睦月の二 / 逃げ恥SP

●1月某日: 夫は仕事はじめ。私もそういうことですかね、年末に頼まれていたチラシ文案の推敲を。息子と散歩がてら、近所の小さなお宮さんへ。誰もいなかった。午後、息子がクリスマスから作り始めたサグラダファミリア(ナノブロック)が完成して驚く。本人も予想より1週間くらい早くできたそうだw 

夜ごはんは餃子。種が余りそうだったので詰め詰めで作る。それでも余ったけどw 白菜スープ。夜、逃げ恥SPを見る。

facebookより)

「逃げ恥SP」録画を見たので簡単に書いときます(嘘です長いです。簡単に書くつもりだったのよ‥‥)。個人の感想ということで~。

私はジェンダー平等推進人間だけど、ドラマを見るときは「ドラマがおもしろい」ってのが優先されるので、そういう意味では不完全燃焼でした。

長尺を見終わったあと
「これで課題はこなした」
「(録画を消すので)レコーダーの残量が2時間半増える」
という不純な感覚に襲われたのは残念でありますw

一番言いたいのは
「夫婦ってそんなもんじゃないやろう」
ってことですね。

私はフィクションにおける「夫婦関係」フェチでして。
別に学園ドラマとかミステリー小説でテキトーに描かれたり、コメディーやハーレクインでファンタジック一辺倒になるのは構わない。大河のハセヒロと木村文乃夫婦もペラかったけど、あれは明智十兵衛と織田信長の愛憎物語なのでOKですw

が、「逃げ恥」はみくりと平匡の関係を描くドラマで、その二人は夫婦になったのだから、夫婦関係はがっつりやってほしかった。


いや、みくりも平匡も泣いたり怒ったり打ちのめされたりしてたけどね。なんっか「頭で考えた筋書きだなー」と感じてしまった。

すごく合理的な二人なんですよね。
もともと、雇用主と家事サポーターという関係性だった連ドラ時代に「話し合う」というクセがついていて、そこでの価値観も含めて相性が良かったので結婚したという流れなので、まぁわかるんですけど。

でも私は、夫婦ってむちゃくちゃ不合理な関係だと思うんですよね。その不合理を超えたところにあるのが夫婦萌えの世界だ!!!(フェチの叫び)

平匡が少々「父親たるもの」という「男性としての呪い」に軽くかかってたくらいで、それも2,3回うがいすれば治るくらいの軽症で。
他には「つわり」という生物的に抗えないものが原因の疲労とすれ違いくらいで、あとは何の軋轢もなくサクサクと進んでいく夫婦。

本来は別姓のまま結婚したいけど子どもができたから籍を入れよう、そのために一人っ子でもフリーでもないから私が姓を変えますとか。
男だけど育児休暇は当然とりますよ、とか。
共働きなので家事を半分ずつシェアするのは当たり前ですよね、便利な家電もアウトソーシングもじゃんじゃん使いますよねとか。
無痛分娩にします、楽できるところは楽しましょうとか。

なんか‥‥すてきな二人だけど、萌えがない。

社会問題と個人の問題は分かちがたく結びついているものだし、そういう一個一個でクソつまずいてクソ傷つけあいながらそれでもセックスしたりしてw 生傷だらけの歴史を紡いでいくのが夫婦だと思うので、薄かった。

ドラマが、社会問題への提言のための装置になってしまってた感。

ま、問題提起やSNS論壇の盛り上がりが目的なら、正解かもしれんけどね。
ドラマそのものがエモくないドラマはちょっとね。

みくりが後期つわりでボロボロになって、平匡も仕事と家事でボロボロになって、二人して「わーん」と泣くシーンはかわいかった。しかし夫婦には可愛さよりエモさが欲しい(個人の趣味です)。

未婚の若い人にとっては、見やすくていろいろ考えるきっかけになって良かったのかもしれん。「家庭科の教科書的ドラマ」w

後半は、そんな、「大方のアジェンダはサクサク合意形成できる合理的な夫婦に襲いかかる特大の不合理」ということでコロナ禍が描かれてたわけだけど、第三波まっさかりに放送された不運もあったかなーと思う。

疎開」という言葉を使っていたのも引っかかった。
パンデミックと戦争を疑似的に描くのはどうかと。現在進行形なのだからなおさら。

わたし的には、ゆりちゃんのサイドストーリーに感情移入。「好きだけどがんばれなかった」「まさかの病気発覚」。これも「当事者」じゃないから、あれぐらいのサラッと感でもグッときたのかな。

浮世離れした沼田を演じる古田新太がすばらしい。
青木崇高演じる灰原を諭すセリフのうまさにほれぼれした。下手な役者だったら聞いてられないくらい、啓蒙的なセリフだったと思う(いいセリフだったけど)。

でも、あれも現実には、いわゆる中間管理職である灰原ひとりが心の持ちようを変えれば解決する問題じゃないんだよね。もっと上の経営陣、社風(会社文化)、クライアントなど、チームマネジメントにも様々な要素がかかわっているわけで‥‥

いいかげん長くなったのでやめますw
ガッキーはたまらんほどかわいかったです。

あ、最後に。
現代日本のあわただしい共働き生活では、便利・快適を求める「合理性」が欠かせないのだけど、あそこまでサクサク描かれると、ふと「私たちの生活って資本主義に浸かりきってるなあ」と思った。

資本主義、というか新自由主義に近いものを感じたんだよね。
非合理で非生産的なものは一顧だにせず切り捨てていくというか。

スマート家電や家事外注がダメだといってるわけじゃないですよ。本当に、日本の女性は忙しすぎるので、むしろじゃんじゃん使って楽しよう!!と思うのですよ。
ただ、「家族があって仕事して」が、そこまで追い込まれて、合理性と生産性を軸に解決していくしかない都市型の生活‥‥。なんか、やっぱりしんどいよね。この構造自体が。

この構造を変えるためには、こうやってヒットドラマに問題提起を詰め込みまくって啓蒙しなければならないということだろうかw

主題歌の『恋』は
「意味なんかないさ ただ暮らしがあるだけ」
と歌うのだけど、
「暮らし」
って何だろう、とあらためて感じたのです。