睦月の十三

●1月某日: 今日から(試験)勉強しなくていい~! わー!きゃー!どんどんどんパフパフパフ~!(古)って気分です。「試験が終わったら、やろ・・・」とためこんでいたので、やるこたぁいろいろあるのだけど、それにしても解放感だよね。

最近、毎日のように学校から「●年△組 学級閉鎖のお知らせ」というメールが届くのだが、今日ついに、1年生の◆組もインフルの猛威に斃れた。14人というから、実にクラスの半分がお休みだったとのこと。帰ってきたサクに「今日、クラス何人休みだった?」と聞くと「ゼロ人!」わー!きゃー! サクも「○組さいきょうだな!!」と胸をはっている。そして、釣りゲームに「レジェンドクラスの おおもの!」といって、なんたらエイとかなんたらドラゴンとかを一生懸命作って投入していた。

夜ごはん、牛薄切りと野菜の焼肉ふう、五目豆、ほうれん草のおひたし、りんご。新・染五郎の密着特番を見る。サクもこういうの(特に子どもがフィーチャーされてるやつ)けっこう好き。寝る前に、鹿児島出張に行ってる夫に殴り書きで手紙を書いてた。


●1月某日: 友人 茉莉ちゃんの投稿を読んで触発されて、思わずfacebookに長文殴り書き。熱く(暑苦しくw)書いたものから何かを感じていただけたのかやっぱりみんないろいろ感じるところがある話題なのか、コメントなどリアクションたくさんいただく(文末に掲載…)。

いろんな人に連絡とったり、サポーター講座のレポート(提出遅れてた…ためてたの…)を出しにいったり。朝、夫が作ってくれたチャーハンがあったので昼ごはんが楽だった。てか、きのう日付が変わりそうなころに鹿児島から帰ってきて、朝7時からチャーハンを作っている夫、えらい。

東京を始め関東は大雪だが、福岡は粉雪が舞う程度でチィとも積もらず、ホッとする。子どもは「つもらないね・・・」と残念がっているが、さすがに0度近い寒気の中を学校から帰ってくると頬と耳が真っ赤になっている。夫が鹿児島で買ってきたさつま揚げがサイコー! しょうが、桜エビ、ねぎ、コーン、いもなど、いろーんな味があってどれも超おいしい。なんか、とても洗練されている。

『関ジャム』でいしわたりさんと蔦谷さんが選ぶ2017年のマイベスト10。彼らが、長年のヒットメイカーでありながら、批評家としての言葉の使い方、説明の仕方も卓越しているところ、そして他のアーティストや新しいアーティストにも限りない敬意を払っているところがこのコーナーの人気の秘訣なんだろうなと思う。彼らの紹介とともに曲を聞くと、ほんと惹かれるもん。米津玄師も、初めてちゃんと聞いてみたいと思った。あと、2人のランキングでかぶっていた吉澤嘉代子あいみょんね。

facebookの投稿より。長文です)

友人 茉莉ちゃんが率直に心情を吐露した投稿を読んで、ふつふつとこみあげるものが。
私も、今60才前後でずっと働いてきた女性たちのご苦労と自負心に接することがある。
「今の女性は恵まれている(産休・育休・時短など)のに要求ばかり」「育児も仕事も楽しみたいなんてムシがよすぎ。」などなど。下の世代としてはちょっと寒々しい気持ちにもなりますよね。ただ、彼女たちの言葉もまた切実な経験からくるリアルな述懐だから否定はできないし、自分も10年近く会社員だったので、従来ニッポンの会社社会の現実もだいたいわかる。

突然ですが、無印良品の本屋さん(@キャナルシティ博多)知ってます? 蔵書2万冊というボリューム、セレクトも、ディスプレイも工夫されていて、棚を眺めているだけでワクワクするし、購買意欲もすごーくそそられる。
でも、店内は閑散としてた。平日の午後2時くらい。無印の顧客層の大半は、働いているか、育児や介護に携わってる時間帯なんだろう。ある意味しょうがないんだけど、なんかふと疑問がわいた。

じゃあ休みの日にだって、私の世代(30代、40代)で、こういう本屋さんで面白そうな本をゆっくり選んで、家に帰って読める時間がある人ってどれくらいいるだろう❓ 
日本人の識字率は高く、90%以上の人が高校まで12年間以上も教育を受けるのに、いざ社会に出たら何十年も、本を選ぶ楽しみも、読む楽しみも味わう時間をもてない人がほとんどじゃないだろうか❓ 本どころか、新聞をめくる時間、ニュースに接する時間だって惜しいと思う人も多いのでは❓

先日、市内各校の読み聞かせサークルの講習会と交流会があった。そこで、始業前の読書「朝読」を実施している学校の減少が確認された。うちの子の小学校も然り、下校前にずらす学校が増えている。なぜかというと、給食の前に5時間目まで実施する、つまり1時間目の開始を早める学校が増えているからだ。それは先生たちの労働時間減少のための施策。私も先生の労働環境改善は絶対必要だと思っている。

でも、この件に限らず、大人の都合に合わせて子どもたちの環境を左右するって、どこまでがOKなのかな❓
「朝読」が「帰り前・読」になって何が問題かというと、保護者が読み聞かせに入ることが難しくなるのだ。朝8時15分からなら、1冊読んでから出勤できる人も少なくない。でも2時半からだと難しいよね。私の小学校でも、読み聞かせサークルで実質的に稼働しているのは私を含め専業主婦。

もちろん好きだからやっていることで、エラそうな顔をするつもりは毛頭ない。でも、読み聞かせって、子どもの育ちにとってきっと大事だよね。読み聞かせに限らず、たとえばドッジボールでもいいし、折り紙・編み物、単純におしゃべりを聞いてあげるとか、いろんな親が子どもたちと「学校で」関わる機会があればとても良いと思うんですよね。参観日や行事の他に、そういうかかわりをもてる機会が増えればな~と思ったりします。
「仕事をしていても」折々にそういう機会をもてることが大事なんじゃないでしょうか❓PTAとかって、大人同士の会議や人間関係がめんどくさいわけで、もっと時間があれば、学校での子どもたちの様子を見たいな、ちょっこし子どもたちと触れあいたいなと思う親御さんは多いのでは?

茉莉ちゃんも書いていた通り、「働き方が変わり、子どもの育ちの質も改善する。その両方を求めたい」ということ。今の日本ではどちらかしか選べない人が大半だけど、これまた茉莉ちゃんの書いてたとおり、NZでは女性首相がこれから産休をとるわけです。NZ社会にはバッシングも特にないらしい。北欧で父親の育児休暇取得率が90%を超えてるのも周知のとおり。

「日本もそうなったらいいのに」 そのためには、どこかに声をあげるなり投票で示すなり、社会参加や政治参加が必要になる。ヨーロッパの国々もただ椅子に座ってるだけではなく、人々の地道で断固たる活動の結果、クオータ制が実現し子育て施策が厚くなった。投票率すら上がらない日本では先の遠い話・・・。

・・・と言うと、うちの夫なんかすぐに、「みんな仕事と子育てと介護で忙しいんだから、社会とか政治参加とかまで手が回らんとよ」と言う。
そうなんですよね。時間がない。よって心の余裕もない。ナイナイ。それが現実であり、もしかしたら、ひとつの刷り込みなんじゃないかとも思います。

忙しくて余裕ない。自分なんかに物事を変える力はない。社会とか政治とか、ヒマな人・物好きな人・純粋まっすぐ君か腹黒い人がやること。少なくともオレがやることじゃない。みんながそう思ってる(知らず知らずのうちに思い込まされてる)結果が、悪質な世襲議員と内向きな活動家たちの乱立に現れてる…かもしれない。

この刷り込みを越えていかないと変わらない。本業のかたわら、片手間で社会参加・政治参加する人を増やさないと。それが当たり前にならないと。じゃあ、まず、誰がやるのか? ・・・つったら、こーゆー長文を書くヒマのある専業主婦なんですかね、結局(笑)これもある意味、ワークシェアかなとも思ったり。

とにかくいえるのは、『専業主婦 vs ワーキングママ』、『女 vs 男』、『今 vs ○十年前』 みたいなのは、本質的には意味のない二項対立。

冒頭書いたみたいに、実際に違う立場の人から言葉をぶつけられれば、(人間だもの、)感情的にはざわざわするけど、ほんとうの問題はそこじゃない。いろいろな人が、どちらも選べるように。豊かな人生を送れるように。そのために、社会参加・政治参加をしていくこと。生活のミクロな悩みを、社会問題や政治というマクロにつなげていくこと。そこが日本人のウィークポイントなんだよね。たぶん教育と文化に原因があると思うんですが。

というわけで(どんだけ長い前段だ)、小さな政治参加のひとつとして、今、Kさんと、子連れ世代で福岡市議会に傍聴に行こうよ~って計画を立ててます。来月19日から、始まるらしくて。市議会の定例会。ミーハー気分で見学して、ランチでもして帰ろうぜっていう軽いノリです。興味のある方、ご一緒しましょう~。またお知らせします。最後まで読んでくれた人いる?(笑)

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