『花の命はノー・フューチャー』 ブレイディみかこ

花の命はノー・フューチャー: DELUXE EDITION (ちくま文庫)

福岡出身、イギリスのブライトンで「連れ合い」と暮らす筆者の2004年から2006年までの暮らしを綴った文章。
文庫版のあとがきには、

この本のオリジナル版が出たあと、わたしは子を産み、保育士になり、ライターになり、ゴシップから音楽、エッセイ、政治時評まで、われながらまったく節操のない執筆活動を行っている

とあるが、2017年に『子どもたちの階級闘争』で新潮ドキュメント賞を受賞したように、今やブレグジットをはじめ、英国を中心としたヨーロッパ情勢について、リアルタイムの情勢を伝える第一人者といえるだろう。

政治や社会、教育を見据えた鋭い発信の数々は、この本に描かれる英国の労働者階級の生活から行われている。

日曜日の午前中、見事な刺青の上半身を晒して、山ほどの缶ビールをあけながら、子どもたちとサッカーに興じる父親たちの群れ。
筆者の親友というべきブラジル人の女性は、いつも面倒ばかりを引き受けて奔走している。
隣家に住む少年は、母親とその恋人、そして母の恋人の、それぞれ母親の違う連れ子と暮らしている。
絶世の美男で付き合う女性には事欠かず、独身で自由気ままに過ごしていたが、五十を前に母を亡くすと様子が一片した、連れ合いの友人。

そうそう、彼女の連れ合い=夫は、アイルランド出身で長距離ドライバー。
「'80年代のアイルランドは、薄汚く貧乏くさくて酔っ払いだらけ、でも妙に色っぽくてロックンロールだった」と彼女は回顧する。
連れ合いの友人Dの、絶世の美男で付き合う女性には事欠かず、独身で自由気ままに過ごしていたが、五十を前に母を亡くしてから様子が一変して・・・・というエピソードも印象的だった。

私は大学で「悪しき経験主義」という概念を教わった。人の経験なんてたかが知れている範囲からの価値判断は危険だし、「犯罪者のことは犯罪者にしかわからない」なんて理屈が通っては社会は分断の極みに陥る・・・と解釈している。それは社会科学に通じる概念なのだが、当然ながら「だからこそ、当事者でない者が語り、まして上から導こうとするなら、よほど勉強し寄り添って当事者の実相をとらえねばならない」と続くのだと思う。しかし、それを具現化できている為政者も研究者もあまりにも少ないから、“地べた”にカメラとマイクを据えた彼女の本が、今こんなにも注目されているのだろう。

「怒りを込めて振り返るな」「集団晩酌でアナーキー・イン・ザ・パブ」「限りなくどどめ色に近いグレー」など、各章の小見出しには、パンクとロックンロールを愛する彼女のセンスがいかんなく発揮されている。なんたって、『花の命はノー・フューチャー』だもん。飛ばしてる。わけわかんないけど、よーく考えれば真理。彼女の背骨を貫く生き方である。