文月の十四 / 葉月の一 /「限界から始まる」上野千鶴子・鈴木涼美 / 五輪陸上始まった
●7月某日: 10時過ぎからランニング。暑い。軽く脱水気味の感じがあり、22分ほどで切り上げた。来週のための資料読みなど。上野千鶴子と鈴木涼美の往復書簡も読了。
(読んでいる途中のメモ)
途中経過。「恋愛とセックス」の章なんて、まるで瀬戸内寂聴(の晴美時代)?! と思えるくらい激しい。いや、私がもってる上野千鶴子のイメージが、たぶん不足していたのです。この人もともとこうなんだ‥‥と読み進めるにしたがってわかってきました。それにしても、すんごい。こういうのが読みたかった!
「恋愛はしないよりはしたほうがずっと良いと今でも私が思っているのは、恋愛というゲームの場では、人は自己と他者についてとことん学ぶからです。恋愛は自分の欲望、嫉妬、支配欲、利己性、寛大さ、超越について教えてくれます」
「恋愛とは、相手の自我を奪い、自分の自我を放棄する闘争の場です。私は恋愛を甘やかな経験だと思ったことがありません。その過程で、どうしても他者に委ねることのできないギリギリの自我の防衛線や、踏み込んではならない相手の自我の境界線を、自他共に傷つき傷つけながらようやく学びます」
「他人の自我に土足で踏み込むのは野蛮な行為です。ですが、自分が何者かも分からない時期に、赤むけの自我を他者に晒し、同じことを他者に要求することを通じて、ようやく私というものを作ってきたのです。それをやっても良いというのが恋愛というゲームの場でした」
「そういう野蛮な行為をしなくても人は生きていけますし、セックスもし、家族を作ることもできるのでしょう。
私は、結婚し出産した多くの女たちが、本当にヘテロセクシュアルなのかどうか怪しんだことがあります」
「彼女たちは、経済的依存のほかには、ほとんど夫の存在に精神的に依存していませんし、自分が性的存在であることも自覚していないように思います」
「望まれてセックスし、慣習と規範にしたがって結婚し出産し、親になったが、自分が女であるために男が必要だと切実に欲望したことがあるのだろうか、と」
「性は性、愛は愛。もともと別なものがたまたま一致することもあり、一致しないこともある。
性と愛がたまたま一致する至福を経験した人は幸運と言うべきでしょう。そして、そのセックスのクオリティの違いがわかるのは、そうでないセックスをたくさんしてきたからこそでしょう」
「たかがセックス、この程度の恋愛‥‥と思う人にはそれだけの報酬しか手に入りません。人は求めたものしか手に入らないのです」
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このあとも「結婚」「承認欲求」「能力」「仕事」「自立」「連帯」と読み進めています。グサグサ刺されながら読んでます‥‥。
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オリンピック、陸上が始まった! これは見ざるを得ない‥‥。女子100の決勝、エライン・トンプソン~シェリーアン・フレイザー、シェリカ・ジャクソンとジャマイカがメダルを独占! 男子100の日本人は残念ながら3人とも準決勝に進めず。息子、懐かしい本を片っ端から再読して楽しんでいる。夏休みだね~。
●8月某日: 起きると足が筋肉痛。これはたぶん、昨日脱水ぎみの中で走ったからだと思われる‥‥。とはいえ今日も30分弱走る。混迷の陸上男子100m決勝は、イタリアのジェイコブズが金メダル! 銀はアメリカのカーリー。カナダのドグラスは銅だった。準決勝で中国の蘇ヘイテンが9.83のアジア記録を出したのが激アツ。息子、いま一番好きなのは野球だが、陸上も楽しんでる。