あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」展示3日で中止へ
あいちトリエンナーレ内の『表現の不自由展・その後』展がわずか3日で中止になった。一言でいうと「暗澹とする」案件なんだけど、さまざまな問題点、論点がありますよね。みんなどう思ってるんだろう?
●『表現の不自由展』とは…
日本では「言論と表現の自由」が脅かされているのではないか?
忖度や実質的な検閲によって、表現の機会を奪われた作品を集めた展覧会。
慰安婦問題、天皇と戦争、植民地支配、憲法9条、政権批判など、タブーとされがちなテーマの作品が並ぶ。
●なぜ中止に?
・従軍慰安婦を象徴する「平和の少女像」などに対する批判が多く、電話対応など職員に多大な負担
・京都アニメーション放火事件を想起させるような「ガソリンを持って行く」という脅迫もあり、安全面に不安
・名古屋市の河村たかし市長が取材で「日本人の、国民の心を踏みにじるもの」と話、作品の展示を中止するよう要請
・
私の場合、Twitterではこの件について多くの意見が流れてくるんだけど、
facebookではその数がぐっと、ぐーーーっと少ない。
これってある意味、象徴的だなと思います。
facebookは実名性が高いからこそ「政治的・思想的にナイーブな案件については思うところはあっても書かない」傾向になるけど、
SNSに書かないだけで家族や友だち、職場では話してるか? というと、そうでもないんじゃないかな、と想像します。
そして、リアルにしろ、SNSにしろ、
話題に上がらないことについては、人はどうしても考えない。意見を持たない。
もちろん、みんなそれぞれ生活に忙しくて、
すべての社会的トピックに反応するのなんて不可能だけど。
そうやって、私たちが遠巻きに見て、黙っているうちに、
あるいは全然気づかないうちに、
いろんな表現や、いろんな言論が、大きな声・権力を持つ声によって排除されてゆき、
気づいたときには、
大きな声に従うしかない世界
暴力と権力に屈する世界
になるんじゃないかと思ってしまう。
というか、そうやって暗黒~な社会になってしまった例、歴史的にいろいろありますよね。日本にも海外にも。
少しずつでも自分の言葉を発する
声を発している人にリアクションする
そういうアクションが増えなきゃ、やばいんじゃないかな?と思います。
◆
「ナチが共産主義者を襲ったとき、自分はやや不安になった。
けれども自分は共産主義者でなかったので何もしなかった。
それからナチは社会主義者を攻撃した。
自分の不安はやや増大した。
けれども自分は依然社会主義者ではなかったので、やはり何もしなかった。
それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、
というふうに次々と攻撃の手が加わり、
そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかった。
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」
~マルティン・ニーメラーのスピーチより
◆
facebookのお友だちのみなさん、
「表現の不自由展」について、どんな思いをもってるんだろう~~~?
中止に賛成・反対いずれにしても、いろんな理由、いろんな見方があると思うんだよね。
知りたい~~~