神無月の七
●10月某日: 朝のザッピングをしてた夫が、たまたま息子の幼稚園の特集を発見!
(facebookより…)
思いだして、朝から涙ちょちょぎれる。ちょうど3年前に、息子年長さん時代の運動会について書いていた。
『ここでは「大人が決めた正しさ」を強制されない。運動会でもそうだけど、ここでは泣くのも怒るのも頑としてやらないのも、すべてが尊重されている』
『何かを教えるより、聞く、待つ、受け止める。
保育の意図は、指示するのではなく投げかける。
そんなふうに接されていると、子どもたちは主体的になる』
保育の意図は、指示するのではなく投げかける。
そんなふうに接されていると、子どもたちは主体的になる』
「楽しかった幼稚園。やさしくておもしろかった先生たち。そして、何でもできてかっこよかったオレ」。
それが、息子にとっての幼児時代の認識だ ←もちろん、本当に何でもできたわけではない。ただ、そう思い込めているのがポイント(笑)
それが、息子にとっての幼児時代の認識だ ←もちろん、本当に何でもできたわけではない。ただ、そう思い込めているのがポイント(笑)
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当の息子は、見てる途中で友だちがピンポーン♪と誘いに来たので登校してゆき、夜ごはん食べてから録画を見た。板登り、やってた本人。懐かしく、そして不思議な気持ちで見たみたい。
とにかくあらためて思ったのは、園児にとってはかなりの難易度と思われる「板登り」や「竹馬」を全員できるようになるまでの過程でさえ、先生たちは決して怒ったり、声を荒げたりしなかったなあということ。夜ごはんは、ちらし寿司、ギョウザちょっと、小松菜、がめ煮。N事務所でひとつ、家でひとつ、仕事に目途つけて、ほっ。
●10月某日: 朝から、歯医者を始め雑事いろいろであっという間の一日。夜ごはんは久しぶりのおうち鍋! 野菜いっぱい食べておいしい。心を鬼にしてちゃんぽん麺を2玉しか買わなかったら、冷蔵庫から麺をとってきた夫が「3玉めをすごい探した」と言ったw