BTSからPLANETS Schoolへ

2020年に起きたこと。BTSを好きになった。ご多分にもれず、ステイホーム中に見事にハマった。

でも私は、これまで嵐やSMAPが好きだったのだ。ジャニーズ事務所のタレント全般といってもいい。10年前、赤ん坊との日々に疲弊していたころ、テレビをつければきらきらした姿を見せてくれる彼らにどんなに慰められたか。

心情的に、彼らとは長い付き合いだ。今でもたっぷり情はある。だから、BTSの沼に浸れば浸るほど「なぜ、世界のポップスターになったのが彼らではないのか」「日本からBTSのようなグループがあらわれないのはなぜなのか」と考え込まずにもいられないのだった。

BTSの魅力を語ろうとするとただでさえ貧弱な語彙が壊滅するのだが、とにかくかっこいいのだ、曲もビジュアルもMVも。そしてうまいのだ、歌もダンスもラップも。あんなに激しく踊り、めまぐるしくフォーメーションチェンジしながら、音源とほぼ変わらないクオリティで歌うなんて信じられない。

「レベルが高い」というのは自由につながるのだとつくづく思った。たとえば鶏肉と卵を与えられたとき、私なら親子丼一択に縛られるが、栗原はるみなら五つや六つのレシピがすぐに思い浮かび、その中にはオリジナルのアイデアもあって、鼻歌を口ずさみながらでも美味しく作れるだろう。技術の習熟は選択肢を増やし、余裕を生むのだ。

BTSにはハードでシリアスな楽曲からコミックソングまで幅広いレパートリーがある。一糸乱れぬパフォーマンスができるし、一曲に対して両手の指では数えきれないパフォーマンスもある。今年のスマッシュヒット「Dynamite」も、音楽番組で披露されるたびに、大胆な演出から細やかなアドリブまでさまざまな違いがあって、片時も目が離せない。

日本のアイドルグループが歌番組に出演するとき、「ダンスを見せるなら歌は音源を流す。歌を聞かせるなら踊らない」ということも少なくない。それに慣れきっていた私には、BTSのパフォーマンスはあまりに眩しい。とても自由で余裕があり、芯から楽しんでいるように見える。圧倒的な実力のなせるわざだと思う。

今世紀に入り、K-POPがより大きな市場を求めて海外展開を本格化させた時期、日本では音楽番組の減少に伴って、アイドルが他分野のテレビ番組へと進出していった。CDのリリースやコンサートツアー等は変わらず行われたが、同時にドラマに主演し、バラエティ番組で芸人と絡み、情報番組のMCやリポーターをつとめるようになった。

SMAP時代の中居正広は、「アイドルとは」という質問に対して「一流のしろうと。一流の二流」と回答している(※1)。私も長いこと、そのようなアイドルの解釈に疑いを持たなかった。でもBTSを知って思う。なかなかしんどいのではないだろうか、どの現場でも「二流でOK」ということになっているのは。

BTSにジンというメンバーがいる。他の六人が歌やダンス、あるいはラップの高い才能をかわれて事務所に入った中で、最年長の彼一人はすべてにおいて初心者だった。パフォーマンスでは端の位置にいることが多く、「デビュー後しばらくは自分を愛することができなかった」と語ったこともある(※2)。だからこそ、彼自身も制作にかかわったソロ曲「Epiphany」の詞は多くのファンの胸を打った。
「この世界で愛すべき存在は自分自身」
「完璧じゃないけれどとても美しいもの」
今ではジンが中心に立つパートも増え、その伸びやかな歌声はBTSの魅力のひとつとして広く認知されている。一流のパフォーマンスに至るまでに彼が費やしたエネルギーを想像し、敬愛するファンは多い。

自暴自棄、大人への不信感、傷つくとわかっていながら求める気持ち‥‥。BTSが歌う若者の普遍的な感情は、ジンのように折に触れて率直に語られる彼ら自身の心情に裏打ちされて、聞き手の心に届いてきた。2018年、ユニセフと組んだ「Love yourself」キャンペーンや国連でのスピーチ(※3)も、その延長線上にある。

今年、BTSの所属事務所がBLMの活動に1億円を寄付すると、ARMYと呼ばれるBTSのファンダムが数日のうちにクランドファンディングで同額を集め、同じように寄付したことが話題になった。BTSが積み重ねてきたメッセージが、ファンを社会的な問題と接続したのではないかと思う。

実のあるメッセージ性でファンとつながっていたアイドルグループと言えば、思い浮かぶのはSMAPだ。「かっこ悪い一日をがんばりましょう」「すべてが思うほどうまくはいかないみたいだ」などの歌詞や、長髪やモヒカンなどのヘアスタイル。当時、SMAPが打ち出した自由で等身大なアイドル像はとても新鮮だった(バラエティやドラマへの積極的な進出も、その一部だったわけだが)。

メンバーの脱退、女性アイドルとの結婚、警察沙汰など、SMAPにはキャリアの初期からさまざまな「事件」もあったが、そのたびに自身の冠番組やインタビューを通じて彼ら自身の言葉が伝えられた。今でも、月曜22時50分ごろになると、タイムラインには「#復興に向けて手を繋ごう」「#義援金にご協力お願いします」などのタグがあふれる。SMAPが番組で被災地への支援を呼びかけていた時間帯に、ファンがつぶやき続けているのだ。

同じ事務所の嵐も自分たちの言葉をもったグループで、活動休止の発表の際は、生放送の記者会見で彼ら自身が仔細な説明を行った(※4)。長年の活動からはメンバー同士がフラットな関係であることもうかがい知れ、活動休止も十分な話し合いを通じて至った結論だというのが世間の大方の理解だと思う。

しかし、SMAPは最後には一言も事情を語ることなく解散し、嵐は昨年、政治家たちと並び天皇皇后を仰いで万歳三唱したり、官邸のSNSに登場したりした。私はこれまで、彼らから言葉を奪い権威と近接させるプロダクションや業界を嫌悪し、悪びれもせず彼らを利用しているように見える政治権力に憤ってきた。ポップカルチャーから市民性が減じていく気がしていた。近年のジャニーズ事務所は、ネット戦略に本腰を入れ、歌やダンスのパフォーマンス向上にも努めているようだが、それだけで本邦からBTSが生まれるとは思えない‥‥。

BTSのごときポップスターが日本から生まれればとは今も思う。でも、一番の願いは「私たちを励まし楽しませるために日々尽力しているアイドルたちが、自分の言葉を持ち自分の表現を追求し、彼ら自身を愛せる仕事をできますように」。そのためには、受けとめる側である私たち自身の成熟もまた、必要なのではないか。

そんなことを考えていた秋の日、ふと思い出したのが、やはりステイホーム期間に付箋をつけながら読んだ「遅いインターネット」だった。

BTSという国外のポップスターを好きになって胸中に抱いたもんやりとした思い。それは「今・ここ・私」の相対化につながったと思う。こんなとき、140字以内のフォーマットで反射的に吐き出すのではなく、考えて整理してアウトプットできるようになりたいと思った。

10月にplanets clubに入会し、そして年末。SNSBTSの、また活動休止が迫る嵐の露出を随時チェックしながら、スローに読む・書く・考えるの訓練のひとつとして、この原稿に取り組んでいる私なのである。


bit.ly/planetsclub

(※1)NHK「プロフェッショナル仕事の流儀 第161回「挑み続ける5人のすべて SMAP」2011年10月10日放送 

(※2)VLive 2018年9月5日 https://www.vlive.tv/video/87662

(※3)2018年9月24日 Generation Unlimited開会式(第73回国連総会における、国連児童基金UNICEF)のパートナーシッププログラム)

(※4) 2019年1月27日