3月11日なので

faebookより転載。

今日は3月11日なので、これまで自分が書いてきた震災関連の記事をいくつか集めてみます。
ここ福岡に住んでいると、どうしても忘れがちになってしまうけれど。
興味のあるものがあれば、読んでみてください。


【サニー安田さん管理人ブログアパートメント「Life ie mine」に書いたもの】

●浅田真央がめざす光、見せる光 (前・その日まで)
●浅田真央がめざす光、見せる光 (後・その日)

2016年1月、まだ現役選手だった浅田真央が盛岡市で開催した、復興支援のチャリティアイスショーについてです。ショーの後、インタビューを中断するほど涙した彼女は、一緒に練習し、演技した東北の子供たちに深い思いを寄せていました。


●又吉がニュースZEROに出てた

2016年3月、ピース又吉が石巻の中学校で特別講師をつとめた様子が放送されました。
この記事を書いている途中、熊本大分で大きな地震があり、福岡も2,3日揺れました。
それで、思ったことも、書いています。


【自分のブログ】

●『LIVE! LOVE! SING!〜生きて愛して歌うこと』

NHKは、この時期に毎年、これ再放送すればいいのになあ。
ロードムービーのような静けさと、普通の青春映画みたいな軽さと、時折の感情の爆発。カオス。
砂浜にしゃがみこみ、漁師の恋人の形見を一心に探しながらも、

「見つかってたまるか! 見つかった瞬間に、終わる。この、クッソみたいな景色が現実になる」

と叫び、それでも探さずにはいられない。
「自分が何やってるのかわからなくなる・・・」と慟哭するともさかりえの演技、忘れられない。『あまちゃん』を手がけた大友良英の音楽がまた、すごいのです。


●Eテレ「東北発☆未来塾」映像のチカラ~是枝裕和

「被災者」と一言でいっても、避難所暮らしのあと家に戻れた人、家は流されたけれど家族は無事だった人、無事だけど仕事を失った人、家族を失った人・・・など、さまざまなレイヤーの子供たちがいて、無数の断絶がある。断絶を日常として生きている。同じ高校で、同じクラスで、友だち同士で、震災という大きな出来事がもたらしたそれぞれの断絶を抱えている。そのむごさを思った。

高校生が作った被災に関する映像を見て、

「『それでも私たちは前を向いて歩いていく』のように、無理やりポジティブにまとめるラストはいかがなものか? 
けれど、それをさせているのは我々映像界の大人だと反省した。そういうものを君たちに見せてきたんだと」

と言った是枝さんは本当に信のおける人だと思う。


●Eテレ 「(東北発)未来塾」森達也

石巻市。人もまばらな仮設住宅に残されたおばあちゃん83歳。震災後3度も入院していて、「波と一緒に逝きたかったねえ」 と語る。

その話を聞いていた大学生の1人は、大川小学校出身。2歳年下の妹が大川小学校で被災して命を失った。彼女は震災以来、多くのメディアの取材などを受けてきたが、face to faceでは今でも震災を少しも語れない。親友にさえも。
サンドウィッチマンの「妹さんは帰ってきたの?(遺体が、という意味だろう)」という問いにも、無言で首をふっただけ。


●『想像ラジオ』 いとうせいこう

大震災の死者たちが語る「想像ラジオ」。作者は登場人物に、
「亡くなった人が無言であの世に行ったと思うなよ」
と語らせる。苦しみや恐怖、怒りや悔しさ、心残り。伝えたかったこと。彼らには山ほどあったはずだと。

「亡くなった人はこの世にいないから、自分の人生を生きるべきだ。まったくそうだ。(中略)でも、本当にそれだけが正しい道だろうか?
 亡くなった人に声に時間をかけて耳を傾けて悲しんで悼んで、同時に少しずつ歩くんじゃないのか。死者と共に」

いつか、震災を知らない世代が「私たちは無関係だから語る資格がない」と思わないように、そのために、この小説を書いたのだと作者は語ったという。

 

●教員遺族、語り継ぐ~大川小「無念と責任」胸に

児童74人と教職員10人が津波にのまれた、石巻の大川小学校。
我が子を失った遺族の多くは真相究明を求め、損害賠償訴訟にもなりました。
子どもたちとともに命を落とした教員の子ども、当時中学3年生だった奏太さんの、震災当時から6年間の悲しみ。

自分も遺族でありながら、
「父は子供たちを救えなかった。その子である自分が悲しみを表現していいのか」
とずっと苦しんでいたといいます。読みながら、涙が止まりませんでした。

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