うけど、「奥田民生になりたいガール」の映画もできないかな。

さて、午後から子ども会の行事で、リレーの練習。もうすぐ校区の運動会があるので。1時に余裕で間に合うように集合して行ったのだけど、そこからが長い。実質的に練習が始まるまで1時間弱を要したし、練習内容も、見ている限りうっすい。でもまあ、こういう行事によって、子どもも「自分も一員」感というか、地域への包摂されている感をもつ・・・の、かも、しれない。楽しくてちょっとめんどくさい。

夜ごはんは、いわしの干物、味噌汁、きゅうりとわかめの酢の物。早く寝ようと思いつつ12時近くになってしもーた。

●9月某日: 
夫より先に家を出て、所用を済ませて家まで戻ってきて、気づいた。
鍵もって出るの忘れた・・・家に入れない…(((;゚Д゚)))

夫に電話 「もう、会社に着くとこだけど」
だよね~(ノД`)・゜・。

●8:07 AM
夫「会社まで取りに来るしかないね」
私「それが…お金をもっとらんとです…ニモカも…自転車の鍵も…」
夫(私の危機管理のなってなさに絶句)「…誰かにお金を借りて来るしかないね…」
ですよね~(ノД`)・゜・。

しかし、そこでふと思った。
家から夫の会社までせいぜい3キロあるかないか。
ご近所さんにピンポンなり電話なりして、事情を話してお金を貸してもらってバスに乗り、通勤時間の渋滞する道路を行くよりも、自分の足で行ったほうが、速いのでは?
そう、そんな日に限って私は急いでいたのだ!

●8:24 AM
私「会社の下に着きました」
夫「はいはーい、待ってて。速かったね」
夫(汗だくの妻を見て絶句)「もしかして…走ってきた…?」

YES! スニーカー履いてて良かったよ。
「何があるかわからんけん、持っていきなさい」
とお金を持たされ、いったん帰った後、再度出発して、那珂川町役場へ。

(つづく)
(日記に「つづく」って斬新じゃない?w)

長月の十四 / 『花とヴァンパイア』・ おかーさんへのプレゼント・菅田将暉になりたいガール

●9月某日: 夫とサクは、篠栗のじぃじのうちへ。仲良しのNくん父子と一緒に日帰り男旅だ。私、マッサージとかリンパケアとか骨盤矯正とかそういうのに行きたいなあ、とざっくり考え、ざっくりしすぎてるもんだからネット検索にも無駄な時間がかかるという・・・。まあいいや。

それにしても菅田将暉のプレミアムトークはすばらしかった。保存版。菅田将暉の彼女じゃなく菅田将暉になりたい人生だ。・・・とfacebookでつぶやいたら、「何?神田正輝?」とか「俺は河合奈保子か倍賞千恵子になりたい」とか(←同級生男子より)とか脱線しまくらちよこ。菅田くんの話をさせてw 

とにかくね、菅田将暉のトークを見ながら「どうやったらこんな人間力の高い子に育つんだ…」と思ってたら、番組後半で「菅田さんのお父様に育て方を聞いてきました」ってコーナーが始まったから「あさイチ」スタッフの視聴者目線わかってる感すごかった。午後から、劇団go toの特別舞台を見に行く。

(facebookより)

昔から、舞台役者さんがインタビューや対談で語るのを見るのが好き。
みんなすごく面白くて、本質的なしゃべりをする。
的確で、強靭。精錬された言葉を使いこなすって感じ。
役者さんは自分で言葉を作る(台本を書く)わけじゃないけど、
選ばれて練られたセリフを客席に届けるために、自分の腹にしっかりと落として語る経験を数々しているから、言葉への感覚が鋭敏になるんだろうと思う。

劇団go to 特別公演 『花とヴァンパイア』

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市民オーディションで選ばれたキャストの方々、その中の1人が雁瀬さんで、稽古の話を聞いてるとすごく面白かったし、学生さんもたくさんいるのも何か気になって、見に行った。

「少年の船」から遭難した学生グループ。
小さな島に住む3人の謎めいた美少女たちと、女性執事。
美少女たちを捕えようとする密猟者たち。

惹かれ合いつつもすれ違い、わからないままに葛藤する彼らの間に、最後には確かな友情が芽生える。花は咲くと信じる。小学生でも理解して感動できるような友情と成長の素直なストーリーでありつつ、設定やモチーフやセリフは様々な示唆に富んでいて、あれこれ考えるのが面白かった。

島の少女たちは「吸血人」。生き血が何よりの好物で、陽の光に弱く、屋敷から出られない。浜に咲く美しい薔薇を一度も見たことがない。少女の一人は偶然手に入った(?)種を鉢に蒔いて一生懸命育てているが、暗い屋敷では芽も出ない。

遭難した学生たちに食糧や寝床を与える女性執事(←雁瀬さん)はミステリアスな雰囲気で「だまして太らせて血を吸う気なんだな~ゾゾ~(((;゚Д゚)))」と見てるこっちはガクブルしてるんだけど、実は彼女は少女たちに吸血をさせたくない、外界に友だちを作ってほしい、いつか美しい花々を見せてやりたいと願っている。けれど、それがいかに難しい願いかもよくわかっている。彼女の表情に笑顔やあたたかみはなく、屋敷の外の美しい花のことも少女たちに隠している。年齢の多さは、現実に失望してきた数の多さなのかもしれない。

密猟者たちもまた、小さな島で種族の絶滅の危機に瀕していて、その対策として吸血人の捕獲が必要らしい。彼らはナイフなどで武装している。また、“どんな言語も操れる”という特殊能力を用いて、学生たちと吸血少女たちの通訳をすることで最初は取り入り、やがて対立させる。

自分たちが生き残るため、自分たちが危ないから、他者を害しようとする。言葉は思いを伝え、理解し合うためのものだけれど、使い方によっては人を深く傷つける凶器にもなる。

でも。人間を見ると血を吸いたくなる少女たちも、言葉遣いの悪さや引っ込み思案などそれぞれの課題を抱えた学生たちも、花を美しいと思う気持ちは同じ。名前を呼んでもらえたらうれしい気持ち、新しい友だちと一緒に花を見たい気持ちは同じで、言語が通じなくても、悪意にみちた通訳に邪魔をされても、思いはにじんで、つながっていく。

面白いのは、ハッピーエンドのようでいて、実は何も解決していないことだ。
吸血少女たちは花を見られていないし、密猟者たちの生き残り策は見つかっていない。
問題は依然、残っている。

でも仲良くなれた、思いを伝えられた、攻撃するのをやめた、それが大事な一歩なんだろう。

咲かない花を一生懸命育てても、咲く日を想像していれば寂しくない。虚しくない。若い人には希望を信じる力がある。「ほんの少し、違うところがあるだけで、同じ人間です」ひとつひとつの花にそれぞれの名があるように。

日本の日常に戻った学生たちが、島の少女たちを忘れずにいられるか?どうしたら彼女たちと一緒に花を見られるか?知恵と情熱が試される冒険は続くのだと思いました。

‥‥と、これは、舞台をただ一度見ただけの私のざっくりした解釈で、キャストの皆さんは当然、もっと深く理解しているはずで、膨大な量のセリフをただ覚えてこなすのではなく、声の抑揚や表情、仕草や立ち位置・・・ひとつとして意味なく漠然とやってることはないでしょう。

実際に、学生キャストさんたち、すばらしかったです。(もちろん、大人のキャストさんたちは言わずもがなです)体いっぱいで表現して、笑わせて泣かせて。圧倒されました。

登場人物について、背景について、作品がもつメッセージについて理解する深い読解力。作品を通して、人間や世の中を考えるきっかけにもなるでしょうね。客席に伝えるための表現力。技術と度胸。キャストやスタッフと話し合ったり励まし合ったり尽くしたりする協働力。ひとつの舞台を作るまでは大変で、でもそれに見合う達成感、充実感をきっと味わえる。すごい力が身につくだろうな~学生時代に経験するってすばらしいな~と思いました。

後半30分くらいけっこうぐずぐず泣いてました。物語ってすばらしいね。生身の人間が伝えられるものって、実はすごく大きいんだね。終演後の雁瀬さんに思わず握手を求める。劇団 go toって良い名前だな、と前へ(上へ?)伸びる矢印のロゴを見ながら思っていて、家に帰ってしばらくしてから気づきました。劇団の作・演出家さんが後藤さんや~! Goto!!

男たちも存分に楽しんだもよう。川で釣りやカニ探し、稲刈りの終わった田んぼで虫探し、庭でバーベキュー、南蔵院でソフトクリーム。など。今夜は私の誕生日前夜祭ということで、帰りにデパ地下でオードブルの盛り合わせやちょっといいお酒を買ってきてくれた。他、ローストビーフ、えびとキノコ類のガーリック炒め、アボカド、トマト、バケットなど。

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サクから「はい、たんじょうびプレゼント」と綺麗にリボンをかけた(自分でやったらしい)封筒を差し出され、「ははぁーん、『おかあさんおめでとう、いつもありがとう』的なやつだな」と思って開けたら、「おれのすきなもの」を書きに書いた10枚ほどだった。星座の絵、太陽系の絵、キュウレンジャーの絵、鳥の絵、世界地図、すごろくなどなど・・・ありがとう。でもおかあさんどこいった?(笑)

とはいえ、集団生活では割と空気を読んで振舞うタイプなので、こうやって「おれがおれが精神」を前面に出すのはおかあさん大歓迎である。どんどんマイワールドを構築してほしい。君にはオタクの血が流れ、オタクの乳を吸って大きくなったのだから!

スパークリングワインと赤ワインをあける。よく飲んだ。

長月の十三 / 幼稚園でお話するの巻

●9月某日: 朝、PCをつけたらプログラムの自動更新が始まって2時間以上かかって相当あせった。午前中、小学校で読み聞かせサークルの打ち合わせ。みなさん本当に絵本が好き、読み聞かせが好きで、絵本を見る尺度にもとても共感できて、面白い。時間がかかるのが難点だけど、意外にコンテンツがたくさんあるからね…。いったん帰宅し、無事にプログラム更新が終わったPCからレジュメを出力して幼稚園へ。


(facebook投稿より)

この3月まで息子がお世話になっていた幼稚園。
毎年この時期、未就園児ママ向けの園庭開放で【子育て講演会】なるものが催されるんだけど、なんとびっくり、今年は私にお声がかかった。
僭越すぎる、何の専門家でもないのに! 

しかも、「チラシに載せるには、何か肩書があったほうが、ね。」なんつって言われ、しょうがなく(いや、けっこう嬉々として?! )『ママじゃない私、ポートレート』の名を出すことに・・・。ただの趣味なのに~! 拝み倒してモデルを引き受けてもらってたりするのに!笑

子どもも私もほんとに楽しく通った大好きな幼稚園なので
「私でお役に立てるなら~♪」
精神でお引き受けしたのだけど、
床にお尻をつけて円座になって・・・ぐらいのイメージでいたら、
私のも、参加の方々にも、ちゃんと椅子が用意してあるし、
想像よりたくさんの方がいらして、びびる。

同じクラスやどんぐり座(お母さん劇団)の仲間たちが前列に6,7人も陣取って、
優しい(生ぬるい? 笑)まなざしで見守ってくれてたので、すがるように視線を送りながら、しゃべる(笑)

「ママじゃな」のインタビュー&編集といい、こういった人前でのお話といい、私ほんとうに完全無欠のシロートでしかなくて、何の基礎知識も技術もないので、ほんと恐縮です。

ああ・・・・。人生という旅の、恥のかき捨て。いや捨ててちゃいけない。学ばねば。でも、ひとつだけ、予定通りの時間できっかり、予定していた話を全部話しきったのは、おおお!と、自分で自分にみなぎりました。

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写真3枚目は、2年前…年中さん時代の通園風景です。同じ園の先輩ママであり、
【福岡乙女カメラ部】の部長、ayakoさんが撮ってくれました。

サクは小学校が終わった後、その足で友だちと3人、幼稚園へ。宿題を終わらせたあと遊んでいた。この小さな廊下や園庭を走り回る姿を見ると、1年生はやっぱり大きい。夜ごはんは、豚バラを焼いてキャベツをさっと炒めて、あとはコールスローとトマト。夫は飲み会。帰ってきた後互いに話をしていたらすっかり遅くなった。

 

●9月某日: 猛暑とともにオクラ熱は去ったけど、おいしそうなトウモロコシを見つけるとついふらふら買って即座に茹でてしまう9月も後半。ママじゃな・にきちゃんの原稿、直虎の感想ログ、新聞をスクラップしたり、家事雑事ちまちま、がんばった。でもまだいろいろある・・・。

サクが、学校の図書室で借りてきた『ダーウィンが来た!』の本を延々と朗読して聞かせてくれる。マンガ部分も吹き出しを全部読んでくれる。私が家事で移動すると(たとえば風呂そうじのため風呂に行ったり)ついてきてずっと読んでくれる。ははは・・・・。こういうのも今だけよねw 

夜ごはんは焼きちゃんぽんとサラダ。焼きそばの要領でやったら失敗した。メンゴ(←懐かしい!)

 

『おんな城主直虎』 第48話 「信長、浜松来たいってよ」

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六左、之の字、村の者たち。
彼らが最終回近くまで近くまで顔見せして、名(迷?)活躍を見せたり直虎との信頼関係を見せたりするのがうれしいし、「これで活躍しおさめかもね」という淋しさもある。

暴れ天竜(川)を人の関で止めた、というのも、巷談レベルかもしれんけど史料に残っているらしくて、最後まで面白い話を拾ってきて映像化するなあと感心する。「美丈夫」の列に加えられた之の字の体つきもよかった。昔は、西島の兄つぁま(@八重の桜)的なムキムキではなく、あの列の方々のようにすべすべむっちりした体つきが美丈夫だったんじゃないかと思う。まあ、之の字のお顔は美丈夫向きではないような気もするけど、そこはそれ、万千代も驚いてたしねw

人数は少ないとはいえ、脚本の徳川家臣団の捌き方に「適材適所」感があって気持ちいい。宴でユニークな座興などして笑わせるのは本多忠勝かと思いきや酒井忠次なのがいいw みのすけww 次にどんなドラマで会えるか楽しみだww

徳川は酔いちくれてばかりだな、と嫌味たらたらの長谷川に、「織田様のおかげでみな喜んで喜んでw」と曇りのない微笑みを浮かべる康政がめっちゃ頼もしくて、ほのかにちょっとイラッとする、尾美としのりの味のすばらしさなw ラスト、「尋ねるまでもなかったですな(にっこり)」も、心底うれしそうな康政にちょっとだけイラッ(単に「あまちゃん」の見すぎかw)w ま、この有能な康政に一目も二目も置かれていることが、家臣団の中で明らかに幼い万千代の優秀さを示す担保にもなっている形だ。

ちんまい裏庭みたいな井戸端に井伊の者が集まるのはいいとして(洒落ではない!)、瀬名やら龍雲丸やら、はては明智の子まで集まってくるのはどんなホイホイかと思うんですがまぁいいでしょうw

あの子が明智の子、という設定にハッ!!!!!とした。1年間のドラマの最終盤に本能寺の変をもってきて、その裏で今川と徳川そして井伊が結託しているという大胆な創作をぶちあげた今回だが、序盤から良くも悪くも深い縁でつながれた3家と違って、明智はこないだからちょいちょい顔をのぞかせていただけで、ポッと出で絡んできた感が否めない。そこで明智の子である! 

子役たちの競演で始まった今作。瀬名も(龍王丸も)、虎松も、龍雲丸も、子ども時代がきっちり語られた。時に大人たちに守られ、時に翻弄され放り出され、その経験を根っこにして育つ子どもたち。

直虎は言う。「これはさだめだと思う。直親も虎松も、よその寺に守ってもらった。今度は我らがあの子を守る番」 明智光秀にこののち待つ運命を私たちは知っている。けれどあの幼い子は直虎たちによって守られるのではないかと私は思う(史実は知らん)。直虎は口に出さなかったが、もう1人、政次が虎松の身代わりに殺した疱瘡の子がいるからだ。だから直虎はきっとあの子を守る。少なくとも、全力で守ろうとすると思う。

不安でいっぱいの子を安心させることを言い、迷いなく抱きしめて「よう耐えた」と褒める直虎の姿に、彼女が重ねてきた年月を感じる。「何があろうと味方だ」その言葉に嘘はないが、一方で直虎は氏真にカマをかけ、家康を焚きつけるなど自然の存在をごく当然に切り札にも使っている。これも彼女が重ねた年月である。

今回、直虎が氏真、そして家康と、2人きりで相対する場面があった。いずれも歴史上に名を残す会談などではない、純粋な創作であり、へた打てば「トンデモ」と言われかねない。でも違うんだな~。主人公と因縁浅からぬ相手が小部屋で正対するだけでぐっとくる、これぞ大河の大詰めといった雰囲気があった。柴咲コウの据わった目と、一転、家康に願いを伝える時の息をつめたような表情がすばらしい。華々しい戦場でも、きらびやかな大奥でもない、花柄はついていても質素でオバサンくさい着物の最終盤である。でもこれが直虎だよね、ここまできたよねという感慨がある。

「桶狭間の、瀬名の仇を打ちたくはないか。わしは打ちたいぞ」と氏真。ぴくりとも動かず、己を見据える直虎に「そなたにすればわしも仇か」と自嘲する。「ゆえに、誰が仇かと考えないようにしております」 たったそれだけなのだが震えるようなやりとりだった。仇討ちを繰り返す先に何があるのか、その虚しさを知っているから直虎は近藤と手を携えて井伊谷で生きてきたのだが、それは美談なんかではないのだ平気なんじゃないんだと思わせた。

しかし話が進むと、氏真からこういう言葉が出る。「逆風になれば最後、仲間は裏切り、配下の国衆は寝返る・・・そなたも、よう知っておると思うがな」今度は直虎が言葉を失う番である。私もどきっとした。このドラマでは、力の強い者が弱い者を容赦なく蹂躙し、叩き潰す姿が繰り返し描かれてきた。強い者の傲慢と弱い者の惨めさ。それは簡単にひっくり返るものでもあったのだ。自業自得ではあっても、氏真は多くに裏切られ見捨てられた。直虎(と政次)もまた、今川を裏切って徳川につくことを画策していた。弱い者は弱い者で、生き延びるために騙し、裏切らなければならない。

そういうことを含めて、「この世が嫌いだ」と家康は言うのだろう、きっと。あんなに辛酸をなめて駿河を手に入れた酒宴でも浮かない顔だった。駿河をとったら次は穴山、次は北条・・・「いつまでこんなことが繰り返されるのか」という思いに、万千代が「織田にやり返してやろう」とふっかけてくる。言いがかりをつけ、嫡男の首を要求し、一族郎党の首を三条河原に・・・。やられたことをやり返す虚しさを想像しながら「飲みすぎじゃな」と軽く返す阿部サダヲがすばらしすぎた! 

あ、一片の迷いもなく若をすっ転ばせたのはもちろんだけど、その前によっぱらった万千代を止めようとして振り払われすっ転ぶ演技も見事だったよ~、井之脇くん! 一瞬で真後ろに消えたもんw

家康の迷いを手に取るように理解しながらも、「家康にこそ戦の無い世の扇の要になってほしい」と請う直虎。信じられないという表情で聞きながらも、ついにはすべてを承知で京・堺ゆきを決める家康。

そうして行った先で何が起き、そのあと家康がどうするか、(去年の真田丸でもw)はっきり知っている。でも本能寺も伊賀越えも、ただのカタルシスだけではないはずだ。直虎が語り家康も「そんなことはわかっている」と激昂したとおり、信長が死んでも(信忠も死んでも)あとには綺羅星のような武将たちがいて世は再び乱れる。頭角を現すのは秀吉であり、家康が扇の要になるのはまだまだずっと先なのだ。それに自然は父を失う。

信長と光秀の描き方が面白い。表情に乏しく内面が見えづらい点、二人は相似形である。信長が丁寧な礼を述べても家康が感じるのは不審と恐怖ばかりである。同じく、光秀が言う、「信長の徳川抹殺計画」も本当かどうかはわからない。信長殺しに徳川(や氏真)を巻き込むための光秀の罠かもしれないのだ。来週、信長が本能寺で何事かを吐露するのか? 本能寺は仇討ちか反乱か、どのような意味づけをされるのか? 楽しみだ。

氏真の演技が今週も最高~! 信長の面前でにこやかに礼の口上を述べる場面はさすが歌舞伎役者!という堂々たるもの。信長のほうは、このシーンに限らず、むしろ伝統芸能の香りを消しているように思える。夕暮れ、氏真と家康の場面もすごくよかった。耳打ちのシーン、松也の鋭く変化する表情と息をのむ阿部サダヲ。めっちゃリピートポイントや~! 

 

長月の十二

●9月某日: 平日の朝は登校するサクと一緒に家を出て、サクと別れ、30分くらいウォーキングしてる。歩くのは考えごとにいい。出社中のたなかまさんとすれ違う。

某事務所にボランティア作業に。長年お手伝いしているというボラさんのノンストップの語りを聞く。基本的に「私がんばってきた、私これが不満、私の話を聞いてほしい」という話なので20分も聞けば苦痛になってくるんだけど、おかげでこっちの聞きたいこともいろいろ聞きやすいw いろいろわかりましたw ちょっと引いたw 

そして、帰宅して、「ああー “王様の耳はロバの耳”したーい!」と思ってたら、ドンピシャなタイミングでその話が通じる人から連絡が入り、ひとしきりやりとりw しかも、とてもポジティブな空気をもらえた。私もこうありたい。夕方、サクと一緒にどんぐり文庫。


夜ごはんは、豚と野菜のポットロースト、コールスロー、きゅうり。

●9月某日: 友だちの家やおすそわけでいただいたことはあったけど、初めて入る洋菓子店。思った以上にクラシックで素敵だった。思いつきの文章facebookに書きなぐり。鍵っ子サクに手紙。

ごはんを食べて、急いで出発。午後から、男女共サポーター講座の第5回。弁護士による講座はDVについて。それから、男女共に関するDVDを3本見る。3時間の長丁場、座学が中心だったし心楽しい話題でもないし、なかなか疲れた。でも講座はかなりウンウンだったなー。アンケートしっかり書いた。

で、友だちの家に遊びに行ってるサクを迎えに行くと、友だちのお母さんが「スパイスケーキ作ったんだけど食べない? 感想聞かせて」って、わおーん。優しい甘みが沁みます。シナモンとカルダモンとジンジャーの入った、くるみとかぼちゃの種のケーキ。童話か何かの世界に出てくるような・・・! 

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夜ごはんは、餃子、野菜の焼きビーフン、ポテサラときゅうり。

 

『流』 東山彰良

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台湾出身の王貞月さんと知り合って話を聞いたのがきっかけで、『ゴロウ・デラックス』で著者・東山彰良さんがゲスト出演したのを見た。そこで紹介されていたのがこの本。読んでみた。

1975年、台湾。国民党総統・蒋介石が死んだのと同じ年に祖父が殺され、主人公・秋生の人生が大きく転回してゆく。

私は1978年生まれ、海外旅行で台湾に行ったことのある人も多い世代ではないかと思うが(私はない)、その近現代史については、私の世代以下ではあまり知らない人も多いんじゃなかろうか?

1911年、辛亥革命によって中華民国を建国した孫文の国民党を引き継いだのが蒋介石。国民党は、毛沢東が率いる中国共産党と対立関係にあり、日中戦争時こそ「国共合作」といって共同して日本に対抗したものの、戦後は中国国内で「国共内戦」に入る。敗北した国民党は中国を脱出、台北を中華民国の臨時首都とした。

このとき蒋介石と共に台湾へ渡ってきた中国人やその家族たちを「外省人」と言い、それ以前から台湾に住んでいた人々を「内省人」と言う。両者の住まう場所や階層がまだはっきりと分かれていた、物語が紡がれる1970年代は台湾にとってそんな時代だった。

主人公、秋生の祖父も、中国で抗日戦争を戦い、国共内戦後に妻子を連れて台湾へ逃れてきた一人だった。秋生は殺害の犯人を捜し始め、物語の中ではさまざまな形で日本の統治時代や国共内戦という激しい時代が回想されてゆく。

生前、祖父と公園で口論になっていたという岳さんは、日本統治時代を懐かしむ心を持っている。日本の同化政策によって、学校教育がすべて日本語で行われた時代に育った世代なのだ。岳さんはバイオリンで「朧月夜」を弾いている。そして言う。

「君のおじいさんはいつも不機嫌でした。胸のなかにまだ希望があったんでしょうね。
 苛立ちや焦燥感は、希望の裏の顔ですから」

生前の祖父や、まだ生きている祖父の朋友たちは言う。

「わしらに大義なんぞありゃせんかった。こっちと喧嘩しとるからあっちに入る、こっちで飯を食わせてくれるからこっちに味方する。共産党も国民党もやるこたぁ一緒よ。他人の村に土足で踏みこんじゃあ、金と食い物を奪っていく

「戦争だったんだ。わしがおまえの家族を殺して、おまえがわしの家族を殺す。そんな時代だったんだ」

これらは、村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』の一節を思い出させる。日中戦争の時代、中国での戦いについて語る浜野軍曹。

「私たちは匪族狩り、残兵狩りと称して多くの罪もない人々を殺し、食料を略奪します。戦線がどんどん前に進んでいくのに、補給が追い付かんから、私たちは略奪するしかないのです。(中略)少尉殿、この戦争には大義もなんにもありゃしませんぜ。こいつはただの殺し合いです。そして踏みつけられるのは、結局のところ貧しい農民たちです」
(『ねじまき鳥クロニクル』第1部)

若い秋生もまたやんちゃという言葉では表現しきれない、ハードな日々に足を突っ込む。暴力事件をきっかけに下位の荒れた高校へ転校せざるを得なくなったり、そこでさらに喧嘩の日々に明け暮れたり、ついにはやくざ者たちとの衝突がきっかけで軍隊に入ることになる。上官から拷問のような懲罰を受けたりもする。

秋生の日々における暴力的な側面はいかにも青春らしい刹那的な彩りのようで、その背後にある祖父たちの物語の大きさと激しさによって別の色合いが付加されるように思えた。やられたからやり返す・世話になった側について戦う・強い者が弱い者を虐げる・・・大義の無いそんな闘争が時代を超えて繰り返されている。人間の世界の愚かさとむなしさ。

一方で、豆花(台湾の伝統的スイーツ)や、釘でお尻を怪我する事件など、子ども時代の主人公と祖父との主では涙腺を刺激する甘やかな切なさにみちている。主人公が知る祖父の優しさ、偏屈さ、ユーモア、そして誰かの口から語られる、戦争の時代の祖父の鬼神のような強さや思いきりの良さ、敵に対する残酷さ・・・。

時代の風雲を潜り抜けてきた老人たちのあけすけさには大陸的な風を感じ、2つ年上のマオマオとの恋のくだりは'70年代の香り、そして続く夏美玲との関係では先進国になった日本が舞台で、つまり現代性を帯びてくる。

長いスパンを物語に組み込み、しかも意図的に交差させた描き方をすることで、固有の事件や歴史そのものも超えた、何か普遍的な、大きなものを感じさせる小説だった。というと、たいした手練れのようだけど、作風にはみずみずしい感触がある。

筆者は物語のラストに、命が息づく喜びの場面をもってくる。でも、その後年、何が起こってどうなるか、その暗転を、筆者は物語の半ばで既に示しているのである。私たちは固有の時代に生きて固有の経験をしながらも、どの時代でも似たような喜びや苦しみや愚かさを繰り返し、永遠に逃れられないメビウスの中にいるのだろうか? いや、そんな焦燥感は、自分が人生に、世の中に対して抱いている希望の裏の顔なんだろうか。人はどんな時代にもどんな苦しみの中にも、面白いこと喜ばしいこと甘やかなことを享受し、言葉にできない自分なりの真実をつかみとるものかもしれない。

 

乳児連れ議場に:緒方市議インタビューなど

https://mainichi.jp/articles/20171129/mog/00m/040/002000c

facebook投稿より。たくさんコメントがついた。友人たちに関心の高いトピック。

やっと大手新聞に出ましたね、緒方さんのインタビュー! 充実の内容です。ぜひご一読を!

以下、一部、引用

「一人会派だから議会運営委員会に入れず、議論の場も少なかった。が、会派に入れば会派トップの考えに左右され、トップがダメと言えば実現が難しくなる」

「悲痛な声を体現したかった。開会時間も15分ぐらいと聞いていたので、問題なく座って過ごせると思っていた。

私が目指すのは仕事によって母子が分離されない姿。産休後は「預けなければいけない」ではなく、母子を分離しない働き方もできるようにしてほしい。作業効率は少々落ちるかもしれないが、人間の幸せ、子供の幸せのために生きて、働いているのだから」

「(質問:議場でお子さんが泣く可能性があったのでは?)
泣く主な理由は空腹だが、授乳がすぐにできるという安心感によって母親も安心して働ける。授乳は簡単にできる。
私の目から見ると、それを妨げる規則ははっきりとはない。妨げているのは意識や慣例だと思う。
泣きやまない場合でも助けてくれる人が近くにいれば、その人がさっと入ってあやすこともできる。
子育てをしている人が議会にきちんと存在し、開会中に中座せず、子育て世代の代弁者として出席できるような仕組みを整えてほしい。」

「今の日本は子供がいて、介護して、病気の治療をしていても、 それがないかのように振る舞って働かないといけない職場が多い。そういう職場環境や社会構造は自分たちでより幸せになるように変えていけばよいと思う。 」

緒方さんて、元国連職員なんだね。国際社会の事例もふまえて考え、起こした行動だったのだと思います。
緒方議員の行動を「パフォーマンスだ」「ルール破りだ」というご意見については、私は、フローレンス代表・駒崎さんの文章に同意します。
こちらも、ぜひ全文読んでいただきたいですが、一部引用します。

赤ちゃんを市議会に連れ込むことは、悪いことなのか?(駒崎弘樹) - 個人 - Yahoo!ニュース

『パフォーマンスだったとして、何が悪いんでしょうか?
 社会に課題があった場合、
「ここに課題があるんだ」と広く世の中に知ってもらわなければ、課題の解決には至りません。
「訴え方がおかしい」と言われても、
「じゃあどうやって訴えるの?」と言わざるを得ません。
 「もっとちゃんとした言い方だったら聞いてやるけど、お前のはそうじゃないからダメだ」
 という「トーンポリシング」は、
 一歩間違えれば、訴える手法のない人たちへの抑圧手法として機能してしまいます。
 
 1970年代、今だと信じられませんが、車椅子の障害者は公共バスの乗車拒否にあっていました。
 そこで、脳性麻痺者の当事者団体である青い芝の会は、わざと介助者とともにバスに無理やり乗り込んで、同時にメディアも呼んでおくという「川崎バス闘争」を展開し、差別的な状況について異議申し立てをしたのでした。 』


熊本市議会運営委員会は、議長名の文書で緒方市議を厳重注意するとのこと。
(11/30付、こちらは西日本新聞)

議場に乳児 厳重注意へ 熊本市議会「規則に違反」 - 西日本新聞

「(子連れについては)本人の要望を聞いたうえで今後の対応を協議したい」
と沢田議長の言葉が載っていて、目がテン。

インタビュー記事によると、
緒方市議は出産前から再三、要望を伝えていた。
それを、事実上、全スルーされてきたのです。
【正当なプロセス】で取り合ってもらえなかったから、
ああいう手段に出ざるを得なかったのではないですか?

てか、今、初めてマトモに要望を聞く気になったのなら、
やはりあの【パフォーマンス】が必要だったって話になるよね。